勇者の娘 ⑥
目にも止まらぬ速さで跳び出したベイアーが鋭利な爪を持つ腕を薙ぐ。
一度触れれば瞬く間に物言わぬ肉塊になるであろう凶悪な一撃をやり過ごしたのは奇跡のような反射行動だった。
日頃の訓練の賜物か、はたまた運が良かっただけなのか…。
袈裟に振り下ろされた右腕を剣で防いで直撃を回避。だが、ベリスの体では強大な膂力を受け止めきれない。
衝撃まで殺すことはできずに吹き飛ばされ近くにあった木の幹に体を強かに打ちつけた。
「ぁっ…!!」
声にならない呻きが漏れる。叩きつけられた衝撃で肺の空気が全て抜け切ってしまい焼け付くような痛みが胸を襲う。
全身が悲鳴を上げるかのように痛みを訴えるが痛がっている暇はない。
ベイアーは既に目の前にいる。
「ほう?筋がいいな」
「くっ!ふぅっ…!!」
休み暇もなく浴びせられる攻撃はどれもが重く鋭い。一発でももらえばひとたまりもないだろう。
そんな攻撃の数々を小さい体と軽い身のこなしでかわすので精一杯だった。
今日ばかりはパラポンの特訓に感謝してもいいかもしれない。
パラポンの不意打ちで鍛えられた察知能力のおかげで暗闇の中でも攻撃の来る方向が直感的に理解できる。
この剣もそうだ。
毎日のように振っていた木剣と全く同じ物だったおかげで重りではなく攻撃を防ぐための道具として機能している。
だが、このままでは埒が明かない。
何合目になるか分からない攻撃を回避してベイアーだった魔物と距離を取る。
「ちぃっ!ちょこまかと…!!」
最初は余裕だったベイアーも業を煮やしたのか苛立ち混じりに吐き捨てる。
「はぁっ、はぁっ…!」
対するベリスに余裕など微塵もない。
蓄積した疲労で息が上がり、打ちつけた痛みが熱を帯びて立っていることすら精一杯な有様だ。
避けきれなかった攻撃が掠めた箇所からは鮮血が滲み、流れ出る血がベリスの意識を闇に誘おうとする。
それでもなお倒れない。いや、倒れてはならない。
「何故そこまでできる?勝てないことくらい分かっているはずだ」
「…」
「理解に苦しむな。同郷の者とは言え所詮は他人。命を賭けて守る意味などどこに…」
「あるっっ!!!」
今にも崩れ落ちそうな体に必死に鞭を打って体勢を保つ。
予想以上に大きな声になってしまったがこれくらいでないと力が抜けてしまう。
「お母さんも皆も…私にとって大切な人達だから!」
「綺麗事を…」
「お母さんを騙して何もしてない人を殺したあなたを絶対に許さない!」
「おいおい。剣を渡したのはお前だぞ?責任を擦り付けるな」
「分かってる。だからここであなたを止める!絶対に!!」
「…ぷっ!ははははははっっっ!!!ガキが吹かしてくれる!」
ベリスの決意を踏みにじり嘲笑するベイアー。
いつ攻撃が来てもいいように視線を外さず睨み続けるがその体は小刻みに震えていた。
限界が近いというだけではない。湧き上がる根源的な恐怖が体を竦ませているからだ。
怖い…!
威勢のいいことを言ってみたもののベリスの心は恐怖というどす黒い影に鷲掴みにされていた。
彼の言う通りこのままでは勝ち目はない。そう遠くないうちに殺されてしまうだろう。
そうなれば次はファマリ村が標的になる可能性が高い。
ここで負ければ皆が死んでしまう。
優しい母が、変わり者のパラポンが、一緒に外の話を聞いて笑い合った子供達が…。
最悪の未来が足を竦ませ体を震え上がらせる。
怖いよ…お父さん…!!
村人全員の命が自分の手にかかっている。
それは幼い女の子が背負うにはあまりにも重く残酷な現実だった。
歯の根が合わずぶつかり合った歯がカチカチと音を鳴らす。
震える体は剣を支えきれず重い剣の切っ先は次第に下がっていく。
無理…無理だよ!わたしなんかじゃ絶対に…!!
だが、勝ち目のない絶望の中にあっても剣を握る手を離さず体はベイアーの方を向いている。
逃げ出したくてたまらないのに未だ立っていられる理由。
その答えはとうの昔に出ている。
「…でも」
「あっ?」
「それでも!!わたしは負けない!負けたくない!皆を守れるのも!仇を討てるのも!わたししかいないから!!」
「はっ!吠えたところで何になる!?」
冷ややかに見下しながら俊足を持って突撃する。
体は既に限界を越え打開策もまるでない。
そんな状況にあるにも関わらずベリスの胸中はかつてないほど穏やかに澄みきっていた。
柄を握る手にほんのりと熱が宿る。
お父さん…?
父が一緒に戦ってくれている。熱の理由をそう結論付けたベリスは腕を振り上げ襲い来るベイアー目掛けて突進する。
「なっ!?早っ…!!」
小柄な体は瞬く間に懐に潜り込み振り上げた右手を捉える。
そして下段に構えていた剣を腰のバネを活かして振り上げ…
「やぁっ!!」
固い何かにぶつけたかのような手応え、舞い跳ぶ黒い飛沫。
「あっ、がっ…があぁぁあぁぁぁぁっっっっ!!!???」
耳をつんざくような断末魔に振り返る。
そこには右手を失い苦悶の表情を浮かべるベイアーがいた。
斬った?私が…?
「貴様ぁ…っ!」
怨嗟の声を漏らしながらベイアーが肩越しに振り返る。だが、ベリスが握るそれを見た彼の表情はたちまち戸惑いと驚愕に強張ることになる。
「なっ、なんだそれは…?」
「えっ?」
その視線を追うと自分の手元にたどり着いた。
さっきまで握っていたはずの飾り気のない父の剣。強大な怪物と打ち合っても壊れないだけで何の変哲もなかったはずの剣が…
「な…なにこれぇっ!?」
極彩色に光り輝いていた。
刃から柄に至るまでの全てが見る角度によって色が変わる不思議な色彩を帯びており、剣ではなく一本の細い柱のような印象さえ受ける。
その輝きを見ているだけで不思議と体が軽くなり力が湧いてくるような気分になる。
これなら…いける!!
「舐めるなぁっ!!」
何度も見た構図。だが、形成は完全に逆転していた。
「ふっ!せいっ!はぁっ!!」
片腕を失ったベイアーの攻撃は出血と疲労によりどんどん遅く大振りになっていく。
その肉を貫かんと突き出された左手をがら空きになった右側に潜り込む形で回避。
そして空を切った左手を真横から叩き切る。
「ぎいああああああああああああっ!!」
剣を振って刃についた血を払い、両腕を失ったベイアーを睨みつける。
「そんな…嘘だ。こんな、こんなはずじゃ…」
うわ言のように呟きながらじりじりと後ずさり…
「う、うわあああああああっっっ!!!!」
恥も外聞もかなぐり捨て背を向けて逃げ出した。
逃げたところで両腕を失った魔物ができることなどなにもない。途中で失血死するのがオチだろう。
それだけは絶対に許さない。
「逃がさないっ!!」
その背を追って地を蹴る。
ふらつきながら逃げる背をあっという間に捉え、肩に担ぐようにして剣を構えて跳躍する。
「やぁーーーっっ!!!」
その音に振り返ったベイアーの目に映るは極彩の剣。そして自分に引導を渡す剣の使い手。
「ブレイ、ガリア…」
それは宙を舞う首が発した最期の言葉だった。
永遠にも思えた化外の悪意との死闘。それは夜明けにも満たないわずかな時間で決着した。
淡い輝きを放つ剣が照らし出すのは血溜まりに沈む物言わぬ首。
そして荒い息を吐きながらそれを見下ろすベリスの姿。
「はぁっ、はぁっ…!」
魔物になったとは言え元は人間。その首を斬って殺した。
初めて人を殺した。
骨肉を断ち命を終わらせた感触はこの手に鮮明に残っている。だが、その事実を受け止めてなお何も思うことはなかった。
「ほぅ。これは嬉しい誤算じゃわい」
「っ!?」
声のした方を振り返る。木の陰から現れたのはパラポンだった。
「パ、パラ爺?」
「遅れてすまぬ。怖い目に遭わせてしまったな」
「ううん!ありがとう!」
「段階を踏ませるつもりだったが、認めたなら仕方ない」
「えっ?」
言葉の意味が分からず首を傾げるベリスに向かってパラポンは恭しく跪いた。
「パラ爺!?」
「シャルステッド陛下が崩御されて早5年。剣が貴女様を認める日を指折りお待ちしておりました」
「陛下?認める?」
「不肖パライト・オルゲン。これより貴女様に御仕え致します。ベルナリス・グレアリオ王女殿下」
「お…王女ぉぉぉぉっっっ!!????」
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