第五話:征炎剣フレデーラ①
身体が軽い。振るう剣に重さを感じない。
しかし、それは決して筋肉がついたというわけではない。
訓練場の中心で剣を振るう。俺のために作られた竜の剣を。
周辺には誰もいない。もはやこの国の騎士を相手に特訓を繰り返しても意味がないことが理解出来たからだ。
黒帝剣を振り回す事一時間程、初めは整えられていた訓練場は見るに耐えない有様だった。土がむき出しになっている地面は大きく抉れ、広々とした訓練場のそこかしこにいくつもの穴が開いている。
最後に身体を回転するようにして剣を振り回すと、地面を踏み砕き無理やり動きを止める。
そして、刃を静かに下ろした。
確かめるように頰に触れる。額に触れる。散々振り回したが、息は乱れていない。汗もかいていない。
間違いなく、現実では成立しえない膂力である。何しろ、訓練を受けた城の騎士が持ち上げるのがやっとな重量なのだ。
この世界での自分自身について冷静に考えた事はなかった。
俺の身体は、腕も脚も、体幹も、召喚される前のままだ。見た目は何も変わっていない。
ただ、その力だけが強くなっている。あらゆる身体能力が上がり感覚能力が鋭敏化になっている。魔法を使うために消費するという魔力だけが唯一人並みらしいが、魔法の使い方なんて知らないので気にする事はない。
つまり、それは人間ではないという事だ。王や大臣など、この世界の人間を人と定義すると、召喚された勇者は人間ではない。
俺と騎士の一人の腕の太さを比較するとしよう。
間違いなく後者の方が筋肉が付いている。が、腕相撲すれば勝つのは俺だ。不自然な話だが、それが真実なのだ。
リバー将軍の行ったアドバイスは今改めて考えると、尤もである。
常識にとらわれては――いけなかったのだ。
誰もいない訓練場を睨みつけ、かつてミノタウロスと初めて戦った時の事を思い出す。
ミノタウロスは巨大だった。その一撃は地を割り、木々をなぎ倒し、風を呼んだ。どれほどの力があればその斧の一撃を――素手で受け止められるというのか。恐らくいくら力があったとしても、この世界で生まれた人間がそれを素手で受け止めるのは無理だろう。
筋肉はないが力はある。皮膚が固いわけではないが刃は通らない。
いくら動いても息切れもしないし、疲労もしない。汗もかかない。
それが、勇者。この世界に召喚された聖勇者、神矢定輝。
俺の身体能力はこの世界では――人よりも魔に近い。
それが自分に対して改めて理解した事。
人はその脆弱な能力を補うために道具を生み出した。ならば異常な身体能力を得たその時、どうするべきなのか。
「ここで出来る事は多くないな……」
誰もいない空間に呟く。訓練場は広い。一対一の訓練ならば十組が同時に訓練を行えるだけのスペースはある。が、所詮障害物も何もない場所だ。
獣の性能を持っているのならば獣のように動けばいい。かつて森の樹木の上を跳んで移動したあの時のように。
身体能力が上がらないのならば現状の力を有効に扱う術を自分なりに突き進めなくてはならない。何しろ、この身体が何を出来るのか俺はまだ完全にわかってはいないのだから。
それをするにはこの訓練場は狭すぎた。外に出なくてはならない。顕現化を試みるためではなく――強くなるために。
ちょうどその時、風に乗って足音が聞こえてきた。眼を閉じてそれを計る。
重い足音だ。レビエリやリースグラートの体重は軽い。聞き慣れたレビエリやリースグラートのものではない。
金属の擦れるような音に呼吸の音。聞こえるものだと思った事はなかったし、聞こうとした事もなかった。
だがわかる。今ならば分かる。読み取ろうとすれば読み取れる。音の、匂いの微かな違いがわかる。恐らく何度も繰り返せば性別や体格なども見分ける事ができるだろう。
だから俺は、怪物のように動かなければならない。
聖剣を使わずに魔王を倒そうとするのならば、魔王を超える怪物にならねばならない。
足音が訓練場に入ってくる。視線を向ける。やってきたのはガリオン王国騎士団の装備、白銀の鎧を着た男だった。
男は地面に残る破壊の跡を見て一瞬息を呑み、しかしすぐに俺の方に視線を向けると、機敏な動作で敬礼してみせた。
しかし、その表情はいつものそれよりも強張っている。
「……勇者殿、将軍がお呼びです」
「……ああ……分かった」
地面に投げ出してあった鞘を拾い、剣を納める。
大地を抉る程の力で振るっても、刃には罅一つはいっていない。
鞘から抜けないように留め金を止めると、それをベルトに引っ掛けるようにして背負う。そして、あちこちに穴の開いた訓練場を見渡した。
この場所は俺だけが使うわけではない。自分のやったことの後始末を頼むのは申し訳ないが、このままにしておくわけにもいかない。
「少し試したらこうなってしまった。誰かに整備を頼めるだろうか?」
「……承知しました、手配します。……しかし、一体何を……?」
「剣を……少し振っただけだ」
剣を少しだけ力を入れて振っただけだ。
だが、まだ本気ではない。手の平を軽く握りしめ、感覚を確かめる。
対人訓練では常に動きも力もセーブしていた。しかし、まだ力が出せる感覚がある。本気で剣を地面に叩きつけたら特注の剣でも折れてしまうかもしれない。
俺が召喚される際に授かった身体能力は、以前召喚された勇者の能力よりも遙かに高いらしい。もしかしたらそれこそが、俺が召喚時に本来得られるはずのスキルを得られなかったその代わりなのかもしれない。
男が俺の言葉にもう一度大きく息を呑み、乾いた声で言った。
「……将軍の元まで案内します、勇者殿」
「……」
恐れられてもいい。俺がこの男の立場でも恐怖を感じる事だろう。
だが、思いつく限りの出来る事はやっておくつもりだった。黒竜のような強大な魔物が現れた際に、今度こそ自分の力で勝利するために。
§ § §
「外壁の結界の修復のために、ガーデングルまで使者を送る事になった。勇者殿もそれに付いていくと良かろう」
リバー将軍が顎髭に触れ、俺にそう言った。
案内された円形の大きなテーブルが置いてある王城の会議室。その周りにはガリオン王国騎士団の証である白銀の甲冑に身を包んだ屈強な男たちが並んでいる。
リバー将軍の隣には非常に場違いなフレデーラが偉そうに脚を組んで腰を掛けていた。宝物庫の外で見るのは久しぶりだ。
フレデーラが、自分よりも二回りは大きいリバー将軍の腕を臆した様子もなく叩く。
「リバー、ちょっと貴方、勇者様に失礼じゃない?」
「既に手紙でガーデングルには話が通っている。我らの任務は結界を再構築出来る術者をガーデングルからこの王都まで安全に届ける事にある」
リバー将軍はフレデーラに視線を向ける事なく、厳格な眼と口調でそう断言した。
それに対する騎士たちの表情も真剣なものだ。
ガリオン王国の騎士団はこの周辺諸国でもかなりの練度を誇るらしい。日に焼けた肌に鍛え抜かれたその身体。鋭い目付きからは熟達した戦士の印象を受ける。
ガーデングル。何処かで聞いたことがある地名のような気もするが覚えてない。
眉を顰めて、手を上げて聞く。
「ガーデングルとやらは遠いのか?」
無知を表す俺の言葉にも、将軍は気を悪くした様子もなく答えた。
「距離はそれほどない。馬車を使えば片道で一週間といった所だろう。幾つかの村を中継して向かう事になる」
「魔物は?」
「出る。強力な魔物の目撃情報は今の所ないが、この時勢、油断は禁物だ」
黒竜の出現もこの国にとっては予想外だった。
王都はガリオン王国の中心部にある。竜にその外壁部まで接近された事実はかなり重く、そして近づかれるまで一切目撃情報がなかった理由もまだわかっていないと聞いている。
このぴりぴりした雰囲気はそのためだろう。王都に流れる空気が穏やかなのもあり忘れがちではあるが、ドラゴンの出現に綻びが出た結界。今のこの国は非常事態にあるのだ。
「王都の結界は古くに張られた強力なものだ。精霊の都、ガーデングルにもそれを張れる者は殆どいない。ガリオンとかの都は友好関係にあるが、術者を融通してもらうのに今まで時間を要した。万一その護衛に失敗すれば次の機会を作るのは難しい」
リバー将軍がじろりとこちらを睨みつける。まるで俺の覚悟を問うているように。
俺はただ、唇を結んで大きく頷いた。俺は騎士団との連携訓練なども受けていないが、いないよりはいる方が役に立つはずだ。
将軍が視線を外す。そして、部屋に集まったそれぞれのメンバーの眼を順番に見た。
「俺は王都を空ける訳にはいかない。この件についての指揮はガリオン第二騎士団の団長――ワレリーに一任する」
将軍の言葉を受け、一人の男が立ち上がった。
この部屋に存在する騎士の中でも一際巨大な体軀を持った男だ。
浅黒く焼けた肌に、剃り上げられた頭。三白眼な事もあり、信じられないくらいの凶相は騎士と呼ぶよりは蛮族のようにも見える。身にまとう鎧も恐らく特注品なのだろう、周りの他の騎士に比べて一回り大きい。
ワレリーと呼ばれた男は立ち上がると、耳鳴りがする程の巨大な声で叫んだ。
「第二騎士団団長、ワレリー・センニコフ。謹んで任をお受け致しますッ!」
びりびりと震える空気。それが治まる間もおかず、ワレリーがこちらを向く。
その獲物を狙う虎の眼おような目付きに、自然と緊張する。殺意がないのが不思議なくらいだ。
ワレリーは無言のままこちらに歩みを進めると、こちらを睨みつけた。
何も言わずにその視線を受けていると、その腕をこちらに差し出してくる。俺よりも二回りは大きな、訓練で固くなった手。
「聖勇者殿。お噂はかねがね聞いております。このワレリー、共に任に付くことができる事を嬉しく思います」
「あ……ああ。宜しく頼む。神矢 定輝だ」
睨みつけたような表情ではきはきとしゃべる。まさか……この顔は睨みつけているのではなく普通の状態なのだろうか?
こちらも手を差し出し、がっしりと握手を交わした。
見た目から予想できない言葉に振る舞い。思わずレアリティ判定のスキルを使うと、ワレリーの頭の上にAという文字が浮かんできた。リバー将軍がSランクなので、妥当な判定だと言えよう。
地位と能力がマッチしているとも言い換えられる。まぁ、スキルがどれだけ信用できるかは怪しいものではあるが――。
将軍は俺とワレリーのやり取りに一度頷くと、付け加えるように言った。
「敵は魔物だけではない。最近、ガーデングルへの道中に盗賊が出没するという情報が入っている。現在、他の騎士団にそれを追わせているが、未だ壊滅出来ていない。十分に注意せよ」




