Buon Natale (ユーリ)
2日遅れですが、今度はユーリ兄さんの視点です。
一つ前のアルフォンシーナの方を読んでからの方がわかりやすいです。
あと、本編をほぼ最後まで読んでいただいてること前提のネタバレが含まれております。
今年のナタレは、準備段階からハッキリ言って不穏だった。
ナタレより少し前に、エリクとロベルタが結婚の約束をしたというのを聞かされた。
それ自体は歓迎すべきことだと思ったし、素直におめでとうと言えたのだけど。
「で、お前はどうするんだ?」
エリクの、聡いくせに残念な性格がナタレ前に出てしまった。
いや、今回に限っては、浮かれていて聡くすらなかったかもしれない。
ニヤニヤした彼を冷たく見据えて、ユーリは
「何がですか?」
と返した。
「アルの事だよ、好きなんだろ」
「妹としてなら、そうですね」
「またまたー」
そう言いながら馴れ馴れしく肩に手を置いてくる。
こういうところは本気で気色悪いと思いながら、ユーリはエリクの手をパシッと払った。
ひでぇなとか何とか言っているが、聞こえない。
蝿の羽音か何かのようだと思う。
「エリク、自分がそうだからと言って他人に押し付けない方がいいですよ、正直今のあなた、相当鬱陶しいですから」
そうなじったのに、なぜか嬉しそうなエリクを見て、ユーリは珍しく引いた。
恋とはかくも人をおかしくするのかという、一種の戦慄のようなものを心に留め置く。エリクの場合、元からだいぶおかしいが。
今、明るさの象徴であるかのようなエリクの赤銅色の髪色が視界に入ると、逆に心中が冷めてくるから不思議だ。
ユーリは早々に、色ボケしたエリクを思考から締め出し、四人で過ごせないことしているだろう妹のことを考える。
ナタレは家族で過ごす。
この国ではそういう風習があって、孤児院時代からその日をずっと四人で一緒に過ごしてきたアルフォンシーナにとって、今年のこの変化は堪えるだろうなと思った。
エリクは自分とアルフォンシーナが恋仲になれば話は丸く収まると思っている節があるが、ことはそう簡単ではない。それにはユーリの出自も関わってくるし、それ以前に幼い頃の記憶を持たない彼女にとっての家族の位置付けが、エリクの言うものとズレているという問題もある。
エリクがそういうところを見落としているのは珍しいが、状況を鑑みるにこれは仕方ないなと、ため息をついた。
案の定、ナタレに一緒に過ごせないということを聞いたアルフォンシーナは、一瞬不自然に固まった直後、そっか、とポツンと言った。少しきょときょとと花紺青の瞳を動かして、二人は家族になるんだねぇ、良かったね、と笑った。
そういうことだからアルはユーリと二人で飯でも食いに行けよ、と言われてうなづく彼女の、いつもとは違う機微に、多分エリクは気づいてないな、とユーリは軽く頭痛を覚えた。
この男の脳みそが、真っ当であれば気づくだろうに。
そんなユーリを、ロベルタが小脇からつついた。
「ユーリ兄は、アルの事いいの? このままで」
ロベルタはエリクと違って、そこは無理やり押してくるつもりはないようだ。
「このままも何も、そもそもアルとそういう関係になる気は、毛頭ないのだけどね」
エリク相手になら吐き捨てるであろうセリフを、もう一人の妹になら優しく言えるから不思議だ。
ロベルタは、そう感じてた、と肩を竦めてふわっと苦笑する。
「ユーリ兄、ごめんね」
「 何……?」
「エリク兄が聞かなくって。あの人聡いんだけど、ユーリ兄が見せないように抱えてるところまでは分からないと思うの、言わないと、ね」
その言葉にギクリとしたけれど、ユーリは返事をすることを放棄して、目の前で戯れているエリクとアルフォンシーナを見る。
ロベルタもそれ以上、この話を続ける気はないようだ。
眼前の二人のいつも通りのやりとりを眺めながら、ロベルタはそちらの事も分かるのだったな、とユーリは思った。
ナタレ当日。
家族と過ごす為、領の仕事自体もだいたい早く終わる。
忙しい時期ではあるが、この日はユーリもいつもより早めに仕事を切り上げた。
毎年、養父と彼の伴侶は二人きりで過ごすのを知っているので、ユーリもわざわざそれを邪魔しようとは思わない。彼らも、もしユーリが望むのなら一緒に過ごすかと聞いてくれたが、他の三人と過ごせるうちはそちらに行きたいと伝えている。
今日はエリクもこちらに来ない。
ユーリは一つ息をついて、机の上を片付ける。
想像したよりも気持ちは乾いていた。
街に出ると、賑わいはいつもより少なかった。
既に、ナタレの買い物を終えた人が多いのだろう。
夕暮れの中、店仕舞いをするところも見られた。
この後家族と過ごす為に、仕事を終えて帰宅する。晩餐の買い忘れに走る女性の姿もある。
立ち並ぶ家窓からは、楽しそうな声や、食事のいい匂いが漂う。
水色の飾りの合間を、目に見えない家族の営みが通り過ぎていき、ユーリは目を細めた。
ヴァレーダは、領民はともかく、あそこを収める一族はナタレを祝うことはしない。
家族での食事など、記憶にもない。
三つの頭を持つ白い大蜥蜴。
女神の神話よりも昔から伝わる、さらに古い月の話の中で、神の使いとして登場する空想上の生物。
その片方の前足は爪を立てて蔓模様の地を踏みしめ、もう片方には丸い宝玉を握る。
その紋章がヴァレーダのもの。
蔓はいうまでもなく女神がヴァレーダにおいた魔人の象徴で、流石に蓮の花は使わなかったのだな、と幼い頃に思ったことを覚えている。
ナタレでも自領の紋章を掲げ、女神などいないかのような振る舞いをする。
神官たちは神殿に集うし、国への配慮で置かれている教会もいつも通りひっそりとしている。
そのようなヴァレーダで育ったユーリは、バルキウィックに来て初めて、ナタレの風習に触れた。
ヴァレーダと並んで、それほど熱心に信仰しないと言われているアッカルディだが、それでもヴァレーダよりはきちんとナタレを祝っている。信仰が薄い理由が違うからだろう。
その後アルフォンシーナと出会い、彼女がヴァレーダに所縁があるのではということを知ってから、彼女を含む幼馴染達とナタレの日を過ごすのは、ユーリにとってもいつしか特別なことになっていた。
魔女の店の近くまで来たときには、もう夕闇がすぐそこまで迫って、あたりは家の灯と街灯とで、煌々と昼間とは違う色に染まっていた。
当然アルフォンシーナのいる店も、閉まってはいるだろうが、明かりはついているだろうと思っていたのに。
通りにアルフォンシーナが奏でる、王国南側の舞曲が響いている。
それなのに店には明かりがついていなかった。
外ですらこれだけ薄暗くなってきているのだ、店の中など殆ど見えないだろう、と入り口に立つ。
小さなナタレの飾りと、魔女の好む花がつけられたドアをそっと開けると、それに気づいた様子もなく、ドアには背を向ける形でアルフォンシーナがバイオリンを弾いていた。
ユーリは外套を脱いで、しばしその演奏が終わるのを待った。
店には明かりどころか暖房すらつけておらず、日が暮れるとともに、足元から寒さが伝わってくる。
いつまで待っても終わりがない演奏にユーリはため息をついて、術式を組んだ。
そして、まずはアルフォンシーナの一番近くにあるランプに灯を灯してやる。
彼女が演奏を終えて振り向く頃には、部屋の全てのランプが明るく輝き始める。
ユーリが外套を椅子の背にかけて彼女をみると、もう暗くなってたんだね、気づかなかった、とばつが悪そうに笑った。
テーブルに用意されているものは、だいたい明日でも食べられるもので、量もそれほど多くない。
「リカルド様の方は 、もういいんだね」
バイオリンをカウンターに置いた彼女は、振り向いてそう言った。
それを聞いて、全てに合点がいったというか。
ユーリは何とも言えない気持ちになる。
これまでに、幼馴染達以外を優先したことなどなかった。
彼女はエリクとロベルタの関係の変化を見て、ユーリの状況も考えてしまったらしい。今日ここに来ることはユーリにとっては確定事項だったのだけど、彼女にとってはそれは疑ってかかることだったようだ。
それほど、今日を四人で過ごせないことにショックを受けたのだな、とも思う。
本人は分かっていなさそうだけれど。
「私が来なければ、アル、一人だろう」
「いや、ネロがいるから……」
そう言って少し右下見る。ああ、嘘だな、と見抜いて笑えば、彼女は困ったようにこちらを見てくる。
彼女が嘘をつくときの癖を、わざわざ教えるつもりはない。
嘘については弁解するつもりもないらしく、彼女はそのまま店の奥に入って、ワインを持って出てきた。
ヤナが置いていったというそれ、もし飲めそうならと渡される。
ラベルに書かれている地名はハルキノの南東側、イングラシアに近いところだな、とユーリは思った。
もう、自分はあそこには関わりない者になっている。
ヤナがどういうつもりでこれを置いていったのかは分からないが、くれるというものはありがたくいただくことにした。
それから、ワインを飲んで待っていると、アルフォンシーナが温めたスープを持って戻ってくる。
それを並べながら彼女が来年の話などするから思わず苦笑した。
「大丈夫、また四人に戻るよ」
そう言えば、彼女は不安そうに首をかしげる。
でも、ユーリにはそう思う確証があった。
自分たちの関係が、アルフォンシーナなしではこうなり得なかったこと。
そして、それは当の彼女には分かっていないけど、他の三人、特に自分とロベルタは、そこに関しては揺らぎなく彼女に感謝している。
何も聞かないまま、こちらを信じてくれているということは、本当に大きいのだ。
食事の後二人で片付けをして、カミラがくれたというクッキーを出す。
もうそろそろ来てもいい頃なのだけれど、とユーリが時間を気にしたとき、目の前でアルフォンシーナが小さくため息をついた。
ああもう、この子は。
彼女にとっての、便宜上の家族はあの魔女。
孤児を引き取ったことですら奇跡的と養父は言っていたが。
引き取った理由の大部分は、彼女の頬にある魔術痕だろう。魔女はその相手を知っているのかもしれない。
こんな所に契約の印を付けるなんて、正気だとは思えない、それこそゾラハスにいた頃のあれを彷彿とさせるくらいに。
魔女は、人間と自分の違いにきっちり一線を引いてくる。
養子にしたとは言え、自分が不在の時には、アルフォンシーナに寄付金を預けて自分で教会に行くように言うような人だ。ナタレだって、一度たりと彼女と過ごしたことはない。
普段は家族をやっていても、女神が絡むと途端にその形をいとも簡単に崩すのが、魔女、ヤナ・ゲルギエフ。
そして、更に良くないことに、アルフォンシーナには幼い頃の記憶が一切ない。
家族の形は魔女との歪なものしかない。
かく言うユーリだって、まともな家族関係は養父に引き取られた後に構築されたものだけれど。
彼は、いつでも、どんな彼女でも受け入れてくれる場所を、彼女のために作りたいと思っていた。
そういう意味では、彼女のことを本当の妹のように思っているし、孤児院で知り合った自分たち四人は家族だ、あのゾラハスの家など、比べるまでもない。
それなのに、アルフォンシーナの口から出たのは、ロベルタとエリクの二人が『本当』にそうなるっていうのは良かったというもので。
ちゃんと言わないと、この子には何にも伝わらないのだな。
ユーリは立ち上がって、アルフォンシーナを抱きしめた。
小さな体は一瞬硬直する。
肩の下まで伸びた彼女の髪が頬に当たる。
愛おしい妹。
ユーリの予測が正しければ、自分の従妹なのだ、この子は。
彼女の事が愛おしいのは本当の気持ちなのか、それともヴァレーダの血がそうさせるのか、しばしば分からなくなる。
彼女に『本当』に血の繋がった家族を作りたければ、簡単な事だ。
彼女のことを、ヴァレーダ本家に告げればいい。
レオンならすぐに迎えに来るだろう、彼女の髪色に関わらず。
ヴァレーダは確かに血狂いだが、どこもかしこもゾラハスのような酷さを持っているわけではない。
そして鋼色の彼女の髪なら、月光のよう髪色の者に比べて自由は効くはずだ、多分。
それをしないのは自分のエゴだともわかっている。
どこにいるのが彼女の幸せなのかは分からない。
告げないことで、彼女の幸せを潰しているかもしれないと思うこともある。
だから、彼女が嫌だと言えば、その道も視野に入れるかもしれない、あくまで可能性だが。
ユーリにとって血の繋がりとか、紙の上の約束などは本当にどうでも良い。
彼がバルキウィックに来てから、自分で望んで作った関係だけは確かに大切だと思えるから。
「大丈夫、アルが嫌にならない限り、私たちがアルを一人にすることはないよ」
ユーリはアルフォンシーナの頭を撫でてやりながらそう言った。
こうしてやると、彼女の不安が幾ばくかは和らぐだろうと思って。
俯いた彼女の肩が少し震えている。
今年彼女がグリージアを飼うようになった理由を聞いた時、彼女が常々感じていたであろう不安を目の当たりにした気がした。
失くした記憶と、くっきりと浮かぶ頬にの棘は、日々密かに彼女の心を蝕んでいた。
誰に言われなくても彼女自身が一番わかっている、自分は普通ではないということ。
そして、それが彼女の未来に不確定な、何か良くないことを起こすのではないかと、危惧しているのだろう。
グリージアを買った理由の『ここに戻る理由が欲しかった』は、その漠然とした不安を、彼女なりに言い表したものだと感じた。
ありがと、と俯いたままのアルフォンシーナが、ようやく言葉を発する。
それを聞いてユーリは苦笑した。
もっと不安を言ってくれればいいのに。
「食事の時に言ってたの、落ち着いたら弾いてほしいな」
ユーリがそう言うと、俯いたままで彼女が首肯する。
椅子に座りなおしたところで、店の扉がいきおいよく開く音がした。
「Buon Natale!」
息を切らしたような、ロベルタの声を聞いて、ようやくかとユーリも入り口を振り返った。
大量の荷物を持たされたエリクが、ロベルタに続いて入ってくる。
その表情は、恋人とナタレを楽しむものではなかった。
ロベルタに飛びつかれて、アルフォンシーナは床に倒れこむ音がする。
バイオリンを持ってる時でなくてよかった。
ロベルタなら、バイオリンの有無に関わらず、こういうことをやるだろうから。
エリクはちらっとユーリの方を見て肩をすくめた。
そのまま、カウンターに荷物を置きに行く。
それを眺めていると、アルフォンシーナとのやり取りを終えたロベルタが目の前に座った。
「上着くらい脱いだらどうですか」
そう言うと、ロベルタはそうね、と立ち上がって外套を取る。
荷物を置いたエリクが戻ってきて、それを受け取り入り口近くの椅子にかけに行った。
そのあと、床に座り込んだままのアルフォンシーナを起こしてやった。
彼女が立ち上がるのを見て
「アル、さっき言ってたワインのボトル、まだ奥にあるんだろう?」
そう、彼女に声をかけた。ついでにエリクにも飲んで行くでしょう? と聞けば、彼は少し目を見開き、すぐにいつもの調子で笑った。
アルフォンシーナが準備するために店の奥に行き、ロベルタが荷物の中からお菓子を出すために席を離れた時、エリクが
「悪かった」
と短く言う。
何が、とは聞かない。大方、ロベルタに怒られて気づいたとか、そんなとこだろう。
「あなた、余計な気を回しすぎなんですよ」
「それ、さっきロベルタにも言われた、人の事にちょっかい出しすぎるなって」
「本当にその通りですね」
「酷いな、と言いたいところだけど、あんな顔させっちまってたんだな、悪かったな」
そう言ってエリクは店奥に続く扉を見る。
その顔がしょげているようにも見えて、ユーリはふふっと笑った。
「大丈夫ですよ、揃いましたから」
ロベルタが菓子を持って戻ってくる。
「見て見て、ユーリ兄。アルが好きそうでしょ、これ。」
「そうだね、喜ぶと思うよ」
そう言うと、ロベルタはにこっと笑って、ユーリ兄のもあるのよ、とカウンターのところに戻る。
「揃った、 ねぇ」
「そんなとこに突っ立ってないで座ったらどうですか」
そう言うと、迷わずユーリの隣に座った。
「まあ、揃ったってのはわかる気がする。今日は何か欠けてる感じだったからな」
いつものような快活さのない声と共に机の上を見つめるエリク。この男の、こういう飾らないところが好ましいな、と思う。
いつもは腹立たしいくらいのうっとおしさなのに、ここは外してはいけない、というところでストレートなのだ。
「あなたたちがきたら、一気に元どおりですよ」
「そうか」
そう言ってふっと笑った。
少し気を持ち直したのか、菓子にそろりと手を伸ばそうとするエリクの手を、タイミングよく戻ってきたロベルタが、ペシっと叩いた。
「だめよ、アルのなんだから!」
一個くらいいいじゃん、というエリクに
「エリク兄とユーリ兄はお酒飲むんだから、こっち」
そう言いながら、ナタレの市で売られていたのだろう酒の肴を並べた。
奥からアルフォンシーナが戻ってきて机の上に並んだ焼き菓子に目を輝かせる。
それを見てロベルタが、先に少し食べてから弾いたら?と椅子を指差した。
彼女が望む家族の光景を、こうやって続けて行くのは実際それほど難しくないだろう。
自分たち四人はいつだってお互いを切望していて、いない事に違和感を覚えたり寂しさを感じる。
あとはその感情を持ち続ける事。
そして、アルフォンシーナが、ここを自分の居場所だと思えること。
場所は彼女に対して閉じてはいない、彼女がそこを踏むのを躊躇しているだけで。
早くそれに気づくといいのに。
「乾杯しようぜ、乾杯」
エリクがそう言いながらグラスを掲げる。
それにグラスと、ティーカップが合わせて四つ、カチンと音を立てる。
ようやくナタレが始まるな、とユーリは思った。