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竜とつづら  作者: 夢見卵
第一章
3/5

崩壊した日常

「なんだ、これ……!?」


 松明から引火でもしたのか、燃えやすい素材でできた家からは燃え盛る火の手が上がり、黒い煙が夜空めがけて立ち(のぼ)っている。周囲をその火が明るく照らし、避難の指揮を執る者、悲鳴を上げながら走り出す者、何をすればいいのかわからずに狼狽える者、それぞれの姿がはっきりと見えた。


 だが、その時レンの目を奪っていたのは、()()()()()()()()ではなかった。

 ——村の者が逃げてくる方向、その先で、黒くて大きな何かが、暴れまわっていた。


 煌々と揺らめく炎、その赤にはっきりと照らされてなお、そいつの姿を把握することは叶わなかった。

 (おぼろ)()で見えないのではない。理解の範疇を超えているのだ。


 二足で立つその『未知』は、どす黒い体色に、レンの三倍はゆうに超える巨体を持っていた。ニルの比ではない、あれは家と同等かそれ以上に大きい。体皮の質感にも強烈な違和感を覚えた。炎に照らされてはいるが、その表面は皮膚とも毛とも甲殻ともつかず、まるで(もや)がかったように、曖昧に外部に溶け込んでいる。

 靄の中から二本生えている、恐らくは腕にあたるであろうその部位は触手のように蠢き、同じく靄に包まれた顔の中では、二つの赤い目のようなものが怪しく光を放っている。ぱかりと開かれた口腔には、無数の歯が所狭しとひしめいていた。


 どう見ても人間や獣の類ではない。自分の幻覚を疑ったほうがよっぽど建設的に思えるが、村の惨状からしてその線もないだろう。あれは間違いなく、あそこに実在している。

 未知に抱く恐怖は、既知に対するそれよりもなお深い。


「————ッ!!」


 怪物が吼える。理解を超えた常外の存在に、レンは完全に固まってしまっていた。


「こんなデカブツ見たことねぇぞ、おい……! 俺たちでどうにかできんのかよぉ!?」


「バカ野郎! 囲んで叩け! 数で押すぞ数で!」

 

 叱咤激励、自己鼓舞の発破を掛け、怪物に村の男達が束になって立ち向かう。

 化け物一匹に対し、筋骨隆々の男達が二十と数人、徒党を組んで抑え込みにかかる構図。しかし、その絶望的な体格差は、絶対的な蹂躙以外生み出し得ない。事実、怪物が腕を一振り薙いだだけで、男達はまとめて蹴散らかされてしまった。


 倒れこみ、しかしすぐさま立ち上がり、再度怪物へと突進していく男達。既に数回繰り返して、彼我の戦力差はとうに理解しているはずだ。何故、逃げる姿勢はおろか、怯む素振りも見せずに立ち向かうのか。


「俺たちが時間を稼ぐ間に、早く!」


「あっちだ! 早く女は逃げろっ!」


「早く! 急げ! とにかく走れ!」


 男が総出で怪物に立ち向かい、その隙に村の女を逃がす。蛮勇とも言える無謀な突撃は、自己犠牲を厭わない、決死の覚悟の上で成り立っていた。


「…………」


 彼らはレンのことを嫌っているし、無論レンも彼らを嫌っている。しかし今怪物に立ち向かっている男達には、確かな団結と信念があった。


 いかに日頃の行いが非情で酷薄なものであったとしても、彼らにも命が宿っているのだ。

 目の前の光景にそれを再認識させられたようで、レンは口を噤んだ。


「何やってんだレン! ぼさっと突っ立ってねぇでてめぇも手伝いやがれ!」


 吹き飛ばされ、受け身を取ったニルがこちらを睨み、怒鳴る。レンが加勢したところで事態が好転することなどありえないことは、ニルとて理解しているはずだ。それでも参加を強制するのは、唐突に放り込まれたこの現状への焦りの表れであったのかもしれない。


「何言ってんだ! レン一人が加わったところで何が変わる!? あいつも村の女と一緒に逃がすべきだ!」


「レン! お前も早くあっちに走れ! 街の方角、東だ! 俺たちはいい! 走れっ!!」


「ぇ、あ——」


 ゴウさんとモウさんがニルに対し反対の声を上げた。

 もっともな意見だ。大の男が十数人、束になって挑み、その状態で拮抗すらできていない。弄ばれているかのような状況にレンが加わったところで、一体何ができるというのか。

 それをレン自身よく理解しているはずなのに、二人の発言は優しさ以外の何物でもないはずなのに、役立たずの烙印を押されたような気がして、どこかチクリとした痛みを覚えた。


 三人はそれ以上の会話をすることはなく、またすぐに奴に向かって突撃していった。

 本来であればレンも村の女達についていくべきだろう。今から向かってもまだ追いつける距離のはずだ。

 しかし、レンの足が後ろを向くことはなく。重ねて言えば、その場を動くことすらなかった。


 ——どうする、どうすればいい? 何をするべきだ? いや、今すぐに逃げるべきなのはわかっている。今すぐ後ろを向いて、走り出せ。……ゴウやモウを置いて? あの二人が命を懸けて戦っているのに自分は逃げるのか? 見殺しにするのか? そんなことできるはずがない。……ならば一緒に戦うべきか? しかしそうしたところで何ができる? 自分より遥かに屈強な男達が束になっても勝てないような怪物に立ち向かって、いったい何が?


 考えれば考えるほど、迷いは深まっていくばかりで。迷えば迷うほど、答えは出せず遠のいて。

 そうしていつまでも逡巡を続けるレンを、世界はそう長く待ってはくれなかった。


「————ッ!!」


 異形が空を仰ぎ、呻き声と金切り声の混じったような声を上げた。

 つんざくような嬌声に村の男達が動揺し、一瞬だけその動きが止まる。


 ——事態が動いたのは、その一瞬。

 一秒にも満たないその僅かな隙を、怪物は見逃さなかった。


「うおおおおお!?」


 怪物が二本の腕を鞭のようにしならせ、ゴウとモウを巻き取り持ち上げる。叫ぶ双子と、突然の出来事に動けない男達。

 ——奴が口をぱかりと大きく開けたときには、何をしようとしているのかの予想などできていなかった。


「なん、だ……っ! くそっ!」


「離せ、離せっ!」


 二人の抵抗を全く意に介さず、開けた口を上に向け、その延長線上に腕を持ち上げる。抵抗の声も、それに応じてだんだんと遠くなっていった。上空から地上を見下ろす形になった二人の目には、一体、どんな光景が映っていたのだろうか。


 瞬間、触手じみた腕の拘束が解けた。

 ——大きく開けた、無数の歯が並ぶ口の上で、触手の束縛が解かれたのだ。

 直後に何が起こるのかは、想像に難くなかった。


「ぉ、ああああああああああ!!」


 上空から聞こえてくる叫び声が、次第に大きく、近くなる。

 レンは呆然と立ち尽くしながら、それをただ眺めていた。


 落下するゴウとモウ。その二人と、レンの視線が重なる。

 叫ぶ彼らの目は、恐怖と絶望に染まりきっていて。


「あああああああああああああ————ぁ」


 音を立てて怪物の口が閉じられる。同時、落下していた二人の悲鳴がぶつりと途切れた。

 咀嚼のたびに、ごりごりと何かを擦り潰すような不快な音が辺りに響く。

 レンも、村の男達も、愕然とした表情でただ立ち尽くすしかなかった。


 やがて咀嚼を終え、口内の()()を嚥下した異形がゆっくりと振り向く。


 舐るような視線を向けられ、数人から「ひっ」と盛れた悲鳴が聞こえた。

 男達には、もうあの怪物に立ち向かう気力など、あろうはずもない。


 この瞬間、抵抗する機会を、彼らは永遠に失った。



                 2



 これまでの蹂躙が児戯に等しかったと思えるほどに、それは一方的な殺戮だった。

 ある者は双子と同じように呑みこまれ、またある者は、上空に放り投げられ、落下の衝撃で果実のように砕け散った。片目に傷を負った、一際身体の大きかった男は、二本の腕で捻じ切られその肉体を上下に別たれた。


 ——呑まれ、喰われ、踏まれ、潰され、絞められ、裂かれ。

 圧倒的な力によってもたらされる破壊は、赤子の手をひねるように、遊戯に飽きた子どもが無邪気に玩具を壊すように、無慈悲に無作為に容易く命を奪っていった。


「あ、あぁ……」


 腰が抜け、体を支えることができずに地面にへたり込む。

 日常が崩壊し、地獄へと変貌する様を、レンはただ、何もできずに眺めていることしかできなかった。逃げることも、戦うことも、目を離すこともできずに。


 地獄のような殺戮が繰り広げられ、もはや悲鳴を上げる者は誰一人としていなくなった。

 濃密な死の香りに満たされた空間の中心で、殺戮を終えた悪魔が緩慢な動きでこちらに振り返る。

 開けた口から見える誰のものとも知れない肉片と、だらだらと垂れ落ちる血が、戮殺者のおぞましさを加速させていた。

 怪物が一歩、ゆっくりとこちらに足を踏み出す。


「やめろ……。く、来るな……」


 腰が抜けその場にへたり込んだレンは、ゆるゆると首を横に振り、(あと)退(ずさ)ることしかできない。

 ——火に煌々と照らされながら、静かに、されど確かに、怪物が(わら)った。


 ゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。

 獲物が怯える様子を楽しむために、あえてすぐには殺さずに、(なぶ)り苦しませ弱らせる……そう企むような速度で、じりじりとこちらとの距離を縮めてきていた。


 その追いかけっこも長くは続かない。気づけば、戮殺者はもう既にすぐそこまで迫っていた。汗が滝のように流れているのに体はがくがくと震え、がちがちと歯が鳴っている。早鳴りする心臓が、痛いくらいに大きく脈打つ。


 ゆらり怪物の腕が上がり、こちらに向かって伸びてくる。

 ——あぁ、死ぬ。脳内でそう結論づけた時、直前まで抱いていたはずの恐怖は不思議となくて。

ただ、諦念と虚無感と喪失感に満たされた心が、ひどく静かに波打っていた。

 死ねる、と。そう、レンが一瞬思ったのは、あるいは安堵に包まれていたからなのかもしれない。


 その時、怪物の頭上、黒に覆われた空で、ふと何かが煌めいたような気がした。


 ——刹那、上空から走った一筋の閃光が、奴に向かって降り落ちた。

 一拍遅れて、とてつもない衝撃と突風が辺りを襲う。


「おぁっ、あだっ、いでっ、ぐぇっ!?」


 レンはたまらず吹き飛び、ごろんごろんと二転三転後ろに転がる。

 飛び散った石や土に打たれ、瞬間的な痛痒に苦鳴が漏れた。


 衝撃と風が去り、しばらくして土煙も落ち着きを見せ始める。咳払いしつつも、ようやく視界を確保できる状態になったことを確認した。

 燃え盛っていた炎も衝撃で吹き飛んだのか、燻る煙を残して姿を消していた。


「何が、起こって……あいつは……!?」


 煙幕が引き、戮殺者の姿を探す。

 見やれば、そこにいたのは、先ほどまでのあのおぞましい姿をした化け物ではなかった。


 正しく言えば、確かにそれもいた。仰向けに倒れ伏し、潰れた姿で、だが。

 レンが捉えたのは、その怪物に突き刺さった赤い剣を、それをしてのけた張本人であろう少女が引き抜くところだった。


「……怪我はない?」


 少女が顔を上げ、凛と澄んだ、しかし無感情に抑えた声でこちらの安否を問うた。


 白い服に身を包む、清流のようにさらさらと流れる長い白髪と、宝石を思わせる赫眼が特徴的な、雪のような白肌の美少女だった。——背中には、純白の翼が生えている。

 命を救われた、とみていいのだろうか。


「お、前は…………?」


 情報の処理に脳が追い付かない。

 しかし窮地を救われたとて、突如上空から降ってきた正体不明の人物。相手が少女といえども、警戒するなというのが無理な話だ。


「……怪我はなさそうね」


 一人で納得したのであろう彼女は、小さく嘆息した後、儚く美しい声で名乗った。


「私はエリーゼ。『()(もの)()り』の竜人よ」


「エリーゼ……竜、人……」


 ——目の前まで差し迫っていた危機的状況が追い払われたことで、ふと、先ほどまでの惨状が思い起こされる。

 突如現れた怪物に抵抗することもできぬまま、喰われ、潰され、殺され。

 飛び散る血と悲鳴、恐怖と苦悶の表情のまま迎えた皆の最期が、鮮明な映像のまま脳裏に焼きつき繰り返し再生された。


「——ぅ、ぶぇ」


 強烈な吐き気に襲われ、思わずその場で吐き出す。


 地面にまき散らされた吐瀉物の中には、ゴウさんとモウさんがレンに分けてくれた、あの肉と果実が混じっていて。

 それを理解した瞬間、レンの目からボロボロと涙が溢れだした。


 救えなかった。立ち向かえなかった。せめて一緒に、死ぬことすらもできなかった。

 一人ぼっちだったレンをあれだけ支えてくれた二人を、かけがえのない存在であった二人を。何の恩返しもできないままに死なせてしまった。


 家族以上に家族だった心優しい双子の死が、今のレンにはあまりにも大きすぎて。


「ごめん、ゴウさん、モウさん……っ! ごめん、ごめん……っ!!」


 嘔吐いていたはずの声はいつの間にか、謝罪と嗚咽混じりの慟哭に変わっていた。



                 3



「……落ち着いた?」


「……うん。ありがとう……」


 傍に座って、ずっと背中をさすってくれていたエリーゼに礼を言う。おかげでレンも幾分落ち着きを取り戻すことができた。


 あれからどれだけ時間が経ったのかは泣きじゃくっていたためわからないが、空を見れば大分明るさが見え始めており、日の出は近いように思えた。恐らくは未明あたりだろうか。


「そういえば、名前」


「え?」


 エリーゼが短く、質問を投げかけてきた。


「名前、聞いてなかったでしょ」


「あ、あぁ……。俺はレン。さっきは助けてくれてありがとう。おかげで……生きてる」


 ()()()()()。重々しく呟いたその言葉にどんな感情が込められているのかは、レン自身にもわからない。


「ん。レン、わかった。私はこの後東に向かうけど、レンはどうする?」


「東って……街か?」


 エリーゼが頷く。女性達は山を下りて、その街へと逃げたはずだ。その街以外に、徒歩で移動できるような距離の場所はない。どのみち、レンもこの山で生活などできはしないだろう。


「俺も、ついていきたい」


「ん、わかった」


 暗がりの残る西の空を背に、夜明けの光が昇り始めた東の街へ向けて歩き出し、レン達は山を後にした。

とりあえず大きな山場くんです。

一応の書き溜めも少しはあるのでぼちぼち上げていきます。

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