しること
あの後、本庁には行かず、近くの支部で討伐報告と女の子の申告のお手伝いをすることになり、寧々はそれを卯月さんの横で見守っています。
誠実さんは女の子が書類を面倒そうに記入していると、何かを指摘しながら苦笑して、女の子がそれに文句を言うように足先で小突くのが見えます。
――きょ、距離が近い……!
「卯月さん。あの子は防人衆なんでしょうか?」
「いんや、あれは学生。見習いですらない」
手でバツ印を作ってからタバコに火をつけようとして、寧々のほうを見て気を使ってくれたのかしまいこむと話を続けてくれます。
「鈴木夢子。まあこの辺じゃ有名人だな。祝鳴学園、京都校では手に負えず、特待生扱いで東京校に受け入れ。東京に来てからもあちこちで魔物やら未申告異能者やならず者をボコボコにするだけして放置したりたまに突き出したりする…………問題児」
かなり言葉を選んだことだけは理解できました。
「学園でもしょっちゅう喧嘩に決闘してるって聞くし、防人衆のやつらも関わりたくないってことで有名。下手に戦闘手助けしようもんなら邪魔扱いされるしな。まああれと同レベルの防人ならそんな扱い受けることもそうねーけど」
「で、でも魔物退治してくれてるんですよね?」
「出現した魔物を申告せず、荒れた戦闘痕そのままにしてどっか行くけどな。壊れた道やら壁そのまんまで」
「……」
申告しないって、確かに厄介なことなのかもしれません。お片付けする人が大変なので。
先程の荒れた町並みは防人衆の別の部署である修復専門の方々が今頃復旧作業をしていることでしょう。あまり時間が経ちすぎると難しいようですが、一定期間なら破壊されたものを元に戻すことができる術を使える人たちが集まるようです。その術は結構難しいため、エリートが多いと本に書いてありました。
「しっかし坊っちゃんが仲いいたぁ知らなかったな。まあプライベートまではそんな把握してねぇしそれもそうか」
ハッ……プライベート……。
つまりあのお二人はプライベートで会うような親密な関係……?
悪い想像ばかりが膨らんでいきます。寧々と大して歳も変わらないというのに、まさか、そんな……。
そんなことを考えていると、お二人が提出を終えてこちらにやってきます。
「そうだ、悪いけど夢ちゃん。しばらくこっち忙しいからご飯はまた今度にしてもらえる?」
「はあ、別に構いませんが……」
ちらりと寧々の方を見た夢子ちゃんはどこか怒っているような気がします。
なんとなく、視線が居心地が悪くて、声をかけられたわけでもないのにペラペラと言葉が出てしまいます。
「は、はじめまして! 高橋寧々といいますっ。さっきはすごかったで――」
「あなた、誠実のこと好きなんですの?」
とんでもない爆弾発言に声にならない叫び。
誠実さんの顔を見ることができず、助けを求めるように卯月さんを見ますが、卯月さんは「わぁお」と遠巻きに見ているだけで救ってくれる気配はありません。
夢子ちゃんはいまいち何を考えているのかわからない様子で首を傾げると、寧々の答えを聞くことなく、出入り口の方へと足を向けました。
「夢ちゃん。彼女はさっきも言ったけど呪いで――」
「会って一日やそこらで、ねぇ……。まさか誠実がそんな『不誠実』なことをするとは思いたくありませんが……」
深い深い溜め息をついて、夢子ちゃんは寧々に興味がなくなったかのように背を向けます。その顔は、寧々の方からでは見えません。
「万が一ふざけたことをしでかしたら私、いくら誠実といえども容赦しませんから」
そう言い残して夢子ちゃんは去っていきました。
嵐のような存在に、卯月さんは「おっかねぇ~」とぼやきながら頬を掻いて誠実さんを見ます。
「好き勝手言うだけ言って帰りやがったな……。で、坊っちゃん。どういう関係?」
「別に……たまに顔を合わせてこういう申請とかの手伝いしてるだけだよ。協力のお礼にご飯とか行くこともあるけど」
「ほんとぉ~?」
どこかはっきりしない言い方に卯月さんは追求しますが、誠実さんはそれ以上話すつもりはなさそうでした。
寧々も聞きたいけど、聞く理由がないので口を噤むしかありません。
「事後処理済ませたら僕らは早上がりするから」
「まーた早上がりしやがって! いっそのこと寧々公見習いにしたほうが仕事やりやすいんじゃねーの」
卯月さんの文句とアシストを兼ねた発言に誠実さんは何も言いませんでした。
帰る途中、誠実さんが運転するのを後ろの席からぼんやり見ていました。
誠実さんへの気持ちは『恋』なんだと、未熟ながらにもわかるのです。
でも、よく考えれば寧々と誠実さんの関係は、呪いがなければあっさり途切れてしまうようなものです。
だから、踏み込んでもいいのかわからない。
「今日はトラブルにも落ち着いて対処してくれてありがとう」
運転中の誠実さんが話しかけてきます。バックミラー越しでしか誠実さんのお顔は見れません。おそらく僅かに微笑んでいるような気がします。
「防人衆に憧れているのなら、本格的に学園に通えるようになったら進路相談で――」
「あの……誠実さん」
おそらく距離を置かれる。
それがわかってしまって、踏み出してしまう。
「寧々は……見習いになってみたいです」
誠実さんのお顔を見て話せないから、こうやって伝えてしまう。
「誠実さんなら寧々を見習いとして選べるんですよね? だから……その……」
「ごめん」
声そのものはとても優しく、それでいて明確に拒絶しているものでした。
「僕の見習いは別の相手のために取ってあるんだ」
さっきの、夢子ちゃんのことでしょうか。
やっぱり、私はまだ誠実さんからしたら並ぶ相手ではないんでしょう。
「防人衆の仕事がしたいなら、他の方法を一緒に考えるよ。学生でも防人として活動している子はいるからね」
「……はい」
寧々は誠実さんの内側にいるわけではなく、お客様として、扱われているにすぎないのだと。
彼女よりも距離は近いはずなのに、心の距離はまるで縮まっていないことを思い知る。
じゃあどうすればいい?
諦めれば、もう終わってしまうかもしれないのなら、少しでも。
「誠実さん。今日のご飯って決まっていますか?」
「え? いや……まだ決めてないけど」
突然話が変わったからか、戸惑うような誠実さんの声にそわそわと不安になる。
「寧々はツナマヨが好きです!」
「……え?」
「誠実さんは何が好きですか?」
誠実さんのことを何も知らないから、まずは知るところから。
あなたのことを寧々は何も知りません。知らないから知りたいのです。
あなたのことが好きになったから。
「え……っと……」
信号で止まる間、困ったように考える誠実さんは、慣れていないかのように言葉を絞り出します。
「僕は……パスタが好き、かな……」
「他には? 他にはないんですか? パスタってなんのパスタが好きですか?」
「えっと……蜜柑とか、柑橘類は好き、だと思う」
なぜか自分のことなのに、他人事のような言い方をして、少しおかしくて笑ってしまう。
その様子に、誠実さんは不思議そうに聞いてきます。
「いきなりどうしたんだい?」
「寧々は誠実さんのことがもっと知りたいです。仕方なく一緒にいるんじゃなくて、一緒にいても気にならないと思うくらいに、自然な関係になりたいです」
紛れもない本心。明日にでもお別れするかもしれないけど、寧々は誠実さんに救われて、恋をした。
焦る気持ちはどうしようもないけれど、だからこそ、知ることが大事なのだと。
夢子ちゃんだって、誠実さんとのやりとりを経て、ああいう関係になったはずですから。
「帰ったら、お勉強もしますけど、誠実さんのことも教えてください」
「……僕は面白くない人間だよ? つまらないと思うけど」
「寧々は誠実さんが……好きですから。誠実さんのことが気になってしまうのです」
誠実さんは自分をよく卑下していることはなんとなくわかります。だから、寧々が聞かないならあんまりお話してくれないことも。
「……大人をからかっちゃ駄目だよ。しょうもないやつだったら勘違いさせてしまうからね、そういうのは」
「誠実さんは勘違いしてくれないんですか?」
「……僕はちゃんと誠実な大人だからね」
そんな話をしていると、マンションについて帰宅しました。
「ごめんね。ちょっと電話するからあんまり動かないで勉強かゆっくりしててくれる?」
そう言われて、話をうっかり盗み聞きしないようにお耳を塞いで頷くと、誠実さんはスマホ片手に扉を開く。
「何動揺してるんだ俺は……」
そのときの誠実さんの呟きは、耳をふさいでいたこともあってよく聞こえませんでした。
――――――――――
次の日。呪いにかかって2日目。
本庁に出勤する誠実さんについていくと、卯月さんが早速近づいてきて困ったように眉をハの字にします。
「昨日のことで寧々公が上から注目されててさ」
「寧々が、ですか?」
現場で魔物を退けるお手伝いはしましたが、それくらいしかしていません。夢子ちゃんがほとんど倒してしまいましたし。
「そもそも学園すらまだ行ってない後天性異能者なのに初陣とも呼べない同行で魔物討伐に貢献しただろ? そりゃ人手不足だからすぐ動けそうな人材にはツバつけておきたいだろうし、もし見習い希望なら案外どっか新人育成に熱心なとこが拾うかも――」
「呪いが解けてもまずは学園だろう。いくら僕らが異能社会について教えたとしても、学生という体験は今だけしかできない」
「まっじめー」
誠実さんは寧々を早く学園に入れたがっているように見えます。
寧々も、学校は行きたいですが……あんまり学校というものにいい思い出がないのでちょっと不安です。
「まあいいや。今日は今んとこ仕事はないけど、寧々公。これに目を通して同意するにサインしておいてくれや。昨日は急だったから忘れてたけど、また現場に連れていくとなると同意書とかないとトラブルがどうこうって……」
そう言われて差し出された書類を見ると、『佐藤誠実と四月一日卯月との行動』という部分に目が行きます。
「……あのー、卯月さん、しがつついたちって?」
「あれ? 言ってなかったっけ? 四月一日でワタヌキって読むんだぜ。四月一日卯月。いい名だろ?」
「ふざけた名前だよね」
「他人の名前を揶揄るとか品性疑われっぞ?」
「本名ならそんなこと言わないさ。四月の自己主張が激しすぎる」
そうやって、誠実さんが不機嫌そうに卯月さんのことを揶揄していると、お部屋の扉がバンッと大きな音を立てて誰かが入ってきました。
「ひゃはははは! 誠実ィ~! お前呪い食らったんだってなァ!」
スーツではありますが、着崩してちょっと派手な出で立ちの金髪のお兄さんが現れました。
「固定化の呪いだって聞いたんで、先達の俺がアドバイスしにきてやったぜェ!」
元気そうな様子のお兄さんに、誠実さんは一日に一回は必ず見る大きなため息をついています。卯月さんは、特に驚いた様子もなく返事をします。
「おー。元春じゃん。坊っちゃんからかいにくるくらい暇なのか?」
「暇じゃねーよ! ちょっと通りかかったら固定化の呪いを受けたって聞いたからおちょく……心配して見に来てやったんだよ!」
なんだか楽しそうな人ですが……誠実さんの表情は微妙なままです。
「あれ? そっちの子初めて見るけど高校生? こんちゃー! 俺杜若元春。なにしてんの?」
お兄さんは寧々に気づいて自己紹介してくれますが、誠実さんは不機嫌そうに腕を組んだまま、お兄さんに言います。
「彼女が呪いでくっついた相手だよ」
「………またまたご冗談を~」
お兄さんの声が一気に低くなりました。
「本当だよ。ちょうどいい。君、固定化の呪いのとき――」
誠実さんが何か言いかけると、お兄さんこと元春さんは誠実さんの肩をつかんで大きく揺さぶりました。
「て、てめぇッ! ざっけんな! なんでお前は女子高生とキャッキャッウフフの生活してやがんだ! ブッ殺してやる!」
半泣きの元春さんを取り押さえるのに、あまり時間はかかりませんでした。
多分……悪い人ではないと思います。多分……。