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心の中の声

作者: drink

「お探しの商品はこちらですか?」



 女性店員が僕の視界の端から差し出した手にはメモ帳が握られていた。探していたものだ。


 できる限り穏和そうな笑いを浮かべて、お辞儀をした。店員は柔らかな笑みを返すと隣の陳列棚へ戻っていき、大量にダンボールへ詰め込まれたボールペンを丁寧に並べていった。あれだけ詰め込まれたものは一体何日で空っぽになるのだろうか。


 この時、僕は内心ぎょっとしていた。このメモ帳は1袋2、3個も入っている割に安価なので好んで使っている。しかし、いかんせんこのスーパーに来たのは初めてである。それにも関わらずあの店員はちょっと長めに文房具コーナーで商品を眺めていただけでピタリと欲しいものを当ててみせたのだ。


 僕は受け取ったメモ帳をカゴに入れ、レジへ向かうついでに横目で店員をちらりと見る。随分若い女性店員だ。胸元に研修生と書かれた札を着けているのでアルバイトの子なのだろう。


 今どきらしい黒の間を縫うグレーメッシュの髪型を、申し訳程度の髪止めで一纏めにしている。カラコンにつけ爪、店員としては些か、いやかなり派手である。いかにも大学生を謳歌していそうな身なりだった。


 しかし大した興味がある訳でもなく、このまま僕は彼女の横を通り過ぎてレジへ向かった。何となくだが、またこのスーパーに来てみようか。





 あの女性店員との出来事が、あの時の表情が今でも忘れられない。たかが、買い物の最中に起きた一幕である。


 残念ながら僕はこの気持ちを口に出して伝えることができない。やはり社会人になって一人暮らしを初めてから、学生時代にはなかった特有の孤独感故だろう。その事がどうしようもなく寂しかった。





 数日後の夕方、痺れを切らして、僕はふらっとまたスーパーにやって来た。特にこれといって買いたいものがある訳では無い。強いて言えば、いつも携帯しているボールペンのインクが切れたからその補充をしようか。


 そんなことを心の中で言い聞かせながら、頭の中では彼女のことを探していた。


 アルバイトであろう彼女は今日この時間に来ているのかすら分からない。若干重い足取りでスーパーの中へ入った。


 食品コーナーの冷気に身震いしながら、商品を陳列している店員の顔をしきりに見て回った。


 僕は今商品ではなく、人を求めてスーパーへ来ている。他人から見たら実に不愉快な光景に違いない。事実、おばさん店員と目が合ったとき、物凄く疎ましい顔をされた。



 お前じゃないから安心しろ、と言ってやりたかった。言えないけど……



「いらっしゃいませ」



 丁度、文房具コーナーへと差し掛かったとき、探し求めていた声が聞こえた。若い女性特有の鈴を振ったかのような声が背後から聞こえた。


 いつぞやのように驚いて、僕は勢いよく振り返った。そこにはあの日出会ったアルバイトの子がいた。彼女はまた僕に尋ねることなく言った。



「買い物が終わりましたら、少し入口の方で待っててください。もう少しでバイトが終わるので、この後一緒にお話しませんか?」



 その言葉は僕にしか聞こえなくて、それがどうしようもなく嬉しかった。





 僕は約束通りバイト終わりの彼女と落ち合い、近くのカフェに向かった。


 暖色系に包まれた空間には僕と彼女、そして今にも寝てしまいそうなほど目を細めたマスターだけである。マスターは2人にブレンドコーヒーとケーキを置いていくと、カウンターの奥へいそいそを身を潜めた。客がいるにも関わらず無関心と言った感じだ。


 彼女は手際よく角砂糖を1個つまんでコーヒーに加えかき混ぜていく。鼻の前でカップを揺らし、一口飲んだ。その姿はどこか大人の色気たるものが溢れていた。



「私はね、子供の頃から不思議な力があるの」



 彼女はいきなりそんなことを呟いた。



「近くにいる人の心の中が透けるように見えてしまう」



 彼女はカップの中でスプーンを遊ばせる。もう、先程の角砂糖は完全にコーヒーへと溶け込んでしまった。


 僕は彼女の話にどこか納得した。



「もちろん、あなたのことも」



 うっとりとした表情で首を傾けて、僕のことを見据えている。彼女の言葉に思わずドキッとしてしまった。


 殺人的な魅力が僕の核心に迫る。


 コーヒーを一口飲み込んだ。苦味が香ばしさをより一層引き立てる。自然と背筋が伸びた。



「ねぇ、私たち付き合わない?」



 夜、ポツリとオレンジに照らされた彼女は朗らかに笑った。




 こうして、僕と彼女の不思議な関係は始まった。



 付き合っている、と一口に言っても甘々な思春期よろしくの間柄ではない。ただ週に数回、彼女とカフェに寄るだけの関係性である。僕はコーヒーを嗜みながら彼女の一方通行の話を聴き、時々頷いたり笑ったりする。


 だが、そんな彼女との関係が嬉しかった。彼女と出会ってから、僕は生まれてはじめて心からの会話をしたように思う。今まで言葉にする事の出来なかった想いを他でもない彼女にのみ伝えられる。そして、彼女は親身になって聴いてくれた。僕と彼女にしか分からない関係が僕達の間にはある。



 僕は彼女の話を聴きながら、コーヒーをすすった。





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