秋の出会い
この回でやっと、殿様の言葉が出てきます。とは言え、まだ意味が分かりませんね・・・
平岩亭というのが、初瀬の実家の喫茶店である。
初瀬の父が岩手から京都に出てきて開店した店で、創業20年ほど。店長自慢のブレンドコーヒーが売りの渋い喫茶店だが、まるで商売っ気がないため、いつも常連客しか来ないという困った状態である。
「ただいまー」
「おや、おかえり」
初瀬の父、初瀬三蔵がカウンター越しに声をかけてきた。不思議なことに、初瀬は、三蔵がカウンターの中でグラスを磨いている姿しか見たことがない。
「おっかえりー」
住居部分につながるドアから、初瀬の母―初瀬相子―も出てきた。いつものことながら、やけにハイテンションだった。
「おろちゃん、ちょいお使い頼まれてくれない? コーヒー豆の出前を頼まれてるの。平野町の佐々木さんだけど、いいかな」
初瀬は、「せっかく帰ってきたのに」と言いかけて、気分転換に帰ると自分で言ったことを思い出した。
「ええよ。気の利いたお駄賃は?」
「ごめんごめん、何も考えてなかったわー。帰るまでに考えとくー」
「はは、まあ適当で。行ってきますわ」
「お願いね。ああ、代金は1200円だからー」
そう言いながら、相子は、初瀬に、コーヒー豆の紙袋を入れたビニール袋を手渡した。
佐々木さんは、昔からのお得意様だ。聞けば、平岩亭開業時からだというから、もう20年くらいの付き合いになるらしい。気のいいおじさんと優しそうなおばさんが好印象で、出前をしても気持ちがいい。そのため、初瀬は、お遣いといっても、散歩かツーリング気分で、佐々木家に自転車を走らせた。届けものを無事済ませて帰路についた初瀬だが、少し帰路を逸れて、ゲーセンに立ち寄った。
ちょうど帰り道の近くに、寂れたゲームセンターがあるのだ。日当たりが悪く、いつ見ても店内に人影もまばらだ。店内の筐体も古いものばかりだが、百円で2ゲームをプレイできる、良心的な価格設定が魅力である。とうの昔に全国オンラインが停止されたクイズゲームにするか、それとも、20年くらい前に流行った格ゲーで遊ぶか。そんなことを考えながら、自転車を店の前に止めて―
「いいご身分だな。クラブ活動もせずに、学校帰りにゲーセン通い、とはね」
背後から冷ややかな声を浴びせられ、初瀬は、文字どおり背筋が凍り付いた。
「か、会長……」
いかにも、初瀬に声をかけたのは、生徒会長、桜間咲楽その人であった。学校帰りらしく、咲楽は、学校指定のカバンを持ち、少し長めの制服のスカートを優雅に着こなしていた。それだけならよかったが、咲楽は世にも冷たいまなざしで初瀬をにらみ据えていた。そんな視線に見つめられると興奮する、なんていう特殊な性癖を持った人もいるのかもしれないが。あいにく、初瀬にそのような趣味はなかった。
「草野球部の活動がどういうものか、よく分かったよ」
そう言い捨てると、咲楽はくるりときびすを返す。そのまま大通りに戻るのだろう。
「待ってください!!」
このままではいけない、その思いだけで、初瀬は生徒会長の背に声をかけた。何を言うべきか、気の利いたことが全然思いつかない。しかし、自分の言動のせいで草野球部の他の部員に迷惑をかけることは避けたかった。生徒会長は、品行方正な人だ。ちゃんと説明すれば、きっと分かってくれる。そう、思った。いや、そう信じたかったのかもしれない。
「まだ、何か?」
咲楽は律儀に足を止めた。ただ、初瀬に背を向けたままで、その表情はうかがい知れない。
「い、いや、ですから……」
初瀬は、勢いだけで咲楽を引き留めたことを激しく後悔した。しかし、もう後には引けない。
「えっと、草野球部は、この学校に必要だと思います!」
もっと説得の仕方があるだろうと自分で突っ込んでしまうほど、中身のない話しかできなかった。
「キミがそう思っているのは、よく分かった。しかし、それを決めるのはキミじゃない。私たちだ。」
咲楽は、背中越しにちらりと初瀬を見て、再び、歩みを進めた。初瀬は、咲楽の姿を呆然と見送り――
「危ない!!」
叫ぶよりも早くに身体が動いていた。咲楽の目前に、速度を落とさぬまま路地に進入してきた軽トラックが迫っていたのだ。
ドカッッ!!
何とか咲楽を右に押しのけようとしたが、重い音と衝撃が身体に走る。同時に、初瀬の意識は途切れた。
どこか、遠いところから声が聞こえる。どうやら、自分に向けられた声らしい。
「おい、一年生、起きてくれ。こんなことで――」
まず一年生とはずいぶんな呼ばれ方だな、と思った。自分に初瀬颪という立派な名前があるのに。
「だから――、私は―――」
何か大事なことを言われているような気がするが、遠くて聞き取れない。しかし、とにかく眠い。話しかけてくれる人には悪いが、もう少し寝ていようか。
「―――クラブのことだって、別に――――」
(クラブ……?)
その一言で暗闇に沈みかけた意識が浮上する。先ほど、誰かとクラブの話をしたような……
「クラブが……どうか、しましたか?」
「!! 一年生。目を覚ましたか」
目を開ける。目の近くに、生徒会長が顔を寄せていた。長いまつげが初瀬に触れそうなくらい、近くに。
「ん? 会長?」
「大丈夫か、どこか痛いところはないか。自分は誰だか分かっているか? どうして、あんな危ない真似を……」
(そっか。俺、さっき、生徒会長をかばって……)
ようやく意識が平常レベル近くまで戻り、四囲の状況が分かってくる。
初瀬が意識を失っていたのはほんの一瞬のことらしい。軽トラがゲームセンターの入り口の方向に頭を向けた状態で停車している。軽トラから、誰かが出てきた様子もない。周囲に野次馬も見えなかった。
初瀬が倒れているのは、軽トラとは反対側の道の端であった。
(よかった。何とか軽トラに轢かれなくて済んだみたいだ。)
しかし、それより問題なのは…
「会長、落ち着いてください。いっぺんにたくさん聞かれても、答えられませんよ」
自分にすがりついてくる咲楽だった。
「それに、1年生じゃなくて、自分には初瀬颪という名前があるんです」
「ハツセ……? いや、オロシ、だな。分かった……。それより、体の方はなんともないのか。」
咲楽は少し表情を曇らせ、初瀬を心配そうにのぞき込む。
「え、ええ……。会長、ちょいどいてもらえますか?」
体の節々が痛いような気もするが、密着する咲楽の体の柔らかい感触が気になって、どうにも集中できない。
その程度の怪我、ということだろう。ともあれ、初瀬は体を起こした。腕を振り、足を動かす。若干の痛みはあるが、特に問題なく動く。頭は……もともとの出来はさておき、問題なさそうだ。
「たぶん、大丈夫やと思います。心配かけちゃって」
「何を言う! 身を張って私を助けてくれたのだろう。もっと胸を張ってよいのだぞ」
と言いながら、咲楽は自分まで胸を張る。豊満な胸がさらに強調され、初瀬は、そっと視線を逸らした。
「待っていろ、今すぐ迎えの車を呼ぶ。」
咲楽は早口でまくし立て、初瀬の意向など構わず、どんどん話を進める。気付けば、咲楽は携帯でどこかに電話しようとしていた。
「いやいや、会長、別にいいですよ。そんなに大したことでは――」
初瀬は必死で止めに入る。このままでは、咲楽の家か病院か知らないが、どこかに連行され、色々とめんどくさい事態になりそうなのは明白だ。
「何を言う、オロシ! けが人は少し黙っていろ。」
本日二度目の「何を言う!」がお出ましして、さらに発言まで封じられるに至った。咲楽は、そのまま、携帯電話でどこやらに電話する。
「私だ。怪我人がいる。すぐに車を頼む。場所は――」
電話を切り、改めて初瀬に向き合う。
「もうすぐ迎えが来るからな。それまでの辛抱だぞ、オロシ。」
(そこまでの怪我じゃないんだけどな)
初瀬は、だんだん恥ずかしくなってきたが、困ったことに、とてもそう言える雰囲気ではない。
「オロシ、服も破れているじゃないか。」
咲楽は、初瀬の上着を触る。確かに、右脇腹の部分が裂けている。さらに、カバンまで破れていることに、気付いた。
「ん、ああ、そうっすね。参ったなあ」
初瀬は頭を掻いた。体が無事なだけでもよしとしておいて、あとは母親に頭を下げて修繕してもらえばいいか、と考えた。ただ、よく見ると、問題があるのはカバンだけではなかった。カバンの破れ目から、携帯の充電器、絆創膏など、カバンの底に入っていた物が、道に飛び出ている。
「これはいかんな。早速うちで繕おう。」
そうつぶやきながら、咲楽は、道に散らばった物を手にとって回収し始めた。
「お守りまで破れているじゃないか。――っ!! これはっ!!!!」
咲楽が息を飲む。
「ありゃ、破れてしまいましたか。まあ、新しい袋に中身を移せばいいすかね」
10年ほど前に、祖父からもらったお守り。古い袋に「春」と書いてある。その祖父も、4年前に肺炎をこじらせて亡くなってしまった。
「教えてくれ、このお守りはどうした?」
暢気に答えた初瀬に、咲楽が喰い気味に詰め寄る。初瀬は何が何だか分からず、
「え? こ、これはじいちゃんから、もらったもんですけど」
どもりながら、初瀬もお守りの中を覗く。特にびっくりするような物が入っていそうにも見えない。古びた台紙のようなものが見えたくらいである。
「中に、大した物はなさそうですね。確か、うちの家紋ですよ、これ」
3つの扇を広げ、円状に配置した紋が台紙に描かれている。確か、前に家のどこかで見たことがある。
「な、なに!! まさか、君の実家は、岩手の出身なのではあるまいか」
咲楽はとうとう、初瀬の肩をがっちりとつかんだ。初瀬は咲楽のテンションの上がりっぷりに若干引きながらも答える。
「はあ。確かに、じいちゃんの代まではずっと岩手県みたいですね。両親の代から京都に出てきたので」
「ううむ。は、春にサンセン、間違いない・・・・・・」
咲楽は額に手を当て、がくり、と肩を落とした。そして――、一瞬にして、初瀬に向かって、地面に額をこすらんばかりに激しく土下座した。一番近い動きは、ジャンピング土下座かだろうか。
「え―――?」
「ひゃ、150年……、探しましたぞ、殿様!!」
「は、はい……?」
あまりの急展開に、間抜けな声しか出せない殿様? であった。
「あ、あの――」
「はあ、何か?」
間がいいのか悪いのか、そのタイミングで、若い兄ちゃんが遠慮がちに、咲楽と初瀬に声をかけた。知らない人だ。自分と咲楽のやりとりの野次馬だろうか、などと思いながら、初瀬は、気の抜けた返事をする。
咲楽など、土下座を続けたままで、邪魔をするなと言わんばかりに、にらみつけている。
「さっきのトラックのドライバーなんスけど・・・」
『あ、忘れてた』
初瀬と咲楽の言葉が重なった。
「いま、それどころではない。君に用はないから、早く行きたまえ」
冷たい咲楽の言葉だが、初瀬も同感だった。