2023 アルフォンシーナお誕生日SS3(side アルフォンシーナ)
私の誕生日の次の日。教会での演奏中、見覚えのある人が聴衆の中にいて、私は珍しく一音外してしまった。プロにあるまじき失敗だけれど仕方ないと思う。例えばいきなり隕石が降ってきたとか。それくらいあり得ない人だった。
こんなに心臓がびっくりしたのはいつぶりだろう。
何歳だったかの私の誕生日にサプライズでやってきた父がうちの家のドアをこじ開けた時も、こんなにびっくりはしなかった。私の誕生日に花束を持ってきたのに、留守だったからといってドアを壊して入り込んで待ってたりする? 結局ドアが直るまで、父がナイト気取りで家に滞在することになったので、とても嫌な思い出だ。
それはさておき、仕事の後、私。どうしよう。裏口からこっそり出るとか。知らんふりして通り過ぎるとか。この人は私に憂鬱ばかりを運んでくる。
アンコールの拍手にお辞儀をして、私はうまく笑えているかわからないまま頬に力をこめた。
教会から出たら思った通り、その人がいた。珍しく不機嫌そうじゃない。逆に怖い。
これだけ目立つところに立っている彼。目もバッチリ合ってるのに通り過ぎるのも変だよね。もしかしたら偶々いただけかもしれないし、とりあえず挨拶だけでもして、ジェラート食べて帰ろう。そう決めて、こちらから目を逸らさない彼のところへ行った。
「チャオ、ルカ。こっちで仕事だったの?」
「いいや? 約束したから、会いにきた」
それを聞いて、私は少し安心した。なるほど、誰かと待ち合わせしているらしい。
「そうなの、こっちにも友達がいたんだ。じゃあね」
そう言って私がジェラート屋さんに行こうとしたら、ルカが私の手を掴んだ。
「待てよ、アル。忘れたのか。また会いに行くって言っただろ」
「……あれって本気だったの」
「冗談だと思っていたのか」
スッと目を細めるルカ。だめだこれ。不機嫌になるやつだ。また舌打ちされるじゃん。答えに困っていたら、同じ地区にすんでる顔馴染みのおばさんが、アルフォンシーナ、と私を呼んだ。ルカがその声に私の手を離す。
「今日カボチャパイを作ったんだけど作りすぎちゃって。後で持っていっていい?」
「わぁ、うれしい!おばさんのパイ、大好き」
おばさんの方に駆け寄ると、おばさんは私の後ろに立つルカを見上げた。
「見かけない人ね。アルのお友達?」
「あー……うん。そう」
ルカとの関係性。聞かれたら困る。師匠の甥っ子って言えばいいのか。それとも仕事仲間。いや、仲間ではない。仲間は味方を攻撃したりしない、つまり私の演奏に舌打ちしたりしないってことだ。だから、ルカは仲間とは違う。おばさんが言うみたいに、友達、ではないと思う。
じゃあ後でね、とおばさんが手を振り、通りを横切っていった。
「お前、この後どうするんだ」
「ルカが来なかったら、もうジェラート食べて、家に帰ってるはずだった」
「そうか」
なんで嬉しそうなの、この人。
結局、ルカはジェラート屋さんにもついてきたし、一緒に食べたし。なんなら、今現在ちゃっかり私の家に上がり込んでいる。冷蔵庫で冷やしていたフルーツティーを持っていったら、埃被ったピアノの蓋に手を置いていた。
「これしかないけど、飲んでく?」
そう聞いたけど、ルカは何も答えずに手近にあった布でピアノの蓋を拭いた。
「誰も弾かないのか」
「うん、弾いてたのはおばあちゃんなの。もうだいぶ前に亡くなって、それからそのまま。父がたまに調律の人呼んだり、私の友達が弾いたりしてるけど。年に数回開けるかどうかだね」
明るい茶色のピアノは、おばあちゃんが大事にしていたものだ。私も母もピアノは弾かなかったけれど、おばあちゃんが弾けたからピアノは幸せだったに違いない。だから、ルカに弾いてもいいか聞かれて少し迷った。おばあちゃんの音とルカの音はちがう。このピアノが持つ音色で、おばあちゃんの音の上からルカの音が上塗りされたら、また私は後悔するんじゃないか、と。
しばらく考えた後、今日は遠慮して欲しいと伝えたら、ルカは分かったと言ってピアノから手を離した。あまりにあっさりしていたので、拍子抜けした。
手のひらくらいの高さのグラスに、フルーツティーを注いだ。当たり前のようにテーブルに向かい合って座るけれど、なんかおかしい気がする。
「今年のクリスマスも、ルカと一緒に弾くのかな?」
「さあ? 母に聞けばいいだろ」
「ミカエラ夫人、何もおっしゃらないんだよね」
「そうか」
ルカは綺麗な手でグラスをくるりと回した。これがピアニストの手かどうか、私にはわからない。ただ、ルカは一緒にいるととても困る。何を考えているか分からないし、時々楽しいこともあるけど、すぐに舌打ちするし。それに以前、私も彼との距離を失敗して、今とても気まずい。帰らないのかな、と思っていたら、しばらくここに滞在すると言う。
「……なんで」
「なんでって、せっかくアルに会いにきたんだぞ」
私、そんなこと望んでなかったんだけど。
「そ、そっか。まあ、来ちゃったんだから、うん」
仕方ないよね、という言葉は飲み込んだ。仕方ないってなんだ、と自分で自分にツッコミを入れる。
「アルの明日の予定は?」
「んと、明日は特に何も……」
喋れば喋るほどドツボにハマっていく気しかしない。嫌だな。私、多分ルカの舌打ちは嫌いだけど、それ以外別に嫌いじゃないんだよな。好きでもないけど。この場合、重要なのは嫌いじゃないってところで。
ルカの長い睫毛。綺麗な鼻梁。相変わらず派手なピアス。仕立てのいいシャツの下に隠された腕に鱗のようなタトゥーがあることも、もう知ってしまっている。
「ここに来るのは初めてなんだ」
「……へぇ」
「明日、何もないなら一緒に出かけないか? アルが暮らしてるところ、見てみたい」
ルカが口の端を上げるのに、う、と言葉が詰まる。断った方がいいのか、案内くらいした方がいいのか。
うちの近所は知り合いだらけで、とても気まずい。父のことがあるし、もう噂を積み重ねたくない。しかも、ロベルタやエリク兄と鉢合わせる可能性もある。うん。なし中のなし。説明めんどくさい。
じゃあ、どこに行く? と考えると、自然と顰めっ面になる。
私が返事に困っている間、ルカは家の中を見回して、
「花がたくさんある」
と呟いた。
「昨日、私の誕生日だったの。花は父からだよ。仕事で遠くに行ってるから、わざわざ近所の花屋さんに注文して届けてくれたの」
「そのネックレスも?」
「ううん。これは兄のパートナーさんから貰った。……変かな?」
つけたことがない色だから、結構気に入ってたんだけど、そんな、最近貰ったことがわかるようなものなのかな。
「アルが選ばなさそうな色だな」
「うん、誰かから自分が選ばないもの貰うの、良いね」
キラキラと胸元で照る、青いガラス。ティナさんがくれたっていうのが、とても嬉しい。
「誕生日だったんだな、おめでとう」
「ありがとう」
ルカは上着のポケットから小さな袋を取り出した。
「やる」
私の前に置いて、
「誕生日だって知らなかった。でもちょうどいいから」
え、何。
恐る恐る手を伸ばして茶色の紙袋に触れる。ルカの目が私の手を追っている。小さくて硬質な手触り。開けたら何か言わなきゃいけないんだろうな。
袋の口を開けて、手のひらを広げて袋を傾けた。中からコロンと出てきたのは、小さな赤い石がついたピアスだった。石以外の装飾がないシンプルなデザイン。
「これ、どうしたの?」
「アルに似合うと思って」
「……ありがと」
今つけてた白いマーガレットのピアスを外して、ルカがくれたものに付け替えてみた。
「どう?」
「想像してたより、かなりいい」
ルカが嬉しそうに笑った。見たことがない表情だと思った。
後日、赤い石がルビーだとわかったり、小さい割に高いアクセサリーだとしって、アルフォンシーナがまた悩むまでがセットです。
今年のバースデーはここまで。
お付き合いありがとうございました。