残月のバラッド1
今年のバレンタイン用の話。遅刻したけどorz
その容姿は母親譲りだった。
ヴィルラント王国の更に北の国。
一年の半分以上、国土が雪で覆われる国。魔術の存在しない国。
神々の恩恵を受けた出来たそこにあるのは、魔法であった。
魔術とは似て異なる力の源は、北のこの国だけでなく世界に広がっている。それは五人の神々が世界を創造してから、変わらない。
ヤナの母は、その国の南の方、ヴィルラント王国と山で接する場所に集落を作る部族の者だった。そこでは女も狩をし、男と同様に生計をたてる。純粋な力がものをいう世界。
母はその部族の中の序列では上位にいたという。
女にしては大柄。その骨格はしなやかな筋肉に包まれ、狩人としては恵まれた体つきであった。金糸の長い髪に灰色の瞳。集落のある地域は、年の半分以上空を雲が覆う。そして、森の中を狩場にしていたためか、彼女の肌は浮くような白色であった。口数は少なく、それほど笑わない女性だったと彼女は記憶している。
魔術とは違い、素養がなければ使えない魔法。それを行使できる者は集落に存在しなかった。母がヤナの父、ダイダロスが魔術を行使する様をみて、まず奇術ではないかと疑ったというのだから、彼女にとってどれほど魔法が珍しいものだったか、というのがわかるだろう。
母が国境にそびえる山を越えたのは、それまでに起こったことのない災害の為だった。
例年よりも長く続いた冬は、一族の生活を一変させた。
それにより、彼女の属していた部族は決断をせまられる。
生き延びるためには国の中心を目指し北上するか、それとも険しい山を越えて南を目指すか。
国の他の地域の情報が全く無い中、長は、一族をいくつかに分断し、一族の血が続いていく確率を上げることを決めた。
ヤナの母は南を目指す集団の中にいた。
厳しい冬山が行く手を塞ぎ、一人、また一人と見知った顔が雪の中に消えていく。喪失に震える心を見捨てて進まなければ、今度は自分が白い死に食われる。焦燥を抱え、それでも確実に生き延びるために慎重に進んだ。
そして国境を越えて辿り着いた先。魔術が息づく国ヴィルラント王国の最北の領地、ハルキノ。国境にそびえる山の麓には、夢にまで見た春が訪れ、植物の芽吹きと鳥の囀りに思わず涙が溢れる。
しかし、これで助かると安堵したのも束の間。
数人残った仲間の中で、彼女の消耗は著しいものであった。誰もが、彼女の呼吸が止まるのはそれほど先のことではないだろうと覚悟した。そして確かに、そのままであれば遠からず死が訪れるはずだった、彼がそこに現れなければ。
その話を聞いた時、彼女が幼心に思ったのは、父に出会う前に母が死んでいればという「もしも」の話であった。
過ぎてしまった時に、仮の話をするなど無意味だが、ヤナは考えてしまった。
私が北の国の特徴の体を持つこともなく、父と同じ色の目の色を持つこともなく、なにより、この世に存在することはなかったのだと。
偶然が産み落とした、人の枠組みから外れた存在、それが自分だ、とヤナ・ゲルギエフは早い段階で達観した。いや、せざるを得なかった。
人と人ならざるものは、共存はできない。
ヴィルラント王国の女神ヴィルランシアが作った存在である父。彼は人ならざるものであった。そのような父と人間である母の間にできたヤナは、生まれた時から人ならざるものであった。
自分を生み出したことが、二人にとってよかったのかどうかは、彼女には分からなかった。
ただ一つ確かだったのは、自分も父も、長くは母とともに在れないということ。
ヤナが母の元を去ったのは数えで十三になる年。
彼女は既に、人間の魔術士の力が及ばぬくらいの魔女になっていた。
ヤナは未だ見たことのない海を、自分の瞳に見る。
これから先、気が遠くなるくらいの時間を旅する途中、この色に何度出会うのだろう、と。
そうやって考えていないと、もう二度と母には会わないという決心が鈍りそうだった。
王国最北の地、ハルキノの雪景色を一度だけ振り返って。
ヤナは美しい転移陣の気配だけを残し、姿を消した。