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第六話

 ……何か心地よい暖かさに包まれて、エミリアは目を開く。

「ひっ…… 」

 目の前間近にある、見慣れているようで見慣れない光景。

 ゆったりと開けられた襟元から覗く男の人の骨ばった首元とそれに続くがっしりとした首。

 そしてその上にはもちろん男の頭がある。

 寝入っている隙にいつの間にかエミリアの頭は男の胸の中に抱きかかえられていた。

 男の首を知っているとは言ってもそれはあくまでも一定以上の距離を保った上での話でこんな間近なことは初めてだ。

 腰には手まで回っている。

 気が動転しつつ、ひっくり返った声で悲鳴をあげながら男の傍を離れようと無意識に動く体をそのまま抱きとめられた。

 悲鳴をあげそうになった口を掠めるようなキスが塞いだ。

「いいから、黙って…… 

 間違っても悲鳴なんか上げるんじゃない」

 またしても髪を押さえられ枕から上げられない頭の傍に顔を寄せられ、聞き取れないほどのかすかな声が耳元で囁かれる。

 

 枕にエミリアを残したまま男は起き上がると、さっさとベッドを降りた。

 

「じゃ、巫女殿。

 また今夜…… 楽しみにしておいで」

 他人が聞いたら絶対勘違いされそうな台詞を吐いて男はベッドを降りる。

 脱ぎ散らかされ床に散らかる衣服をかき集め手早く身に着けると部屋を出てゆく。

 残されたエミリアは息をつきながら起き上がると、部屋の片隅に遠慮がちに昨日から身の回りの世話をしてくれる女の姿があった。

 

「君の行動は逐一あの爺さんに報告されているよ」

 昨晩の男の言葉がよみがえる。

 

 見られていた?

 いつからだろう? 

 

 一瞬にして体中の血が凍った。

 

「巫女さま、お疲れのところ申し訳ございませんが、そろそろお起きになっていただけますか? 」

 遠慮がちに声が掛かる。

「え? あ、はい…… 」

 促されるままにベッドを降りて、促されるままに昨日の着馴れない衣服を着せ付けられる。

 

 身支度を整え食事が終わると、昨日の大神官の居た部屋に連れてこられた。

 

 昨日も思ったけど、巨大な扉に大きな窓のある吹き抜けの部屋は、金の唐草模様の装飾で飾られ、同じ装飾を施した家具調度。

 一度目にしたら絶対に忘れないような豪華な部屋だ。

 

 部屋に足を踏み入れて、壁に掛かった一枚の肖像画を前にエミリアは首をかしげた。

 描かれていたのは昨日の大神官の姿らしいが、豪華な衣装に包まれた威厳のある姿はかなり若い。ついでに言うなら三割増し、男前。

 どう見ても虚構過ぎる。

 

「ああ、巫女殿。

 昨日はお疲れだったね。

 良く休めたかな? 」

 エミリアの顔を見るなり老齢の男は満面に笑みを浮かべる。

 

 だけど、昨日の話を聞いてしまったせいだろうか、男の目が妙な光を湛えているような気がしてならない。

 

「早速だけど、仕事をお願いできるかな」

 微笑んだままで神官は言う。

 

 昨夜男に聞かされた話が脳裏によみがえり、エミリアの表情がひきつった。

 

「じゃ、祈祷室には僕が案内するから」

 湧きあがる、今すぐにここを逃げ出したい感情を精一杯に抑えていると、背後から声が掛かる。

「これはウォティ殿下」

 昨夜からエミリアにまとわりつく銀灰色の髪の男に、神官は慌てて頭を下げた。

「いえ、そこまでしていただかなくても」

 神官は苦い顔をする。

「いいよ。

 ここに居る間はどうせ暇だし。

 部屋への案内ぐらいなら忙しい大神官の手を煩わせなくてもできるから」

 中央に置かれた机の上に山積みにされた書類に視線を移して言った後、ウォティと呼ばれた男はエミリアに向き直った。

「じゃ、行こうか」

 ついてくるのが当たり前とでも言いたそうに、エミリアに背を向けると部屋を出る。

「何してるんだい、こっちだよ」

 どうしていいのか戸惑いその場から動けなくなっていると、男は足を止めもう一度呼びかけてくれる。

「あの…… 」

 エミリアは部屋の中に残る神官に視線を向けた。

 あまり一緒に居たいと思える人物ではないが、それでも自分より身分が上である以上、勝手に別の人間についていったら失礼になる。

「行きなさい、殿下をお待たせしてはいけないよ」

「じゃ、失礼します」

 ひとつ頭を下げるとエミリアはウォティの後を追った。

 

「あ、ごめんなさい。

 わたし、とっても無礼なことをしてしまって…… 」

 男の後を追いながらエミリアは慌てて頭を下げる。

 

 ウォティ・トゥーカ・レフトネン。

 この国の人間なら誰でも知っている、王太子の名前だ。

 

 名前だけなら、貴族にありがちな…… と、何かの間違えだといえなくも無いが、先ほど大神官が『殿下』と呼んで頭を下げたから、間違えのはずは無い。

 

「わたしってば、昨夜の殿下の話に、

 『巫女』の相手になるのは王族の血を引いた人間だけだって聞いたのに…… 

 そこまで頭が回らなくて…… 」

 よりによって自分は王太子を怒鳴り散らしてしまった。

「それで…… 」

 先を歩いていた男が不意に足を止めエミリアに振り返った。

「君は、僕の身分を聞いて、僕に抱かれる気になった? 」

 怒ったような口調で顔を覗き込まれる。

「それは絶対嫌! 

 無礼な態度をとったことは謝ります。

 だけど、それとこれとは話が別っていうか…… 」

 エミリアの最後の言葉はしどろもどろになっていた。

 本当はこれだけの身分の人間に望まれれば自分みたいな下層の身分の人間に拒否権なんか無いのかもしれない。

 しかも、『巫女』の仕事としてといわれたら尚更だ。

 

 だけど…… 

 

 気持ちの無い相手と床を共にするなど、エミリアに受け入れることなんてできなかった。

 

「……それでいい」

 エミリアを覗き込んだ男の顔がふと綻んだ。

「え? 」

「だからいいって言ったんだよ。

 身分に目がくらんで転ぶ女なんてこっちから願い下げだ」

 言ってくしゃりとエミリアの頭を撫でた。

 次いで止めていた足を再び運び出す。

 

 しばらくいった先に見えてきた大きな扉の前で男は足を止める。

「ここが君が仕事をする部屋だよ」

 自らその大きな扉を開けてくれながら言った。

 

「え? 何? 」

 エミリアはその光景に目を見開き言葉を失う。

「どうかした? 」

「だって『祈祷室』だって言うから。てっきり日の光も差さない狭苦しい部屋なんだろうなって、覚悟してたから…… 」

「ああ、そういうこと? 」

 納得したように呟いてウォティが室内へ視線を向ける。

 その鼻先をひらひらと蝶が舞った。

 

 同じく視線を向けた、扉の開け放たれた先には大きな花園が広がっていた。

 

 とりどりの花の咲く花壇からはかぐわしい芳香が漂い、どこからか蜂の羽音がかすかに響く。

 中央にしつらえられた噴水からは水が湧き出し、庭の植物を潤す。

「ここって…… 」

 その上部を見上げながらエミリアは呟いた。

 噴水の真上を中心にして頭上に広がる巨大なガラス張りのドーム。

 それには見覚えがあった。

 

 王都の中心小高い丘の上に建つ王宮に寄り添うようにして作られた巨大な神殿。

 その象徴のドームだ。

 ずっと外側だけを見てきたあのドームの内側がまさかこんな風になっていたなんて思いもしなかった。

 

「驚いた? 」

 目を見開いてその光景に見入るエミリアの顔を覗き込んで、男が軽い笑い声を漏らす。

「何かあったらここに篭るといいよ。

 ここは巫女だけの聖域だから。

 君の許可無く誰も立ち入れないことになっている」

「ここ…… 部屋なんてものじゃない」

 エミリアは呆然と呟く。

 むしろ庭というか温室とでも言うべきか。

 何処からか吹き込む風に目を凝らすと、天井のガラス張りドームの一部が開いている。

 そこから涼やかな風が通り抜けていった。

「ほら、あそこに泉があるだろう? 」

 あの泉の水脈はこの国の全土に広がっているんだ。

 だから、君がここでここにある植物たちに祈れば国中にあまねく祝福の水が届けられるって寸法。

 万がこの場所で巫女に機嫌を損ねられると国中の井戸が毒を含む。

 だから君以外の誰も踏み入れられないんだ」

 エミリアの手を取るとウォティは庭の中に引き入れる。

 風に揺れた花の匂いが濃厚に躯を包み込んだ。

「何か…… 」

 植えられた花の中に立ってエミリアは首をかしげる。

「どうした? 」

「なんだか、少し元気が無いみたい。

 どこか悲しそうな気がするの…… 」

「そこまでわかるんだ。

 巫女殿が身罷って以来誰も手を入れないからだとは思うけどね」

 それでなんとなく元気が無いように見えたんだ。

 エミリアはそう納得する。

「君の好きに使っていいことになっている。

 花の庭がお気に召さないのなら全部引き抜いて麦を植えることも可能だよ」

「だって、この花せっかく綺麗に咲いているのに…… 」

 引き抜くなんてとんでもない。

「この花園はね、先代の巫女の趣味なんだ。

 ことさら薔薇の好きなお方だったみたいだから。

 君は君の好きな庭にしていいんだよ」

「じゃ、動物とか飼うのっていいの? 」

 男の顔を見上げてエミリアは訊いてみる。

「動物? 馬みたいな大きなものは無理だけど、犬のような小動物なら大丈夫だよ」

 男の目が面白そうなものでも見つけたかのように見開かれ輝いた。

「だったら、鶏がいいな」

「鶏? なんでまた」

 男が睫を瞬かせた。

「鳥は駄目? 」

「いや、そうは言わないけどさ。

 君くらいの年だったら鳥は鳥でも小鳥のほうが好きじゃないのかい? 」

「小鳥より、鶏のほうがいい。

 食べられるし、卵も取れるでしょ? 」

 その言葉に男が目を見開くと大声で笑い出した。

 

 


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