つらいこと
杜若元春さん。彼は恨めしいものを見るように誠実さんを睨んでいます。
「んな顔するなよ。坊っちゃんだってそれなりに苦労してるらしいぜ」
「ボケがッ! 女子高生と合法的に同棲してるとか法が許しても俺が許したくねェ!」
「お前が許さなくても世界はいつも通り平穏無事だよ」
元春さんは項垂れながら落ち込んでいると、誠実さんが寧々に耳打ちしてきます。
「固定化の呪いを受けたことがある防人だよ。ほら、公園野宿の……」
そういえばあのとき聞きそびれていた公園野宿野郎とかいう人。もしかして、この人なんでしょうか。
元春さんは以前、公園で魔物と戦闘をしていた際に、呪いを浴びたときにちょうどよりかかっていたパンダの遊具に固定されて1ヶ月公園野宿を強いられたことがあるそうです。
公園でしばらくの生活はとても辛かったらしく、きっと誠実さんも辛いめにあってると思って心配して様子を見に来てくれたんでしょう。
「ずりぃ……ずりぃよ……血筋も顔もよけりゃ呪われても女子高生と生活とか不公平がすぎるだろ……」
「関係ないだろ」
誠実さんはだいぶ雑な口調ですが、寧々には優しいけど親しい人や職場の人には砕けた口調になるなぁと昨日から気になっていたので、元春さんとのやりとりで確信を得ます。
寧々もこれくらい気楽に接してもらうのを目指しましょう!
「つーか他のメンバーは?」
元春さんはきょろきょろと部屋を見渡しますが寧々たち以外に人はいません。
「朝早くに顔出してからそのまま案件のために出ていったのと、そもそも長期案件で戻ってないやつらと、怪我で休養中のがいて今日も今日とて俺らだけ」
「雲雀さんは?」
「うちのボスは確か長野の方で発生した魔物の巣討伐に呼ばれてる。まだかかるんじゃね?」
卯月さんが元春さんに説明しますが、長野ってそれなりに距離がある他県なので気になります。
「他の県まで行くこともあるんですか?」
「んー。規模が大きかったりするとあるな。各地に支部はあるっつても本庁と比べりゃどうしても戦力は劣る。まあ一部とんでもねぇバケモノとかいたりするけど、基本的に厄介な案件は本庁か京都の方に救援求めて解決することが多いってトコだな」
ボス、と言っていたしおそらく誠実さんたちの上司さんのことでしょう。きっと頼りになる人なんだろうなぁ。
でももしかしたら誠実さんもよその県に行ったりすることがあるんでしょうか?
「俺やセージ坊っちゃんは東京から離れるような案件はそうそうないから安心しな」
フォローするように卯月さんが耳打ちしてくれてちょっとだけホッとする。
でも二人だけで頑張ってるのも大変そうだな、ともちょっと心配になる。
一方で誠実さんは元春さんに改めて向き直る。
「どうせだから聞きたいことがあったんだ」
「ん? 俺の武勇伝?」
「そんな一生役に立たないような話はどうでもいいよ」
「塩いな! なんだよ、聞いてくれよ。目黒川であてのない破片探しをしたときの――」
「固定化の呪い、距離はずっと変わらないままだったのかい?」
元春さんのちょっと気になるお話を遮って誠実さんは気になっていることを聞きます。
元春さんは気を悪くした様子もなく、それに答えてくれる。
「あー、そうだな。俺のときは1ヶ月毎朝離れられないか確認してたけど、毎日少しずつ半径が広がっていったよ」
「徐々に緩和されていくってことか」
「まあそれでも本当にちょっとずつだけどな。俺は結局、公園から出ることはできないくらいだったし」
結局は一定の距離離れることができないのは変わらないってことなんですね。
「つーかお前、本家か親父さんに頭下げたらもっと解決はえーんじゃねぇの?」
元春さんの発言に、なぜか空気が冷えたような気がします。
卯月さんが「やっべ」と本当に小さな声で呟いて慌てて誠実さんを見ます。
元春さんはその様子に気づかないまま話を続けるのですが……
「こいつ、お偉いさんの息子なんだぜ。本庁にいっぱい部署あるじゃん? あれの統括長、阿賀内さんの一人息子――」
「ちょ、元春。それ以上は……」
「僕には関係ないことだよ」
とても、怖い声でした。
誠実さんの表情は今まで見たことないもので、一言で表現するのが難しい感情が滲んでいました。
なんでしょう。怒り、悲しみ。あるいは諦めたかのような――。
「そろそろ自分の持ち場戻りなよ。サボってると思われる前にさ」
わざとらしく時計を見て、誠実さんは元春さんを追い払うように扉のほうへ顎を向けます。
元春さんはというと、誠実さんの反応にぴんときていないのか「んだよー」とぼやいて寧々たちに手を振りながら帰っていきました。
一方で、誠実さんはまだイライラしているのか話しかけづらい雰囲気です。
「あんまりこの話題は触れないほうがいいぜ。坊っちゃん、ガチで地雷だから」
「は、はい……」
耳打ちしてくる卯月さんの顔はいつになく真剣です。
すごく気になるけども、誠実さんが明らかに嫌がっている。
寧々よりも大きな誠実さんの背中がどこか辛そうで、ほとんど無意識のうちに彼の背中をさする。
驚いたように誠実さんが振り返って目が合うと、誠実さんは頼りになる大人ではなく、寧々と似た目をしていました。
ああ、この人も人に言えないような気持ちを抱えているんだ。
「誠実さん……あの……」
励ますなんてのは烏滸がましくて。
でも、自分とは全く違う世界に生きていたはずの彼が、自分と似ているような気がして、恋心よりもまず自分を思い出して、そばにいたいと思ったのです。
「お辛いなら無理はしないでください。寧々はあまりお役に立てないかもしれませんが、誠実さんに助けてもらったように、寧々も誠実さんを助けたいんです」
心まで。いや、むしろ心だからこそ助けたいと思うんだ。
体の傷はいくら増えてもいつか治る日がくるから。でも心は壊れたらなかなか戻せない。
寧々はそれをよくわかっています。
「だから、辛いときは辛いって言ってくださいね」
誠実さんは何も答えません。
でも、少しだけ寄りかかってくれたような気がしました。
――――――――――
夕方頃、誠実さんのお家に帰ってきて、寧々はお勉強をすることにしました。
誠実さんはぎりぎりの距離でキッチンでご飯を作っています。寧々が壁によりかかっていればなんとかなるみたいです。寧々な動くときは先に大きな声で呼んでほしいと言われました。
お料理も寧々がお手伝いするべきなんでしょうけど、それより勉強したほうがいいと言われてしまえばなすすべもなく。
防人衆のことだけでなく、色んなことを本で読みながら、ふとあることが気になります。
古い異能者家系はその血を絶やさないよう、早い段階で婚約や婚姻をしていることが多く、また少し前までは一夫多妻を黙認されていたこともある。
現在は世論の変化もあってそういったことには否定的なようでした。
異能者家系はの5割は富裕層あるいは中流階級らしく、異能者家系ではない最近の若い異能者は後ろ盾がないため、家同士の結束などもないことから防人衆でも上の立場になりづらい……と誠実さんメモ補足にありました。
だとしたらやっぱり不思議です。
誠実さんはモテないと卯月さんは言っていた。
寧々も世間知らずと言われたら否定はできませんが、エリートでいいお家出身で、しっかりと働いている誠実さんがモテない……?
寧々の贔屓目があるのは事実ですが、誠実さんはお顔もかっこいいし、声も素敵ですし、何がいけないのでしょうか……。
あれ、でもよく考えたら誠実さんは佐藤さんです。元春さんは阿賀内さんとさっき言っていたけどどうしてでしょう。
阿賀内さん、という名前はお勉強中に見かけた覚えがありました。
異能名家の一覧を確認しながら阿賀内、という名はやっぱりあります。
阿賀内家は代々巫女を輩出してきた霊術に長けた異能名家です。霊術でも結界方面が特に秀でている傾向があり、女性は『贖いの巫女』と呼ばれる特殊な役職を賜る、と書かれています。
どのような役割かは秘密のため書かれていませんが、とても重要な役職のため、阿賀内一族は女児が特に強い力を持っています。
年々女児が生まれる数が減っているらしく、2016年(出版年)現在は女児が存在しておらず、巫女不在で困っているとか。
今は2019年ですからその間に生まれてなければ今も巫女がいないままということ。
他にも巫女を輩出している家系は載っていましたがどれも阿賀内の代わりにはなれないとのことでした。
そんな特別な一族の血を引いている誠実さんがモテない理由がますます寧々にはわかりませんでした。
謎が深まるばかりで答えは得られませんでした。
そういえば、夢子ちゃんは鈴木さんというお名前でした。
鈴木、という名を探してみると東京ではなく関西の異能家系にありました。でも、名家より扱いは大きくないです。
鈴木一族は政府との折り合いが悪く、昔からよく衝突を繰り返していた一族のようです。
同じ京都の鈴鳴一族の系譜らしく、鈴の血族と呼ばれる京都の異能家系は対魔物向け戦闘集団として他の家から恐れられているようです。
夢子ちゃんの強さの一端を見た気がしますが、ますます誠実さんがなぜ夢子ちゃんと親しいのかよくわからない。
試しに佐藤さんも調べてみましたが、こちらは関東を拠点とした家系で、明治の頃に貿易関係で富をなしたいわゆるオカネモチです。
藤の血筋がどうとかありますがそこは関係なさそうなので読み飛ばすと、現在もいくつもの会社経営や輸出入、不動産などに携わっているらしく、阿賀内さんとはまた違う上流階級の人って感じでした。
情報はあるのに、どれも誠実さんとは結びつきません。
ふと、佐藤さんちのページの最後の方に気になることが書いてあります。
『現在は佐藤家の次女と阿賀内家の傍流長男の結婚により、二家の繋がりが強い』
これがもし、誠実さんのご両親だとすれば誠実さんはお母さんの苗字を使っているということですね。
一応納得がいきそうなつながりではありますが、それでもやっぱりなぜ?という疑問にいきつきます。
わからないことだらけでもやもやしてしまいます。
いっそ、本人に聞いてしまいたいけど、嫌がるようなことや困らせるようなことはしたくありません。
好きな人のことを知りたいだけなのに、どうしてなにもわからないどころか見えない距離ばかり感じるようなことにしかならないんでしょう。
――――――――――
寧々が勉強をしているその頃、誠実は誰かと電話をしていた。
『……はぁ……まったく……』
電話の相手のため息は呆れたような色が混ざっていて、誠実は胃のあたりで拳を握りしめる。
『ただでさえ阿賀内の人間が呪われたなんて恥もいいところだというのに、どうして醜態に醜態を重ねるんだ』
「……はい。申し訳ありません」
『解呪についてだが本家の方には私から伝えておく。だが期待はするな。やつらのことだから私やお前にあっさり手を貸すとは思えん』
「……わかりました」
期待はそれほどしていないが、元春に言われたことを試しもせず、寧々を振り回したくないと誠実は思った。
自分の手札を、使いもせずただ無意味に捨てるのは愚かなことだ。
けど、それと同時に結局はこうやって頼る自分の情けなさに、腹の奥が気持ち悪くなる感覚がして、誠実は耐え難い頭痛に悩む。
「父さん、もう一つお願いがあります」
――もう一つ、特権を使ってもいいだろう。自分のストレスより、目先の目的を優先した。
『……なんだ』
「先日メールでもお話した件ですが――」
ふと、寧々の顔が誠実の脳裏をよぎる。
『だから、辛いときは辛いって言ってくださいね』
あんなふうに言われたのは、初めてだった。
たった一言、まだ出会ったばかりの少女に気遣われた言葉で、動揺してしまった。
誠実にとって、自分は大人で、彼女はまだ子供。子供を守るのが自分たち防人の仕事であるという自認があったというのに。
まるで、自分が救われているようだと、自嘲する。
――そんな資格はとうになくしたというのに。