141話─喉元に迫る凶刃
「……第二皇子である我が兄、グラインは父上の側室だったエイラ様の子でね。私より一つ年上なんだ」
「ふむふむ。……なんとなく予想出来るけど、その側室って」
「ああ、私が九歳の頃に亡くなられたよ。風邪をこじらせてしまってね……手の施しようがなかった」
ラーファルセン城で、別の妃と会わなかったことからエヴァはエイラがすでに亡くなっているかも、と推測する。
案の定、フィリールの答えはその推測を肯定するものだった。エヴァは何も言わず、黙って続きが話されるのを待つ。
「……それから、兄上は変わってしまった。早々に帝位継承権の放棄を宣言し、騎士になるための訓練に明け暮れるようになってね。それまでは、どちらかと言うと物静かな人だったのに」
「後継者争いの火種にならないように、ってことね。必ず現れるのよね、そういう争いを起こそうとするバカは。お兄さんも気の毒に」
「兄上にとって、私たちも勿論家族ではある。だが……結局、腹違いの兄妹。本当の意味で、あの人の傷を癒やせる家族にはなれなかった……」
幼くして母を失い、腹違いの兄妹に囲まれながら暮らす日々。華やかな宮殿の裏に潜む、権謀術数に翻弄されることもあったのだろう。
「兄上が帝都を離れ、ずっとこの地にいるのも……城にいたくないのだと思う。あの人は恐れているんだ。帝位継承権を放棄したにも関わらず、自分を担ぎ上げて動乱を起こそうとする者が現れるのを」
「北のゼギンデーザみたいに、ね。……難儀なものね、あんたたち家族も」
「ああ。本音を言えば、昔のように兄上……グライン兄さんも含めて、笑い合って暮らしたい。もう一度、何のわだかまりもない家族になりたいよ」
そう語るフィリールは、とても寂しそうだった。そんな彼女の手を、エヴァはそっと握る。一人で悩む必要はないのだと。
言葉ではなく、態度で示した。そんなエヴァに、フィリールは礼を言う。気遣ってくれて感謝する、と。
「……実を言うとな。私が騎士になったのはグライン兄さんに憧れたからなんだ。若き天才騎士として、幾度も西の王国からの侵攻を阻んできた兄上に並び立つ騎士になる。それが私の夢なのさ」
「素敵じゃない、あんたなら叶えられるわよ。アタシも応援するわ、フィリール」
「ありがとう、エヴァ……ん、この鐘の音は……」
「フィリール、エヴァ、大変だ! 長城の正門がぶっ壊されちまった! おまけに、ウィズァーラ軍が接近してると見張りからの報告が来た! お前らも来てくれ、防衛戦だ!」
話をしていたその時、緊急事態を告げる鐘の音が紅壁の長城に鳴り響く。直後、部下を集めに行ったグラインが慌てて戻ってきた。
「恐らく、ディガロの仕業だな。奴め……兄上の暗殺だけでなく、破壊工作までやってのけるか!」
「すでにドルトには正門に行ってもらってる。俺も陣頭指揮を執る、敵を押し返すのに力を貸してくれ!」
「オッケー、もちろん協力するわ。大規模な戦争に参加するのは久しぶりね……大暴れしてやるわ」
ディガロ相手に意味があるかは分からないものの、強力な人払いの結界を執務室に張ってから三人は正門へと走る。
その数分後、執務室前の廊下の天井板の一部がゆっくりと動く。人一人分の隙間が空き、そこからディガロが降りてきた。
「やぁれやれ、流石に人払いの結界は簡単に解除出来やせんねぇ。ま、今回は別にいいや。あの方からのご命令には含まれていやせんしね」
そう呟きながら、ディガロは透明になりつつ廊下を歩いていく。その途中、自身の主君より賜った命令について思い返す。
『いいか、ディガロ。紅壁の長城は難攻不落、普通に挑んでも攻略は出来ねえ。そこで、お前の出番だ』
『へえ、承知しやした。それで、あっしは何をすればよいざんしょ』
『前に命じた司令官暗殺をブラフに使って、長城を内側から破壊してやれ。連中は司令官の警護に意識を割かなきゃならん。そうなれば、必然的にそれ以外への注意は下がる』
『なぁるほど、長城攻略に向けて工作すりゃあいいんすね? 分かりやした。で、暗殺自体は……』
『オレサマが合図を出すまでは実行するな、それとなく匂わせ続けて連中を心身共に摩耗させろ。ジワジワと弱らせてから、一気に叩き潰す』
『ヒヒヒ、陛下もいい性格してまさぁね。んじゃ、あっしはこれにて』
今回のディガロの目的。それはグラインの暗殺だけではない。デルトア帝国への侵攻を阻む長城を攻略するための、破壊工作も任務の一つなのだ。
そうした密命を受けた彼は、まんまと正門の破壊をやってのけた。グラインの警護や戦争の準備に意識が向いているのを、利用してみせたのである。
「さぁて、お次は……連中の迎撃兵器を使い物にならなくしてやりましょうかね。ヒヒヒ、やることが多くて楽しいねぇ」
そう呟きながら、一人武器庫へと向かう。その頃、長城の西……十キロほど離れた荒野を、千人のウィズァーラ軍が進んでいた。
黄土色の鎧兜に身を固め、武装した象に牽引させた巨大な砲台を乗せた戦車隊を引き連れての進軍だ。もちろん狙いは、長城の攻略。
「隊長、敵は我々の存在に気が付いたようです。如何致しましょう?」
「周囲の索敵を入念におこないつつ、このまま進軍する。今頃、潜り込んでる仲間が妨害をしてるはずだ。混乱の隙を突いて、一気に仕留めがっ!?」
魔法の双眼鏡を使い、長城の様子を観察していた部下が隊長に問う。当然、ここで帰るわけもないため軍を進めようとする。
が、その時。突然隊長の頭に矢が生えた。即死した上官が落馬するのを、唖然としながら見ていた部下たち。数分後、彼らも同じ運命をたどる。
「やれやれ、こんな遠くにまで狙撃中継衛星を配置することになるとはな。案外、遠くまで配備出来るもんだなこれ」
突如現れた矢を射った者の正体。それはもちろん、ドルトだった。リレイコマンドを使い、十キロ先の敵へと弓矢による狙撃を行っているのだ。
長城の連絡通路に陣取り、狙撃中継衛星を介して相手を視認しつつ矢を射つ。どこから矢が飛んでくるのか分からず、ウィズァーラ軍は混乱に陥る。
「隊長がやられちまった! クソッ、一体何がどうなってやがる!?」
「そうか、サモンマスターだ! デルトア帝国にいるサモンマスターどもが何か仕掛けてきやがったんだ! みんな、守りを固め」
「はーい、残念だけどもう手遅れでーす。ドルトがいると楽ねー、敵の居場所が簡単に分かっちゃうんだもの」
「ああ、おかげで余計な被害が出る前に事を済ませられる。彼には感謝しないとな」
立て直しを図ろうとするウィズァーラ軍だが、そうは問屋が卸さない。ポータルを使い、変身を遂げたエヴァとフィリールが現れたのだ。
(……兄上の警護は、ドルトに頼んであるとはいえ。あまり長く留守には出来ん、さっさと終わらせてしまおう)
「フィリール、サクッと行くわよ。この程度、ちょちょいのちょいで全滅させてあげましょ」
『アックスコマンド』
「ああ、そうだなエヴァ。さて、ウィズァーラ王国の騎士たちよ。どうせ退くつもりもないのだろう? なら、一人残らず……打ち倒す。我が祖国と民の安寧のためにな」
『ランスコマンド』
それぞれの得物を召喚し、敵兵に向ける。ウィズァーラ軍の騎士たちも各々の武器を手に取り、エヴァたちを睨む。
「くうっ、調子に乗るなよ! いくらサモンマスターだからって、たった二人で勝てるわけねえだろうが!」
「そうだそうだ! こっちには象戦車隊もいる、負けるわけがねえ!」
「ふぅん、そう。動物を殺すのは気が引けるけど……まあ、敵として出て来たのが運の尽きってことで。象ちゃんは極力殺さないようにするけど、それ以外は皆殺しよ」
どうにもならない内憂を抱えるなか、西の国境でも戦いが始まる。二対千、あまりにも数の差がある戦いの結末は……。




