第三話
授業終了の鐘が鳴り終わり、日直の指示の元、生徒たちが一斉にお辞儀をする。
ありがとうございました、の言葉には、驚くくらい気持ちがこもっていないが、とは言え、それを聞くのは悪い気分じゃあない。
『感謝しろよ!』――ひらひらと手を振って、教室を出る――と、待ち構えていたかのようなタイミングで、声を掛けてくる生徒がいた。
「めぐみん~」
「ん、何だ何だ?」
髪を明るい茶色に染めた男子生徒。この学校は校則が緩いため、こういう頭を認められている。流石に金髪みたいな派手な髪にする子はなかなかいないが、とは言え、それも認められていないわけではない。
私としては、ブロークンウインドウ理論ではないが、こういう身だしなみの部分から、徹底して指導すべきではないかと思う。勿論、生徒の自主性を尊重すべきだとは思うが、注意すべきタイミングを逸してしまう可能性が怖くもある。
校則で許されていることに関して、下手に突っこんでしまうような口やかましい先生と思われて、彼らとのコミュニケーションが巧くいかなくなるのも考え物だけれども、とは言え、非行の目を摘むことも大事。――いやはや、自由度の高い学校と言うのは、なかなか大変なものである。
「山口~。お前、生意気な髪してんじゃねーか。ちょっと生徒指導室まで来てくれや、コラ」
「せ、先生、校則で、髪の色は自由ってなってんですから、勘弁して下さいよ~」
おっと、ついつい、生徒の髪の毛を引っ張ってみたりしてたよ。これ体罰と訴えられたら負けるかもしれんな。
まあ、いいや。
髪の毛を離す。校則を盾に主張をされたら、一教師としても、それ以上突っ込む真似は出来ません。悲しいかな、教師の権限なんてものは、梅干しの種ほどの大きさもありゃしない。
「全く、私たちの高校生の頃は、こんな髪の色をしてたら、完全に不良認定だったよ。今じゃ若い先生の中にも、『髪の色位好きにすればいいじゃないですか~。先生固いこといいっこなしですよ~』なんてこと言うゆとりもいるからな~。言っとくけどな、山口、お前、もしも事件とか起こしたらぶっ飛ばすからな。卒業したからって油断すんなよ。ぶっ飛ばしに行くからな、お前」
「意外と熱血教師なんだね、めぐみん」
「お前、教師ってのは皆、熱血だよ。当たり前じゃん。熱血じゃない教師なんて教師じゃないよ。てか、熱血じゃない生き方なんてつまらないぞ」
「熱いね…」
「いや、だから、熱血だって言ってるじゃん。血沸き肉躍る。それが教師だよ。筋道の立たない外道には、ぶん殴ってでも正道に引き戻す。それが教師だよ」
「いや、体罰は不味いでしょ。保護者が黙ってないでしょ」
「え、保護者もぶん殴って黙らせるのが教師じゃないの?」
「いや、それはおかしい…」
――何か山口が心なしか引いている気がしないでもない。
まぁ、どうでもいっか。
「で、何よ、山口。私は実は忙しいんだが」
「あ、そうだった。そうだった。いや、実は、高橋のことなんだけど」
高橋――。高橋巧くん。
その名前を聞くと、いてもたってもいられなくなる。
早く昼休みにならないだろうか。
そういえば、山口は高橋くんと仲良くしてるようだ。
何か気になることでもあったんだろうか?
「高橋くんがどうかしたの?」
「いや、最近、二人で昼飯食べてるみたいだから」
「ふむ…」
二人で昼食を食べている。
山口の中では、それは最早確定事項らしい。
そりゃまぁ、教室まで迎えに行って、二人で出かけているのだ。
まず間違いなく、そういう風に思われることだろう。
下手したら、昼休みを使って二人でしっぽり、なんて思われている可能性もある。
それは流石に外聞が悪い。
どういう意図でそういう話を振ってきたのかは解らないが、適当にごまかしておいた方が良いのかもしれない。
「あれだぞ。昼休み、確かに高橋くんを誘ってはいるが、別に二人で仲睦まじくお昼御飯を食べているわけではないぞ」
「え、違うの?」
「だって、お前、教師と生徒だぞ。そりゃあ違うよ。ただ、最近、彼の成績が芳しくないようだから、私が積極的に勉強を教えてあげているだけだ。教師だからな」
「そうか。てっきり二人一緒に昼飯食べているんだと思ってたわー。てか、多分、皆そう思ってると思うよ?」
「そいつはいかんな。山口から皆に伝えといてくれ。私たちは無実だと」
「無実…? 良く分からんけど、そのまま皆に伝えればいいの?」
「…そうか、良く分からんか。良く分からんなら、伝えんでいいぞ。何か面倒くさいことになりそうだし」
良く分からん奴に適当に良く分からんことを言わせると、良く分からんことになりそうだ。
面倒事は避けたい。
「で、やっぱ、あれですか。昼休みを使っての個人レッスンは、やっぱり思春期心をくすぐらせるものだったりするのでしょうか」
「そらお前、女教師との個人レッスンですよ。奴は辛抱溜らんでしょうよ」
「うらやましいですなぁ。替わってほしいっす」
「がはははは。まあ、確かに、私みたいなちょっと危険な女教師に心惹かれる気持ちも解らないではないが、君には私と言う存在は過激過ぎるな。同世代の女の子たちに目を向けたまえ。勿論、不純異性交遊なんてしてたらぶっ飛ばすが」
こちとら不純じゃない異性交遊だってなかなか出来ない身の上だってのに、そんなもん、年が10も離れた子供にさせてたまるものかよ!
…と言う嫉妬からの言葉ではない。勿論、そんなわきゃない。只、無責任に日本の少子化に歯止めをかけるような真似をしてもらっても困るわけで――。一応、釘は刺しておかねばなるまい。
「いやぁ。ははは」
茶髪はへらへらと笑みを浮かべて困った顔――こいつ、もしかして、やってやがるんだろうか。見るからにリア充そうだし…。あれか、ぶっ飛ばしといた方がいいのかな。
などと、右手に軽く握りこぶし。はあ~、と熱い吐息を振りかける。
「いや、それで、高橋のこと!」
「…ふむ、で、高橋くんがどうかしたのか?」
「何かめぐりん、高橋と距離詰め過ぎじゃないかなー。とかさ、思うわけよ」
「教師が生徒と距離を詰めても何の問題もないだろ。距離を離すならともかくよ」
「いやー、でもさ。高橋も迷惑してんじゃないかな。ほら。先生と距離を詰め過ぎると、他の生徒と距離が出来ちゃうし」
「…ふむ?」
確かに、言われてみれば、そういうものかもしれない。
先生と生徒の間には、やはり、どこかで一線引くべき関係の壁と言うものがある。
それは、大人と子供、と言う関係性もあるし、教える立場、教わる立場、と言う根本的な部分から来るものもある。
どれだけ親しく交わっていても、そのけじめがなければ、巧くいくものもいかなくなる。そういう実例は幾つも聞いてきたし、実際、そのバランスに苦慮していた時もある。
授業に積極的に望むもの、そうでないもの。授業以外の交流に積極的なもの、そうでないもの。前者の対応、後者の対応は、同じようにしていれば良いものではない。
生徒の性格や何やら、いろんなものを考慮して、考えるべきことだ。
そして、教師の過干渉がもたらす、生徒間の問題。
確かに、昼休みになると高橋くんを誘いに行く、という行動は、彼らの中にも思うところはあるだろう。それが、どんな理由があってのことだとしても。
山口の危惧は、杞憂であるとは限らない。いや、実際、彼自身、気になっているから、そう伝えに来たのだろう。
「確かに、それは一考の余地ありか」
「高橋もやっぱ、昼時くらいはさ、勉強から離れて、友達と話をしたりするのが一番なんじゃないかと」
「なるほどなー」
確かに、その通りかもしれない。
しかし――何故、山口からそんなことを言われるのだろう。
もしかして、高橋くんから、山口へ、私への憤懣などが伝えられたのでは。
そして、山口から、私へ、それが間接的に伝わったのかも。
「うーむ」
「いや、まぁ、めぐみんも悪気があってのことじゃないだろうし、少し考えてみてよ」
「そうだなー」
確かに、いささか、強引過ぎたのかもしれない。
そもそも、私はふられた身であるわけで、そんな私がしつこく昼を誘うというのは見苦しいことなのではあるまいか。
しかし、嫌なら嫌、と断ってくれれば良いのに。
あれか、もしかして、私に同情してしまって、自分からでは断り切れないのだろうか。
うーむ。
「まぁ、考えてはみよう。とりあえずお昼に話してみるよ」
「あ、今日も昼は誘うんだ」
「当然だな。教師として、当然だ」
と喋っている間に、鐘が鳴ってしまった。
急がねば。
「山口、お前も次の授業があるだろう。急ぎなさい」
「めぐみんも。それじゃ!」
昼休憩は、いつもの通り、屋上で。
馴れた手つきで施錠をする先生の手には鍵の束が。
もしかしたらこの人は、学校内の教室と言う教室の合鍵を作っているのではなかろうか。
…その想像はきっと正しい。
「というわけで。お昼を誘われるのが嫌なら、断ってくれても、構わないよ?」
「はぁ。いや、別に嫌じゃないですけど」
もぐもぐ、と美味しそうに弁当を食べつつ、そんなことを口にした田中先生に応える。
山口がそんなことを言い出したのは、特に意外な話でもなかった。昨日、委員長から聞いた話を鑑みれば、至極当然な流れだと言っても良いのかもしれない。
「そっか。嫌じゃないのか」
ぽつりと呟くように口にして、田中先生も弁当を食べ始める。
いつものようにがつがつ、ではなく、もぐもぐ、と。若干、勢いが弱い。
嫌じゃない、という言葉では、弱かったろうか。
とは言え、積極的に、『寧ろ、この時は、俺の一日の中でもっとも大事な時間です!』とでも言うべきか。――それを言葉にしたら最後、引っ込みがつかなくなるような気がする。
「まあ。正直、先生に昼になる度に連れ去られてるわけですから、随分と悪目立ちはしてますけど」
「やっぱり、そうなのか…。私も君を困らせたくはないんだけど」
なら連れ出すのはやめてくれ、とは言うまい。
先生にとっては、やはり、この時間は楽しいものなのだろうか。
…聞くまでもない気はするのだけど。
「先生は、楽しいですか、一緒にいて」
「愚問だ」
深々と頷く。
「しかし、昼休みに固執することはないかもしれないな。君にも学校生活を謳歌して欲しい気持ちはあるし」
「何か先生らしくないですね」
「いや、寧ろ、教師らしいと思うぞ。君は私を奇妙奇天烈摩訶不思議教師と思っている節があるが、私は凄く真っ当な教師だ」
「いえ、田中先生っぽくないと言うかー」
「いや、だから、私は、こう見えて実は凄く真面目な教師なんだが――」
弱ってしまうなー。困っちゃうなー。
田中先生は、何かを誤魔化すように、ガツガツと目の前の弁当を掻き込んだ。弁当は今日も美味しかった。本当に目の前の人が作っているのか、疑問を抱いてしまうくらいに。…いい加減、信じてあげるべきだとは思うのだけど。
「まあ、君から断られない限りは、私は引っ張ってしまうから、そこらへんは勘弁して欲しい。嫌だったら断ってくれ」
「断ったら、連れてかないんですか?」
「断られたら、恵美、泣いちゃうな、多分」
「何ですか、そりゃ」
泣かれるのは嫌だなあ。
想像するだに恐ろしい。
その凶行が、教室内で行われるというのであれば、猶更だ。
「しかし、まぁ、正直、山口からの話は嬉しくもあったよ」
「へぇ、何でですか?」
「君のことを大切に思う友人がいる、と言うのは、喜ばしいことだよ。人間関係の健全な構築、それは勉学に勝るとも劣らない大切なことだからなー」
「その構築の阻害を行ってる可能性があるわけではありますが」
「痛し痒しだなぁ」
と、頬にご飯粒をつけつつ、田中女史。
そっとそれを指でつまむ。
「おっと、ついていたかね、すまんね、すまんね」
照れくさそうに頭を掻く。
と、その顔が、一瞬、固まった。
何故だろう――と俺は、自分が指をくわえていることに気がついて。
同じように、固まってしまった。
「…やー。まさか、自分にも、こんな瞬間が訪れるとは思わなくて、戸惑うばかりだよ」
一瞬早く石化が解けた先生が、少しだけ凹んだような顔をしている。
その顔を見ると、自然と、俺の方も回復してしまった。
「いや、まさか、俺もこんなテンプレートなことをしてしまうとは…」
「夢が叶ってしまった気分だよ。別に夢見てたわけでもないのに」
溜息を漏らす。してはいけないことをしてしまった、というわけではなさそうだった。
しかし、何と言うか、キスとかそういう直接的なものよりも、ずっと『出来ない』ことをしてしまったような気がする。とても、他人様には、言えない。
「これから、顔についたお米粒は君に食べてもらうことにしよう」
「いや、もう二度としません」
「今度は唇につけておくから、唇で取っておくれよ」
「絶対にしません」
「そこまで否定されると、結構へこむんだけど…」
はー。
と、一つ溜息を吐く。まじまじと、彼女の横顔を見る。
変な人だけど。本当に、変な人なんだけど。
でも、本当に、可愛い人では、あるんだよなぁ。
それは、容姿だけではなく――容姿だけを見れば、寧ろ綺麗な人だ――、中身からしても、とても愛らしい人なのだ。だから、彼女の口から飛び出した、先の言葉にしても、心惹かれるところがない、とは、言いきれない。
けれど、それに流されてしまったら、負けそうな気がするのだ。
一体、何がストッパーになっているのか、俺にも定かではないのだけど。
それは偏に、自分への自信の無さなのか。
只いい加減な気持ちのまま突っ走って、まるで望んでいない未来に行きついてしまう可能性を恐れているだけなのか、解らない。
「そうだ」
と。
空になった弁当箱を袋の中に納めて、そこから本を一冊取り出した。
「勉強しよう」
それは、数学の問題集だった。
彼女の担当教科では無かった筈のそのテキストに、ポストイットが貼り付けてあるのが見える。
「ふふふ。こうしてちゃんと勉強で結果を出すようにすれば、誰に後ろ指を差される覚えもない」
「理屈としては理解出来ますけど…」
――後ろ指を差すのが、生徒だけとは限らないんじゃないかなぁ。
――思いつつも、彼女が当たりをつけた問題を、彼女に教わりながら解いていく。
その解説は、担当の教師よりも、遥かに分かりやすかった。
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「そ、そう。山口のことが好きなんだ…」
委員長は頷いた。
湯気がたっているのでは?――赤く紅潮した顔には、般若の仮面が貼りついたかのようだった。怒りによるものか、羞恥によるものか、或は、そのどちらもか、興奮した口や鼻から、荒い息が漏れている。
「それと、俺と、どういう関係が?」
と、そこまで言ったところで、胸倉を掴まれる。――生まれてこの方、初めての経験かもしれない。ぐいい、と身体を釣り上げられる。この瞬間に、目の前の女子に対する印象が、相当に変わってしまった。