11「聞け、植物の声を」
青い、青い空だ。抜けるように青い空に、白い雲が一つ、二つと浮かんでいるのが見える。地下シェルターの外に出たのだろうか、とレオは思った。しかし、よくよく見るとその青空にはどうにも違和感があるのだ。
目を凝らしてみると、青い空の一部に不自然な四角い切れ込みが何か所もある。雲の動きが、妙に画一的であるように見える。時々、ノイズが走るように青空と雲の姿がブレる。
――これは……立体映像?ドーム型の天井に、青空の様子が映し出されているのか?
ふわふわの芝生が一面に広がる。自分達が見慣れた人工芝ではなく、前世で幾度となく見かけた本物の芝生だとわかった。青い匂いが鼻腔をくすぐる。本物の草特有の柔らかさ。前世では子供の頃、何度も何度もこういった芝生の上で遊んだっけと思い出した。
祖父母や両親、あるいは友人達とキャッチボールをしたり、サッカーボールを蹴り合ったり。おかしなことだ、前世の記憶のはずが、まるで昨日のことのように思い出されるなんて。
――どこだろう。……俺はさっきまで、地下に閉じ込められてて……そうだ、巨大な植物の根か蔓みたいなのに触って。それから、どうなったんだ?
座り込んでいる体勢から、ゆっくりと体を起こし、そして立ち上がる。そこで、さっきまで感じていた擦り傷切り傷の痛みが全身から消えていることに気が付いた。急激に怪我が治った、なんてマジックがあるとは思えない。とするとこれは、白昼夢でも見ているということになるのだろうか。
立ち上がると、ズボンが僅かに湿っていた。芝生の夜露で濡れたのだ、と気づく。やはり、あの芝生の草は生きているものだ。今の地球上には存在しえない、生きた植物がこの場所にはある。ただし、このドーム状の青空からして、どうにも屋外ではなさそうである。
――屋内施設?いや、ひょっとしてこれは……あの巨大な植物が見せている、過去のビジョンか何かなのか?
立ち上がると自分がいる場所の全貌が見えてきた。どうやらここは、ドーム型の円い部屋であるようだ。青空が投影された空間の東西南北の四か所に、四角いドアのようなものが見えるからである。窓はない。それなりの広さの空間の中心には、半分に割ったサッカーボールのような透明な球体があった。どうやら、ビニールハウスのようなものであるらしい。球体の空間は、今レオがいる場所と違って茶色の土で覆われているようだった。特設された花壇のようなもの、と思われる。
――あそこに、何か特別なものを埋めようとしているのか、ひょっとして?
がちゃり、と音がした。ドームのドアの一つが開いて、白衣の研究者が三人ほど中に入ってくる。先頭の人間は、その手に小ぶりの鉢植えを抱えていた。一人ぽつんと立っているレオに気づく様子はない。やはりここでは自分は視えないということらしい――レオは意を決して、サッカーボールのような特設ビニールハウスへと近づいてみることにする。研究者たちが、そちらに向かっているのが明白だったからだ。
『本当に大丈夫なんでしょうか、田端教授』
彼等の後ろについてビニールハウスに入ったところで、研究者三人のうちの一人、若い男性が言った。ちなみに三人の内訳は若い男性一人、若い眼鏡の女性が一人、鉢植えを持った年輩の男性が一人という組み合わせだった。恐らく、年輩の男性がこの三人のリーダーなのだろう。田端教授、というのが年配男性の名前であるようだ。
響きからすると、完全に前世の日本人の苗字である。
『地上の汚染度は、依然として深刻なまま。一部のエリアでは、地下まで毒ガスがじわじわと浸透し続けていると。……確かに、この地下四十階の深さにまで汚染が届くには相当時間がかかるでしょうが。だからといって、安全とは言えません。汚染がこの部屋まで来たら、あの美しい芝生も……教授の研究成果もみんな死に絶えてしまうことになります』
汚染。
やはりこれは、大昔――戦争と環境破壊によって汚染された地上から、人々が地下シェルターに逃げ込んでいた時代の記憶らしい。
彼等は日の光が届かない地下で、必死に生き抜く術を探し続けていたのだろう。恐らくは、植物の研究もその一環だったと思われる。
『地上から持ち込んだ種や球根の類も、どんどん死滅していっています。先生の研究は、最後の希望なんです。本当に、この部屋でよろしいのですか?』
『問題ない。……むしろ、ここで生き延びることができないようなら、私の腕もそれまでだったということだ』
女性の不安そうな声に、田端は静かな声で返した。そして、彼は鉢植えを地面に置くと、柔らかい土をスコップで掘り始める。そして小さな穴を掘ったところで、鉢植えの中身を土に移し始めた。
それは、蒲公英にも似た小さな黄色い一輪の花である。根の形がふわふわと広がるような形状であること、葉の形がやけに丸いことから蒲公英そのものでないことは明確だった。多分、似た種類の別の花なのだろう。この花がこの人の研究成果なのだろうか、と彼の手元を覗きこみつつ思うレオ。自分の目には、普通の花にしか見えないのだが。
『この花は、蒲公英を元に改良を重ねたものだ。……蒲公英の花の生命力は、お前達も知っての通り。汚染された地上の大地でも、特に長い期間生きつづけた花の一つだ。蒲公英の凄いところは、根が残っていれば上の葉や茎が完全に枯れてしまっても復活できるところと……綿毛に乗って遠くまで子孫を飛ばして残せるところ。そして、アスファルトの隙間であっても根付くことができるところだ』
『はい。しかし、蒲公英の花は基本的に食用ではありませんから……一度は研究が打ち切られたのではありませんでしたか?』
『そうだ。しかし、それも他の食用の植物との掛け合わせによって解決したのだ。……この“万輪草”には、哺乳類の遺伝子をも組み込むことに成功している』
『しょ、植物に哺乳類を、ですか?』
『うむ。それによってこの花は……知性を持ち、状況に合わせて冬眠して力を蓄えることができるようになった。シミュレーションが正しければ、この植物が真価を発揮するのはこのエリアが汚染された後になってからのことだ』
田端の年齢は、恐らく七十代かそこらだろう。目じりや額に刻まれた皺の深さが、彼が生きた長い年月を物語っている。
しかし、その眼は少年のようにキラキラと輝いていた。自分がやりたいことを貫き、それが誰かの役に立つと信じてやまない――生きることが楽しいと、何よりも思わせてくれる者の目だった。
レオが。礼二が。ずっとなりたかったものの目だと、そう感じたのだ。
『自然の力は凄まじい。毒ガスの影響は地面に浸透し続けてはいるが、同じだけ地中の奥深いところではそれを分解する力が高まっている。この花も、有害な物質を分解して栄養に変える力を持っている。そして、分解しきれない時や成長するに適さない環境の時は冬眠状態となってやり過ごすことができるのだ』
万輪草を植え替えると、男は空になった鉢植えとスコップを手にもって立ち上がった。そして、額に浮いた汗をぬぐう。レオは感じないが、この部屋はそれなりに暑いということらしい。
『今、多くの研究者たちが、まだ残っている多くの植物の種や球根の最適な保管方法を探している。恐らくそのいくつかは実を結び、人が生きる為に必要な植物を遠い未来まで保管し、存続させることに成功するだろう。しかし、保管するだけでは足りないのだ。この地面の下に、生きた植物を眠らせて、未来の人類の糧としなければ』
『それがこの、万輪草だと』
『そうだ。……大地の下で、根だけの状態でも少しずつ成長することができるこの植物は。成長するのに相応しい、最適の環境となったと判断するとどんどん地上に戻っていくように設計してある。そして、地上が人と植物が生きるに相応しい環境となった時、目を覚まして地上で花を咲かせるのだ。この花には、多くの植物の遺伝子を組み込んであるから、身をつければ様々な野菜や果物を実らせることもできよう。……我々の遠い子孫も、この植物の実を食べて生き延びることがきっとできるはずだ』
田端は目を閉じて、天井を見上げた。その偽りの空の向こうにある、いつか見えるであろう本物の青空を思い描くように。
『我々人類が、自らの愚かさによって壊してしまった世界は。我々が自分の手で、自然と協力して治していかなければいけない。……私は信じている。いつかきっとまた、今は地面の下にしかない楽園が……地上にも戻る日が来るのだと』
ああ、とレオは拳を握る。
今ようやくわかった。ツース遺跡の下で眠っていたものの正体。そして、それが目を覚ました訳。それから。
――神様とやらは、本当にいるのかもしれない。……俺が、この世界に来た理由は、きっと。
全てはきっと、運命だった。
レオは自分の手を真っ直ぐに前に突き出した。この世界に転生して、一度も使う機会がなかった“ギフト”とやら。
どんな植物も元気に育てる事が出来る力というのはきっと、どんな植物とも気持ちを通じ合わせることができる力ということなのではないか。
『植物の声を聴け。……彼等はけして、嘘などつかんからな』
前世で拾うことができなかった、祖父の言葉。その意味が、今ようやく。
「答えてくれ、万輪草!」
青空とビニールハウス、研究者たちの姿が掻き消える。
暗い地下に、緑色の光が溢れだしていた。巨大な木の根に触れたまま、レオは叫ぶ。
「人類は……時間をかけて、環境を元に戻そうとしている!眠っていた地下の楽園が再び、地上に出る時が来ようとしているんだ!俺に力を貸してくれ。一緒に、太陽の元へ行こう……!」
瞬間。再び端末の警告音と共に、地面が大きく揺れ動き始めた。天井から降ってくる瓦礫に潰されないよう、必死で露出した木の根にしがみ付く。
万輪草が、明確な言葉を自分に返してきたわけではなかった。それでも、自分の声が届いたのだと確信していた。
長い長い眠りから覚めて、今。
明るい日差しの下へ、太古の遺物が顔を出す。
ズゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
木の根が、柔らかくレオの体を包み込んだ。大きな振動と共に少しずつ体が浮き上がり、地上へと運ばれていく。
刹那、眩しさに瞼を焼かれた。夕焼けの光だ。
「うっ」
ちかちかする目を擦りながら、ゆっくりと瞼を開いた先。最初に感じたのは、頬を撫でる風。そして――驚いたような人間達の声。
「れ、レオ!?」
「……ルーク!」
巨大な植物の根に抱かれながら地上に戻ってきたレオをルークは、他の仲間達はどう思っただろう。
呆然としているゴンゾー教官やルークたちを、やや高い場所から見下ろしながら。レオは笑った。
「ただいま!すっげーお宝、発見したぞ!」




