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「ふむ。」
一月前、ハウディは青空市場の一角、うず高く積まれた林檎の前で、顎に手を当て考えていた。騎士団では交流の為、定期的に宴が開催される。その宴でやる余興をどうするかをである。
いつもの如く、ボーダンの頭の上に林檎を乗せて一瞬で八等分にするか、はたまた別の芸を考えるか。
真っ赤で丸々とした林檎を手に取り悩むハウディの横に、小柄な影がスッと入ってきた。
「おはようございます。喫茶『ディアロア』です。」
「おお!待ってたよ!」
それは、若い、というより幼く見える青年だった。青果を扱う露店の店主がにこやかに出迎え、青年が差し出した物を受け取る。ハウディには見慣れない物だったが、どうやら持ち運びが出来るように蓋が付いたカップのようだ。
「悪いな若店長!こんな朝早くに持ってきてもらって!」
「皆さん先代からのお得意様ですから。」
「いやいや!先代だったら配達なんてやってくんねえよ!」
「あはは、祖父はこだわりが強かったですから。」
中年の店主と親しげに話す青年が笑みを溢す。その瞬間、ハウディは頭から爪先にかけて電撃が走ったのを確かに感じた。幼い頃、電撃鼠に一発モロに食らったことがあるので間違いない。そのあまりの衝撃に思わず手にしていた林檎を粉砕してしまった程だ。
ハウディの心中が劇的に変わるほんの少し前に、青年は隣の露店に移動してしまったので、可哀想な林檎の末路には気づかなかったようだ。隣でも例のカップを笑顔で差し出し、それが終わればまた隣へ。どうやらこの辺りの露店軒並みから珈琲の配達を頼まれているようだ。
「…………可憐だ。」
放心するハウディはそう呟き、しばらくその青年の後ろ姿を目で追い続けた。その背中が露店や人波の中に埋もれて見えなくなると、そこでようやく客の突然の奇行に恐れ慄く店主の声掛けに気づいたハウディは、握り潰した林檎はもちろん林檎一袋分を買い取ったのだった。
「後日、『ディアロア』という店名から場所を割り出し、それからはほぼ毎日来店している。」
「お前、そんだけ通っててまだまともに注文も出来ないのか…。」
「一目惚れって実在するんすね~。都市伝説の類いかと思ってたっす。」
ハウディがボーダンをカレーまみれにした同日、きっちり終業まで仕事をこなしてきたレスタも加えて、改めて三人はシリウス家の応接間に集まっていた。そして神妙な語り口調のハウディによるファロウとの一方的な出会いを聞かされた二人は、紅茶片手に呆れたり、妙な感心をしたりする羽目になった。
「一月も通ってればもう常連さんじゃないっすか?次の段階行っちゃいましょうよ!デートデート!」
「デ!?」
先輩の初めての色恋沙汰を面白がるレスタが一人囃し立てるが、当のハウディは『デート』という言葉を聞いただけで過呼吸になりかかってしまう。落ち着け。
「そそそそそ、そんな超難関任務を私にこなせと!?」
「普通に茶とか誘え。」
「馬鹿か貴様!仕事中に茶を飲もうと絡むなど輩の所行では無いか!」
「改めて休みに別の店でだよ。」
「待て。喫茶店主を別の店に誘うなど最早宣戦布告ではないか?」
「良い店があるから敵情視察がてらどうだって誘うんだよ。いつもの即断即決はどうした。」
ボーダンはレスタと違って、ハウディの恋愛事情にそれ程興味が無い。どうぞ好きにしてくれと言いたいところをあれこれ意見を出してやっているというのに、当の幼馴染みは往生際悪くああ言えばこう言ってくる。
「先輩、いつもそうやって女の子引っ掛けてんすか?うわ~。」
更にはからかいの種を見つけてご満悦の後輩が身に覚えの無い冤罪を着せてくる。
「違えわ。ただの一般論だろ。」
「さっすが”ミスティア一の伊達男”の血筋~。」
「祖父さんと一緒にすんな。」
この程度で、王都で不動の人気を誇る英雄にして“ミスティア一の伊達男”と呼ばれ、漁色家で有名だった祖父と同じにはされたくない。
「つうか文句あんならお前も何か案出せ。」
「ええ~?例えば、さりげな~いプレゼントとか?あんま重過ぎない感じの。」
「なるほど。外交戦略の初手は手土産という訳か。」
「だからそうじゃねえだろ。」
まずその堅過ぎる思考から脱却しなければ話が一向に進まない気がする。
その時、紅茶のおかわりを注いでいたメイドから突然「坊ちゃん。」と呼びかけられた。メイドはおもむろにお仕着せのポケットから真っ赤で艶々とした林檎を取り出し三人の前に掲げて見せる。
「実は最近私、占いに凝っておりまして。林檎の切り方で相性の良いお相手が判るという林檎生け贄占いなのですが。もしよろしければハウディ様の為にこのフーヴァル=クロッホ、全力で腕を奮わせて頂きます。」
そうアステリオン家並の無表情で宣言するフーヴァル=クロッホは、後ろでまとめた黒髪の団子頭、丸眼鏡と尖った耳が特徴のシリウス家の名物メイド長である。長年忠実に勤めてくれて信頼の置けるメイド長だが、如何せんこういう謎の趣味を披露したがるところが玉に瑕だ。
「ほう。ではボーダン、この林檎を頭に乗せろ。」
「やらねえよ!?」
何故、あの最悪の宴会芸をここで披露せねばならないのか。既に定番化し期待されているせいでやめるにやめれなくなっているボーダンの頭痛の種の一つだというのに。
「何で毎回俺だよ!やるならお前んとこの部下にでもやらせろよ!」
ボーダンとしては全力で譲ってしまいたい林檎の台役だが、ハウディの部下達ならば喜んで奪い合うだろう。万が一手元が狂って頭頂部が少し禿げようが本望に違いない。
「馬鹿か貴様は。万が一の場合即座に結界を張れるような者でなければ危ないだろう。」
「馬鹿はお前だ馬鹿!!そもそも頭に乗せる意味無ぇんだよ!!」
結局、メイド長の林檎生け贄占いが披露されることもボーダンが生け贄になることも無く、ファロウへのアプローチはさりげないプレゼント作戦でなし崩し的に決まった。いくらファロウとまともに会話出来ないハウディでも手土産を渡すくらいは出来るだろうという考えからだ。
明くる日、早速実行と昼休みを利用して喫茶『ディアロア』の店先に現れたハウディの姿に、合流したボーダンとレスタは絶句して立ち尽くした。
「うっそだろお前…。マジか…。」
「わ~、こんな駄目なディー先輩初めて見た~。」
二人の絞り出した固い声に首を傾げるハウディは「何かおかしいか?」と尋ねる。その両手に一杯に深紅の薔薇百本の花束を抱えて。一本一本が大きく鮮やかに咲き頃を迎えた薔薇が百本。花に詳しく無い二人でも手間と金がかかっていると判る一品である。ハウディが昨夜の内から伝手を頼って貴族御用達の花屋に今日の昼までに用意させ、届けてもらうより手っ取り早いからと先程直接店から受け取ってきた代物だ。
どうやらこれが、さりげないプレゼントとやらのつもりらしい。
「プロポーズするんじゃねえんだよ。」
「百本とかヤバ。ウケる。」
「何!?しかし『花やっとけばとりあえず失敗は無え。』と昔シェイファム爺が言っていたぞ。」
「あのエロジジイを当てにすんな。」
「女の子の攻略法ならもしかしたら参考になったかもしれないっすけどねえ。」
何分、ファロウは男である。女性を口説く専門の祖父では参考にならないだろう。
レスタがボーダンにサッと手の平を見せて「突然の薔薇百本。男性側のご意見は?」と促してくる。答えは判り切っている。
「超怖え。引く。」
「っすよねえ。」
「そ、そんな・・・。」
明らかなプレゼント選び失敗に渡す前から落ち込むハウディ。その時、カランカランとドアベルが鳴った。開いた扉から出て来たのが何とファロウだったものだから、ハウディが声も無く飛び上がる。そのファロウの後ろから杖をついた老婦人が出て来た。
「ありがとうねぇ。」
「いえ、またいつでもお越し下さい。」
「ええ、来週のお祝いも絶対来させてもらうわね。」
どうやら彼女の為に扉を開けてあげたようだ。老婦人の見送りを済ませたファロウがこちらに気づき向き直る。
「いらっしゃいませ。」
「ぐっ!?」
ファロウの柔和な笑みにハウディが浄化されかかっている。我が幼馴染み殿は一体いつ魔獣になったのだろう。
レスタがキラキラした顔でハウディの耳元に口を寄せ囁く。
「しゃーないっすディー先輩!もう勢いで行ったりましょう!目指せ初デート!」
「で!?」
「だからデートは今のこいつには難易度高いだろ。とりあえずその花束だけでも渡して来いよ。」
レスタの反対側からボーダンも小声で耳打ちすると「よ、よし!?」と気合いを入れてハウディはぎこちない動きでファロウの前に立つ。その姿はさながら初めて戦場に赴く新兵のよう。しかし血走ったその目だけは幾度も修羅場を潜り抜けて来た猛者のそれだった。
まったく事情を知らないファロウは、ハウディの様子を伺いつつ、何かご用だろうかと、のほほんと待っている。
「ででででででででででででででで、で!で!」
言葉に詰まり、本題を中々切り出せないハウディ。無表情さも相まって、壊れたゼンマイ仕掛けの人形のようだ。だがついに覚悟が決まったのか、目を見開き、はっきりと目の前の想い人に告げた。
「死の行軍にでも行かないか?」
「え?」
ハウディの謎の提案にぽかんと固まるファロウ。そりゃそうなる。
「タイム!」
ボーダンは即座に冒険小説『アズラク=リーフの長い物語』に登場する恐るべき悪魔が時間停止魔法を行使する際の詠唱を叫んだ。その隙にハウディを引きずってレスタと二人間に挟み込むと、小声で怒鳴った。
「何でだよ!!デートと死の行軍どうやったら間違えんだよ!!」
死の行軍とは、王立学院騎士科の冬の名物行事であり、騎士科出身者の一定数は死の行軍と聞けば、動悸、吐き気、呼吸困難に襲われるという恐るべき行事である。間違っても想い人を気軽に誘って行くようなものでは無い。
「ほんの少し小首を傾げた困り気味の控えめな笑顔が暴力的に可愛過ぎる・・・・・・!!」
「聞いてないっすねぇこれ。」
緊張のし過ぎでおかしな発言をした自覚すら無い。駄目だ。今日もポンコツ過ぎる。
困っているファロウを放置する訳にもいかないので、思考の迷路から抜け出せずにいるハウディから花束をもぎ取った。
「あ~、店長、花好き?」
「あまり詳しくは無いですが、眺めるのは好きですよ?」
「じゃあこれ、貰い物なんだけど良かったら店に飾って。」
大きな花束を突然渡され、ファロウは目を丸くする。
「え?よろしいんですか?こんな立派な花束。」
「俺達この後も仕事なんだよ。騎士団に飾るより店の方が良いだろってこいつが。」
そう言ってボーダンがハウディの肩を叩くと、ファロウはハウディに満面の笑顔を向けた。
「ありがとうございます!おかげで店の中が華やかになります!」
「ヒエ・・・・・・!!」
悪霊の断末魔みたいな声がしたが聞かなかったことにする。幼馴染みが本当に浄化される前にさっさと店に入ろう。
席に案内され、ボーダンとレスタは昨日と同じくエスプレッソと花蜜入りミルクを注文した。するとファロウは未だ魂が抜かれたようなハウディに向かって「お客様のご注文はいつものでよろしいでしょうか?」と尋ねる。
ハウディは目を見開き一瞬硬直した後、ガクンガクンと首を縦に振った。
「シルバームーンですね。かしこまりました。」
爽やかな笑顔を残して去って行くファロウを、驚愕の目で見るハウディは震える声でこう絞り出した。
「覚えててくれた・・・だと・・・・・・!?」
「お前、昨日何やったか覚えてねぇのか。」
「あんなヤバい客、中々忘れないっすよねぇ。」
連れの頭をカレーに突っ込む奇行は、昨日今日で忘れられるものでは無い。そもそも一ヶ月ほぼ毎日一番高い珈琲だけ注文する客は中々印象深いのでは無いだろうか。
「ディー先輩って店員さん達に“シルバームーンさん”ってあだ名つけられてそうっすよね。」
「あだ名だと・・・!?そんな親愛の情を私に・・・!?」
「都合の良い頭してんなおい。」
意識が妄想の世界に旅立っているハウディから花が飛んでいるように見える。これが恋愛脳という奴か。何と恐ろしい。
「そういや、この店ってあの店長だけでやってんのか?他の店員見ねえけど。」
「何言ってんすか先輩。少なくとも、もう一人はいるじゃないっすか。」
はて。他の店員などいただろうか。ボーダンがそう疑問を思い浮かべた時、スッとテーブルにカップが置かれた。一瞬ファロウかと思ったが、すぐに違うと気づいた。腕の太さがまったく違う。ファロウの細腕の二倍、いや三倍はある。
見上げてみれば、ファロウと同じ制服に身を包んだゴリラがいた。やたら彫りが深い顔、がっしりした下顎、制服から盛り上がってはち切れそうな筋肉、どこをどう見てもゴリラだ。この閑雅な喫茶店にそぐわないようで妙に馴染んでいるゴリラに思わず目を擦った。
謎のゴリラは注文の品を並べ終わると、ボーダンがつい凝視してしまっていたからか、ギョロリと底光りする目で一睨みしていくと、のっそのっそとカウンターの方へ歩いて行った。
「ゴリラ…?」
ゴリラが完全にカウンターに入った後で、ボーダンが呟いた言葉にレスタが顔をしかめる。
「先輩、女の人に失礼っすよ。」
「あれ女!?というか人間族!?」
「めっちゃ失礼っすわ先輩。」
レスタによれば、昨日もカウンターの中にいたらしい。言われてみれば、何かデカい置物のような物が視界の端に入っていたような。
「奴の名はバーバラ=ブラック。隣国より武者修行の為にやって来た剛の者よ。」
ハウディが指を組んで神妙に何か語り出した。カウンターのゴリラもとい、バーバラを射貫くような視線で睨んでいる。
「武者修行って何の。」
「珈琲以外あるか?」
「あ、珈琲なんだ。」
「昨日我々が訪れた時は、珈琲を入れる練習につきっきりだったようだな、って、グアアァア!!」
急に奇声を上げたハウディが身を乗り出してカウンターの方を睨み付けている。見ればゴリラと子鹿が並んでカウンターに立っていた。どうやらファロウがバーバラに珈琲の入れ方について指南しているようだ。
「クソゥ・・・!奴め・・・!今日もあんなに近づきおって・・・!こちらを揺さぶり動揺を誘う作戦か・・・!」
「じゃあ成功してんな。」
ハウディの恨みのこもった視線に気づいたのか、バーバラもこちらに顔を向けた。どうもハウディを睨んでいるように見える。両者の不穏な視線が絡み合う。
「先輩先輩!恋敵の登場っすよ!」
何故か黄色い声を上げてはしゃぎ出すレスタにとりあえず言っておく。
「ゴリラとゴリラの小鹿の取り合いじゃなくて?」
「先輩、その発言が表に出回ったら終わりっすよ?」
では他にどう表現すれば良いのだ。
「あ!すんませんっすマスター!」
睨み合いを続けている二人を放置し、レスタはファロウが他の客の注文を取った後を狙って話しかけた。
「さっき帰ったお客さん、お祝いがどうとか言ってたっすけど、来週何かあるんすか?」
「ああ、先代が引退して僕がこの店継いでからちょうど一年経つので、常連さん達がお祝いをしてくれることになったんです。」
「じゃあ来週マスターが店長になって一周年パーティーがあるってことっすか?」
そそくさとハウディの腕を引っ張りレスタが興奮気味に囁く。
「チャンスっすよ先輩!せっかくの記念日、乗らない手は無いっす!」
「そ、そうだな!」
ハウディがファロウに向き直るが、果たしてきちんと会話が出来るのか。店先の悲劇の二の舞では。
「私達も是非祝わせてくフェイ!」
最後少し噛んだが、一応は成長したようだ。何が言いたいかは判る。
ファロウの了承を得たハウディ達のプレゼント作戦リベンジが、こうして来週に決まった。




