第八話 3人目は左手を差し出す ①
-ドラゴン-
それは人間が太古から畏れ敬い続けた生ける厄災。
その歴史は魔物よりも遥かに古く人間がアメレア大陸に居を構えるよりもずっと昔から生息していたとも言われている。
ドラゴンによって一夜にして滅ぼされた国の話は枚挙にいとまがない。
そんな途方もなく強大な力の化身が今まさに帝国に迫っている。
「ドラゴンの位置は?」
「現在国境を越えて領内を飛行中。もう間もなくアシュロウタ上空を通過するとのことです」
「帝都はどうなっているの?」
「陛下の指揮の下市民の避難と迎撃部隊の編成が進められております!」
「流石はお爺様。私はアシュロウタに戻るわ。あなた達は近隣の村を回って避難を促しなさい。渋るようなら私の名前を出して」
そう言うとヨシュはポケットからペンと紙を取り出して何かを書き、それを男に手渡した。
「はっ!」
「武運を祈るわ」
「もったいなきお言葉…!身に余る光栄にございます!!」
深々と頭を下げると男は足早に去って行った。
「…」
その様子にヒーリアはただただ見惚れるしかなかった。
災厄の象徴であるドラゴンが接近しているという絶望的な状況に顔色一つ変えずまるで手足を動かすかのように命令を飛ばすその姿はまさに人の上に立つ王そのもの。
何もできなかった自分を恥じるヒーリアの横でヨシュは右手にあの時見せた鍵を呼び出し何もない空間にそれを突き刺して捻った。
「あなたはここに残って村の皆と避難しなさい」
鍵を突き刺した空間を中心に光の渦が現れその中に入っていこうとするヨシュ。
あの時もここを通じてヨシュの別荘にたどり着いた。
原理は全く分からないがあの鍵を使えばいつでも別荘に帰れるようだ。
「私も連れて行って下さい!きっとお役に立ってみせます!」
「…骨を埋める覚悟はある?」
「はい!私も冒険者の端くれですから!」
胸に揺らめく等級章をその背に見せつける。
本音を言えば怖い。
相手は天災に例えられることもある圧倒的上位存在。これまで戦ってきた魔物とは訳が違う。
だが、どんな経緯でも自分は帝国に関わりこの国に住む人と親交を深めた。
世話になった人を見捨てて避難してはベリスに顔向けできない。
「…付いて来なさい」
ヨシュは振り返らずにそう言うと光の渦に消えていった。
「…っ!ありがとうございます!」
ヒーリアはもう一度深く頭を下げるとヨシュに続いて光の渦へと飛び込んだ。
「市民の避難完了しました!!」
「バリスタの配備を急げ!」
「ズラント家の援軍はどうなった!?」
目も開けられないほど眩い光を抜けるとそこは慣れ親しみ始めてきた別荘の前。
いつもは穏やかな空気に包まれているその場所は今、一触即発の戦場と化していた。
兵士と思わしき人々が忙しなく動き回る光景はまさに戦争の最前線。
別荘の外壁には弓兵や魔術兵、砲兵等が配置され火蓋が切って落とされるその時を待っている。
「お帰りなさいませ!皇女殿下!」
彼女の帰還に気付いた兵士達が手を止めて一斉に敬礼した。
「続けて」
その一言で先程までの喧騒が戻る。
別荘内を悠然と歩くヨシュのもとにここに来た初日に色々なことを教えてくれた執事と思わしき男性が歩み寄ってきた。
「バトレオ。進捗は?」
「市民の避難はほぼ完了しました。しかし近隣諸侯の援軍が未だ集まりきっておりません」
「この状況で顔を立てる必要ある?」
「…皆財産を抱えて逃走致しました」
「期待通りで助かったわ」
「どうしてですか!?帝国が危ないんですよね!?」
「ふふっ。あなたの爪の垢を煎じて彼らに飲ませてやりたいわ」
ヒーリアの言葉にヨシュはくすりと笑う。
「所詮は大樹に巣食って緑を食む豪奢な蓑虫。危機が迫れば逃げるものよ」
「そんな…」
「そうなると私が出るしかなさそうね」
「えぇっ!?」
「最悪の場合使竜を使うかもしれないわ。その時はお願いね」
聞き慣れない言葉に首を傾げるヒーリアの隣でバトレオは青ざめた顔で首を振った。
「皇女殿下のことは我らが何に代えてもお守り致します。それだけはどうかお考え直しを…!」
「有事に茶会を楽しむ皇族に価値なんてあるのかしら?」
バトレオははっとしたような表情を浮かべると恭しく一礼して指を鳴らした。
するとどこに隠れていたのかと思うほど大勢の侍女達が押し寄せ移動しながらの着替えが始まった。
侍女達からなる人の壁が着替えが人目に触れないようヨシュを囲い流れるように着替えを手伝う。
これまで着ていた服を脱がし予め用意されていた服に着替えさせる。
言うだけなら簡単だがそれを移動しながら行うのだ。
どちらにとっても至難の業だろう。
だが、ヨシュは歩みを止めず侍女達もつっかえることなく役目を遂行する。
その後ろをついて歩いていたヒーリアにもその全貌がまるで見えないうちに着替えが終わり侍女達が散っていった後には鎧を身に纏ったヨシュがいた。
「か、かっこいい…!」
「ふふっ。ありがとう」
振り返らず礼を言うヨシュが纏う鎧の光沢に見覚えがあった。ベリスが着ていた鎧だ。
「その鎧…」
「えぇ。多分想像の通りよ」
「だからベリスさんの鎧のことも知ってたんですね」
「そうでなくとも分かるわ。だってあれは…」
そこで言葉を切って立ち止まる。二人はいつの間にか一緒に朝食を取ったテラスにたどり着いていた。
「皇女殿下!」
テラスには既に兵士が配備されており各々が武器を構えて持ち場についていた。
「ドラゴンは見えた?」
「未だ確認できておりません」
「そう」
ヨシュはテラスの壁際で望遠鏡を覗いている兵士の一人に近づくと拾い上げるようにそれを奪い取った。
「観測ご苦労様。少し休んでいなさい」
「それには及びませぬ!そのようなことは我々に…」
「お願いしているんじゃないの。分かる?」
「…はっ」
渋々といった顔で下がった男に代わって望遠鏡で空を観測し始めたヨシュ。
どれほどそうしていただろうか。
不意にヨシュが望遠鏡から視線を外して声を漏らした。
「来たわね…」
その一言で兵士達の纏う空気が一気に剣呑なものへと変貌する。
鞘から抜き放たれたような鋭利な敵意はヒーリアにとっても恐ろしくてたまらないものだった。
それでも勇気を振り絞って空を見ると晴天の青空に黒い粒のようなものが見えた。
それは少しずつ存在感を肥大化させながらこちらに向かっているようにも見える。
「あれが…」
刻一刻と迫る災厄の化身。
息苦しいほどの圧迫感を覚えて胸を押さえていると望遠鏡を覗きながら肩を震わせるヨシュの姿が目に入った。
いくら皇女といえどドラゴンと対峙するのは怖いのだろう。
そんなヒーリアの心配は…
「ぷっ!ふふっ…!」
「皇女殿下?」
「あっははははははははっっ!!!」
突如笑い始めたヨシュによって霧散した。
「ヒーリア!」
「はっ、はい!」
ヨシュに呼ばれてすぐ傍まで移動するとヨシュは無言で望遠鏡を差し出した。
覗け、ということなのだろう。
言外の意図を察して望遠鏡を受け取り空を見る。
遥か先を見通せる望遠鏡が映し出したのは稲妻の如き金色の鱗を持った巨大なドラゴンが大きな翼を広げて悠然と空を飛ぶ姿だった。
体の所々に紫電のような紫があしらわれたドラゴンは想像よりは小さいものの以前戦ったオークが赤子に見える程度には大きい。
何もかもが規格外なその姿に戦意が挫け足が震え始めたヒーリアはその背にはためくあるものに気付く。
「白旗?」
それは揺らめく白い布。
戦場において降参、あるいは敵意がないことを示す符号となるものだ。
何故ドラゴンがそんなものを?
そう思いながら観察を続けるヒーリアの横からヨシュが囁くように呟いた。
「お迎えよ」
その言葉を受け取るとほぼ同時に気付く。
その背に乗る数人の人影に。
「…っ!!」
ずっとこの時を待っていた。
ヒーリアは大きく息を吸ってその名前を叫ぶ。
苦楽を共にした仲間、これからの未来を共に歩いて行きたい大好きなその人の名前を。
「ベリスさんっっ!!!」
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