運の悪い日
初めてヒロインが登場します。第一印象は、悪いですね・・・・・・
9月7日木曜日。京都。
その日の彼―初瀬颪―の運勢は最悪だった。
まず、けちの付きはじめが、滅多に見ないテレビの占いだった。朝食の終わりに見た占いで、彼の星座「おとめ座」は、みごと12位を射止めていた。テレビ曰く、ラッキーアイテムは穴子の天ぷらとのことだが、高校生の昼食に縁が遠いことだけは間違いない。
ただ、天気だけは無駄にいいらしい。彼が身支度を整えている間に、天気予報のキャスターは、今日は洗濯日和ですよ、と二回も繰り返した。
高校への遅刻、教科書などの忘れ物が3回、分からない問題に限って教師に当てられ、回答に詰まること2回、授業中の居眠りを指摘されてクラスメートに笑われること1回。その他諸々。これが、高校へ登校してからの、初瀬の不幸である。ほとんど自業自得じゃないか、という指摘はさておき。
そんなこんなで、初瀬は、昼休みに入るころには、学食のランチメニューに穴子の天ぷらを探してしまうほどに、疲れ切っていた。いくら探しても、もちろん存在しないが。
「あかん、今日は厄日だわ」
結局、昼食は、いつも注文しているカレーうどんに落ち着いた。初瀬は、うどんをすすりながら、対面に座る小柄な男子生徒に声をかける。彼は、藤原俊。初瀬と仲のいいクラスメートである。初瀬と藤原は、同じ中学から同じ高校に進学し、高校1年生になる今までずっと同じクラスがある。そのため、気の置けない会話ができる友人である。
「そりゃ、普段の行いのせいじゃねえの」
藤原は意に介さず、というよりも顔もこちらに向けず、夏からの新メニューのエベレストラーメンに箸を付けた。店長の肝いりで始まった新メニューであるが、野菜、豚肉、ニンニクなどを山盛りアンド山盛りにしたラーメンで、麺にたどり着くまでに昼休みが終了してしまう生徒が続出。そのため、話題性の割に、一日数杯しか売れないという、伝説的なメニューである。藤原は10日ぶり3度目の挑戦であるが、未だ完全登頂-いつの間にやら完食にそんなワードが使われるようになった-はしていない。
「ええー、そんなことないはず……だけど」
「ホラ例えば、お前、この前のエリちゃんフッたんじゃないの。せっかく合コンまでやってやったのにさあ。」
相変わらず、藤原は初瀬に視線を向けずにラーメンに取りくんでいる。というより、エベレストラーメンの山が高すぎて、藤原がこちらを見ようにも、全く見えないのだが。
「いや、あれは向こうがちょい積極的過ぎたっていうか」
「そんなこと言ってるから、お前はいつまでたっても彼女ができないんだぜ」
豚肉を口いっぱいにほおばる藤原に反論できず、自分のカレーうどんに手を付ける。余計な話をしたせいで、少し冷めてしまったかもしれない。
「お二人さん、今日は麺デーなのかな。メイデーならぬ、ね」
うまいことを言ったようで、だだ滑りしているこの女子高生も、初瀬と藤原のクラスメートだ。名前は、平忠空という。
「うん。ぜひ俊を応援してやってくれ」
「初瀬も、そう言わずにエベレストに挑戦しろよ」
「俺は自分が大事なの」
「お前はいつもそうだよな、人にばっかり押しつけやがって」
実際には、エベレストラーメンは700円と高すぎるというのも大きな理由であったが、説明が面倒なので、初瀬は黙っていた。
「あんたらはいつも仲良いねえ。ちょい焼けるわ」
そう言いながら、忠空は藤原の隣に座り、カレーパンをほおばる。
「たっちーも、エベレストを」
「嫌よ。何でそんな豚のエサみたいなラーメン食べなきゃいけないの」
藤原が全部言い切る前に、忠空がぴしゃりと遮る。この二人、中学の時から付き合っているのである。こんなやり取りも、毎度のことだ。
「お前、山ラーメンマニアに言ってはならんことを・・・」
「はいはい、分かったから早く食べなさい。時間ないんでしょ」
こっちが焼けるんだよなあ、と思いながら、初瀬はさらに冷めてしまったカレーうどんをすすり始めた。
その後、しばらく無言で食事が進む。
初瀬が食べ終わって藤原を見ると、まだようやく麺の層が顔を出しかけた、というところだった。野菜やら何やらの山がまだ3割ほど残っている。壁の時計を見ると、12時45分。予鈴が鳴る12時55分まであと10分というところである。
「すまんが先に行くよ」
「えふに、いいへど(べつに、いいけど)。ふぁんかあっああ(なんかあったか)?」
必死で食べているため、藤原は返事もおざなりだ。
「生徒会に、後期の予算要求を出さないといけないやろ」
「そっか、予算の申請、今日からだったわよね」
「そ。昼休み終わる前に行ってくるわ」
言いながら、初瀬は自分のトレイを持って席を立つ。
「ええー、これから秘技・天地返しを披露しようと思ったのにー」
ぶつくさ言っている藤原の頭を、景気のいい音を立てて、忠空が叩いた。
「どうでもいいから、早く食べなさい。それでなくても、見てるだけで胸焼けしそう」
「しょうがないから、いっちーだけにでも見せたるわ。見よ、この箸さばき! 天地返し!」
「だから止めろと言っとるじゃろがー!」
学食の喧噪に紛れて、じゃれあう藤原と忠空の声を背に、初瀬は学食を後にした。
初瀬、藤原、忠空の3人は、同じクラブ―草野球部―に所属している。草野球部とは、野球部に入るほどガチにスポーツをしたくない野球好きが集まったクラブである。創設は1年半前。今の2年生が入学した時に作ったクラブで、初瀬たちの学年が入って、ようやく9人揃った。ただ、慢性的に部員不足で、もともとマネージャー希望だった忠空まで選手を務めないとメンバーが足りない状態が続いている。
草野球部は、正式な野球部からは下に見られている。しかも部員勧誘の際には一部競合する側面があるため、あまり良く思われていない。初瀬などは、だからこそ女性部員の募集に力を入れて、違うカラーを出した方がいいんじゃないか、と常々進言しているが、「お前が女好きだからだろ」と返されるくらいで、今のところ取り入れられていない。
初瀬は、1年の後期、つまりこの9月からクラブの会計を担当することになった。そのため、予算の申請を担当することになったのである。
生徒会の役員は、2年生であるため、初瀬にとってはどちらにせよ上級生のはずだ。初瀬は、少し緊張しながら生徒会室のドアをノックした。
「空いている。どうぞ。」
「失礼します」と、生徒会室に入る。部屋の中に入るのもはじめてだ。
部屋の中は、女子生徒一人だけだった。初瀬は、何やら厳しい顔で書類を見ていた女子生徒の姿を見て、もともと伸びていた背筋を無理に伸ばした。
女子生徒とは、9月初頭の選挙生徒で生徒会長に就任したばかりの2年生、桜間咲楽であった。中堅建設会社の社長を父親に持つセレブで、艶やかな黒髪を肩のあたりまで伸ばし、大きな目が特徴的な美人。しかも、剣道部のレギュラーであるなど運動神経抜群なうえに、謹厳実直な性格と、けちのつけどころがない。生徒会長選では2位以下に圧倒的な大差を付けて当選している。
そんなわけだから、生徒の中には咲楽ファンが多く、かくいう初瀬もその一人であった。もっとも初瀬の場合、直接の接点が全くなかったため、あこがれに近いものであったが。
「それで、何の用件かな。キミは1年生だと見えるが」
部屋に入ってもなかなか用件を切り出せない初瀬を見て、咲楽の方から声をかけてきた。生徒会室に入ったものの緊張して固まってしまう生徒を、これまでも目にしているのだろう。
「あ、すみません。ええと、部費の予算です」
「ああ、ご苦労様。そこの机の上にある箱に入れてくれ」
割とそっけなく返されて、初瀬は少し寂しい気がしながらも、「部費申請用」と張り紙のある段ボール箱に申請書を入れ、部屋を後にしようとした。
「それでは、失礼します。」
「ああ、ちょっと待て」
思いがけず背後から声がかかり、初瀬は足を止めた。
「草野球部、か」
「はい。そうですけど……」
振り向いて見た生徒会長の顔は、心なしか先ほどよりも険しくなったような気がした。
「最近、クラブの乱立が問題になっているのだ。本学の学生生活の趣旨に則っていないのでは、とな」
「え、それはどういう……」
「いずれ分かることだから、ここで言っても問題ないであろう。先代、先々代の生徒会長時代に、クラブ設立を簡単に認めすぎていた。だから、クラブが増えすぎて、本来必要なクラブに十分に部費が行きわたらない、という事態が起こっていてね」
「それが、どうして」
自分に関係するのか、どうして会長がそんな話をわざわざ自分にするのか。初瀬にはまだ分からなかった。
「つまり、私が言いたいことは2つだ。まず、一つ。今後、不要なクラブに予算は出せない、ということ。それから、乱立したクラブは解散になる見込み、ということ。」
「えっ、解散!?」
予想外の単語に、妙な声が漏れた。
咲楽は、机に両肘をつき、ほっそりした手を組んで、顔を乗せた。少し見上げるようにしながら、初瀬に厳しい視線を送る。
「乱立するクラブを整理するという政策ことは、選挙公約にも入れていた。演説でも何度も説明したはずだが」
「はあ、すみません」
凜々しく演説する咲楽に見とれていて、聞いていなかったとも言えない。
「まあ、キミには少し酷な話かもしれない。部長でもないのだろうしな。しかし、これからどうすべきか、身の振り方はよく考えることだ」
この話は終わりとばかりに、咲楽は再び書類を広げた。初瀬など最初からいなかったかのように、自分の世界に入る。
「ちょっと待って下さい!」
初瀬は、たまらず声を荒げた。自分でも予想以上の大声となったが、そんなことを気にしてトーンを下げられるほど、冷静でもなかった。
「さっきから聞いていれば、草野球部がそんなに悪いですか。自分たちで居場所を作って、好きなことに打ち込んで……。学生の本分でしょう。どうしてそれが解散なんですか。」
咲楽は、少し驚いたように、書類から顔を上げた。気弱そうな1年生が反論してくるとは思っていなかったのだろう。
「できれば質問は一つずつの方がありがたいが。ともかく、野球をやりたいなら正規の野球部がある、というわけだ。2点目の質問についてだが、学友と大切な時間を過ごす、それが学生にとって、とても大事だということについては異論ない。しかし、な。」
咲楽は、すっと目を細める。初瀬は、咲楽に射すくめられて背筋を硬くした。
「友人と遊ぶなら、放課後に学外でやればいい。予算を使って、クラブ活動としてやることではない。学外で遊ぶなら、校則に触れない限りは、何をしても自由だ。」
「しかし……」
何か反論すべきだ。否、しなければならない。しかし、言葉が出なかった。初瀬は、二の句が継げないまま、会長の目を見つめるしかなった。
キンコーン
そのとき、タイミングが良いのか悪いのか、12時55分の予鈴が鳴った。
「さあ、教室に行かないといかん。キミも、遅刻するわけにいかないだろう。」
咲楽は、初瀬を見もしないで、席を立った。
「は、はい……」
完敗。そんな2文字が頭に浮かんでくる。憧れの生徒会長にやりこめられ、肩を落として教室に向かった。
(今日は本当にいいことがないな)
また脳裏に、ラッキーアイテムの穴子の天ぷらが浮かびかけて、それを振り払いながらの道行きであったが。
5時間目、6時間目の授業に身が入るわけもなく、放課後になった。
本当は、生徒会長から言われたことを上級生に伝え、善後策を協議すべきだろう。しかし、初瀬は、朝からの不幸? の連続にくたびれ果てていた。背筋もバリバリである。諦めて明日にしよう、と決めた。
どちらにせよ、今日は草野球部の活動日ではない。もともと活動日が固定もされていないし、練習も週に1回あるかないか、という緩いクラブである。だからこそ、生徒会長から目を付けられるのであろうが。
ホームルームが終わり、藤原と忠空が近づいてきた。
「オロシ、今日はどうする?」
「せっかくだから、遊ぼー」
何がせっかくなのかは分からないが。よく、放課後に3人でカラオケに行ったりゲーセンに行ったりして遊んでいるのである。
「すまんが、今日は疲れたんで、帰るわ」
「ええーっ、付き合い悪いなあ。俺も、エベレストへのアタックで疲れとるけどな」
と言いながら、藤原が、心配そうに初瀬の顔をのぞき込む。憎まれ口を叩きながらも、基本的に善人なのである。
ちなみに、エベレストへのアタックは失敗したらしい。何故なら、藤原が「登頂」と言っていないから。
初瀬は、今日は気分転換に実家でも手伝うことにするよ、と伝えて、二人に別れを告げた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。まだ、何のことやら、という感じだと思いますが、徐々に、タイトルの意味が分かると思いますので、ご容赦いただければ。