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バイクを乗り換える

作者: Yuki_Mar12

 夏が過ぎ、だんだんと空気が涼しくなってきて、行楽に適した時期がやってきたようだ。薄くたなびく雲のある青空の下、神社仏閣を始めとする観光スポットに、近場にせよ、遠方にせよ、足を運ぶのは、さぞ爽快なことだろうと思う。


 さて筆者はバイクに乗っている。普通自動二輪免許しか持っていないいわば"ミドル級"である。かつては125ccのものに乗っていたが、今年、元号が更新される頃くらいに250ccに乗り換えた。自分にその意図はなかったが、結果として、排気量のステップアップをすることになった。


 ちょうと倍の排気量のバイクに跨って、そのごつさにまず驚嘆したものだ。セパハンの、ビギナー向けのスポーツバイクで、ハンドルがそれなりに遠く、低く、姿勢が前のアップハンのバイクと比べると、ちょっぴりきつい。だが、それが何とも言えず愉快だった。目新しい、ブランニューな感覚が芽生えたのである。


 エンジンに点火し、動かしてみると、その動力性能にまた驚嘆する。やはり125cc二台分の排気量は凄かった――まぁ今となっては、その当時の自分にとっては、と注記しなければいけないのだが。


 何はともあれ、その250ccのスポーツバイクで、筆者はほとんど毎日あちこち走り回った。最初は山手の方にツーリングに行き、そしてしばらくすると、通勤でも使うようになった。

 このバイクは自分にとっていわば羽の生えた靴のようなものだった。ほんとうに移動を軽快にしてくれて、楽しいだけでなく、助かった。


 しかしそのバイクにも、お別れを告げることになる。そう、筆者は乗り換えを決意したのだ。さんざん迷い、懊悩したあげく、同じようなタイプの、しかし排気量が400ccのバイクを行きつけのバイク屋で見つけ、購入を相談し、実際にその手続きを済ませた。内心では葛藤があったことは否めない。降りるべきではない、乗り続けるべきだ、400ccなんてハンパだ、どうせ高速道路に乗ることなんて少ないのだ、などという声が心の洞窟に静かに響いていた。

だが、結局欲望とか興味とかいうものが強かった。優勢だった。筆者は節度があまり養われていなかった。20代後半という年齢で、浪費、遊蕩はまだ、許されるのだろうか。125ccが新車で買えるくらいの額のローンを組んで購入した。昼のことだった。


 夜、降りることになったそのバイクに、ちょっとしたうたた寝の後、跨る。寒い夜だったので、インナージャケットをウインドブレーカーの下に着こんだ。


 そして近々無縁となるバイク――否、愛機を走らせる。そうなのだ。筆者にとってそのバイクは、愛すべきものであり、相棒であり、恋人、同然の存在だった。メタリックな赤がバラのようで美しいその女性的な雰囲気のあるバイクが、筆者は好きだった。だったではない。今も好きだ。


 降りることになったという事実は、その決意は、筆者にある変化を萌させた。

 かれこれ半年間乗りまくったそのバイクであるが、その排気音や、ハンドルを握った時の感触や、ライディングポジションが、初めて乗った時ほどではなく、ちょっと褪せたような感じで、再び新鮮な味わいを持って自分の感覚に語りかけてきたのだ。


 正直、涙が出そうになった。そして悔やんだ。どうして乗り換えなどすることを決めてしまったのだろう。このバイクはこんなに健気で、愛らしく、いじらしいのに。センチメンタルを抑えきれなかった。


 便利なだけであれば、愛着はわかなかっただろう。立ちごけの傷がずっとひどければ、醜いと思ってさっさと見放したかも知れない。小傷はたくさんある。


 だが、筆者はとても深い愛着を自分のバイクに持っていた。これは125ccのバイクにはなかったものだ。しかしその有無は排気量によるのではない。ほんとうに、合縁奇縁というほかない。あの125ccには縁がなかった。だがこの250ccにはあった。それだけのことだ。


 バイクはマシンだ。情をかけるのはきっと愚かなことに違いない。マシンは笑わないし泣かない。ライダーが不注意でこかしたところで、痛がりも喚きもしないし、血を流したりもしない。


 だが、告白してしまえば、筆者は乗り換えに関しては、間違いを犯したと思ってはいない。自分の決意は必然で、恐らく必要で、仕方のないことなのだ。と、そういう風に思う。


 だが、未練を断ち切ることは出来そうにない。

 頭を悩ませるのだが、このバイクに対して、何か自分のその未練を断ち切るための方法はないものだろうか。このバイクに対して円満にさようならを言えるための儀式的なことはないものだろうか。

 注記しておくが、その250ccを残して二台持つということは自分には、主に経済的な理由で出来ない。


 このバイクの声がぜがひでも聴きたい。


「ねぇ、降りることになったんだ」


 そう語りかけるとして、このバイクは、仮に声を持っているとすれば、果たしてどういう返答をよこすのだろうか。


 そんなことを考えて、今日もまた、こいつに跨る。そして妙に鮮やかなフィーリングを覚えて胸を打たれる。


 新しいバイクとの想像。そしてこのバイクとの思い出。その対比を左右に見て、筆者は、微かに眩暈がする感覚を覚える。

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