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竜とつづら  作者: 夢見卵
第一章
5/5

安寧

 レン達が街に着いてから、はや数日が経った。


 宿屋で過ごすレンの生活は、あの夜の出来事がまるで嘘のように思えるほど平穏なものだった。

 朝は早くに目を覚まし、鳥の(さえず)りに耳を傾けながらレンとエリーゼの分の朝食を作る。

 作るとは言っても、レンの手腕ではちょっとしたものを作ることにも一苦労なのだが。


 エリーゼにも料理ができないことを告げた際、何言か文句をつけられた。

 何の気なしにエリーゼが料理すればいいのではと返したのだが、彼女は一瞬顔を(しか)めた後そっぽを向いて黙ってしまったため、おそらくエリーゼも料理が得意ではないのだろう。


 そのため、(もっぱ)ら大通りの店で既に食える状態であるもの、料理しやすいものを選んで買い、宿屋で簡単に済ませて食べている。今日の朝食は焼いた肉と目玉焼きを盛り合わせただけの名もなき料理だ。


 我ながら、適当に作った割にはなかなかどうして美味しそうに見える。そのまま食べられる状態のものを適当に飾っただけなので当たり前と言えば当たり前だが。

 調理の過程と呼べそうなものはせいぜい野菜を切ったことくらいか。


 できた料理を皿に乗せ、鼻歌まじりに机まで運ぶ。

 皿を食卓に並べると同時に、寝室から寝間着姿のエリーゼが目をくしくし擦りながら起きてきた。


「……おはよ、レン。今日も早起きだね」


「おはようエリーゼ! 早いとこ、この新しい生活に慣れないとだからな! いい気持ちで過ごすにはいい朝を迎えないとだろ? ってことで俺は早起き習慣健康体でバチバチ頑張るぜ!」


「ああ、そう……ふぁ~……」


 胸を()らし口を手で隠しながら、あくびの一つで以てレンの意気込みを受け流すエリーゼ。

 救われた当時の衰弱ぶりはどこへやら、けろっとした様子で軽口をたたくレンに、エリーゼもこれ以上の心配は不要と判断したらしい。

 レンの適当な発言を、こちらも適当な対応であしらうエリーゼ。二人の朝は、この光景が日常となっていた。


 特に目立った会話もなく簡素な食事を終えた二人。

 朝食を取った後は、少し食休みを挟んだ後に昼食と夕食の食材の買い出しに出かける。

 エリーゼは歯磨きのため洗面所へ向かい、その間にレンは着替えを済ませる。手に取ったのは新調した服。


 白いシャツに、黒を基調としたズボン。

 この服は、レンがルイスに着いたその日に買ったものである。

 宿屋に到着したレンは、休憩もそこそこに「そんなぼろぼろの服しか持ってないんじゃ風が悪いでしょ」というエリーゼの言により、新しい服を買いに連れ出された。

 地味ではあるが、贅沢を言える身ではないし、それまで着ていたボロ雑巾のような白い布切れと比べればはるかにマシと言える。なによりレン自身、この服装をなかなかに気に入っていた。


 洗面所から歯磨きを終えたエリーゼが出てくる。相変わらず感情は読みづらい。が、先ほどまでと比べ動きが幾分きびきびとしていた。どうやら眠気は覚めたらしい。

 エリーゼとすれ違う形でレンも洗面所に入る。

 蛇口をひねって水を出し、流れる水を手ですくう。それを顔にばしゃりとうちつけると、冷たい刺激に一気に意識が覚醒した。

 濡れた顔をタオルで拭き、歯ブラシでしゃこしゃこと歯を磨く。水で口をすすぎ、笑顔を作って鏡に映る自分の分身に白い歯を見せつけてやった。


「……うし。いい笑顔だ」


 自画自賛しながら両手で頬をばしんと叩き、己に喝を入れて扉の取っ手に手をかける。

 洗面所を出ると、まだ着替えの途中だったらしい肌着姿のエリーゼが目に入った。


 露出した、普段は服に遮られ見えないその肌は雪のように白く、発達しきらない控えめな胸と局部だけが肌着によって隠されている。いくらか幼さの残る身体は()も言われぬ背徳感を感じさせ、華奢な体躯と絹のような柔肌が、ある種絵画芸術にも似た(はかな)さと美しさを(たた)えていた。大腿部やブラジャーの下には、肌と同化するように竜の鱗が溶け込んでいる。

 その扇情的な美に、レンは思わず息をのんだ。


 彼女の翼がばさりとはためく。

 エリーゼの背中には白い翼が生えている。……のだが、それは左翼のみであり、右の翼は根元を残して失ってしまっている。辛うじて残っている根本の、その先端には槍か棒で突かれ千切れたかのような半円状の傷があり、彼女の片翼が先天的なものではないことを語っていた。


 こちらに振り返ったエリーゼと目が合う。

 レンは図らずも着替え中の乙女を目撃してしまったわけである。平手が飛んできてもおかしくない。


「…………」


「…………」


 ジト目のエリーゼと、ぽかんと口を開けたまま動かないレン。

 二人の間に(しば)しの沈黙が流れる。


「…………」


「……そんなに見られると着替えづらいんだけど」


 その沈黙を先に打ち破ったのは、エリーゼだった。

 服で体を隠しこそするものの、乙女がその肌を見られたことに対する羞恥心はないのか、怒ったり顔を赤らめたりする様子は見られない。その代わり、少し不快の色を宿した瞳でレンを見つめている。


「おっぱ……おっぱげた」


「は?」


「ごめんなさい」


 ドスの効いたエリーゼの声にはっと我に返り、違う意味でどぎまぎしながら謝罪するレン。

 くるりと回ってエリーゼに背を向け、再び洗面所に帰還した。



                 2



 予期せぬ事態に見舞われながらも、洗顔と着替えを済ませた二人。

 部屋の扉を施錠し、宿屋を出て大通りに出る。


 大通りは朝早くから相変わらずの活気と行き交う人々で満ち溢れており、路傍に構えられた店の主人達が今日も元気な声で集客を行っていた。

 人混みの中をするすると抜けるエリーゼに、レンは迷子にならないよう手を引かれながら歩く。


「うわっ、とと……あいてっ。……あ、すいません」


 早足で歩くエリーゼと人の波の板挟みにあい、もみくちゃにされる。すれ違う人にぶつかり足がもつれ、何度か転びかけた。


「ちょっとエリーゼさん、早い早い早い……。今日は何を買いに行くんだ?」


「果物と野菜。……あ、夜ご飯にお肉も食べたいからそれも買う」


「食べたいって、料理するの俺だよね? いや別にいいんだけどさ」


「文句ないならほら歩く。早くしないと売り切れちゃうでしょ」


 エリーゼに連れられて、レンは果物と野菜を取り扱っている屋台に着いた。

 卓の上は赤青緑と色とりどりに彩られ、果実の(かんば)しい香りが立ち込めている。


「おう嬢ちゃん、久しぶりだな! 最近ウチに来ねぇと思ってたら、なんだい男捕まえてたのかよ! ははっ、隅に置けないねぇ!」


 気前のよさそうな店主が、笑いながら話しかけてきた。


「別に、ここ最近は寄るような予定がなかっただけ。あと、()()は最近拾ったペット」


「適当ぶっこくにもほどがあるだろ」


 レンの方を見ることもなくペット扱いするエリーゼ。

 思いついたことをそのまま口にしたかのようなエリーゼの発言に、思わずレンも噛みつく。


「お、おう、ぺット……? あんちゃんも頑張れよ……?」


  店主が困惑の表情を浮かべながらレンを(いたわ)ってきた。


「あぁほら、お店の人困っちゃってるじゃん……」


「私に養われてるんだからペットと変わらないでしょ。……これとこれ。あとこれも一つください」


「君ペットに料理させてるの?」


「は、はは……。あ、そうだ。二人とも、毎度ありついでに一つお願いを聞いちゃくれねぇか?」


 レンとエリーゼのやり取りに苦笑いしていた店主は、何かを閃いた様子を見せしばらく考え込んだ後、何ぞ中身の詰まった袋を二つ差し出してきた。


「この袋をさ、向かいでパン屋やってる人に渡してきてほしいんだよ。ハンって娘なんだけどな、ほら、最近新しく店を出したあそこのさ。こっちのは嬢ちゃんらにやるからよ、な?」


 その袋の中には赤や橙色の丸い果物が入っている。これも店を営む者同士、近所付き合いの一環なのであろうか。


「わかった、渡しておく。これもありがと」


「おう、ありがとな! まいど~!」


 エリーゼは袋を受け取ると流れるようにそれをレンに渡し、また人混みの中へ歩き出した。置いて行かれまいとレンも後を追う。


「躊躇なく俺に渡してくるじゃん……」


 エリーゼへの愚痴をこぼしつつも、手を振り見送る主人に手を振り返し、レンは大通りを行く人混みを横断する。

 なるほど確かに、この混雑の中を渡ってまで他の店に行くというのは少々難しいものがあるかもしれない。その間見張り番もなしに店を空けるとなればなおさらだろう。


 袋を落とさないよう、懐に抱えながら人波をかき分け進み、青果屋の向かいにあるパン屋に到着した。店外でも仄かに漂うパンの甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 

 扉を開いて中に入ると、いっそう強くなった焼きたてのパンの香ばしい匂いに包まれた。生まれて初めて嗅ぐ芳醇な香りに、レンは軽く酩酊感を覚える。

 華やぐ店のその空気にあてられてか、店内の客も談笑に耽る姿はどこか幸せそうだ。


「えっと、エリーゼはどこだ……?」


 初の体験に若干浮足立ちながら、店内をぐるりと見渡すレン。

 レンの右側方、パンを盛りつけた皿の並ぶ卓の近くに、エリーゼはいた。細長いものや四角いもの、丸いものなど、多種多様な形のそれをじっと見つめている。


「エリーゼ? ……どうした?」


「……美味しそう」


 パンから一切目を離さずに呟くエリーゼ。

 青果屋の主人が最近開店したと言っていたし、エリーゼもここに来るのは初めてなのかもしれない。

 が、いろいろ買い過ぎて食べきれずに鮮度を落としてしまうのも悪いだろう。


「今日は果物と野菜とお肉にするんだろ? タダでもらった分もあるんだし、また今度来た時にしとけって」


「…………」


 レンはエリーゼを諫めるが、聞こえちゃいないとばかりにエリーゼは食い下がる。

 どうしたものかとレンが首を傾げていると、ふいに女性が話しかけてきた。


「いらっしゃいませ。ここは初めてかしら? ゆっくり選んでいってね」


 黒と茶のエプロンに身を包んだ、豊満な身体と長い黒髪を持った妙齢の美しい女性。

 焼きたてのパンの香りがその女性自身からふわりと漂っている。

 たおやかに笑む上品な佇まいの彼女に少し緊張しながら、レンは片手に下げた袋を差し出した。


「あっ、ど、どうも……。これ、向こうで青果店やってる人から、ハンさんに渡してくれって頼まれて来たんですけど……」


「まぁ、アルフさんが? ……ふふっ、ありがと」


 彼女は差し出された袋に驚き、やがて愛おしそうに頬を緩めた。

 一つ一つの所作に妖艶さを携えており、否が応でも女性として意識してしまう。


「ハンは私の名前よ。見たところ二人とも随分若いようだけど、どういった間柄なのかしら?」


 袋を受け取ったハンが目を細めながら訊ねてきた。


「私が主人。こっちは捨て犬」


「パン買うのに反対したからって格下げないで?」


 エリーゼが表情一つ変えずにレンの面目を潰しにかかる。

 ふざける様子が一切ないため、突拍子もないでたらめを言ってもそれなりの信憑性を持つというのが(たち)が悪い。


「ふふっ、仲がいいのね。……そうだわ。アルフさんからの贈り物を届けてくれたんですもの、せっかくだしいくつかパンを持っていってちょうだい」


 上機嫌に声を弾ませるハン。アルフというのは、青果店の店主をしていた先ほどの男性のことだろう。

 彼からの贈り物がよほど嬉しかったのか、花の咲くような笑顔に加え無料でパンをくれるサービスまでついてきた。


「……! ありがとう」


 きらきらと目を輝かせて礼を言うエリーゼ。

 言い終わるが早いか、すぐさまエリーゼは食らうべきパンの選定作業にとりかかった。


「すいません、ありがとうございます……」


「気にしないで。また今度来て、何か買っていってちょうだいね。うちのパンは全部美味しいんだから」


 頭を下げるレンに、ハンは艶麗に微笑み告げる。目尻の小さなほくろがその白い肌に映え、よりいっそう美しく感じられた。

 顔に集まる熱を感じながら、高鳴る心臓をどうにかこうにか抑えつける。

 そのまま、パンを四つほど入れた袋を手に下げ満足げに鼻を鳴らすエリーゼに手を引かれ、レンはその店を後にした。


「めっちゃくちゃ美人だった……」


 街を進みながら、レンは夢見心地に独り言ちる。

 先ほど出会ったパン屋の店員の、ハンという女性を思い出しながらだらしなく頬を緩める様は、傍から見れば不審者のそれだろう。


 現に、人混みを歩いているにもかかわらず、やけに周囲との距離を感じる。

 しかし、そんなことは些細な問題だ。考えなければいいのだから。

 現実を見なければ人生は往々にして幸せなもんである。


「どうしよう、変な顔になってなかったかな?」


「気持ち悪い……」


 乙女さながらに頬に手を当て体をくねらせるレンを、エリーゼは身を引きながら唾棄する。


「ふっ……君にはまだわからないか、エリーゼくん……」


 くねらせる動きをぴたりと止め、唐突に気障ったらしい台詞を吐くレン。どこか遠くを見るように目を細め、レンはエリーゼを見つめた。


「——でも、今はまだそれでいいさ」


「おぞましい」


「ちょっとちょけただけじゃん……」


 不快感を隠そうともせずに吐き捨てるエリーゼに、レンはがっくりと肩を落とした。

 一切の忖度がない彼女の物言いは、レンには少しばかり心臓に悪い。


 しばらく歩き、レン達は宿屋に到着した。

 袋に入った果実やパンの荷物を置き、椅子に座り小休憩をとる。隣にもエリーゼが座った。


 がさごそと袋をまさぐり、パンの香りを吸入摂取したエリーゼは、いつもの冷静然とした面持ちはどこへやら、今やだらしなく顔を蕩けさせていた。


「ちょっとエリーゼさん、あなた人のこと言えないくらい顔だらけちゃってますよ?」


「すー……はー……」


「聞いちゃいねぇ……」


 心ここに在らずとなったエリーゼのことは諦め、背もたれに体を預けて脱力するレン。

 こちらもこちらで油断するとハンを思い出しにやけそうになるので、脱力しながらも表情はきりりと保つ器用な真似をしていた。


「……あ、肉買い忘れたな」


「パンがあるからいい」


「あ、そう……」


 失態をこぼすレンにノータイムでエリーゼが告げる。

 エリーゼは完全にパンの虜になってしまったようだ。

 この様子だと彼女の幸せ成分の摂取は終わりそうにないので、それに乗じてレンも休ませてもらうことにする。


 ――男女二人きり、ひとつ屋根の下。

 片や椅子にもたれかかり凛とした表情で天井を見上げる不審者と、片や狂ったようにパンの香りを嗅ぎ続ける竜人の少女。

 大通りから漏れてくる喧騒と少女の鼻を鳴らす音だけが、室内に静かに響いていた。

 メモ書きに使用していた文を消し忘れたまま投稿してしまったため、編集で修正しました。めちゃくちゃ恥ずかしいですごめんなさい。

 本文には一切影響ありません。

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