第四話:聖剣のいる生活④
レビエリとリースグラートは現在俺の屋敷に住んでいる(もちろん、寝室は違う)。
日中は主に俺が屋敷の外にいるので一緒にいる時間は多くないが、時間が空く夜になると、俺の部屋に来て色々会話を交わすのが半ば日課のようになっていた。
内容は大体が他愛もないものだが、何しろこの世界には携帯もゲーム機も漫画もない。
聖剣二人と会話を交わすその時間を俺は割と楽しみにしていた。二人とも剣だが顔はいいのだ。可愛い女の子と話すのが嫌いな男なんていないだろう。
レビエリとリースグラートからされる話は概ね、日中別れて行動している時の話が多い。
レビエリはここ最近、昼間は、俺の世話をするために屋敷のメイドから家事を学んでいるらしく、料理、掃除、洗濯、どれも慣れない仕事だったが徐々にその腕を向上させている事。リースグラートも同じように(彼女の場合はレビエリに強制されているらしい)家事を学んでいるが全然腕が上がる気配がないらしいという事。
俺からするのは大体訓練の話だったり、現実世界の話だったりをする事が多かったが、今日の話題は宝物庫で交わした会話についてだった。
アインテールからされた話に入ると、レビエリが目を丸くして可愛らしく首を傾げた。
「氷止剣……アイちゃんの顕現化……ですか」
「知ってるか?」
俺の中でレビエリは知識の宝庫である。もしかしたら新たな情報が見つかるかもしれない。
期待半分で尋ねたその言葉に、レビエリが困ったようにリースグラートの方を見た。リースグラートもまた眉を顰め、首を傾ける。まぁ……もともとリースグラートには期待してないし。
「僕も知らないですね。なんたって聖剣としての力は――基本的に極秘ですから」
「そうか」
気にならないと言えば嘘になる。だが、深入りするつもりもない。
余りにも不思議な条件だったので確認してみただけだ。なんでペーパーテストやらにゃならんのだ。
俺の質問に答えられなかったのが悔しいのか、レビエリが慌てたように言葉を続ける。
「ですがッ! アイちゃんは……嘘はついていないと思います」
「そうなのか?」
冗談だったらどれほど良かったか。テストとか……夢の中でまでテストとか……やりたくねえな。
レビエリがごくりと息を呑み、その白い首筋が僅かに動く。どこか色っぽい首筋に視線が吸い寄せられる。かーわーいーいー。
馬鹿な事を考えている俺に、レビエリは深刻そうな表情で言う。
「はい。なんたってこの国には――虚偽を許さない……光真剣がありますから」
「トリちゃんの前で嘘を付くと――破棄されちゃいますからね。王だろうが僕達聖剣だろうが――お構いなしに」
リースグラートがわざとらしく身体を震わせ、ふへーと笑みを浮かべる。こいつ、いつか破棄されそうな感じだよな。
しかし、そう言われてみると、以前レビエリが嘘をついたと分かった時のトリエレの反応は確かに――尋常なものではなかったかもしれない。見た目は幼いが、聖剣の見た目の年齢は当てにならない。
レビエリがふと右手を伸ばし、俺の手に触れる。その指先がゆっくりと俺の手の甲をなぞる。俺は何も言わずに身を任せた。
心配そうなレビエリの瞳。その唇が囁くように警告する。
「勇者様も……気をつけてくださいね。この国が大国と呼ばれる事になった要因の一つは間違いなく――この国に光真剣がいた事ですから」
「どういうことだ?」
「この国では――虚偽が許されないのです。トリちゃんは顕現化していない状態でも嘘を見抜く事ができますから」
超高精度な嘘発見器があるようなものか。
嘘を見抜く事が出来る。大国となった要因。
ふと、国王を始めとした、俺が会ったことのある貴族たちの姿が脳裏を過る。
召喚された直後から思っていたが、王も大臣もひどく能天気だった。良く言うのならば『善良』と言ってもいい。
そんな人柄で国王やら大臣がよく務まるものだと思っていたが、もしかしたらその理由も――。
思考が埋没しそうになったが、レビエリがまだ心配そうな視線を向けてきているのに気づき、慌てて振り払う。
よく出来た設定だが、これも所詮は夢に過ぎない。王が善良である事に越したことはないし、俺に与えられた役割は魔王の討伐だ。
いつの間にかレビエリが近くに来ていた。
手を伸ばせば抱き寄せられるくらい近くに。至近距離から翡翠の眼が俺の眼をじっと見つめる。
深刻そうな声でレビエリが言う。
「……いよいよフレちゃんを試すんですね」
「ああ……少しだけな」
「勇者様はまだ聖剣を使わずに魔王と戦うつもりですか?」
「……正直、少しだけ迷っている」
最初はたった一人で戦うつもりだった。見た目幼い聖剣なんて使う事無く。
初めて絶望を感じさせられた敵。漆黒明竜と戦った直後もその思いは大きく変わらなかった。その頃の俺はちょっと実戦経験を詰んだ程度の、まともに訓練すら受けていない男だったからだ。
だが、今は違う。
これは夢だ。間違いなく夢だ。リアリティがあるように見えて、その法則は現実の世界と乖離している。
最近、俺の胸の奥底には一つの疑問が燻っていた。
――果たして俺に、伸びしろはあるのか?
リストバンドを特別に作ってもらい、自らの身体に負荷をかけてみた。
王国の騎士と戦闘の訓練をした。剣技の指南も受けたし、聖剣程じゃないが強力な武器も手に入れた。
だがそれでも、出来る限りの努力はしているつもりだが――全く強くなっている気がしない。
俺の力は、召喚した際に得たもの、それだけだ。
俺は強くなれるのか? そして、強くなれないと仮定して、果たして魔王とやらに――勝てるのか?
聖剣の力は強力だ。散々馬鹿にされていたリースグラートの力でさえ、常識の範疇の外にある力である。
その差は――尋常ではない。
例え俺がどれほど身体能力が高かったとしても、仮に魔王がレビエリを使ってきたら――恐らく負ける。
レビエリがふと俺の肩を取って後ろに回る。背中に抱きつくように前に腕を回すと、頰と頰をくっつけるようにして囁く。
リースグラートが顔を真っ赤にしてこちらをガン見していた。レビエリもきっと顔を真っ赤にしているだろう。
か細い声がぞくぞくするような官能を伴って耳を通り抜ける。
「勇者様。私を、レビをお使い下さい。魔王アルハザードは全ての災禍の根源とされておりますが、私と――気静剣レビエリとリースを使ってうまくやれば……きっと勝てます」
……勝てるのか?
確かに気静剣は強力無比、ドラゴンの気すら鎮める剣だ。
魔王にそれが通じるのならばドラゴンと同様に容易く首を刈る事も出来るのかもしれない。
リースグラートが「ええ!? 僕!?」みたいな顔でこちらを見ているのはとりあえず置いておこう。
そして、レビエリが言う。俺はその声色の隅に焦燥感のような物を感じ取った。
「そして……魔王を上手く倒せたら――私にご褒美を下さい」
「フレは弱いのか?」
俺の問いに、レビエリが静かに首を振った。頰をレビエリの髪が掠め、くすぐったい。
だが、今集中すべきなのはレビエリの声だ。彼女は大事な事を言おうとしている。
「……勇者様、弱い聖剣なんて――存在しません。聖剣はあらゆる神話における切り札、最強の武器です。英雄はそれを求め、聖剣のために屍の山を築きそして、世界を救った。もしも勇者様が――カミヤ様が聖剣を使用せずに魔王を倒す事ができたら、カミヤ様は間違いなく歴代で最強の勇者と言えるでしょう」
「無理って事か」
「私は……心配なのです。私は勇者様にあらゆる方法を使って魔王を殺して欲しいのです」
声が震えていた。その身体も。前に回された腕から、背中に乗せられた重みからその感情が伝わってくる。
そして、すがるような声でレビエリが言う。
「その為ならばレビは――勇者様にこの身を、捧げます」
その声に、レビエリと最初に会った時の事を思い出す。
忘れもしない。最初に顔をあわせた際にレビエリはこう言ったのだ。
『戦いたくありません』と。
気静剣レビエリ。形は盾。そのコンセプトは『平和主義』。
その瞬間、俺は気づいてしまった。
とっさに出てきそうになった言葉をぎりぎりで止める。
決して口に出してはならない。他人の感情の機微はよくわからないが、そんな俺でもわかる。
レビエリのその言葉は覚悟だ。それを否定してはならない。例えこれが――現実ではなかったとしても。
「フレちゃんの権能はわかりませんが、トリちゃんは強力です。いや――トリちゃんじゃなくても……私の権能は……攻撃に……使えば……――ッ!?」
回された腕、震える華奢な手の平を握る。
確かにレビエリの力は強力だ。
召喚されたばかりの何の訓練も経ていない俺でも、レアリティSSSの上位竜を殺せるくらいにその力は凄まじい。
使ったこちらが罪悪感を感じる程に。
手を握ったままため息をつく。握りしめた手からその体温が伝わってくる。
「その代償がこれか……」
守りの力。レビエリの力は守りの力なのだ。
彼女が言った『平和主義』という言葉は決して冗談でもなんでもないのだろう。本来ならば攻撃に使ってはならない力。
漆黒明竜を倒せたのは奇跡だ。
レビエリが無理をした、だからこそ未熟な俺でも倒せた。そしてその事をレビエリは一言も言わなかった。
「弱音を吐いてる場合じゃなかったな」
小さく呟く。いつの間にか、握った手の震えは少しずつ収まっていた。同時に、俺の心の中にあった疑問もまた。
疑っている場合ではない。
戦わなければならない。この夢が俺の隠された英雄願望によるものだと言うのならば、俺が勇者だというのならば、その役割を全うせねばならない。自分を慕う少女に無理をさせて何が勇者だ。
「レビ、お前の力は……使わない」
「ッ……で、も……」
まだ何ごとか言いかけるレビエリ。その腕を掴み、背中から抱きついていたレビエリを前に引き寄せる。
正面から見たレビエリの眼は真っ赤で、美しい翠の眼が濁っていた。蒼白な頰に、透明な涙が頰を濡らした跡。そんな状態でもやっぱりレビエリは美しい。
その華奢な身体を、力を込めれば折れてしまいそうな身体を強く抱きしめる。
そして、宣言した。レビエリに、そして自分自身に。
「俺は勇者だ。だからレビは俺の事を――見守っててくれ」
馬鹿な俺でも分かる単純な話だ。
最強の勇者になれば、誰に心配される事も、誰を泣かすこともない。




