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第十四話「プレゼント」

 一週間寝込んでいた際、夢に出てきた皇太子はオデルに似ていたように思う。

 彼は滞在中、何度もシルディアに会いに来てくれた。

 毎回のようにイチゴのクッキーを携えて。


 思えば、あれは初恋というものだったのではないだろうか。

 皇太子とのやり取りを思い出すだけで、胸の奥がほんのりと温かくなる。

 その気持ちは、よく令嬢達が噂する恋というものだろう。

 懸想相手が皇太子だったため、記憶の奥底に蓋をしていた。

 ところが何の因果か、シルディアは皇王へ嫁ぐことになった。

 蓋をしていた記憶が姿を見せても不思議ではない。


 問題は、あの皇太子はオデルだったのでは? と期待してしまうこと。


 口調は違っていたし、鮮明に顔を覚えているわけでもない。

 なにせ六歳の頃の記憶だ。十年前の記憶が当てになるはずがない。


 たった一言、昔会ったことある? と問えばいいだけ。

 しかしシルディアは、その一言を口に出すことが出来なかった。

 そうして悶々とした気持ちを抱えたまま、時間だけが過ぎ去ってしまった。



 三週間後。

 今日はシルディアをお披露目のために夜会が開かれる日だ。


 ドレスルームに並ぶ数多ものドレスの中から、今夜の主役にふさわしいドレスを選ぶ。

 それは誰のものであるか一目で分かるよう、オデルの瞳と同じ色のドレスだ。

 豪放な真紅の生地がしなやかな体を包み込む。

 体の線を強調するようにぴったりと沿ったスカートはまるで薔薇の蕾のようだ。

 繊細なレースの模様が薔薇の蔓を描いている。

 ドレープとタックが花弁を模しているらしく、ワルツを踊ると薔薇が開花する仕掛けだ。

 背中の開いたデザインではあるが、色気よりも上品さを醸し出していた。

 一端を担うのは、背中を這う繊細なレースの装飾だ。レース一つ一つが薔薇の形をしている。

 そんな意匠の遊び心がたっぷりと詰まった一着だ。


(結局、背中が開いていないドレスは一着もなかったわね)


 どのドレスを選んでも背中がぱっくりと開いているため、シルディアが諦めるしかなかった。

 ヴィーニャに聞いたところ、つがいの証が背中に現れるため背中を見せなければならないとか。

 ドレス姿でドレッサーの前に座り、髪を結ってもらう。

 シルディアのウェーブがかった白髪は、そのままおろしていても絵になるため結う必要はない。

 だが、ヴィーニャが張り切って髪を結い始めたので任せることにした。


(わたしにつがいの証はない。針の筵になるのは想像に難くないわ。覚悟して臨まなければならないわね)


 鏡の中のシルディアは、おっとりとした印象を与えるような化粧を施されている。

 しかし、化粧の与える雰囲気とは裏腹に、薄い水色の瞳はすでに闘志に燃えていた。


(夜会は女の戦場だもの。つがいでなければ結婚すら出来ないこの国で、わたしが受け入れられるわけがない。どれだけオデルがわたしをつがいだと宣言しても、意味はないでしょうね)


 証という可視化された

 今夜のお披露目パーティーでは、どれだけ後ろ指刺されても屈しない心が必要だろう。

 鏡の中の少女はすでに腹をくくった顔をしてる。


「シルディア様」

「ん?」

「そんな怖い顔をなさらず、もっと笑ってください」

「……そうね」

「周りに幸せだと見せつけるのです! 皇王陛下の寵愛を受けるのは自分だと!」


 ヴィーニャがそう片手を握り込んだ。対するシルディアは心底嫌そうに眉を顰める。


「いや、それはどうなの?」

「シルディア様が昏睡しておられた一週間、付きっ切りで看病してたのは皇王様ですよ? これを寵愛と言わずなんと言いますか!?」


 握りしめた拳を高らかに上げて力説するヴィーニャに、あーと釈然としない声を上げて視線を逸らす。


「それは、そうかもしれないんだけど……」

「そう! そのお顔です!!」

「!?」

「自信なさげな目じり! 赤らめた頬! 恥じらいを隠しきれない口元! 完璧(パーフェクト)です!!」

「ヴィーニャ、あなたキャラ変わってない……?」

「こほんっ。失礼。ですが、その恥じらうお顔は大事です。はい、結い終わりましたよ」

「ありがとう」


 鏡を覗き込み、髪型を確認する。

 どうやら編み込んだ髪をハーフアップにしているようだった。

 後ろで縛られた髪の束は三つ編みにしてある。

 髪型のおかげか、ただ流れのままにおろした髪では得られなかった可愛さが出ている。


(流石フロージェと同じ顔なだけあるわ)


 まじまじと鏡を見ていれば、遠慮がちにドレスルームの扉がノックされた。

 シルディアが用意していると知っていてノックする人物は一人だけだ。


「用意は済んだから入ってもいいわよ。オデル」

「ごめんね。どうしても渡したい物が――」


 シルディアと目が合った瞬間、オデルは石のように固まった。

 そんなオデルの反応を訝しげに思いながら、シルディアは彼を眺める。


 端的に表せば、絵画から抜け出してきたかと錯覚する美貌、だろう。


 漆黒の軍服。それは皇族のみが袖を通すことの許された代物だ。

 元の顔の良さも相まって、目に入れた女性が卒倒してしまいそうなほどの色気を醸し出している。

 首元を彩るネクタイと左肩に固定されたマントは、図らずもシルディアのドレスと同じ色をしていた。


 沈黙が続き、いたたまれなくなったシルディアが拗ねた口調で呟く。


「似合わないと思うのなら、そう言ってくれたらいいのよ?」

「! いや、そうじゃない。似合ってる。すごく。薔薇の精が現れたのかと思ったよ」


 我に返ったオデルは、シルディアの足元にかしずいて手を取った。

 そして、シルディアの腕を覆う真紅の手袋を外す。


「なにを……?」


 せっかくはめた手袋を脱がされ首を傾げる。

 きょとんと目を丸くするシルディアの掌に、微笑を浮かべたオデルが口づける。

 口づけた掌を自身の頬に擦り付け、オデルは上目遣いにシルディアを見上げた。


「すごく似合っているんだけどね~。うん、俺の瞳の色を選んだら必然的に薔薇を模したようになるのは仕方ないとは理解しているんだよ? でもなぁ、薔薇かぁ」

「? 薔薇が不服?」

「俺の象徴華は白百合だからね。薔薇は、初代皇王の象徴華なんだ」

「え。……まさか」

「うん。着替えて欲しい」


 オデルの無慈悲な提案に、流石のヴィーニャも頭を抱えている。

 心底呆れてしまったシルディアは、ため息交じりに肩を落とした。


「象徴華の話はもう少し早く聞きたかったわね」

「ごめんね」

「夜会まであまり時間がないのよ。もう……」

「文句言っても着替えようとしてくれるなんて、シルディアはやっぱり優しいね」

「時間がないのだから、オデルにも手伝ってもらうわよ」

「え?」

「当たり前でしょう? 言い出しっぺが手伝わないで、ヴィーニャにだけ負担をかけるつもり?」

「あはっ。そうだね。俺の気に入るドレスを持ってくればいいんだね」

「話が早くて助かるわ」


 もとよりドレスルームを作り、ドレスを購入したのはオデルなのだ。

 彼が一番詳しいのだから、任せても問題ないだろう。


「ヴィーニャ。せっかく用意してもらって申し訳ないのだけれど……」

「心得ております。まずは衝立を持ってまいります」

「よろしくね」


 ヴィーニャが衝立を取りに行き、一人になったシルディアは顎に手を当て考え込む。


(オデルがわたしのことを白百合と呼んだ時点で気が付くべきだったわ。皇族なのだから、象徴華があるに決まっているじゃない)


 象徴華とは、皇妃ひいてはつがいに刻まれる、その代の皇王を表す花のことだ。

 上皇夫妻の象徴華は椿だと習った。


(とすると、つがいの証は象徴華ということになるのだけど……。上皇后陛下の背中には椿の刺青があるってこと、よね?)

「お待たせ。持って来たよ」


 白色のドレスを持って来たオデルに、シルディアはこれ幸いと問いかける。


「ねぇ。つがいの証が刺青なのであればそう言ってくれたら、彫ったのに」

「んん? どうしてその結論に至ったの?」

「背中につがいの証があるから、背中の開いたドレスしかないってヴィーニャが教えてくれたの」

「うん。そこからどう飛躍するのかな?」

「オデルを表すのは白百合なんでしょ? なら、象徴華が背中に彫られているって考えるのは自然なことじゃない?」

「あー……。なるほどね。よし、夜会から戻ったら皇国についてもう少し踏み込んで教えるよ。だから今は着替えようか」


 オデルの視線が衝立を設置し終えたヴィーニャに向けられる。

 衝立が用意されたのなら手早く着替えなければならない。なにせ夜会の時間が刻一刻と迫っているのだから。

 白色のドレスを受け取ったヴィーニャに従い、オデルに背を向けた。

 その時、


「あ、ちょっと待って」

「っ!?」


 首筋に一瞬走った、チクリとした痛み。

 びくりと肩が跳ねたのはしかたのないことだろう。

 オデルの予想外の行動を窘めたのはヴィーニャだ。


「皇王陛下。今、キスマークをつけられては隠せません。自重してくださいませ」

「きっ!?」

「隠さなくてもいい。俺のものだと知らしめるチャンスだろう?」

「表向きはまだ婚約です。初夜もまだだとお忘れですか? それとも、シルディア様が婚姻前に体の関係を持つようなふしだらな女だと吹聴されてもいいと?」

「なっ!?」

「それは困るな」

「でしたら自重なさってください」


 驚きで言葉にならないシルディアをよそに話は進んでいく。

 いいことを思いついたと言わんばかりに笑ったオデルがシルディアを後ろから抱きしめる。

 そして――


「ひゃっ!」


 ――もう一度噛みついた。

 首筋に這う、生温かなぬるりしたものがオデルの舌だと気が付くのに時間はかからなかった。

 しかし、彼が離れる気配はない。

 何度も首筋に吸いつかれ、小さな痛みがシルディアを襲う。

 小さな痛みに耐えていれば、不意に大きく噛みつかれた。そのたびにシルディアの肩はびくりと跳ねる。

 弄ぶだけ弄び、満足したのかオデルはリップ音を立てて、顔を上げた。


「ん。ごちそうさま」

「なっ、な、何を……」

「それ、あげる」


 呆れ顔のヴィーニャが用意した手鏡を見れば、オデルの瞳の色をした首飾りが首元で輝いていた。

 全体が宝石で出来ているようで首にぴったりと密着するそれは冷たい。


「ルビー、ではないわね」

「ルビーレッドアンバーだね。赤色の琥珀ともいう。特注で作らせたんだ。シルディアが俺のものだって証」

「ありがとう。でももう少し普通に渡せないの? さっきの、恥ずかしかったわ」


 頬を赤らめるシルディアに嫌悪の色はない。

 シルディアはオデルを受け入れつつあった。


「普通に渡したらつけてくれるか分からないからさ」

「贈られたものならちゃんとつけるわよ。失礼ね」

「俺しか外せないって言っても?」

「え? いやいやいや。流石にそれは……」

「ほらぁそういう反応する」

「誰が事後報告で大丈夫って言うのよ!?」

「シルディア様。そろそろお時間が……。先に着替えを済ませてしまいましょう。その後でじっくり話し合えばよろしいかと」

「そうね。あとで覚悟しておいて!」


 シルディアはそう捨て台詞を吐き捨て、着替えるために衝立の奥へと足早に進んだ。

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