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吸血鬼は過敏症?

作者: 日吉 舞

「ええっと……確か、この辺りの筈よね。ああ、もう……早く来ないかしら」

 頭のてっぺんから声を出すように意識した、いかにも女の子っぽい口調。

 どこかの令嬢がお忍びで、愛しの君との逢瀬を楽しむのを待ちきれないでいる。

 森の夜道をひたひたと歩くあたしはきっと、そんなふうに見えるに違いない。

 うん、絶対そう。

 あたしはわくわくしながら、銀細工で縁取られた魔法の鏡を覗き込んだ。

 そこにいるのは大粒の黒い大きな瞳と、真珠みたいに穏やかな輝きがある肌を持った、見るからに儚げな美少女。まっすぐで、肩まである髪は質がいい絹糸と同じ艶があるし、耳飾りと髪飾りはお揃いの銀細工。自分で言うのもなんだけど、月明かりに照らされたあたしは、まるで童話に出てくる夜の女神みたいに神秘的だった。

 着てる服も白とクリーム色のワンピで、レースのペチコートが可愛いスカートは膝丈。

 野蛮な人間の女戦士が隠してるような短剣とか、ダーツとか、そんな下品で無粋なものは一切持ってないし。どっから見ても、完璧な美少女ってやつ?

 一人にやけながら頷いて、鏡をしまう。マントのフードを前髪のあたりまで引っ張ると、冷たい夜風が前髪と、長いまつ毛をなぶっていった。

 少し毛足が長い布でできたマントでも、ちょっと寒い。

 あたしの周りを取り囲んだ色がない荒野が、少し遅れて一斉にざわめく。

 青白い満月と、銀色の三日月。

 この二つが道の正面にあるってことは、もう真夜中くらいかな。

  あたしが足音を散らしながら黒い革のブーツで踏みしめる道の脇は、岩がごろごろして枯れ草が伸び放題。見るからに殺風景だ。

 辺りを見回してみても明かり一つ見えないし、昼間でも滅多に人が通らない。それに今夜はおあつらえ向きに、薄いもやがかかってる。そのせいで、ちょっとした木の枝までが不気味な魔物みたいに見える。

 もちろん、あたしみたいにもち肌ぴっちぴちの若い娘が、こんな時間にうろついていい場所なんかじゃないのは言うまでもない。

 ただし。

 盗賊とか、追いはぎとか、物騒な奴らを除いては。

『お嬢さん。君みたいに可愛い子が、こんなところを一人で歩いていちゃいけないよ。悪い奴がどこからともなく現れて、君をさらっていくかも知れないんだから。それか……普段は戦士とかに狩られてる、魔物たちに襲われるかも知れないよ?そうならないように、僕が……』

 なあんて。

 つい、軽そうな奴が薄笑いを浮かべつつ、盛り場で言い寄ってくるところを想像してしまう。キモいイメージに、あたしはちょっと身震いした。

 そう言ってくる男に限って、女を食う気満々なんだよねぇ。

 まぁ、今に限っては……

「お嬢さん……」

 そういうのを。

 特に、人間じゃない奴を待ってるとこなんだけど。

「どうしました?こんなところを、お一人で」

 いつの間にか、あたしの20歩先くらいの道に黒い人影があった。

 二つの月を背中にしょった影は、細くてひょろ長い。声の感じは、若い男みたいに聞こえてきた。

 顔は、こっちからじゃ影になってて見えない。

 驚いたように--なるべくそう見えるように--あたしは足を止めて、夜気の臭いを嗅いだ。

「……どなた?ライアン様……では、ありませんの?」

 男から漂ってくる妖気。

 間違いなく、あたしの鼻には覚えがある臭いだ。

 マジで来たみたい。

 あたしはひゅっと息を飲んで、適当な男の名前を言ってから後ずさった。ブーツの踵で砂利をこする音が、強くなってきた風に混ざる。

「いえ。残念ながら私は、貴女の愛する恋人ではありません。しかし……何と愛らしい声をお持ちか、貴女という方は!ここからでははっきりと貴女の素顔をはっきりと拝見することは叶いません。ですが、鈴を振るように可憐な声に相応しい、この上なく美しい姿をお持ちに違いないとお見受けします」

 目の前の男から、弦楽器みたいなリズムの声が流れてきた。

 うげ。

 多分、この妙に高くて鼻にかかった声と口調そのものが、こいつの「魅了」の術なんだろう。キザに決めようとしてやり過ぎた感じで、カマっぽくすら聞こえる性別不明な印象だ。

 こういう歯が浮きそうな台詞を長々と吐く奴は、間違いなくあたしの好みじゃない。

 今フードの中を見られたら、危うくお腹いっぱいな顔を見られたところかも。

「ああ……私をここまで夢中にさせるとは、貴女は罪な方だ」

 あのねぇ。このあたしをうんざりさせるあんたの方が、よっぽど罪だってーの。

「その若さで、まったく末恐ろしい」

 超ウザい。

 前置きはもういいから、早くしてよ。

 恐ろしいのは、あんたのウィスキーボンボン100個分よりも甘ったるい口でしょ。

「そう……その恐ろしいほど美しく、魅力的な貴女を、とても他の男のものになどできません」

 は?横恋慕のくせによく言うわ。

 女口説きたいんなら、もっと頭使いなさいよね。

「今のうちに、私のものになって頂きますよ」

 そこでようやっと耽美調の口上が終わって、男がゆっくり近寄ってきた。

 やれやれ。 

 拷問じみたことは早く終わらせなきゃね。

 あたしは魅了の術にかかったふりをして、夢遊病者みたいにぼーっと立ってるだけにした。

 眼前まで迫りきった男が腕をほどくと、ばさりと音を立てて黒いマントが広がる。彼はあたしをその内側に引き寄せてから、顎に指をかけて顔を上向かせた。

「さぁ……貴女の穢れなき赤き血を、どんな花の蜜よりも甘い命の源を……この私に」

 そこにまだまだ酔ったポエムを浴びせられて、冗談ではなく頭がぐらぐらしてきた。

 いざとなると、やっぱり噛みつかれるのはちょっとだけ怖いかな。

 こいつのナルシストな口説き文句にいちいち突っ込んでたのも、実は緊張を和らげるためだったりして。

 あー、もう!

 どうでもいいから、早くあたしの血を吸ってってば!

 あたしは目をつぶってされるがままに、男--ヴァンパイアの前へ、白い喉を剥き出しにした。

 男があたしのマントのフードをよけて、細い首筋に手を伸ばす。

 あたしの黒絹の髪に指を絡ませて、冷たい微笑みを浮かべた唇を喉に--

「……リュシー?」

 寸前、至近距離からあたしの顔を改めて覗き込んだらしい。

 男の声に驚きが混ざった。

「え……ちょっとあんた、その声は!」

 裏返った声に聞き覚えがあったあたしは、目を開けて顎を戻した。

 そこにあったのは若くて繊細で美しい、けれどヴァンパイアとしては至って普通の、見覚えがある男の顔だった。切れ長の目に紫色の瞳が、銀色の光を宿している。

「シャイク!」

 口から心臓を吐き出しそうになって、あたしは相手の名を思いっきり叫んだ。

 あたしが振り上げた両手が、シャイクの薄い胸板に叩きつけられる。

「いってえ!リュシー、お前こんなとこで何やってんだよ」

 あ。反射的に突き飛ばしたから、予想外に力が入っちゃってたみたい。

 さっきのカマっぽい口調はどこへやら。

 シャイクはあたしの聞き慣れた、そこらへんにいる好青年の声に戻ってた。

 ただ、顔はあからさまに呆れた表情を浮かべて、あたしに突かれた胸を痛そうに押さえてる。何百年も前からいつもいつも、あたしが何かしでかしたときに見せられた顔だ。

 ……む。

 この顔見せられると、なんだか無性に怒鳴りたくなってくるんだよね。

「シャイクこそ、フィアンセを獲物と勘違いするとは何事なの!ヴァンパイアのくせに、そこまで鼻がきかないわけ?それに何なのよ、そのキモくてウザい声と似合わないヅラは!」

 びしっ!と、あたしは青っぽい銀髪に包まれたシャイクの頭を指差した。

「演出だ、演出!それにてめえ、キモいウザい言うな!俺はこの声色じゃなきゃ術が使えないんだから、しょうがないだろ!」

 シャイクがヅラをむしり取ると、無造作に流した赤茶色の短い髪が宙に躍った。

 流れるような仕草に、貴族らしい品がある。

 でもそれとは反対に、顔と声はむきー!って効果音が似合うぐらいに怒ってた。

 もう。こんな子供っぽいのが、あたしの婿殿の振る舞いなの?

 あたしは思わず胸を反らして仁王立ちすると、ふん、と鼻を鳴らした。

「何さ、ホントのことじゃない。しょうがないわね、これからはあんたのことを鼻詰まりヴァンパイアって呼んだげる」

「そんなふざけた称号が要るか!それに獲物漁りはお互い様だろ!お前こそ……って、あれ?」

 シャイクの勢いがよかった口が、そこではたと止まった。

 このシャイクとあたし、リュシーは所謂ヴァンパイア族で生粋の魔界っ子。

 人間が言うところの吸血鬼だ。

 で、こいつとあたしは生まれてすぐに、将来の結婚相手同士だと親が勝手に決めた。

 単に貴族の古い家系に生まれただけでこうなるなんて、ほとほと迷惑な話なんだけど。あたしはまぁ、別にシャイクならいいかな、ってそんな感じだった。

 家同士の付き合いで500年くらい、一緒に遊んだり、領土のいさかいじゃ一緒に戦ったりしたからね。

 その間にあたしはベアショルダーのセクシーな黒いドレスが、シャイクは今日着てるやつみたいな伝統的なタキシードが似合う姿にまで成長した。

 そこまでいつも一緒だと、お互い側にいないと何か変だなって気にもなってくる。

 そしてあたしたちがいるこの道。

 ここはあたしたちの住む魔界と下界、つまり人間界を繋ぐ世界の歪が頻繁に現れるところとして、ちょっと有名だ。そのせいでよく人間が迷い込んでくるから、うってつけの狩り場になってもいる。

 ただ……あたしが今日ここにいたのは、人間を襲うためじゃない。

 シャイクもそこに気づいたらしくて、まだ黙ったままだ。

「……何よ」

 細い顎に指を当てて眉間に皺を寄せたシャイクの目が、ものすんごーーーーーーく胡散臭い。

 やば、やっぱ気づかれたかな。

 でもここで怯んだら負けだ。

 気合いを入れて、あたしは魔力を絞った紫色の瞳をじろりと睨み返してやった。

「狩りに来たってことは、人血アレルギーが治ったのか?」

 う!

 やっぱり気づかれてたか!

 図星を突かれて心臓が一回だけ大きく波打った。同時に、肩がぴょこんと跳ね上がるのを抑え切れなかった。

「な、治ったわよ。治ったに決ま、決まってるじゃない。あんな恥ずかしい病気、一族の跡取り娘として赤っ恥もいいとこなんだから!だからこうして狩りに……」

 あちゃー。

 努めて平静を装おうとしたのに、あたしの口から出たのは動揺しまくりの声だった。もつれる舌に喝を入れようとしても、顔が真っ赤になって熱くなるばっかり。

 人血アレルギー。

 聞くのも忌まわしいその病は、生まれたときからまとわりついてきた、生涯の邪魔者だ。

 不死のヴァンパイアなのに、人間の血を吸ったら体中が炎症を起こして死にそうに……

 もとい!

 気管がぱんぱんに腫れた挙げ句に息が詰まって、どんなに苦しくても、症状が治まるまで唸ってるしかないなんて。一体どんな呪いなわけよ。

 しかもよりにもよって、あたしのパパは魔界に君臨する魔王なのに。

 そしてあたしはパパの一人娘で、魔王の座をいずれは継がなきゃならないってのに!

 無名のヴァンパイアならまだしも、魔王一族の姫君がまともな身体じゃないなんて他所に知られたら……魔界の勢力図がどんな風にひっくり返るのかまるでわからない。

 このことは家族と許嫁であるシャイク以外には、絶対に漏らしちゃいけない秘密だ。

 だからあたしは、何としてもアレルギーを治さなきゃならなかった。

 生まれてから魔界の生き物の血しか味わったことがないなんて、一族の落ちこぼれも同然だ。

 でも……魔界でどんなに有名な医者にかかっても、完全に治す方法はまだわからない。ヴァンパイアではほとんど治療の実績がない、珍しいアレルギーだってこともあるんだけど。

 そんなあたしがここで狩りをできるはずがないんだから、確かにシャイクの疑問はもっともだった。アレルギーは治ったって言い返したはいいけど、シャイクは相変わらず不審者を見る視線をガンガンに飛ばしてくる。

「でもその格好、お前が好きな狩りのスタイルじゃないよな。確か、動くときはボンテージみたいなのにマントつけて、全身真っ黒だったよな?人間のかわいこちゃんのコスプレか?いや、俺はそっちのが可愛くて好きだけどさ」

「コス……プレ」

 柔らかいレースが触れる足からつい、力が抜けそうになる。

 まったくもう、シャイクときたら。

 ヴァンパイア族ではあたしと同じぐらい強い家系のお坊ちゃんのくせに、一体どこでそーいう余計な知識を仕入れてくるんだろ。

 いやいや、そうじゃなくって。

 まず最初に、あたしが同族に血をわざと吸わせようとしたことを説明しなきゃ。

「お前、実は治ってないんだろ」

 ……かと思うと、いきなり核心を突いてくるか。

 知性を駆使した心理操作術か、はたまた考えなしの単なるの思いつきか。

 迷うとこだけど、多分後者。

 それなら、ここはもう開き直るっきゃないわ。

「うるさいわね!それ以上抜かしたら、あんたの顔面蹴って首を吹っ飛ばしてやるわよ!」

「それがお姫様の言い草かよ、相変わらず可愛くねえな。他の家の姫君なんかもっと大人しくて、触れば消えそうなくらいほっそい身体で、夢幻界の生き物なんじゃないかって思うくらいなのに」

 シャイクが言った文句の後半では、目の焦点が明らかに泳いでる。それこそ、背後にピンクのオーラがはっきり見えるくらい。あーもー、いかにもお姫様!ってのを勝手に妄想してりゃいいわ。

 つーか、可愛くないのはあんたもいい勝負よ。

 別の女と比べるって、一番やっちゃいけないことだってのを知らないのかしらね?

 あたしは、吊り上げた片方の眉がぴくぴく痙攣してるのがわかった。

 意識せずに、声も上擦ってくる。

「そういうのが好きなら、他所に婿に行けばいいじゃない?あたしはこういうのが好きなんだから、変えるつもりはないわ。とっととアレルギーなんか治して……」

 治して、どうしたいのか。

 あたしは、慌てて口ごもった。

「治して?」

 不意に、シャイクの口調が真剣に戻った。

 うっ、と息が詰まって、俯き加減な顔にかかる髪の間から見える目を見返す。

 シャイクの目。

 子供の頃から魔界の谷に咲く花みたいに深くて綺麗な色が羨ましかった、紫色の瞳。

 ……マジだ。

 いつもそう。

 茶化してると思ったら、急に真面目になるんだもん。何百年前からか覚えてないけど、こういう性格の読めなさに、あたしはいつまで経っても慣れることができなかった。

 だから。

 だから許婚同士なのに、嫌いなわけじゃないのに、一度も「好き」って言ったことがない。

「その、治ったら……」

 あたしの脳裏に自然と、花嫁の黒いあでやかなドレスに身を包んだ自分の姿が浮かんだ。

 そしてその横には優しく微笑んで、伝統的なタキシードを着こなしたシャイクが--

「お前、そんなに俺と結婚するのが嫌か」

 ばっすん!

 そんな音がして、風船みたいに膨らんでたあたしの妄想が弾けた気がした。

 予想外。

 ホントに予想外なことが、幼馴染みの口からため息と一緒にこぼれ落ちてきたから。

「……へ?」

 咄嗟に反応できなかったあたしはつい、間抜けな返事を返してしまう。

「こんなとこで他の男とあやまちを犯して下界に逃げる前に、俺に一言相談して欲しかったよ。でも、お前が決めたことだ。他の誰かと自由にやりたいんなら……それもいいだろう」

 あやまちって、アンタ……

「あ」の次のところでもう言う気をなくしたあたしのことは、果たしてこの男の視界に入っているのだろーか。

 ふっ、とシャイクは寂しげな笑顔を斜めの角度で決めて、流し目まで寄越してくる。

 ん?気のせいか、こいつの後ろに変な花と霧の幻覚まで見えてきたような……

 じゃなくって!

 あ、あかん。

 コイツ、完全に理想の自分像に酔ってるわ!

 あたしは塞がらなくなってた口を慌てて閉めてからぶんぶん手を振った。シャイクが妄想から立ちのぼらせてる、妙な霞を散らそうとしたのだ。

「ち……ちっ、ちちち違うわよ!あたしはアレルギーをこっそり治したかっただけ……」

「でも、お前がどこに行こうと、俺は魔界からずっとお前を見守ってる。それだけは覚えておいてくれよ。そのまま俺のことを忘れてもらっちゃ、あんまりにも悲しすぎるからな」

 シャイクの呟くような声は、カンッペキにその対象であるあたしを置いてけぼりにしてた。

 おい。

 しまいにゃ殺すぞコラァ!

 魔族の姫からはほど遠い、ゴブリンみたいなチンピラモンスターが吐きそうな台詞が、頭をよぎった時だった。

 ぷち。

 かんかんに沸騰したあたしの中で、何かが切れた。

「だーかーらー!あたしの話を聞けーーーーーーーーーーー!」

 ドゴォッ!

 気がついたら、あたしはシャイクの顔面に両足のドロップキックをめり込ませていた。

 あ……今日、ヒールが低いブーツで正解だったかも。

 我に返って気づいたのは、シャイクが鼻血を吹いてひっくり返ってからだった。


「あたしはね、あんたに内緒でアレルギーを治したかったのっ!ここで他の奴に噛まれればそのまま狩りができるから、治ったかどうかすぐ確認できるでしょ?」

「まぁ、俺たちヴァンパイアに噛まれた奴は、有無を言わさず吸血族の仲間入りだからな。それで、人間の血を吸っても平気になると思ったわけか。なるほど」

 あたしの説明に納得して頷いたシャイクは、1分と経たずに鼻の骨が治ったみたいだった。あれだけだくだく出てた鼻血も、ほんの短い間だけだ。

 美形が鼻血って様にならないけど、気絶しそうな時でもまだ自分に酔い酔いで、

「お、俺のことは構うな……!」

 なんて決め台詞が吐けるんだから、見上げた根性だわ。

 でも、流石に顔を蹴ったのはやりすぎだったかな?

 ちらりと横に目線を飛ばすと、月の淡い光に照らされた幼なじみの姿が、闇の中に滲んでいる。あたしたちは小さい頃によくやったみたいに、手近な太い木の幹に並んで座っていた。

「でもまさか、あんたが今日ここで狩りをしてるなんて思わなかったわ。独身時代最後の楽しみを謳歌するんだって、のべつまくなしのやんちゃ盛りで、最近は下界に行ったきり帰ってこないって噂を前から聞いてたからね」

 こいつ、下界でもあんな妙なヅラと声で術を使っちゃあ、人間の女を引っかけてるのかしら?

 わざわざそんなことしなくたって、普通のままでいれば十分、イケメンで通るのに。

 あたしの口調は、考えてるよりも意地悪っぽい響きになってシャイクに届いたみたいだった。

「お前もなぁ……メイドの誰かが流したような、くだらねぇ噂を信用するなってんだ。遊んでるのはたまにだけで、下界の連中を取り締まりに行ってるんだよ」

 不機嫌そうに、シャイクの表情がひん曲がる。いつまでも子供っぽさが抜けない顔に、あたしはこらえ切れない笑いを口許に出して呟いた。

「……単なる喧嘩好きじゃないのかしらね」

 普段なら怒るはずのその言葉を、彼はあっさり聞き流したみたいだった。

「で、お前を噛んだ奴はどうするつもりだったんだ?」

「用がなくなれば要らないわよ、そんな奴。治ったかどうか試しの狩りをやってみて、それが終わったらポイするつもりだったの」 

「ひで……次期魔王ともあろう姫君が、一度身体を許した同族を見捨てるとは」

 そっぽを向いてるシャイクは、まるであたしがとんでもない暴君の候補みたいな口振りだ。

 それに、同族に血を吸わせることなんて別に……

 一瞬で頭に血が上って、体をシャイクの方に乗り出した。

「身体を許すって、人聞きの悪いこと言わないでよね!それにあんた、あたしを一体誰だと思ってんのよ?次期魔王になる女なのよ。そのあたしが愛してない相手との関係なんか、いちいち気にするわけないでしょ。そんなもの、パパの術を受け損ねて指にできた火傷か、転んで擦り剥いた膝の傷みたいなもんだわ。一度きりの奴に、心までくれてやるつもりなんてないわよ!」

 早口で一気にまくし立てると、横を向いたままでいたシャイクがちらっとこっちを見た。

 ヴァンパイア同士の吸血行為は、命を分け与えるという意味で愛情表現でもある。人間ので言えば、激しいキスと同じかもう少し先と同じくらい、ってところ。

 だから身体を許すという表現は間違っちゃいないけど、最後の一線を越えてるわけじゃない。でも、たとえ最高レベルの愛情表現と同じ意味があろうとも、あたしに一族の誇りまで捨てるつもりはない。

 シャイクのあたしを眺める視線が冷たい気がする。

 それでも、あたしはここで強気な態度を崩すわけにはいかなかった。彼のまなざしを受け止めて、表情を崩さないままに言い放つ。

「あたしのやり方が気に入らなければ、それで結構。もっと大人しくて可愛いお姫様を嫁にするか、そういう娘のとこへ婿に行けばいいでしょ」

「まさか。俺のために内緒でアレルギーを治そう……なんて考えてくれる、健気なお姫様を見捨てることなんて……できるわけないだろ?」

 シャイクがまたでろでろに甘ったるい言葉と一緒に振り向いた。

「あんたね、まだ鼻血垂れてるわよ」

 こっちに見えてなかった鼻の半面から出てた鼻血は、陶器みたいに白いシャイクの顔に真っ赤な筋をつけている。

 ……これがなきゃ、台詞との相乗効果でカッコよく決められたんだろう。今日のコイツはとことん運に見放されてるみたいだ。

 あたしの顔面ドロップキック、意外としつこい破壊力があったのね。

 流石に申し訳なくなって白い絹のハンカチを差し出すと、シャイクは遠慮なく受け取った。それでもなおかっこつけて、ゆっくりと血を拭い始める。

「別に、あんたのためにアレルギーを治そうと思ってるわけじゃないわ。一族全体の威信を考えてのことよ。勘違いもほどほどにすんのね」

 その優雅な仕草から目を逸らして、思わずあたしは呟いた。

 細くて白い、シャイクの手がぴたっと止まる。

 次の瞬間。

「やっぱり……お前を他の男になんか、触らせるわけにはいかねえな」

 あたしの上半身はがっちりとシャイクに掴まれていた。太い木の幹を背に、彼の纏う真っ黒なマントにあっと言う間に囲まれる。

「え、ちょ、ちょっとシャイク!」

 純粋に驚いた。

 慌てて黒いタキシードの腕を振りほどこうとしたけど、流石に男のヴァンパイアだ。あたしがどんなに暴れても、びくともしない。

 これでもかってぐらいに大きく見開いたあたしの黒い瞳に、シャイクの細面が迫った。紫色の瞳の中に、押さえ込まれて固まった自分の姿が映ってるのがわかる。

「花嫁の憂いを消し去る。それも、婿の務めと心得ますゆえ」

 軽い微笑みを浮かべたシャイクの声は低く囁くようで、術を使うときのカマっぽい調子じゃなかった。

 二つの月の光に照らされた幼なじみの姿は、魅了の術なんかないときの方が、ずっとずっと魅力的だった。

 ま、ちょっと前まで鼻血を垂らした間抜け面だったのは愛嬌だとして。

 あたしとしては、自分がそれに負けるのがちょっと悔しいけど。

 ……でも魔王の花婿たるもの、妻を強引に絡め取るぐらいできなきゃ困るわけだしね。

「もう。パパが決して婚前交渉するべからず、って言ってるのは知ってるでしょ?魔王なだけに、すっごくおっかないんだから」

 力んでいたあたしの身体から、ふっと余計な力が抜ける。シャイクに抱き寄せられるままにしながら、あたしは指先を彼の頬に当ててくすっと笑った。彼の肌の、夜気に冷えた柔らかさが気持ちいい。

「アレルギー治療のためだろ。婚前交渉とは違うさ」

「治んなかったら、どうするのよ?」

 シャイクの顔を見ながらだめ押しのつもりで言ったけど、ここまでくると彼は抑えようとはしなかった。

「それはまあ、その時に」

 彼は悪戯っぽく、あたしの髪にキスした。繊細な羽根でも扱うように指先が優しくあたしの頬を、細い顎を、滑らかな喉をなぞっていく。思わず小さな息を漏らすと、シャイクがまた微笑んだのがわかった。

 そして彼の口許から、最高級の真珠を思わせる輝きを纏った、二粒の鋭い突起が覗いた。

 ゆっくりと、シャイクがあたしに覆い被さってくる。

 あたしはやっぱりちょっと悔しいと思いながらも、待ちわびていた甘い痛みに睫を震わせて、瞳を閉じた--


「あー。こんなとこでいけないことしようとしてるのぉ?お兄ちゃんたち」

 ムーディなところへ、場違いに可愛い声が割り込んできた。

 うるさそうに振り返ったシャイクの肩越しに、その持ち主があたしにも見えた。

 あたしたちのすぐ後ろに佇んでいたのは、長い金髪を二つ分けにして耳の上で結った、小さな女の子だった。人間で言えば7、8歳くらい?多分、下界から迷い込んできたんだろう。

 くすくす笑っているその子が首を傾げると、髪につけた大きな青いリボンが小さな音を立てる。リボンとお揃いにした上品な感じの服は、仕立てがいいフリルいっぱいのワンピースだ。

 この子もいい家の子なのかな?と、あたしははっきりしない頭で思った。

「残念ながら……貴女は私が興味を持つのには、いささか若すぎるようですね。悪いことは言いません、早く街へお帰りなさい」

 こういうときでも理性を失わないで、幼い女の子もちゃんと淑女扱いするのには舌を巻く。

 シャイクははにっこりと女の子に笑いかけてから、こっちに向き直った。

 スカーン!

「っぉぐ!」

 そこで呻くような声がシャイクから漏れて、彼は顔からあたしの肩に突っ込んだ。

 ……何?

 あたしはとっさに何があったのかわからなかった。ぼんやりした視界を、小さな石がくるくる回りながら舞っている。

 後ろの少女が投げたそれが、見事にシャイクの頭に命中したのだ。

「あはははは!お兄ちゃんてば、こんなのに当たっちゃうんだぁ!おっかしいの……」

「くぉらぁ、このクソガキ!大人に楯突くと、ただじゃおかねぇぞ!」

 前言撤回。

 やっぱ、シャイクは一度キレると途端に地が出る奴だ。

 でも、まだ幼女と言っていいぐらいの女の子は、けらけらと無邪気に笑い転げている。単なるヤンキー兄ちゃんになり下がったシャイクは、怒鳴ると迫力があるのに。

「はっはっはっ……婿殿よ。儂があれほど婚前交渉禁止と言ったにもかかわらず、花嫁たる我が娘に手を出すとはの。万死に値するぞ」

 その小さい口と甲高い声に全く相応しくない声が出て、あたしははっとした。頭の中を独り占めしてたピンクのもやが速攻で晴れたのと同時に、跳ね起きて身構える。

 無邪気に笑い続けている女の子の全身が、威圧感がある妖気を放って……って。

 これ、間違いなくあたしが知ってる妖気の匂いじゃん。

「げ、まずい!」

「……ひょっとしてあれ、お妃様なのか?」

 おかしなことになってるのに流石に気づいたらしく、シャイクが冷汗を浮かべてるみたい。あたしは答えも頷きもせず、黙ったままでいた。

 あたしたちがジト目で注目してるのをまるで気にしないで、幼女はこっちを見返してくる。

「儂の妖気を嗅ぎ分けられんとはまだまだのようじゃな、婿殿」

 パフスリーブワンピの両腕を組み、幼女は意地が悪そうに頷いた。

 顔がイヤミなぐらいに自信たっぷりで、でっかい瞳が悪意に満ちてるのが嫌でも伝わってくる。

「もう!今まであたしを監視してたってわけ?娘の恋路を邪魔するのもいい加減にしてって言ってるでしょ!」

「……ほう?お前はいつも、婿殿とは家同士の関係に波風を立てたくないから仕方なく結婚するんだと、儂にいつも愚痴っておったではないか。それが、こんなところでいちゃついておるとは。お前の恋路とはえらく複雑な上に、とんだ天邪鬼なようじゃの?」

 女の子の口調は、幼い容姿に反して爺さんか婆さんみたい。でも、声は子供なんだから迫力は半減してること、受けあいだ。うろたえたシャイクが、何度も幼女とあたしの顔で視線を行ったり来たりさせている。

 構わず、あたしは幼女の顔に向かってびしっ!と人差し指を突きつけた。

「それに何よ、また年甲斐もなくそんな格好しちゃって!だいたい、あんたはママじゃなくてパパじゃないの!」

「へ?」

 ……世にも間抜けな顔、ってのはこの時のシャイクのアホ面みたいなのを言うんだろう。

 彼のあんぐり開けた口が動きを忘れ、月明かりが支配する沈黙が流れる。

 一陣の強い風が吹きつけて、荒野全体が一斉にざわめいた。

「ななな、何じゃ!人が必死に能力を磨いて、ようやくここまでの容姿を手に入れたと言うに……そ、そんなひどいことを言う娘に、儂は育てた覚えはないぞ!少しは褒めてくれても……」

 たちまち女の子の口が歪んで、ひっく、としゃくり上げた声で言葉が途切れる。

 おかげでこっちが悪いような気がしてくる。けど100歩譲って考えたとしても、悪いのはパパの方だ。謝る気はさらさらない。

 あたしのパパ、つまり魔王。

 そのはずである目の前の幼女……いや女装した少年が、えぐえぐと泣いている。

「あのねぇ。泣いてごまかして、話をすり替えないでよ。ったく、そんなんだからママが呆れて逃げたんじゃないの」

 あたしは女装少年の姿で泣き続けてるパパを睨み、ため息をついた。

 そこで軽いショック状態から抜け出したシャイクが、あたしの袖をつんつん引っ張った。

「なぁ……魔王様って、あんななのか?」

「まあね、公務の時以外はそうかな。あんな調子だから、メイドやバトラーたちも振り回されて大変なのよ。おかげでクローゼットはドレスばっかなんだけど、最近は術も高度なやつが使えるようになったみだいで。だから、ああいう子供服も増えてきてるのよ」

「魔王様、公務や俺の家族との顔合わせで会った時は、髭も似合ってたし……渋くていい感じの紳士だなと思ったんだけど」

「ああ。実はあれも本当の姿じゃないの。ただ、最近のビジネス用の姿はあれって、決めてるみたい。でも、変身してないパパを見たのがいつかなんて、あたしも忘れたぐらいだもん。素の状態は、ひょっとしたら家族の誰も知らないのかも知れないわ」

 あたしの両親……ママは純血のヴァンパイアだけど、パパは高い戦闘能力と、何にでも変身することができる能力を持った魔人だ。

 でも結婚してから、パパは何故か女装趣味に走り出したと聞いている。あんまりにも悦に入ってるもんだからママが呆れて、ワー・ウルフ族の男と駆け落ちした、らしい。

 確か200年くらい前のことだったと思う。あたしはもう物心がついてたから、ママがいなくなったってことはわかってた。でも、身の回りの世話をしてくれるメイドもバトラーもいたし、特に寂しかったっていう記憶はない。

 パパは最近あたしがママに似てきたってよく言うけど、細かいところを気にしない性格はママ譲りなんだろう。

 パパは公務もきちんとこなすし、魔界に戦争が起きたときも鎮圧できなかったことはない。代々の魔王の中で最も優れてると言われてるくらいだけど……

 それでも蒸発したくなったママの気持ちもまぁ、わからなくはない。

 最強の魔人なのに、内と外であまりにもギャップがあり過ぎるんだもんねぇ。

「でも、どんなに頑張っても性別だけは変えられないんだって。パパは美人も好きなんだけど、それ以上に可愛いのが好きみたいでさぁ。難しい上にかなり妖気を消耗する術だってのに、子供の姿になりたがるのよね。あたしのお古のリボンとかドレス、何着持って行かれたかわからないわよ」

 あたしはパパから注意を逸らさずに、シャイクとひそひそ話を暫く続けた。

 その間に、ひっく、うっく……と響いていた泣き声は次第に小さくなっていき、最後には小さなため息で締めくくられたみたいだ。

「さて、婿殿よ」

 赤くなったほっぺたをピンクのハンカチで拭ってから、パパは一つ咳払いをした。

「花嫁の父と交わした神聖なる契約を土足で踏みにじりおったのだから、当然それなりの覚悟はできておろうな?」

「契約って、何の文書も取り交わしていないと思うのですが。顔合わせのときのことを仰っているのなら、あれは単なる」

 困ったように笑ったシャイクの言葉を遮って、凄まじい怒りで顔が歪んだ女の子……いや、パパが甲高い声で叫んだ。

「問答無用ッ!貴様など、魔界の果てから5回は地獄に落ちるがいいわ!食らえェェェェイッ!」

 パパがツインテールの金髪を揺らして、小さな右手を頭上で軽く振った。

 あたしたちの周りの空気が、パパから一瞬で溢れ出した妖気に耐えかねてぐにゃりと歪む。

 やばい!

 とあたしが思った時には、頭上に小さな城を潰せるくらい巨大な火の玉が現れていた。

 妖術の中で最強の、隕石落とし(メテオ・ストライク)だ!

「うわあぁぁあぁぁ!」

 どっちかと言うと脳内が筋肉に偏ったシャイクの絶叫が、空気との摩擦音に飲み込まれる。

 そうか、コイツはガチ戦闘には強いけど、妖術の扱いに慣れてなかったんだっけ……

 ズガアァァァァァン!

 巨大な隕石はあたしたち二人を押しつぶし、荒野の枯れ草に爆音と炎とを撒き散らした。

 ……はずもなく、あたしは術にびびったシャイクの首根っこをひっ掴み、さっさと空に飛び上がって難を逃れていた。白いマントを突き抜けさせた黒い蝙蝠の翼に、冷たい夜風の流れを感じる。

 さっきまでいた場所は、草地も木も火に包まれて燃え盛っていた。広い範囲を焼く炎が、空にいるあたしたちの姿を下から赤く照らしている。きな臭さに、あたしは顔をしかめた。

「ったく。いくら相手がシャイクだからって、パパも遠慮がなさすぎるわよ!」

「ふぁ、助かったぜ……ありがとな、リュシー」

 あたしはパパのやり口がわかってたから、避けるくらい造作もない。けどこれを戦場でやられたら、無敵の名を欲しいままにする魔王軍でも一個中隊は軽く壊滅するだろう。

 シャイクが自分の翼を出して飛んだところで、パパも羽根を出して飛び上がってきた。

 丈が長いワンピースのせいで動きづらそうだけど、それをものともしない勢いだ。

「おのれぇ、姫よ!お前はパパよりも婿の味方をするのかッ!」

 パパは突進しながら、今度は手を横に鋭く払った。

 これもいつもの手だ。

 ガァン!

 と鈍い音がして、地上の炎までが揺れる。あたしの黒い翼が、一抱えの岩くらいの大きさがある妖気の塊をはたき落としたのだ。

「んなの、あったりまえでしょ。いちいち暑苦しいんだから、パパは!シャイクより一緒にいる時間が長かったのに、あたしの本性ぐらいまだわかってなかったの?」

 同じ高さまで飛んできたパパに向かって、あたしは人差し指を突きつけた。

 とりあえず、これはあたしとパパの喧嘩だ。シャイクが口を挟めないよう、更に前に進み出る。

「だいたい、あたしに好きに生きていいって教えてくれたのは、パパじゃない。だから、あたしはやりたいようにやるんだからね!」

 ざあっ、と地上の炎から上がってきた気流に乗せられた空気が、あたしとパパの長い髪を逆立てていく。

 教育方針を突っ込まれて、うっ、とパパは言葉に詰まった。小づくりな顔が悔しそうに縮まって、口がへの字に曲がる。

「ぐぬぬ……そ、それでも儂は親に背いていいとは、一言も言っておらんぞ!戻って来るのじゃ、リュシー姫!でないと……」

「でないと?」

「パパはお前を勘当するぞ!勘当と言うのはな、家族と離れて……」

 パパの説明の途中で、あたしはびっくりして繰り返していた。

「え、勘当?うっそ!そんな……」

 口を覆ってはいたけど、思ってたより大きな声が出てしまう。

 そのあたしの顔を見たパパが、目を見開いていた。

「きゃは、やったあ!ちょーお、ラッキー!」

 多分、あたしがはちきれんばかりの笑顔でいたからだろう。

 悲しそうにして、それだけは勘弁して!って懇願するあたしを想像していたに違いないパパは、見事に裏切られたのだ。

「はい?」

 あ、それはあたしの横でまたアホ面かましてるシャイクも一緒か。

 あたしは嬉しさに任せてキャッキャと笑いながら、空中をくるくる回転しながら旋回した。白いスカートを縁取るレースが風に踊って、地上に広がる炎の色を柔らかく闇の中に跳ね返す。軽いマントもそのあとについて翻り、綺麗な円を描いていた。

 あたしのハッピーなダンスに見とれてるわけじゃないだろうパパは、この反応が読めないみたい。手をだらんと下げて、あたしの動きを追ってるだけだった。

「それじゃあ、あたしはもうどこに行ってもいいってことよね?いいわ。このまま下界まで行っちゃうから!」

「って、こらぁ!何で俺まで……ぐえ!」

 あたしはまだぽかんとしてるパパに手を振ってから、シャイクの襟首を掴んだ。襟が運悪く喉を締めつけたらしくて、叫び声がカエルみたいな声に変わる。

 空を駆けるスピードを音速もかくや、ってぐらいに上げながら、あたしはシャイクとパパに言った。

「アンタも来るのよ、身元保証人としてね!あ、居場所だけはそのうちシャイクを通して連絡してあげるわね、パパ!」

 反論なんて許さない。

 パパの許可がないせいで、あたしは今の今まで魔界に封じ込められたままだったんだもん。これを逃すチャンスなんて、多分もう二度と来ないかも知れないんだから。

 前髪しかない幸運の神様を捕まえるには、タイミングが絶対条件なんだから!

 嬉しくて、笑顔が抑えられない。

 今まで話に聞くだけだった人間界がどういうところなのか、これからわかるんだもの!

 下界に繋がる空を突っ切るあたしを、パパが慌てて追ってくる。

「ちょ……待たぬか、姫ぇ!わ、儂が悪かった!頼むから、早まった真似はしないでおくれ。儂はお前が側にいてくれなければ、寂しくて死んでしまうかも……」

 パパってば、幼女の姿でのそういう説得は決定力がないってわかってないわけ?

 でも実はパパ、あたしにはベタベタに甘い父親だったりする。

 だからあたしは遠慮なく、ウイークポイントを突いた捨て台詞を吐かせてもらうことにした。

「うるさいわね、一度言った言霊はもう二度と引っ込められないんだから!余計な探り入れたりしてきたら、二度と連絡してあげないわよ!」

 痛いところを指摘されたパパは、あたしに遮られたところで急ブレーキだ。

 襟を掴まれて引きずられる格好のシャイクは、いい感じに首が絞まってくってりしている。彼も、当然ながら何も言わない。

 あたしの行く手を邪魔するものは、もう何もないのだ。

「ついでに、人血アレルギーも下界で治してくるから!」

 ……パパの女装癖に比べれば、あたしの人血アレルギーなんて、些細な問題にしか思えなくなっていたことは内緒にしとこう。

 それが、旅立つ娘の父親に対するせめてもの思いやりだ。

「じゃあね、パパ。魔王を継げるくらい立派なヴァンパイアになってから戻ってくるわ!」

 この台詞が、あたしの長い(だろう)旅路の幕開けだった。

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