メックサムライ
人生に間違いはありふれている。
吐くべきではなかった言葉。
実行するべきではなかった思いつき。
行くべきではなかった土地。
だがしかし時に、一つの、たった一つの間違い、あるいは選択が人生の致命になってしまう。
──例えば。
学校の同級生の女が、ワルの不良ヤンキーに犯されそうになっている瞬間に飛び込んだり……。
そう。
それは蚊の多い、暑い夏の夜のことだ。
「やめろ!!!」
気がついたときには、俺は叫んでいた。
照明もない、学校備え付けの夜のプール。
俺はプールを囲うフェンスに飛びつき、よじ登っていた。
フェンスの頂上に登りつめると同時に、飛び降りた。
全身で着地の衝撃を吸収したつもりが、にぶい痛みが靴底から足裏、膝へと広がった。
夜目には自信があった。
それに雲のない夜で、月も半分しか欠けていない。
明るい夜。
だから見えた。
夜の学校のプールに忍び込んでいた、スクール水着の馬鹿な女。
それと。
女を組み伏せ、四肢と口を封じる三人の男。
金髪、ピアス、肌黒。
「あン? ……ったく、変態がもう一人いやがったか」
女の股に顔を埋めていた肌黒が俺を見るなり、頭をガシガシとかく。
肌黒の動きは重かった。
のそり、と寝ぼけた熊のようだ。
気怠げ。
しかし、肌黒が俺と同じ、二本足で歩く人間とは思えないような、異様な雰囲気を纏っているような気がした。
だがそれは一瞬。
鈍足時間流の刹那。
体の重心も力の流れも無茶苦茶。
であるというのに、肌黒は超高速で俺との間合いを詰めてきたのだ。
驚愕。
俺と肌黒の間合いは、距離にして27mはあった。
50m走を6秒で走りきっても、3.2秒はかかる計算。
俺は肌黒を目で追えていた。
加速されたニューロンの思考スパークは、認識はできていたのだ。
だが体が動けない。
──否。
体が追いつけない。
恐怖で心が痺れているのではない。
流れがただ、ただ速く、速すぎて、相対的に動けずにいたのだ。
あっ、死ぬ。
俺がそう思ったときには、肌黒の左腕の肘が、蒸気ハンマーのごとき凶悪な一撃を秘めてせまった。
あたれば俺の頭なんて、高層ビルから叩きつけられたスイカのように弾けとぶは必至。
死を覚悟した。
命乞いの暇はなかった。
ニヤついた肌黒のいやらしい笑みが、俺のニューロンに焼き付いた。
死。
死。
死。
肌黒なクソな肘鉄が俺のドタマを砕く。頭蓋骨は生まれたときの継ぎ目を無視して、落っことした卵の殻のごとく、粉々に砕けるだろう。頭蓋骨に守られていた脳味噌は、大脳、小脳も区別なく小肉片と血飛沫として、朝にはカリカリに干上がっているだろう。
だがしかし。
俺の頭は、砕けた花瓶の瓶底のように、下顎とそこから残った歯だけの惨状にはならなかった。
──ヒュウ!
それは風切り音。
破壊的な一撃の足音。
天から降ってきた『ソレ』は端的に言えば『矢』であった。
されどその矢は異様。
白い炎を噴き上げ加速飛翔。
闇を切り裂く白い稲妻。
それは肌黒の脳天を突き破り、股を貫通してプールサイドへと喰いこむ。
プールサイドがひび割れる。
「……」
脳天から湧き出る赤い液体が、額から鼻、顎の下より滴々と落ちた。
そしてそれは降ってきたのだ。
震撼。
それは2mの人型。
「あれは……メックサムライ……」
信じられなかった。
だが目の前に立っていた。
黒い面頬で隠された顔。
重厚なパワード大鎧。
電磁障壁発生装置を兼ねた複合装甲の大袖。
手にしているのは刀、大太刀、──否、加速装置付き単分子長巻。
「……」
異様な存在を前にしたピアスは狼狽えていた。
俺だって、目の前に長巻をもった鎧武者が現れたらビビるだろう。
第一級の危険人物は確定。
であるというのに、
「ふむ」
金髪は「なるほど」と恐るべき冷静さを保ちながら顎をさすっていた。と、同時、役立たずの醜態を晒すピアスにイラついているようだ。
その時だ。
金髪がピアスの手首を掴む。あいたもう片腕では、女の足を掴む。そしてそれをサムライへ投げつけた!
これが人間のやることか!
何という怪力!
普通人の技ではない!
メックサムライを狙った二人分の肉体。
外道!
メックサムライは流れるような動作でピアスを長巻の刃で両断し、女をキャッチ。
血飛沫と肉塊へ成り果てた悪漢。
慈悲はなかった。
「うわっ!?」
メックサムライがキャッチしていた女が、俺のほうへと飛ぶ!
メックサムライが放り投げたのだ。
濡れた半裸の重質量体が胸へと飛び込む。
──衝撃。
完全に受け止めるには、筋肉が足りず、体勢も悪かった。俺は吹っ飛んだ。プールサイドで後頭部を強かに打った。背中も打った。尻も打った。
だが──受け止めた。
「無事か?」
「……」
女は無言。
しかし、うなずいて見せてくれた。
大丈夫であったようだ。
濡れた体の水を、俺の服が吸っていた。
湿る。
犯される直前であった女は、スクール水着を淫猥にはだけさせていた。
俺はせめても上着を女にかける。
女のことが気がかりであるが、俺はそれでも金髪へ視線を戻した。
メックサムライが現れたのだ。とあれば、『人間ではない』のだ。
「あ、あれ……」
女が震える声で、ニタ笑う金髪でなく、異様武者鎧メックサムライを指さす。
「メックサムライだ、女」
「……メックサムライ……?」
「大戦中に生まれた強化装甲外殻。ようはパワードスーツ。人造筋肉で普通人の十倍以上の力を持ち、複合装甲の鎧、最先端の科学が削り出した機巧刀剣をもつ、現代に蘇ったサムライというよりは『鬼』こそ相応しいやつだ」
「鬼……」
「危害はないと思う。今は……」
「あっ」と女のそんな声は、金髪の姿をあらためて認識してしまったゆえ。
人間ではなかった。
違うのだ。
金髪が人間の、自身の生皮を無造作に剥ぎ取る。
「ひっ!?」
短い悲鳴。
べしゃりと嫌な水音とたてた生皮が、プールへと捨てられた。新鮮な生皮であるのか、生皮から染み出す赤い体液にプールが染まる。
金髪が皮の下の正体を晒した。
一体どうやれば、それほどまでの質量を折りたたんでいたのかと驚嘆するほどの巨体。
おぞましく嫌悪に値する姿。
金属の外骨格をもつ蟲。
複眼とそこに埋め込まれた複合センサー群。
複数の腕アームデバイスには、不快な駆動音で恐怖を駆り立てる丸鋸、チャーンソーが唸る。
それだけではない。
このモンスターは、背中にVLSのミサイルランチャーをもち、現代的な大口径機関砲とたっぷりの弾薬を抱えていた。
──機械妖怪。
近代兵装の発展とそのはてしない畏れによって生まれた現代の妖怪だ。
「頭伏せて!」
女が走りだそうとしていたのを押さえつけ、覆いかぶさった。
──ドゥッ!
──ドゥッ!
──ドゥッ!
機械妖怪の撃った大口径機関砲弾が、ベトンでもないただのコンクリートやモルタルを破砕する。
繰り返される小爆発。
コンクリート片が散弾とかし、幾つか肉へと喰いこむ。
じわりとも、ぬるりともいえる嫌な湿りを感じた。
痛い。
だが泣き叫びは後回しにした。
20mm級の威力ではなかった。
50mm級だ。
並みの装甲車なら正面から、主力戦車だって側面からなら撃破するだろう破壊力。ただのコンクリートなど遮蔽物になりえない。だが、このままでも挽肉にされる。
プールの周囲はフェンスがあり、今の状況で登るのは自殺行為。
出入り口はメックサムライと機械妖怪を抜けた先であり論外。
プールの中も丸見えであり、50mm級機関砲弾ならば底に穴を空けられるだろう。
結論。
俺は怯える女を、マットやビート板を保管する準備室に放り込んだ。
僅かでも爆風とそれに乗った破片を防ぐために。
「頭を上げるな。あとマットで体を隠せ。破片を多少は防いでくれるはずだ」
そして俺は、伏せたまま、ドアの隙間かた見たのだ。メックサムライと機械妖怪の戦いを。
「!」
吹き咲く炎。肌を焼く熱風の中で、嫌な風切り音が耳を掠めた。それでも俺は、目を離さなかった。機械妖怪が乱射する機関砲のマズルフラッシュが刹那の風景を浮かべあげた。唸りをあげながら振り回されるチェーンソーの轟音。優雅な戦いとはほど遠い。メックサムライと機械妖怪の戦いは、獣と獣のそれだ。
だが、そのほとんどは、並みでしかない俺の脳処理能力と視覚では理解できなかった。
わかることもある。
メックサムライが体をほぼ、真横、側面を相対させるようにして機械妖怪と戦い続ける。
降り注がれる機関砲弾はしかし命中しない。
メックサムライが横を見せることで被弾面積を最小限としながら、軽やかなサイドステップで直撃を躱しているからだ。
恐らくは、機械妖怪の機関砲、その銃口からの弾道計算をおこないながら、もっともあたらないポジションへ移動しているのだ。
メックサムライの脳味噌は、生まれたままの肉だけが詰まっているわけではない。機械化され、強化され、増量と補助脳を増設されているのだ。強化脳であれば、弾道計算ごときなど容易いこと。それを実際に『躱せる』かは別として。
機械妖怪は、機関砲だけでメックサムライを仕留められるとは認識していないようだ。
牽制の砲撃が続く。
──その時!
機械妖怪の背中が割れた。
否っ!
VLSのハッチ開放。
炎を噴き上げながら幾つもの飛翔体が飛び上がり、その向きを急転、メックサムライを襲う。
──グオォォォッ!
ロケットモーターの炎が大気を焼いた。
俺は、撃ち上げられたミサイルの目であるシーカーが、ギョロギョロとメックサムライを追うのをこの目で見ていた。
そして全てが炎に隠された。
機関砲弾とは比べられない、炸裂!
息をすれば肺が焦げるような感覚。
メックサムライは死んだのか?
いや、生きている。
炎の中から、人型が飛び出す。
メックサムライだ。
大振りの上段の構え。
起死回生の無謀ともいえる一手。
だがその一手は速く、ただ速く、機械妖怪へと飛ぶ!
機械妖怪も合わせた。
機関砲を乱射しながら一方で、チェーンソーで振りかぶる。
チェーンソーでもって、メックサムライを削り切るつもりなのだ。
「!」
一閃。
機関砲弾はあたらず、しかし、機械妖怪のチェーンソーはメックサムライを削ぎとった。
大戦鎧の肩にある、盾ともつく大袖に深々と喰いこむ。チェーンソーはなおもエンジンの唸りをあげては、刃をじわり、じわりと沈めるが、それだけでしかなかった。
機械妖怪の体が、ずれる。
頭頂から真下への一直線の太刀筋。
文字通りの一刀両断。
機械妖怪の体は左右に断たれ、腹の中から金属と肉塊、臓物に血とも油ともわからぬものをこぼし、そして倒れた。
「……」
メックサムライは、還した機械妖怪をいちべつすると、その身が霞のようにゆらぎ、消えた。あるいはそれは、光学迷彩の類であったのかもしれない。
ともあれ残されたのは、女と俺、異臭をはなつ機械妖怪とその他、二袋の死体だけとなり、夜の静けさが帰ってきた。
終わったのだ。
「女、もう大丈夫そうだ」
「……本当?」
女は上目つかいに俺を見つめる。
色っぽい女だが、マットとビート板に埋められた姿はどこか滑稽で、惨劇を前にしていた緊張が解けたゆるみもあり、笑ってしまう。
笑われ、女は不機嫌になった。
どことなく視線も冷たい。
だが、俺はこれだけは言っておきたかった。
「もう夜の学校に侵入するんじゃないぞ、夜は危ないんだから」
夜の闇には悪が潜んでいる。
だが悪あるところに悪を滅ぼすものもある。
その名は、メックサムライ。