平成のお殿様
ところ変わって、桜間家の応接室らしき部屋。
あの後すぐに、咲楽が呼んだ自動車が到着し、運転手らしき人に促されるまま、リムジンに乗り込み、桜間家に到着した。車内では、咲楽はほとんどしゃべらなかったが、ちらちらと初瀬の様子を確認していたあたり、初瀬のことを気にしていることだけはわかった。
桜間家の応接室には、備え付けの暖炉を初め、高そうな調度品がずらりと揃えられていた。初瀬家とはえらい違いた。落ち着いた物が多く、あまり成金趣味というものは見えない。きっと、咲楽の両親の趣味なのだろう。
肝心の咲楽も、「しばし、この部屋でお待ちください」と言ったまま姿を消し、部屋にいるのは初瀬だけである。手持ちぶさたになり、様々な思いが去来する。しかし、結局のところ、頭に残るのは、
(会長が、電波系だった――!!)
ということだけである。あの憧れの、才色兼備の会長が残念な電波さんだった、ということが信じられなかった。
しかし、いくら思考停止していたとはいえ、桜間家に連れ込まれたのはうかつだった。使用人や咲楽の両親も、最悪の場合、同じような電波タイプであることも覚悟しなければならない。
(だいたい、何が殿様だよ。)
時代は2017年であり、平成29年だ。江戸時代じゃあるまいし、と心の中で毒づきつつ、とりあえず、どうやってこの場を無事に切り抜けるかを考え始める。
まず、この応接室から脱出できるのか。ドアは出入り口一つだけで、これは、廊下につながっているだろうから、家人の誰かに遭遇する可能性が高い。次に脱出先候補となるのは、窓だ。窓は南向きの窓が一番大きく、東と西にもそれぞれ一定の大きさの出窓が付いている。リビングは1階にあるから、窓から庭にも出られるはずだ。
(よし、今のうちに逃げるべし――)
ともかく、一番大きい南側の窓から――
「殿様、どこに行かれるのです。これから、宴会ですぞ」
突如として後ろから声がかかり、初瀬の返事は声が裏返った。
「か、会長。いらっしゃったのですか」
「そんな他人行儀な。咲楽とお呼びください」
咲楽は、片膝をついて頭を下げる。
「いやいやいや、いきなりそんなこと言われても意味が分かりません」
「? 殿様は、何も聞かされていないのでしょうか?」
咲楽は心底不思議そうに、頭を上げた。首をかしげて,唇をすぼる。しばし見惚れそうになり、初瀬は首を振った。
「いや、全く意味が。」
「それは私から説明しましょうぞ!」
突然、バーンと大きな音と振動を伴って、40代後半から50代くらいのおじさんが登場する。とにかく「おじさん」としか表現できない、ギラギラ感すら漂う目の大きさと肌つやのよさ。そして、満面の笑み。
しかも、部屋に入ってくるなり、初瀬の前に飛んできたかと思うと、きれいにジャンピング土下座を決めた。さすが親娘、先刻の咲楽の動きとそっくりな軌道である。
(またややこしそうなのがキター)
「紹介します。私の父です。」
「失礼。桜間権蔵と申します。初瀬颪様ですな。」
権蔵は、初瀬と目を合わせて小さくウインクした。初瀬は、背筋に冷たいものを感じながら―
(ということは、この人が、ゼネコンの社長か)
「この度は、不祥の娘が殿様にお怪我をさせてしまい、誠に申し訳ありません。本来なら切腹ものではありますが……」
笑顔のまま、妙にオーバーリアクションで、右手で脇腹をなぞる。切腹の真似であろうか。
「しかしながら、今回の事態がなければ、私どもも、殿様に出会えなかったのですからな。これが真の、『怪我の功名』とでも申しましょうか……」
「お父様、全く笑えません。早く本題に入ってください。」
がっはっは、と笑い出した権蔵を、咲楽がぴしゃりと遮る。悲しそうな顔つきになった権蔵と咲楽に、初瀬は申し向ける。
「このままじゃ、話がしにくいので、イスに座ってもらえないでしょうか」
「へい。それでは、お言葉に甘えまして。」
権蔵は、ソファにどかりと腰を下ろした。咲楽もその隣に座る。
「いや、どこからお話しすればよいか。殿様、あなたのご出身が岩手県だということは?」
長くなりそうだ、ということだけは見えたので、初瀬も腹をくくることにした。どちらにしても、この親子と話を終えないと、外にも出られないだろう。願わくば、早めに終わってもらいたいものだが。
「父方の祖父が岩手県に住んでたので、それは知っています。」
「そのおじいさまは?」
「4年前に亡くなりました。」
「そうですか、それは残念です。して、先ほどのお守りは、そのおじいさまから受け継がれた、と。」
「はい。10年ほど前に、家族で帰省したときに。ずいぶん前のことなので、はっきり覚えていませんが、そろそろお前に渡しておこう、とだけ」
初瀬は、ただ、祖父が古いお守りをくれたのだと思っていたのである。
「そのとき、他に何か言われていませんかな」
「そういえば……トウシュがどうこう、と言われましたね」
「ほうほう! まさにそのとき、当主を引き継がれたのですな!」
権蔵が、ずずい、と身を乗り出す。血色のいい顔がどアップになり、初瀬は思わず身を引いた。初瀬は、今日までずっと、「トウシュ」を野球の投手のことだと思っていた。「若い頃に甲子園にでも出たのかな?」という程度にしか思っていなかったのだが、とても言い出せる雰囲気ではなかった。
「いや、何のことだか……」
「すなわち、陸奥国春島藩当主は、現在、あなただということです!! あなたが現代のお殿様、ということですな」
権蔵は、がっはっは、と豪快に笑う。
「お、お殿様??」
初瀬の頭には、いくつものハテナマークが浮かんで、しかも消えずに乱立してしまっていた。
ようやくこの回で、江戸時代の話がでてきました。これで、少し意味が分かってこられたでしょうか・・・ 次回以降で、もう少し説明ができるように頑張ります。