惜別の朝 ③
-アメレア暦1420年2月-
厳しい冬も少しずつ翳りを見せ春の足音が少しずつ近づいてきた頃。森の中で数年ぶりの危機を迎えている二人の子供がいた。
「Guuuuuuuu!!!」
唸り声を上げながら眼前の獲物を見据えるデッカグマ。
一人は剣を抜いてデッカグマと対峙する少年。そしてもう一人は少年の背に隠れる小さな少女。
「ミデル兄ちゃん...」
迷い込んだ森でデッカグマに襲われてから早五年。
ベリスやパライトから剣術を教わっていたミデルは大切な物を守る為に剣を抜ける男になったのだ。
「アンナ...。俺の背に乗れ」
「う、うん...」
アンナはミデルの背に乗り首に手を回す。それを確認したミデルは剣を納めた。
「俺さ、ベリ姉ちゃんからいいこと教わったんだよ」
「いいこと?」
「勝てなかったら...」
そこで言葉を切って勢いよく踵を返す。
「逃げる!!!」
そして雪が残る地面を蹴ってデッカグマから逃げ出した。虚を突かれて一瞬固まったデッカグマだったがすぐさま追走を開始。
かくして二人と一匹による逃走劇が幕を開けたのだが...
「や、やっぱ無理ぃーーーーっ!!」
「兄ちゃん!?」
早くも敗色濃厚だった。
修行を積んだはいいものの自分は平凡な人間。五年前の時点で自分を背負ったまま逃げ切ったベリスとは地力が違い過ぎる。
「うおおおおおおっっ!!!」
力を振り絞って走るも距離は徐々に縮まっていく。
そして勝機と見たのかデッカグマが地面が抉れるほどの力で大地を蹴って跳びかかってきた。
「た、助けてーー!ベリ姉ちゃーーーんっっ!!」
今ここにいないであろう相手に助けを求めるが当然返事はない。跳びかかったデッカグマは距離を縮めて二人に...追いつけなかった。
「はぁっ!!」
背後から聞こえる聞き覚えのある声。固い物を殴りつけるような鈍い音。
それに気付いたミデルは足を止めて振り返る。
視線の先には信じられない光景が広がっていた。頭に大きなタンコブをこさえて横たわっているのはミデルでは倒すことも逃げることもできなかったデッカグマ。
木剣を携えそれを見下ろすのは猪の毛皮で作られた上着をはためかせる白茶色の髪の女性。
「べ...」
「ミデル、アンナ。怪我はない?」
「「ベリ(お)姉ちゃーーーんっ!!」」
ミデルとその背から降りたアンナはベリスに駆け寄り跳びつくようにして抱きついた。
「ありがとうベリ姉ちゃん!」
「ありがとう!」
「うん。無事で良かったよ」
ベリスは抱き締める両手で二人の頭を撫でる。
五年の間にミデルはベリスの背をわずかに越えた。肩を上げて頭を撫でる手に少し誇らしさすら覚える。
成長したのはベリスも同じだ。
修行の邪魔だからと髪を切り、肩まであった髪は首筋にわずかにかかるほどに短くなっている。
それだけでも大分印象が変わったが背が伸びて体つきが丸みを帯びてきたことで大人の女性のシルエットに近づいていた。
修行のおかげで手足や腰などはほっそりと引き締まり彼女の母であるフォルナに似た美人へと成長を遂げていた。
前よりもずっと甘くて清涼感のある匂いを纏うようになったがわずかに香る草と土の匂いは昔のままだ。
「情けないな、俺...」
「えっ?」
抱き締められていたミデルは無意識に呟いた。
「あの時はベリ姉ちゃんが助けてくれただろ?でも、俺は助けるどころか逃げることもできなかった...」
これまで何もやってこなかったわけではない。
修行という名の無茶振りを何度も乗り越えたりベリスから読み書きや計算を教わったりと力をつける努力を重ねてきた。
今では同年代の子供達と一緒に教える側としてアンナのような小さい子供達を教導している。
だが、できるようになったからこそ分かる壁もある。
歯を食い縛って修行した自分では手も足も出なかった怪物をベリスはいとも簡単に倒してしまった。
その現実に無力感を覚え強く両の拳を握る。
その様子を見ていたベリスはふっと笑みを零すとアンナを抱き上げ再びミデルの頭に手を置いた。
「違うよ」
「えっ?」
「アンナが助かったのはミデルのおかげ。ミデルは命の恩人だよ」
「ベリ姉ちゃん...」
「強くなったね。ミデル」
「...っ!!へへっ!だろっ?」
「うんうん!ミデル兄ちゃんすっごく逃げ足早いんだよ!もうびゅーん!って!」
「逃げ足って言うな!」
「あははっ!」
村に帰ると皆があの日のように三人を暖かく出迎えてくれた。
両親に抱きついて泣きじゃくるアンナを見ているとあの日の自分を思い出す。あの日と違うのはアンナの両親に感謝される側になったことだろう。
「流石ベリスちゃん!」
「デッカグマを倒すなんてすげぇじゃねーか!!」
村人達の称賛を一身に受けるベリス。
この光景ももうすぐ見納めになる。
「ベリ姉ちゃん…」
春が来たら旅立ってしまうのだから…
アメレア歴1420年 3月
何をしていようとも時間は平等に流れていく。
雪で閉ざされていたファマリ村も雪解けを迎えついに命が花開く春がやってきた。
新しく生まれてきた命が世界に出会う季節。それは同時に別れと出立の季節でもある。
「わぁ~!かっこいい!!」
「どう?重くない?」
「すっごく軽い!これがお父さんの鎧...!」
春を迎えいよいよ旅立ちの日を間近に控えた夜。ベリスは鏡に映る自分の姿を思う存分堪能していた。
その身に纏うのは手足を守る篭手とすね当て、そして胸部を覆うブレストアーマー。
王家の剣のように見る角度によって色彩が変化する淡い青を湛えた防具一式はベリスの体にぴったりでまるで服を着ているかのように軽い。
もう一つ特筆すべきは鎧に合わせて作られた服。
フリルやシルクといった豪奢な飾りはないものの鎧と合わせても印象が剛毅になりすぎず動きを阻害しない機能性とかわいらしさを両立させた逸品だ。
「よく似合ってるわ。ベリス」
「えへへっ!ありがとう!」
「お礼はパライトさんに言いなさい。鍛冶屋に持っていってくれたのはあの人よ」
「服はお母さんが作ってくれたんでしょ?すっごく嬉しいよ!」
「ふふっ。どういたしまして」
姿見に映るのは村娘でもグレスカンドの王女でもない。
明日から冒険者としての一歩を踏み出す少女、ベリスだった。
「国宝らしいから大切に使うのよ」
「う、うん...」
パライト曰くこの鎧はグレアリオ王家に代々伝わる宝なのだという。
顔も知らない祖父から受け継いだ鎧が魔王との戦いから父を守り抜いた。
今度は自分が受け継ぐ番だ。
「シャル、お義父様。どうかベリスをお守り下さい...」
ブレストアーマーに手を当てたフォルナはここにはいない家族に祈りを捧げる。
「お父さん何か言ってた?」
「任せて!だって」
「あははっ!そっくり!...どうしたの?」
フォルナの視線に気付いて問いかける。
「ううん。シャルに似てきたなーって」
「お父さんに?」
「えぇ。この髪も青い目も全部シャルのものよ」
その瞳なら覚えている。
一緒に遊んでいる時、冒険の話をしてもらった時、危険なことをして叱られた時。
父との思い出を振り返るとあの青い瞳も一緒に蘇る。
「ねぇ、お母さん」
「何?」
「そろそろ話して欲しいな。勇胤って何なの?」
撫でる手が止まり何かを考えるかのように黙り込む。
「もう子供じゃないよ」
ベリスの覚悟を受け取ったのかフォルナはテーブルに就くよう手で促した。
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