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第二話


「巫女様? そろそろ、よろしいでしょうか? 」

 湯殿の向こうから先ほどの女の声が遠慮がちに掛かる。

「あ、はい! 」

 大声で答えると、エミリアはバスタブを上がる。

 

「ご衣裳はそちらにご用意しておきましたので…… 」

 促されるままに目を向けると、傍らのチェストの上に真っ白な布が畳まれて置かれていた。

「ありがとうございます」

 答えたエミリアはそれに恐々手を伸ばす。

 どうみても人のお下がりや古着ではない衣類など、見るのも触るのも初めてだ。

「って、シーツ? 」

 それを広げた途端にエミリアは思いっきり首をかしげた。

 真っ白な布には縫い目が全くなく、ただ大きいだけでエミリアが普段着ているブラウスとは全く違う。

「あの、すみません! 」

 何かの間違えか、きっとからかわれてでも居るのだろう。

「わたしの服…… 」

 エミリアはさっきから声のする方に顔を向ける。

「失礼しました、トーガは初めてですよね。

 お手伝いさせていただきます」

 遠慮がちに女が脱衣所に入ってきた。

「あのね、普通のでいいんだけど…… 」

 こんな立派な場所だ。

 今まで着ていた埃だらけの衣服をそのまま着させてくれるとは思っていなかったけど、いくらなんでもこれは異常だ。

 エミリアが普段着ている衣服どころか、お祝い事やお祭りの時でもないと袖を通せない晴れ着の裾の長いドレスとも全く違う。

「巫女様の装束はこれと決まっておりますから」

 女は手馴れた様子でエミリアの躯に布を巻きつけると、帯とピンを使って一枚の布を簡単に着せ付けてしまった。

「いかがですか? 」

 傍らに置かれた鏡に姿を映し、それを覗き込んで女は言う。

 女の手に掛かると、ただの一枚の布が躯に沿った裾の長いドレスになるから不思議だ。

 神殿の脇に立つ女神の像と同じ装い。

「あの、これっ…… 

 本当にこれでなくちゃいけない? 」

 視線を泳がせてエミリアは訊く。

 むき出しのデコルテや肩の辺りが気になる上に、胸の形がくっきり出て、ドレスや衣服というよりも寝巻きに近い。

 常識的に考えて人前に出られる姿じゃない。

「そう決まっておりますから」

 視線を落としエミリアの髪を梳りながら、女は表情ひとつ変えずにさっきと同じ言葉を口にした。

「う~ 」

 眉間に皺を寄せ、唸っていると髪を触っていた女の手が離れる。

「さ、できましたわ」

 鏡に写るエミリアの姿をもう一度確認して女は顔を上げた。

 

「わた、し? 」

 思わず口をついて出る言葉。

 

 見慣れない白い衣服に包まれた肩を赤銅色の房に整えられた巻き毛が取り巻く。

 その取り合わせだけでも充分に目を引くのに、瞳の澄んだ緑が更に色を添え、まるで別人みたいだ。


 そのあまりの華やかさは、無造作に両肩からお下げを垂らし、その髪の色と大差ない赤み掛かった茶色のワンピースにヘンプの生成り色にくすんだエプロン、そんないでたちしかこれまでしたことのなかったエミリアにとっては全くなじみのない、居心地の悪いもの以外の何物でもない。

 

「良くお似合いですよ。

 巫女様はお顔立ちも整っていらっしゃいますから…… 」

 

 言葉を失っていると身支度を手伝ってくれた女が言う。

 

「そうぉ? 

 ……なんか、非常にそぐわない気が…… 」

 返す返す鏡に写ったその姿を眺めてエミリアは疑いの目を女に向けた。

 日に焼けて小麦色に染まった肌、艶の無い赤髪。

 どう見ても、この高価そうな衣装に見合っていないような気がする。

 こう言うのはもっと、手を汚さなくていい良い暮らしをしているご令嬢のもので、間違っても自分が着ていいものではないような気がする。


「それでね、その、巫女様って、何? 」

 途切れ途切れに訊いてみる。

 女はそれが当たり前とでも言うようにさっきからエミリアに呼びかけているが、エミリアにしてみたら間違え以外の何物でもない。

「巫女様は巫女様ですけど…… 」

 女は解せないという表情で睫を何度か瞬かせた。

「何かの間違えじゃない? 

 わたしは、巫女様なんかじゃないよぉ。

 ただの小さな牧場主の娘で…… 」

「巫女様の出自は存じてますよ。

 ですが巫女様には代わりありませんから」

 エミリアの言葉に女は困惑気味に眉根を寄せる。まるでそれ以上何も訊いていないと言いたそうだ。

 

「そろそろ、いいか、な…… 」

 戸惑っていると扉の外から男の声が掛かった。

 さっきエミリアと同じベッドに横になっていたあの男だ。

「あ、はい。

 ただいま! 」

 女は慌ててドアを開けた。

 

「いかがでしょう? 」

 女は男に許可を求めるようにエミリアに視線を落として訊く。

「ふむ、これは…… 」

 目の前に立たされたエミリアの姿を足の先から頭頂部まで徐々に視線を動かして眺めた後、自分の顎へ手を持ってゆくと軽く首をかしげて目を細め、男は呟いた。

「やっぱり、変。だよね。

 やっぱ、わたし…… 」

 いかにも値踏みされているような男の視線に耐えかねて、エミリアはさっきまで居た湯殿の脱衣所へ引きこもろうとした。

「どこへ、行くんだい? 」

 逃げようと背を向けたところを翻った髪を掴まれ引き止められた。

「帰るの! 家に」

 突然の乱暴な行為にエミリアは声を荒げた。

「そう言うわけには行かないんだよ。

 時間だ、おいで」

 エミリアの巻き毛を握ったまま男は歩き出す。

「え? あの、ちょっと待って! 」

 声をあげながら抵抗を試みるが、髪をしっかりと掴まれているせいで従わざるを得ない。

「いいからちょっと黙ってくれないかな。

 たかが湯浴みにあんなに時間をかけた君が悪いんだからね」

「って、言われてもぉ…… 

 どうして、ってか、何かの間違えですよね。

 わたしが巫女だなんて…… 」

「君、もしかして何にも聞いてない? 」

 呻くようなエミリアの呟きに男がふと振り返る。

 

 エミリアは大きく頷いた。

 

「詳しい話は、彼に聞くといいよ」

 廊下の正面に面した大きな扉の前で足を止めると、男はそれを開きながら言う。

「え? あの! 」

 戸惑いの声をあげているうちに目前が開け、これ以上ない程の明るい光で満たされる。

「じゃ、僕はこれで…… 」

 男は『役目は済んだ』とばかりに去ってゆく。

 呼び止める暇さえなかった。

 白く染まった視界に瞼を瞬かせてしばらくすると、天井の高い部屋に一人の男の姿が見て取れた。

 昨日エミリアの元を訪れた神官達と同じ長い貫頭衣に分厚いローブを纏った姿。

 違うのは男の年齢が昨日の神官より年嵩であることと、着ているローブが豪華なことだ。

「おはよう、巫女殿。

 ご機嫌はいかがかな? 」

 あくまでも穏やかに語り掛けるが、その視線が先ほどの男同様にまるで値踏みでもするかのようにエミリアの躯全体を這う。

 いや…… 

 値踏み以上の何か。

 エミリアの躯をなめまわすかのような、下卑た視線。

 そしてその瞳が狡猾そうに光った。

「……いいわけ、ない」

 その視線にわずかに嫌悪感を覚えながらエミリアは口にした。

「あの、わたし。

 どうなっているんですか? どうして、巫女なんて…… 

 何かの間違えじゃ! 」

「間違えではありませんよ。

 エミリア・へリスト。

 あなたには先日身罷った先代神子様の後を継いでもらうためにお迎えしました」

 ゆっくりと冷たい声で男は続ける。

「だから、わたしが聞いているのは、どうしてその次期巫女様にわたしがならなくちゃいけないのかって事」

「答えは簡単です。

 あなたにその能力があったから」

「はい? 」

 全く聞き覚えのない男の言葉にエミリアは訊き返す。

「元来この大地は毒を有していることは知っていますよね? 」

 その言葉にエミリアは頷く。

 

 誰でも知っている常識。

 

 世界の大地は毒に侵されている。そこで育った植物は生育が悪くわずかではあるが毒素を含んでおり、長年摂取すれば寿命を縮めるのは必至。

 ただ一部の水、大地の奥から染み出すわずかな湧水がその毒素を中和する力を持っていた。

 人々はその湧き水の周辺に自然と町を造り、へばりつくようにして何とか生きている。

 

「神殿に仕える巫女は、祈ることでその湧き出でる泉の水の量を増やし、正常な植物を芽吹かせる力があることも」

「ちょっと、待って。

 それはわかるけど、どうしてそれがわたしのわけ? 」

 確かに子供の頃からずっとそう聞かされてきた。

 だけど、それがどうして自分と繋がるのか皆目わからない。

「あなたのご両親の農場は、とりわけ収量が高いことはご存知ですよね」

 かなり高位の神官だと思われる男は、傍に置かれた台から一枚の書類を取り出し確認するかのように言う。

「らしいけど…… 」

 農園の経営に直接手を下しているわけじゃないから詳しいことはわからない。

 ただ、あの牧場で育った牛や羊がよその農場のものよりも健康で太っていて乳の出が良く、羊毛は質がいいとは聞いている。

 おかげで買い手がひきもきらず、同じ規模の農園主より少しだけ生活が楽なのは理解していた。

「それが、どうしてだか考えたことは? 」

 男の言葉にエミリアの顔が青ざめた。

「そんなの、知らない…… 」

 搾り出すように答える。

「とにかく、農場は今羊の毛刈りのシーズンで忙しいの。

 帰らせてもらいます」

 エミリアは神官に背を向ける。

「帰る? 

『魔女』と恐れられているあの場所へ? 」

 歩き出したエミリアの足は男の言葉で止められた。

「どうして、それ…… 」

 ゆっくりと振り返ると男の顔を見つめる。

「君がはだしで踏みつけた大地からは草が芽吹き、恐ろしい勢いで成長する。

 その手で摘んだ花は何日も枯れず、茎と切り離されているのにもかかわらず実を結び種をつける」

「そんなことあるわけないじゃない! 」

 男の言葉をエミリアは覆すように声を荒げる。

 しかしその顔は色を失い、肩は明らかに震えている。

 



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