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ホワイムーン  作者: 思多斗芦
仮説1.恋とは罪悪
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一体、私が何をしたのだろう。


ただ、恋をしただけなのに。


幸せに、なりたかっただけなのに。




繰り返し頭の中で問いかけてみても、答えは返って来ない。声を発そうにも締め上げられた喉から言葉は出ず、ただ空気を求めて喘ぐのみ。

霞がかっていく視界の端で、赤味の強い茶髪が揺れる。

美しい豊かな髪は、少女の自慢だった。それも、今は見るも無残な姿に変えられた。

目の前の真っ黒な化け物によって。

太く大きな指が、キリキリと少女の細く白い首を締め上げていく。恐怖と、混乱と、苦痛が少女を支配し、今にも落ちそうな意識の中、化け物の後ろに、確かに小さな人影を捉えた。

一瞬、希望の光が少女の瞳に灯るが、すぐに搔き消える。

ローブを深く羽織ったその小さな影は、月明かりの下、口元だけが鮮明に見えた。

煌々と光る大きな満月を背に、その鮮やかな真っ赤な唇は、弧を描いて笑ったのだ。








【恋】


1.特定の異性に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。


2.土地・植物・季節などに思いを寄せること。


大辞泉




「ふむ、まったく解らない。」


ロン=ツヴェルフは、噴水の縁に寝転びながら大真面目な顔でしっかりと一人言を言った。

ステラリア王国王都ミスティアの中央広場で、雑踏と噴水の水音を背景に、広げた書籍の一部分を繰り返し目で追う。

ロンにとっては一人言だったが、隣に腰かける少女はロンの言葉を親切にも拾い上げた。


「それ、何の本?」


書籍をずらし、赤い三つ編みを左右に揺らす可愛らしい顔立ちの少女を見上げる。リーシュは見慣れぬ言語が並ぶ書籍の表紙を不思議そうに眺めていた。

凶器に手頃そうな分厚い書籍は手荷物には少々不便ではなかろうかと。もっとも手頃な凶器と考えているのはロンだけであろうが。


「異世界の辞書。」


「辞書をわざわざ持ってきたの?重くない?」


さらりと端的に口にした“異世界”という単語をリーシュはまたさらりと流し、出先にあまり必要無さそうな重い手荷物を持参したことの方を尋ねた。ロンが異世界関連の事象に少しばかり伝手があることをリーシュは心得ているからだろうが、ごく普通の一般人なら冗談と笑うか、妄想と顔をしかめるだろう。


「どうしても気になる部分があってね。まあ、いざとなったらそこの大木にでも持ってもらうよ。」


「大木って…。それは動かないって意味?それとも役に立たないって言ってる?」


呆れ顔のリーシュの向こう側を見れば、噴水の縁に背をつけ片足を曲げ地べたに座る少年が、ボーっと道行く人々の足元と石畳を眺めている。大木と聞いて自覚があるのか、ハウルは今にも眠ってしまいそうな半分も開いていない目をのっそりとこちらに向けた。大木と言ったが十一歳の少年のわりに特別背が高いという訳ではない。ただ同年齢のロンとリーシュと比べれば小憎らしいことに頭一つ分の差はあるというだけである。

辞書を閉じ、リーシュを挟んで手渡したら、ハウルはロンの失礼な物言いに怒るでもなく渡された辞書をしげしげと見つめた。


「………殴るのに良さそうな本だな。」


「それが本を見た感想?重さじゃなく中身を重視しなよ。」


「もし強盗に遭遇しても、これなら相手の意表を突けるし、良い武器になると思う…。」


「まず本来の用途それじゃないから。」


物騒な考えの持ち主がここにもいた。貴重な資料を何と心得る。もちろんロンは自分のことは棚に上げてしれっとリーシュのツッコミを黙って聴いている。

ロン、リーシュ、ハウルの三人は夏の長期休暇に入ってから大体この中央広場に集まってそのままぐだぐだしたり、その辺をうろうろしたりして過ごしていた。別に約束して待ち合わせている訳ではない。いつの間にかこういう形に落ち着いていたのだ。せっかくの休暇なのだからもっと有意義な時間の使い方をすればいいのにと周りは言うが、三人共それぞれ忙しい身である為、中々遠出は出来ず、暇な日は特に何をするでもなく集まりそのまま日が過ぎていってしまうのだ。

そもそも二人と違って学校に通っていないロンには休暇はあまり関係ないのだが、そこはそれ。他二人が長い休み特有のだらけた雰囲気を発していれば自然と移るものだろう。


「で、今回は何がそんなに気になるのロン?」


ロンが唐突に疑問を呈し投げかけるのは今に始まったことではない。つい先日も、王都でも指折りの人気製菓店に併設されたカフェの前で、「何故Ib(ポンド)単位で体重の増減を気にかけるのに彼女達は諸悪の根源ともいうべき高カロリー食品をあんなに摂取しているのだろう?」と、世の全女性を敵に回すような発言を営業妨害と訴えかねられない程に堂々と言い切り、迅速な判断でリーシュがロンとハウルの手を引いて全速力でその場から離脱した。そしてしばらくはその店がある通りを避ける羽目となった。気を回したリーシュただ一人が。

またいつものかと尋ねるリーシュにロンは改まって本日の自分の議題を述べる。


「恋とは一体何なのかと思ってね。」


「は?」


こちらをまじまじと見つめているリーシュに首を傾げる。


「何かな?」


「ロンがそんな、人間らしいものに疑問を持ったことに驚いてる。」


「友に手酷い裏切りを受けた。謝罪を要求する。」


「えっと、ごめん。」


「許す。」


ちょっと困った顔で謝るリーシュが可愛かったので。とは言わない。


「こうして辞書で定義を調べてもどうにも得心がいかない。」


「えーと、まず何でそんなことが知りたいの?」


そういえば、まだ事の経緯を言っていなかった。リーシュには説明しておかなければなるまい。

だがその前に一つ。ハウルはまたボケーッとその辺を見つめて聞いているのだかいないのだか知れないので無視しておきたかったが、言っておかねばならないことがある。


「ハウル、どうぞお好きに惰眠を貪ってくれて構わないが、その辞書に唾液の一滴でも垂らしたら今後お前の魔導具の整備にそれ相応の物を要求する。ひとまずお前の身体は今後の研究の検体用として登録しておこう。」


「やめい!あーもう私が持つから!」


リーシュがハウルから辞書を奪い取る。すると彼女の細腕がガクンと下に下がった。


「重っ!!何これ予想より重っ!!二人共普通に持ってたからもっと軽いと思ってた!!」


「ああ、すまない。浮遊魔術じゃなくて強化魔術を使っていたものだから。」


「そんなことにわざわざ魔力を使うな!」


身体強化魔術を両腕のみに行使し強化していたのだが、リーシュに重い思いをさせるなら辞書自体を浮遊させておけばよかった。ちなみにハウルは一切魔術を行使していない。自身の筋力のみで悠々と片手で持ち上げてみせた。このゴリラめ。

結局、リーシュに持たせる訳にもいかないので、それなりの重量の辞書はロンの手に舞い戻ってきた。するとハウルがのそりとこちらを見て一言。


「寝てないぞ俺は。」


「うるさい!」


いつも通りの噛み合わない会話を聞き流しつつ、ロンは経緯について語り出す。








事の発端は、昨日に遡る。


壁をぐるりと一周するたくさんの本が埋まった本棚に、棚に入りきらない大量の本や資料が所狭しと平積みされ多くの塔を作っている部屋は、大人一人分の通り道はあるがそれが迷路のごとく入り組んでいる。その物量と散らかり具合に初見の者は圧倒されるが、住人たるロンとその師は調和のとれた混沌と言ってはばからず、どこに何があるか乱雑にそびえ立つ塔から見つけ出せるし崩してしまうことも無く迷宮の出口から抜け出せる為、まったく片付けようとせず今日に至る。

ちなみに、平積みすると本の劣化が早くなるらしいが、その情報で師弟が状況の改善に乗り出したことは今の所ない。

この部屋で本棚以外に唯一存在することを許された家具である長椅子の上で、最高にだらけ切った体勢でロンは一冊の本を斜め読みしていた。ロンも師もこの長椅子でよく寝そべって読書をしているが、周囲を本の塔の群れに囲まれ、傍から見ているといつ塔が崩れて圧死するか気が気でないらしい。他人事のようなのは師弟がそのことに関してまったく頓着せず本当に他人事だと思っているからだが、それを公言すると師弟の数少ない頭の上がらない幾人かにこんこんと説教される羽目になる為、賢い選択として口をつぐんでいる。

ロンが読んでいるのは、異世界探索をフィールドワークとする兄弟子がいつだったか置いていった数多くの書籍の内の一冊だ。兄弟子がわざわざステラリア語に訳した物で、本来の物より装丁はかなり質素で粗末らしい。

何でも純文学と呼ばれる類の物で、恋愛がテーマとなっているようだが、ロンの知る限りでの恋愛物語のような内容ではなかった。年若い女性が好みそうな、恋が成就してハッピーエンドや恋人達が悲劇的で美しい末路を辿ったりしない。読了後、もしかしたらこれは恋愛を主軸としていないのかもしれないと考えながら、ページを戻し、とある台詞をじっと読み込む。


「師匠。質問があるのですが。」


長椅子に寝そべった状態で、およそ師に質問する姿勢ではなかったが、幸い積まれた本の山で姿は見えない。もっとも、例え師が目の前にいようがロンが体勢を変えることはなかっただろうが。

十数秒待ってみるが師からの応答は無い。師が思考に没頭して返答を無精するのはいつものことなので根気強く話しかける必要がある。


「師匠、し~~しょ~~。」


「………………。」


「しぃ~しょ~~~。しいしょ~~~。し~~~しょ~~~~~~。」


「………………………。」


「………………………ついに耳も遠くなったか。」


「なっとらんわ。“も”ってなんだ“も”って。」


ぼそっと呟いた小さな一人言は師の耳にちゃんと届いたらしい。目の次は耳かと思ったがどうやら大丈夫なようだ。

以前、目の前にあるのにまったく気づかず二十分以上資料を探し続けていたので「今度のお誕生日は老眼鏡を差し上げますね。」と言ったら頭を思いっ切りはたかれた。何故だ。


「先日、兄弟子殿が置いていった書籍はもうお目を通されましたか?」


「ああ、そういえばそんなのがあったな。やたらと暗い内容の小説ばかりの。」


「さすが、例えまったく興味の無い分野でもそれが本となれば必ず一度は目を通す重度の活字中毒者たる我が師ならばすでに数十冊すべて読破していらっしゃると思っておりました。それでその内容については昨今もの忘れが著しい師匠の頭の中にまだお留め置きでしょうか?」


「師を露骨に老人扱いするな。まだまだ現役だぞ。」


「師匠が現役でいらっしゃることは十二分に理解していますとも。昨夜も遅いご帰宅で甘い香りを漂わせていたことから随分長い間そういう場所に滞在されていたのだと―――――」


「それで何が訊きたいって?」


無理矢理話を反らされた。まあいいか。

ロンは本来の訊きたかった疑問に話題を戻す。


「この小説の一説によれば、恋とは罪悪らしいのです。」


ロンは起き上がり、師がいるであろう方向の本の山に向き直った。


「では何故、人は恋をするのですか?」


十二番弟子の無垢なる問いに、大賢者は厳かに答える。




「んなもん知らん。」






<引用文献>

松村明・監修、小学館「大辞泉」編集部・編(1995)『大辞泉』小学館

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