10「逃げる事は恥なんかじゃない」
「ううっ……」
一体どれくらい意識が飛んでいたのだろう。数分か、数十分か、あるいは一時間程度か。ゆっくりと意識が浮上してくる。レオは重たい瞼をこじ開けて、まずは自分の状況を確認しようと試みた。
直前の記憶はある。テンス遺跡で、C班のメンバーを救出した直後に大きな地震が起きて。彼等を引っ張り出した穴が崩れて、自分はそれに飲み込まれたのだった。そして、そのまま階段と通路を転がり落ちるように落下したことまでは覚えているのだが、いかんせんそこで意識が途切れてしまっている。今、己が仰向けに倒れていることしかわからない。辺りは真っ暗で、いくら訓練した目でも状況を把握するまでには暫く時間を要したのだった。
――あちこち痛い、けど……妙にぬるついているところはなし。手足も、動かないってほどじゃない。多分掠り傷程度で骨も折れてない。……滅茶苦茶幸運だったんじゃないか、俺?
段々と眼が慣れてくる。地上からそこまで遠くないのか、あちこちから薄く光が射しこんできているようだった。そこまで深く転がり落ちたわけではないようで、少しだけ安堵する。問題は、自分は地下に降りる予定の正規隊員ではなかったということだ。
ポーチの中にスマホは入っている。
探索用のデバイスもある、がいかんせん熱感知用の端末が外れていた。転がり落ちる時に紛失したらしい。
手元にあるのは小さなライトと、小さなピッケルのみ。発掘用の特殊手袋はまだ手にはまったままになっている。
スマホと携帯食料、僅かばかりの水はある。が、充電器がなくなっているのでスマホはあまり長持ちしないだろう。参ったな、と思う。まさか今度は自分が、要救助者になってしまおうとは。こういう事態を避けたかったからゴンゾー教官は訓練生を一足先に帰したかったのだろうに、本当に申し訳ないことをしてしまったと思う。
「つつっ……」
あちこち痛む体を起こして、ゆっくりと立ち上がった。どこかの廊下らしい、ということはわかる。あちこち上から降ってきたのであろう石と砂に塗れているようだ。地上から差し込んでくる薄明りからして、地下二階相当の深さであると見える。ここまで落ちて、よくすり傷で済んだものだ。
――落ち着け。突発的なトラブルの対策も、充分叩きこまれているはずだ。スマホもあるし最低限の水と食料もある。怪我もしてない。全然、最悪の状況ってやつじゃあない。
デバイスを起動。ありがたいことに、端末はちゃんと生きていたし、地図も表示された。どうやら、テンス遺跡の探索済みエリアなのは間違いないらしい。地図が出る、というのはつまりそういうことである。地図通りに歩けば、最初に落ちた出口の付近まで自力で戻ることができそうだ。
しかし、スマホの方は。
電源はつくものの、何故か圏外になっている。この世界のスマートフォンは前世のものよりかなりハイテクであり、本来よほど地下深くに潜りでもしない限り圏外にはならないはず。妨害電波が出ているらしい、というゴンゾー教官の言葉を思い出して、心の底から気が滅入った。
――連絡はできそうにないか。やっぱり、実際に声が届くところまで歩くしかないな。
きっと、地上ではパニックになっているはず。自分以外にも落ちた人もいるかもしれないし、己が皆の足手まといになるわけにもいかない。特にルークは今頃倒れそうになっているはずだ。早く地上に戻って、安心させてやらなければ。
――なんだか、空気が湿ってる。……なにか、湿気の多い生き物でも近くにいるってことなのか?
『すまないが、近くに上官がいるなら報告してくれ。……何か巨大生物の気配があり、大きな音を立てられない、と』
ジェニスが言っていた“大きな生き物が潜んでいる”という言葉が現実味を帯びていた。
例えばそれが、ぬめぬめとした蛇のような生き物で。ツース遺跡から、地震を起こしながらテンス遺跡の地下まで移動してきたことで、周辺の土が耕されて柔らかくなり、さらに湿気を帯びるようになったのだとしたら辻褄が合うだろう。
ただ、周囲にはひたすら湿った土の匂いが漂うばかり。爬虫類独特の臭みのある臭いは漂ってこないのが気になるところだが。
――地面が、何だか湿っている。壁も結露している、のか?……少しだけ、地上よりも涼しい気がする。日の光があまり届かないせいか、それとも……。
デバイスの地図に従って、出口の方までしばし歩いたところで。思わずレオは、くそったれ、と舌打ちをしてしまっていた。
土砂で、廊下が完璧に塞がれている。ごつごつとした石交じりの茶色の土が積み上がり、完璧に通せんぼをしていた。あと少しで、自分が落ちてきた穴まで戻ることができたというのに。
いちかばちか、ここから地上に声が届かないか叫んでみるべきだろうか。しかし、ベテラン隊員のジェニスが“声を出して刺激したら危険”と判断した謎の生物が近くにいるかもしれないのだ。ここでもう一度地震に遭遇したら、今度こそ下敷きになって圧死か窒息死する羽目になるかもしれない。
――まだデバイスの充電が生きているうちに、別のルートを捜すか?いや、みんな俺はこの近辺にいるものと思って探しているはず。他の出口に向かおうとすると、かなり道を戻ることになる……その結果、救出がかえって遅くなる可能性も……。
どうする、とレオは悩む。じっとりと汗を掻くのは、湿度が高いせいばかりではない。
――……何が何でも、無事に戻らなくちゃいけないんだ。俺がこのまま死んだりしたら、ゴンゾー教官が間違いなく責任を取らされる!みんなだって絶対に自分を責める。ここまで俺を信じてくれたルークを裏切ることになる!何より……せっかく、せっかく自分でやりたいことを見つけたのに、こんなところで終わるなんて……!
思い出したのは、ブラック企業時代の苦い思い出だ。
あの頃の自分は、心のどこかでニートというものを馬鹿にしていた。仕事をしていない人間は社会のゴミだ。否、実際はそうでなかったとしてもみんなからは社会のゴミとして見下されるはずだと。だから、何がなんでも就職して、まともな社会人とやらにならなければいけない。そうすれば、きっと両親だって安心できるはずなのだからと。
今思えば、間違いなく焦っていたのだろう。
本当に就職したかったゲーム関連の会社には入れなかった。とある玩具メーカーにどうにか拾って貰えた時は、心から安堵したものである。子供も好きではなかったし、子供向けの玩具にもまったく興味はなかった。仕事内容もありきたりな事務仕事で、けして楽しいと思えるものでもなく。それでも初任給で手取り十八万、実働八時間の完全週休二日制。多少残業が多いという話はあったものの、他にとりえがあったわけでもない自分には充分すぎるほど良い就職先に思えたのである。
というか、就職氷河期だったので選ぶ余地がなかったと言う方が正しい。五十二件も面接で落ちて、もうこれ以上挑戦するだけの余力もなかったのである。
『あまり聴いた事がない会社だけど、大丈夫?それに、一人暮らしなんて』
実家から通えるような距離の会社ではない。一人暮らしで頑張るし、なんとかするよと言った時の母の顔が忘れられない。
『どうしても辛かったらちゃんと戻ってきてね。お母さんもお父さんも、貴方の健康以上に大切なものはないんだから』
あの時。もし二人の言う通りにしていたら、どうなっていただろうか。
仕事ができない人間や、仕事をしていないニート。それを本当に馬鹿にしていたのは他でもない、自分自身だった。事情があって仕事ができない人なんかいくらでもいるし、ちゃちなプライドにしがみ付いて無理に仕事して死ぬ位なら、ニートだろうがなんだろうが生きていた方がきっと親不孝をせずにすんだだろうに。
面接の時に、事務職にも拘らず“運動部の経験はありますか、体力に自信はありますか”なんて尋ねられた時点でおかしいと思うべきだった。
いつの間にか、タイムカードを自分で切ることがなくなっていた。上司が全員のカードを勝手に定時で切っていた。出社時も然り。
いつの間にか、全体の仕事量も仕事の全体像も教えられることなく、ひたすら伝票を打ちこむことばかりさせられる日々が続いていた。
いつの間にか、一定の規定枚数が終わらないと罵倒されるのが当たり前になっていた。
いつの間にか、最初はやらなくてもいいと言われていた電話対応が仕事に組み込まれ、クレーム対応や一部の営業までやらされて本来のデータ入力業務が全然進まなくなった。お客様のクレームと、上司の罵倒でどんどん心が擦り切れていくのを感じるようになっていた。
いつの間にか、髪の毛を掴んで唾を飛ばされることさえ何も感じなくなっていた。自分は何のために仕事して、何のために会社にいるのか。それさえどんどん、わからなくなっていった。まるで人形のようにコキ使われるまま両親とも疎遠になり、恋人も作らずまともに趣味もできないままロボットのように働き、貯金通帳さえ見ることもなくなり。
――俺は……馬鹿だった。勿論、一番クソなのはブラック企業なんてものを作り上げて平気な連中だけど。でも、俺だって馬鹿だったって今ならわかる。おかしいと思うべきだった。仕事をやめる勇気を持つべきだった。ひたすらちみちみと金だけ溜めて、ろくに使うあてもなくて、毎日冷たいアパートで独りぼっちで……一体どんだけ、幸せになれたはずの時間を無駄にして生きていたんだろう。
人はよく、逃げるな、と言う。
逃げても何も解決しないと。辛い試練には逃げずに立ち向かえと。当時の礼二もそう思っていた、でも。
――違う。……死ぬ位なら逃げた方が、百倍マシだった!逃げることだって勇気だ。いつか立ち上がる為に逃げるなら、逃げた時間だって全然無駄じゃなかったのに!
今度の人生では。今度こそは、本当に自分がやりたいことのために頑張るのだ。今の家族を泣かせたりしないように、自分を信じてくれた親友を裏切らないように。そのために必死になって、傷ついて、努力して、立ち向かって、泣いて、怒って、笑って。その果てにある、自分だけの楽園を見つけたい。今度は、大切な人達と一緒に。
やっと、この世界でそんなやりたいことを見つけることができたというのに。
今度は後悔しない選択ができたと、そう信じていたのに。
――何も成し遂げないまま、死ぬなんて……終わるなんて、そんなの絶対嫌だ!俺は……俺はもう、誰かを泣かせるのも、自分が泣けなくなるのも、絶対ごめんなんだよ!
ぐっと拳を握りしめ、目の前の土壁を見つめて――そこで、レオの脳裏にある光景がよみがえったのだった。
それは、シミュレーションが終わった後にゴンゾーから褒められた時の事だ。
『その通り、遺物の中でも、植物は非常に価値が高い。そもそも、部屋ではなく廊下を塞いでいた土砂の中からこれを見つけ出した観察眼は賞賛に値する。普通は部屋の中の機械や書籍などを見つけることを優先し、廊下を塞ぐ土砂などはスルーしてしまうものだからな』
――廊下を塞ぐ、土砂……。
はっとして、目の前の土塊を見つめる。柔らかな土と石の混合物。どうして気づかなかったのだろう、さっきから――その奥に、妙な脈動を感じることに。
「ま、まさか」
そう。土砂の中にもヒントはある。自分はそう学んだはずではないか。
レオは手袋をはめ直すと、そっとどの土塊を掘り始めた。たった一人で、道具もなく深い掘削ができるとは思っていない。ただ確信があった。この奥に、探し求めていたものが埋まっていると。
「!」
やがて、指先が何か柔らかいものに触れる。小石をどけていくとその全貌が明らかになってきた。そう。
土に埋もれているものは、レオの太ももよりも巨大で太い、緑色の管のようなもの。ぬるぬるとした苔に覆われているそれは、まぎれもなく。
「こ、これって……」
恐る恐るその管に触れた瞬間。緑色の光がレオの目の前で、カメラのフラッシュのように弾けたのである。




