王都の隣街
赤子の頃からずっと暮らし育ってきた村を出て、東に位置する大きな街へと歩を進める。
背後の山、レン達が去った後の村では、今も地獄が無残に広がっているのだろう。
恩人の死も、それに対する悲しみも今は胸にしまい込み、長い道をひた歩く。
山を下り、街に着くまでの道すがら、レンは隣を歩く少女にいくつか気になったことを訊ねてみた。
「……なぁ、エリーゼ。いくつか訊きたいことがあるんだけど、ちょっといいか?」
「……なに?」
こちらには振り向かず、まっすぐ前を見据えたままに答えるエリーゼ。歩を緩める素振りは見せず、せっせかせっせかと早歩きで進んでいく。
「その、助けてくれた時、空から落ちてきたように見えたんだけどさ……あの時、どうやって来たんだ?」
エリーゼが魔物の頭を一刺しにした時、あの閃光は上空からやってきた。姿こそ捉える事はできなかったものの、彼女は確かに空から降ってきたはずなのだ。人の姿で空を飛ぶなど、それこそかつて聞いた竜人であるとしか——、
「空飛んできた。翼あるでしょ。私、竜人だから飛べるの。……疲れるからあんまりやりたくないけど」
思わず口を噤んだ。伝説上の生物だと思っていた存在に、よもや命を救われることになるとは。翼もあるいは衣装なのではと思っていたが、どうやら自前のものらしい。
「…………」
「……なに? 名前と一緒に言ってたでしょ」
横目でじろりと睨まれる。顔こそ無感情に見えるが、その声音には若干の不満が込められていた。
「いや、あの状況だったしてっきり聞き間違いでもしたのかなと……。てか竜人って実在したんだな……お伽話だとばっかり思ってたけど、竜人って結構いるもんなのか?」
「私以外の竜人はほとんど見たことない。多分、レキュム全体を見渡しても十人もいないと思う」
「なるほどなぁ……」
伝説上の生物だと思っていた存在は、少数ではあるがどうやら実在していたらしい。驚愕の新事実とかつての老婆を信じなかった申し訳なさで、レンは何もわかっていなさそうな返事をすることしかできなかった。
「……もう質問はない?」
話がないなら急ぐぞと言わんばかりにこちらを見やるエリーゼ。だが、レンにはもう一つだけ、聞いておかねばならないことがある。それは——、
「俺たちを襲ったあの怪物は、一体何なんだ……?」
突如として現れ、村を襲い、日常を破壊し命を奪った。虐殺の限りを尽くしたあの戮殺者は、一体何者なのか。理解を許さぬあの姿形と、底知れぬ悪意を持った残虐性は、まともな生物のそれではなかった。
口に出し、足を止めるレン。次いでエリーゼも足を止め、こちらに振り向き言った。
「あれは『|魔物≪まもの≫』。——私たち『魔物狩り』が狩る化け物よ」
「狩るって、なんでそんな危ないこと……」
「危険だからこそでしょ。魔物の襲撃なんて、そう珍しいものじゃないもの。……特に、最近は魔物の出現報告も増えてきてるし」
「あんな化け物がうじゃうじゃいるってのか……!?」
魔物一体であの惨劇が繰り広げられたのだ。それが複数体、それも人が多く集まる都市や街に現れでもすれば、一夜で滅んでもおかしくない。
ありうる地獄を想像して、身震いする。
「人間だってただ黙って殺されてるわけじゃない。人間じゃ魔物に太刀打ちできないけど、私たち竜人なら奴らに勝てる。私は竜騎隊に所属してないから公的な魔物狩りじゃないけど、魔物狩りのおかげで被害は大きくならずに済んでるの」
「竜騎隊ってのが何なのかも気になるけど、お前ら竜人っていったい……」
人間を一方的に屠る魔物と、それすらも凌駕する竜人。
これまで生きてきた世界の常識が丸ごとひっくり返ったような感覚に、レンは頭痛を覚えた。
「詳しいことはわからないけれど、私たち竜人が現れ始めたのは古い時代に起きた竜と人類の大戦後みたい。前に聞いたことがあるわ。……聞いただけだし、本当にそんな戦争があったのかどうかも知らないんだけど」
「あぁ、大戦の話は俺も聞いたことがあるな。お伽話だとばっかり思ってたが……竜人が実在するとなると、大戦があったってのもあながち嘘じゃないのかもな」
話が逸れてしまった。魔物についての話がいつのまにやら竜人の話題になっている。「で、」と前置きしてから、レンは話を本題に戻した。
「その魔物の生態についてわかっていることは何もないのか?」
「魔物がどんな生き物なのか、そもそも奴らは生き物なのか、生き物じゃないとすれば何なのか。そういうことは何もわかってない。でも——」
一瞬言い淀み、エリーゼが足を止める。
「私たちと同時期に現れたと言い伝えられてる、魔物を従える『魔族』……。そいつらが魔物の上位にいるのは間違いない」
「魔族? ってなんだそりゃ——」
言いながら、気づく。
とつとつと語るエリーゼの顔が強張り、拳は固く握り込まれている。もとより白い肌が圧迫されたことでさらに白さを増し、小さな手はふるふると細かく震えていた。
——あまり、深追いするべき話題ではないのかもしれない。
「あ、あぁ……。この話はいい。ごめんな」
「……別に」
エリーゼにふいっ、とそっぽを向かれてしまった。
聞いておきたいのは山々だが、無理に話をさせるのも酷だろう。エリーゼと魔族とやらの間に何らかの因縁があることはわかった。
どの道、奴ら魔物の詳細を知ったところで、レンの抱く感情の何かが変わるわけもないのだ。
——あれの在り方を理解する気も、許容するつもりもない。
が、それはひとまず後回しでいい。
「——ところで、今向かってる街について俺全然知らないんだけど……。ちょっと説明してもらえませんかね」
不意にエリーゼが足を止め、驚きと軽蔑の入り混じった視線を向けてきた。冷ややかな目がレンに突き刺さる。
「驚いた……。今まで何をしてきたの?」
「……あれ、そこまで? そこまで直接的に傷つけちゃう?」
視線に込められる軽蔑の色が強くなった。
話題転換と実際に抱えている問題を一挙に解消できる妙手だと思ったのだが、ひょっとすると悪手だったのかもしれない。精神にのしかかる負担的に。
「はぁ……。『レキュム王国』王都の隣街、『ルイス』。建国の英雄が生まれた街よ」
エリーゼはこれ見よがしにため息をついた後、再度前方に歩き出し教えてくれた。
「あぁ~……そんな名前だった気もするな」
「今まで何をしてきたの?」
「ごめんね? 無知でごめんね?」
……やはり悪手だったかもしれない。
苦笑し、エリーゼの後を追い歩き出す。
以降、レン達は黙って街までの道を歩き続けた。
2
四時間ほど歩き通し、二人はようやく街に辿り着いた。
酷使した両足は鉛のように重く、疲労しきった頭にはただぼんやりとした酩酊に近い感覚が浮かんでいる。
半ば呆けた状態で門をくぐり、疲労困憊然と顔を上げたレンはしかし、眼前の光景に目を見張り声を失った。
——初めて訪れた、村の外にある街の光景は、とても壮観なものだった。
レンガ造りの家が建ち並び、人で溢れ返した大通りではそこかしこで物の売り買いが行われている。談笑に興じながら大通りを歩く二人組、活気のある声で客を呼び込む恰幅のいい男、両親に手を引かれ楽しそうにはしゃぐ子ども……。
各々が各々の思うように動き、その末に圧倒的な喧騒と|殷賑≪いんしん≫が生み出されていた。
「ちょっと、ここで止まってちゃ邪魔になるでしょ」
往来で立ち尽くすレンの背中をエリーゼが押す。
「お、おぉ、悪い……。ありがとう、色々と助かった。じゃあ、ここで——」
「え、一緒に来るんじゃないの?」
「え?」
呆けるレンに対し、エリーゼが続ける。
「だってレン、この街に来るの初めてなんでしょ? 当てになるような場所もお金もないだろうし……そんな状態で私と別れて、何かできるの?」
「……確かに。でも、」
街の活気に浮かされていたのか|気圧≪けお≫されていたのか、いずれにせよ浅慮が過ぎたかもしれない。
あまり世話になるのも悪いと思って解散を提案したのだが、確かに今のレンにできることなどたかが知れている。せいぜい路傍で蹲って情けを恵んでもらうのが関の山だろう。
「私が泊まってる宿屋があるから、しばらくはそこで生活していいよ。養うにしても私の部屋で一緒に住むなら費用も変わらないし……変なことしたら殺すけど」
「いやしないから……。けど、悪い。世話になる」
エリーゼが住んでいる宿屋に向かうとのことで、街の中ではぐれないように手を引かれ、連れられて歩く。
やはりと言うべきか、街の話題はレンの暮らしていた村に出た魔物の話で持ち切りだった。どこを歩いていても、誰かしらは魔物について話している。
「奥さん、昨日の夜、向こうの山で魔物が出たって話聞いたかい? なんでも襲われた人達がこの街まで逃げてきたんだってよぉ。おっかない世の中になったもんだよなぁ」
「最近は物騒になったわねぇ……。これじゃ不安でおちおち夜も眠れないじゃない」
「竜騎隊がなんとかしてくれるのを祈るしかないなぁ……」
道で話す商人とその客の、会話の内容が耳に入る。
——昨夜の、あの悪夢が脳裏をよぎる。
尽きせぬ憎悪と破壊衝動のままに、目に映るもの全てを殺して殺して殺して殺して殺して——。
そうして蹂躙の快感を咀嚼した怪物は、陰惨に、醜悪に、残酷に哂っていたのだ。
もし、あの時レンが行動を起こせていたなら、それで誰かの命を救えていたのだろうか。
もし、レンがゴウとモウの代わりに死んでいたなら、彼らは今頃生きていたのだろうか。
もし、誰かを助ける力があったら。もし、あの時動く勇気を持っていたら。
——何か、変わっていたのだろうか。
恐怖を言い訳にして、臆病を盾にして。そうして傍観を続けたレンに残ったものは、空っぽになった自分と後悔と虚無感だけだった。
「——ン、レン? ……聞こえてる? 宿屋、着いたよ」
「っ! ……悪い、ちょっとぼうっとしてた」
不意にエリーゼに呼ばれ、顔を上にはじく。見れば、レン達は件の宿屋の前に到着していた。
周囲の建物と比べやや古さは目立つものの、特に寂れた様子はない。無駄のない外装と整った雰囲気が印象的な宿屋だった。
「……部屋に入ったら休んだ方がいいよ。色々疲れてるだろうし」
「そう、させてもらう……」
過ぎたことは仕方ない、気にするな。
かつてゴウとモウは誰かの失敗を慰める時、決まってこう言っていた。
——だとするならば、もしかするとあの二人はレンのことを笑って許してくれるのではないか。
ある種の自己擁護とも言える、そんな淡い願望を胸に、レンはエリーゼの後を追い宿屋へ入っていった。




