海と無花果(ルカ×アルのパラレルバッドエンド)
◆◇注意◇◆
直接的な表現はだいぶ避けてますが、無理矢理&暴力表現があります。苦手な方は読まないでください。
そして、本編の三章ラストまで読んでいないと、何のことか分からないと思います。
パラレルエンドなので、本編ではこうはなりませんが、アルフォンシーナが選択ミスした時に行き着く先の一つだと思っていただければ。
真夏のリハビリ企画念頭に置いて書いたので3000ぴったりで、夏です。でも、企画向きじゃない内容になってしまった(猛反省)
【無花果】
海はとても綺麗。
私がいた街は国で唯一の貿易港のあるところで、領内の海岸線はその港を過ぎればポツポツと漁港があるくらい。その他は開拓されていない自然のままだった。透明度の高いところでは、水の底が透き通って見える。
海は水面だけがキラキラと反射して、捉えどころのない動きを繰り返していた。
泳ぐことを想定していない港に、私はよく水面を眺めに行った。
あの波に、船のように浮いてみたら気持ち良さそう、と穏やかな海の顔を見ては想像だけが膨らんでいった。
ある夏、私が八つくらいの時だったと思うのだけど、私の兄達や友達と、それこそ十五人程度が連れ立って海に遊びに行ったことがある。先生が一人引率でついてきていたけど、年長者が年少者の面倒を見ることになっていて、この時は私の二人の兄達が私たちのグループのリーダーだった。
久しぶりの遠出だったし、『海で泳ぐ』という特別なお出かけだったこともあって、気持ちはふわふわしっぱなしだった。そして綺麗な海を間近に見たとき、私は自分に泳いだ記憶がないことをすっかり忘れていた。
最初のうちはくるぶし丈のところで寄せては返す波と追いかけっこをしていたが、慣れてきた頃には年長者を追いかけて皆と少し深さのあるところへ移動した。私は足元にいる小さな魚を見ながら沖の方へ歩いていた。遠浅のそこは胸とお腹の間くらいまでしか水がなくて、塩味のするお風呂みたいだった。
水平線に大きな貿易船がいくつか見えていた。
そのずっと先には水色の空と大きな雲。私から見えないくらい向こうでは雨なのだろうか。
ゆらゆらとした波に、たまに地を蹴ってみれば少し浮くことができた。
船や魚に気を取られていつの間にか集団から離れ気味になっていた私を、兄の一人が呼んだ。咎めるような声に、私はハッとして其方を向いた。
距離にして広めの部屋の端と端程度。歩けばすぐに届くその隔たりを埋めようとした瞬間、それまでよりも大きい波がきた。一歩足を踏み出そうとしていたのも、いけなかったのかもしれない。
一瞬で音がかき消えた。
見ていた景色は大きな水の塊に押される。
後から冷静になってみたとき、この時私は溺れていたのだと分かった。
息をするためには水面に顔を出さないといけないのに、水面がどこにあるのかわからない。さっきまで浮くことができた身体の周りは全部水で、苦しい先に変わらぬ光が見えた。
運が良かったのは、近くに兄がいてその瞬間を見てくれていたこと。
自分が感じていた時間よりも短い時間で、私は水面に引き上げられた。水に遮られない直接的な光の中で、濡れた赤銅色が私の目に映りこむ。兄の色が私を現実に引き戻してくれた。
その後浜辺まで抱えられて戻った後、まだ咽せる私の背を撫でながら、兄は懇々と説教を始めたのだった。いつもならとりなし役をかって出てくれるもう一人の兄も、この時は助け舟を出してはくれなかった。要約すれば、離れるなって言っただろうが、ということに終始する長いお説教が終わった後、今日は浜辺で見てろ、という留守番まで仰せつかった。同じく荷物を木陰で見守る先生と並んで、海で楽しそうに遊ぶ友達をずっと見ていた。先生が、大事にならなくて良かったわ、と言ってくれていたのに、私はさっき溺れたばかりの海を怖いと思えなかった。
海で濡れた髪の毛が頬に張り付いて、腕はベタベタと気持ち悪かった。
◇◆
窓の外は雷雨。
夜に突如降り出した雨は嵐になって、轟々と低く響いていた。
遠くにいた雷が近くに来ているらしく、光とほぼ同時に聞こえる裂けるような音が耳に痛い。稲光が走る度、腕しか差し出すことのできないくらい細かい間隔ではめ込まれた格子のシルエットが、くっきりと部屋の中に映しだされていることだろう。
本当はどうなっているのか、今の私には知る術もない。
滲んだ視界では、全部が水の中にあるかのように明瞭性を欠いていた。涙を拭おうにも腕は動かせない。
あの夏のことを思い出したのは、息継ぎの仕方が分からなくなったから。
ここに海があるはずもない。けれど、私の呼吸を奪う彼は海のようだ。あの時みたいに、すぐそばに兄達も友達もいなくて。ここは私一人には広すぎて、世界に比べれば砂粒みたいにちっぽけなところ。
離れるなって言っただろうが、という兄の声。
ちゃんと怖さを感じておけば、こんなことにはならなかったのだろうか。
自分のものではない唾液を全部飲み干せば、ようやく波間に浮き上がることができた。それでも冷たい水は私を離してはくれない。
私を見下ろす彼は、夜の海の色だった。
【海】
幼い頃住んでいた屋敷の庭には、大きな無花果の木があった。
夏のある日、兄姉と私がその木陰で勉強をしていると母が熟れた無花果をいくつも籠に入れて持ってきた。
まだ私は三歳だったので、それほどはっきり記憶にあるわけではないが、夏の暑い中に母が皮をむいて渡してくれたその果実は、力加減を誤って持つと簡単に崩れるものだった。兄姉が慣れた手つきで食べているのに、私は掌の中で思わず握り潰してしまった無花果に戸惑っていた。それに気付いた母がナイフで小さく分けて皿に入れてくれたが、白い果実のさらに内には暗い赤色がびっしりと細かい襞になってついていた。確かに果実は甘いのに、私はそれの見た目も柔らかさも好きになれなかった。母に食べろと言われて小さな実を口に入れて舌ですり潰した。
手から溢れ落ちる実の残骸と感触が記憶にこびりついて、腐敗もせずぶら下がったままだった。
◆◇
ここに彼女が住むようになってから十月近くが過ぎようとしていた。
彼女の短かった髪も伸びて、毛先が肩につきはじめた。
私が彼女に突きつけた、それまでとは違う生活。それに彼女が馴染むまでは、と自分の欲は抑えた。そして一方的に約束を取り付ける。髪の毛が肩の長さになったら、本当に私のものになって、と。
その時彼女は酷く傷ついた表情で私を見上げて、すぐに顔を背けた。
可愛らしい抵抗だった。もうそれぐらいしか出来ないのだ、と気付いて私は嬉しかった。
今日、と決めていたわけではなかった。
最初は強くなってくる嵐に、一人で離れにいる彼女のことが気にかかっただけだった。これに怯えるような性格ではない事は分かっていたが、私は様子を見に行くことにした。案の定、彼女は怯えるどころか、窓の出に座り硝子戸に体を寄せて嵐を見ていた。
嵐が連れてきた稲光が一瞬、鮮やかに彼女の姿を映しては、すぐに闇に消してしまう。
それを見た私は不安を煽られた、いつか彼女がここから消えてしまうのではないかと。
彼女にここから出る術はない。
しかし、彼女は美しく堅牢な檻に入れられてなお、外に出る事を諦めていないようだった。実際には不可能だと分かっているのに、想像の中の彼女は易々と私の用意した檻を破ってしまう。
そんな事は、絶対に許さない。
私に気付いて驚いたように振り向く彼女。
細い肩にかかる髪。
私は自分の不安ごと彼女を手折る為に手を伸ばした。
瞼にいつもとは違う光が射す。
鳥や虫の声に微かな寝息が混じっている。
目を開けると、思ったよりも部屋の中は薄暗かった。
昨晩の嵐が嘘のような穏やかな夜明け。
私の隣に彼女がいるのを確認して、私は安堵の息を吐いた。
抱き寄せようとその背に手を回すと、彼女が小さく呻いた。
うつ伏せの彼女を隠す上掛けをそっと剥ぎ取ると、白い背に無数の吸い跡と歯型。
愛しい無花果だった。
無花果がアルフォンシーナ、海はルカです。
無花果美味しいなーって思ってた三日前に、突如夢で思いついて書きました。
やっちまった感が強い。