表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
田中先生はちょっとおかしい  作者: おだやか
1/3

第一話

 「高橋くん。ちょっと来なさい」

 「はい」

 「あなた、このままでいいと思っているの?」


 眉間に皺を寄せ、見上げてくる彼女の言葉には、鋭い棘があった。

 そう言われて振り返ってみる。


 ――来年度は、高校三年生になるというのに、未だに進路の先行きが見えず。

 志望する大学も、まだ定まってはいない。

 そんな大学の偏差値も、あまたある中で、下から数えた方がずっと早い程度だ。


 ――先生からすれば、そりゃまぁ、心配でならないことだろう。


 「いえ、このままでいいとは思っていません」

 「そうでしょう? もっとちゃんとしなければ駄目よ」

 「気を付けます」


 よし、信じるぞ。

 彼女は力強く頷いた。


 「全く。…私だって、もう28だし。親も『お前もいい年なんだから。そろそろそういう相手でもいないのか?』なんて言われるし。あなたにも、これからのこと、ちゃんと考えてもらわないと困るんだからね」


 何故、唐突に先生の現状を伝えられるのだろう。

 つまりは、これは、先生と同じようにはなるな、と言うことだろうか。

 …いや、学校教員なんて立派な仕事だし、彼女が愚痴っているのは、そういう話でもなさそうだった。


 あなたにも、これからのこと、ちゃんと考えてもらわないと困るんだからね。


 誰が困るんだろう。先生の口振りでは、困るのは俺ではなく、まるで先生のような。何故。


 「…はぁ」

 「はあ、じゃなくて」

 「いえ、そう言われましても」

 「…とりあえず、私も次の授業の準備をしないといけないし。今回はこのくらいにしといてあげるわ」

 「あの、先生?」

 「じゃ」


 しゅたッ、と右腕を上げ、砂煙でも巻き上がりそうな勢いで、廊下を全力ダッシュする先生。

 そんな彼女の姿を見て、学年主任の西口先生が金切り声をあげるが、まるで意に介した様子もない。


 茫然自失と残された僕は立ち尽くしたまま、無感動に流れるチャイムの音を耳にしていた。










 ―ー午前の授業が終わり、先生が教室を出ていった。

 授業を上の空で聞いていた俺は、昼休みの始まりを告げる鐘に、鞄から弁当を取り出した。

 最早脊髄反射の域である。さっさと食べてしまって、短い休憩を謳歌しなければならない。


 とは言え――。どうにも、あの言葉が気になってならない。


 「田中先生が、おかしい」

 「あの先生がおかしいのなんて今にはじまったことじゃないだろ」

 「恵美ちゃんはほら。おかしいとこも含めていいんじゃん」


 ため息交じりの愚痴に、いつの間にか、机をひっつけた友人たちが各々の意見を返す。

 弁当を旨そうに食べる二人を見る。幸せそうな顔だ。受験のことなど、まるで頭の中になさそうだ。

 きっと俺も、同じような顔をしていたのだろう。昨日までは。


 はぁ…。

 溜息を漏らす。彼らが顔を上げ、不思議なものでもみたかのようにきょとんとした顔で小首を傾げた。


 田中恵美。

 年はさっき、彼女が自身で言っていた通り、28歳なのだろう。

 俺は今年18だし、つまりは、10も離れていると言うことになる。

 先ほど言った通り、彼女は、ちょっと頭のネジが飛んでいる人で、年配の教師からはいつも怒られている。

 もっとも、生徒からは、そこらへんが逆に良い、とされているのだが。






 「いや、いつものおかしさとはちょっと違うんだよ」

 「いつものおかしさ…って何だ。あの人、のおかしさって、ちょっと傾向読めないじゃん」

 「…いや、何と言うか…」


 授業中に、いきなり腐女子が好みそうな絵を黒板に書き込んだり。

 暗記すべき単語を並べたアニソンの替え歌を歌いだしたり。

 私は自由よ!とか言いながら、教室の窓から飛び出したり(尚、このクラスは三階にある)。

 担当科目ではない授業を始めて、誰もつっこまないと、急に怒り出したり。

 そう言えば、素行が悪い生徒は皆彼女にボコボコにされて学校から追い出される、と言う話を聞いたこともある様な――。そういえば、職員室の机の傍らに、へっこんだ金属バットあったなぁ。あれ何なんだろ。


 「田中先生って、何でクビにならないんだろ?」

 「解らん。コネでもあるんじゃね?」


 普通に考えれば、保護者の親からクレームが来てもおかしくない奇行の数々だ。

 と言うか、普通、こういう先生って生徒から嫌われたりするんじゃないだろうか。


 何故、誰もかれもが、彼女のことをどこか好意的に見ているのだろう。



 「謎だ…」


 かく言う俺も、彼女に対して、悪い印象などかけらも抱いてはいない。

 寧ろ、割と憧れていたりする。


 それは、彼女の容姿がびっくりするくらいに整っていることもあるのだろう。

 外見と内面のギャップが、彼女を魅力的に見せているのだろう。


 とは言え、やってることは普通にちょっとおかしい人なんだが。


 「俺の勘違いならイイんだけど」


 「何がイイんだ?」


 頬杖を吐いて物憂げなため息を吐きながら、彼女の姿を考えていたら、真上から、そんな声が落ちてきた。

 見上げてみると、そこには、田中先生の姿があった。


 「恵美ちゃんちーっす」


 軽い声に、彼女は頷き、


 「誰が恵美ちゃんだ。めぐみん、って言え。めぐみんと」


 少々、頭の軽そうな言葉を返す。めぐみん、めぐみん、と笑う友人たちに、へらへらとした笑みを返して、ぺしぺし、と俺の頭を叩く。


 「いや、しかし、何だな。私が来るのも待たずに、先に弁当を食べ始めるとは、全く、君はちょっと調子に乗っているとしか思えんナ」

 「へ、それはどういうことですか?」

 「どういうことです? も、何もないよ。君はちょっと調子に乗ってるんじゃないか、って話だよ」 

 「いえ、先生と一緒に飯食べる約束とかした覚えがないんですけど」

 「お前、一緒に飯食べる約束をしたか、してないか。それは実に些細な問題じゃないか?」

 「はあ…」


 この先生の考えは、本当に、良く分からない。

 俺の頭が悪すぎるのか、彼女の頭が先鋭的過ぎるのか。


 要するに、彼女も昼食を共にすると言うことなのだろうが。


 「めぐみん、コンビニ弁当なん?」

 「当たり前だろうが、お前。社会人なめんなよ。こちとら、弁当なんて作る時間ないんだよ」

 「いやいやー、うら若き女性が、コンビニ弁当じゃ駄目でしょう。それじゃ、男できませんよ」

 「ははは。お前らは一回CTスキャンしてもらったらどうかね? それと、眼科言って、処方箋を貰って、質の良いコンタクトレンズでも用意してもらいなさい。こんな絶世の美女に男がいない筈があるまい」


 彼らが振った言葉とは言え、わざわざ彼氏がいると公言されてもどうしていいのか解らないところだ。

 友人たちも、その言葉に、少しだけ残念そうな顔を浮かべている。いや、別に、彼女を自分のものにしたい、とか、そういう考えがあったわけではなく、何となく、寂しい気分になっただけなのであろうけれども。

 とは言え、興味がないわけではないのだ。


 「マジすか、めぐみん、男いたんすか…」

 「あたぼうよ。お前、こんなイイ女を世間が放っておくわけがないだろう」

 「やー、正直、先生をそういう相手に出来るだけの器のある男がいるとは…先生にこの世界の男は小さすぎるのではないかと」

 「ははは。そりゃ、お前、言い過ぎだよ。馬鹿にすんなよ?」


 ――上機嫌な先生の様子に、周囲のクラスメートも皆、聞き耳を立てている。

 色恋沙汰と言うものは、誰しも興味が惹かれるものだ。まして、それは、自分たちよりもずっと大人の話だ。それも、田中先生となれば、気にならないわけがない。

 勿論、俺も例外ではなかった。

 興味本位に、尋ねてみる。


 「で、先生、相手って、どんな人なんです?」


 ――ニコニコとしていた、先生の顔が、凍り付いたように固まった。







 ――「それはどういうことかな、高橋くん」


 凍てついたままの笑顔から吐き出される言葉は、絶対零度の響きだった。

 聞くもの皆、彼女の表情が移ったかのように――彼女からゆっくりと視線を逸らしてみる。



 パクパク、と口を開け閉めはしているのだけども、声は出ていない。

 友人たちは、何と言っていいのか解らない、と言った様子である。


 と、両頬が、優しい感触の何かで包まれた。

 それと同時に、首の神経がちぎれてしまうくらいの勢いで、頭を回され。


 止まった先に、田中先生の笑顔が見えた。

 ぺしぺし、と頬を軽く叩かれる。

 笑顔はとてもかわいらしく、魅力的で、そして。


 眉間に寄った皺の所為か、殺されてしまうのではないか、と言う原初の恐怖を呼び起こすような危険なものだった。


 そして、彼女の口から、死刑宣告のように静かな言葉が告げられる。


 「ちょっと、表ぇ出ろ」と。








 お前ら、ついてくんなよ?


 と、どすの利いた声を教室内に残して、彼女は早足で歩きだす。

 すたすたすた、と廊下を我が物顔で。

 階段を降り、昇降口につく。

 下駄箱で靴を履き替え、外に出る。

 そして、たどり着いたのは校舎裏だった。


 手を引っ張って、そこまで連れてきた彼女は振り返り。

 仁王立ちで立ち尽くす俺を見上げた。

 無表情なのに、妙に威圧感のある姿。

 俺の方がずっと体格は良いのだけど、そんなことは何の意味もなさなかった。

 

 もしも彼女から、靴を舐めろ、と命令が下されたら、舐めてしまうかもしれない。

 いや、きっと、舐めるだろう。完全に気おされている。



 と言うか、何なのだろう。この展開は。

 意味が解らない。

 昨日まで、俺と彼女は、単なる、教師とその教え子だったはずなのであるが。



 がっ。

 唐突に、彼女が地面をつま先で蹴った。

 少々、飛んでいた意識が彼女の方に集中する。

 ――彼女は、頬を掻いていた。


 「確かに、私から声を掛けなかったのは、悪かったのかもしれないけど…」

 

 ぼそり、と彼女は呟くように口にした。


 「でも、そりゃ、仕方ないじゃない。私だって、世慣れしているようで、世慣れしていない、恋愛経験の無…薄い、一介の腐女子に過ぎないんだから」


 「はあ…?」


 「それに、先生と生徒、っていう関係もあるし、世間体もあるし、ほら、私だって、学校では、品行方正な美人教師としての立ち位置もあるわけだし、浮ついた気持ちで出来る仕事じゃないし」


 「あの、先生、何をおっしゃってるんでしょうか?」


 だからぁぁぁ。 

 彼女は押し殺した声のベクトルを全力でこちらに向けて。


 「君、ラァブレターを出した相手に対して、ちょっと無責任過ぎませんか、ってことよぉ!!」

 「…らぶれたー?」


 ざっ、と彼女は胸元から封筒を取り出した。

 何故、そんなところに封筒を差し入れていたのか。そこを果たして突っ込むべきかどうかは、謎である。

 古めかしい封筒――彼女はそこから手紙を取り出し、口にする。


 「めぐみおねえちゃん。ぼくがおとなになったらけっこんしてください。たかはしたくみ」


 ――彼女は一息にそこまで口にした後で、手紙を封筒の中に戻した。

 そして、大切そうに胸元に戻す。何故胸元なのか。


 「と言うわけよ」

 「成程、そういうわけですか」


 いや、正直、展開の早さについていけない。

 解らない。俺の頭が悪い所為なんだろうか。解らない。






 ――田中恵美。



 年は、彼女が自身で言っていた通り、28歳なのだろう。

 俺は今年18だし、つまりは、10も離れていると言うことになる。

 先ほど言った通り、彼女は、ちょっと頭のネジが飛んでいる人で、年配の教師からはいつも怒られている。

 もっとも、生徒からは、そこらへんが逆に良い、とされているのだが。



 先ほどの手紙、どうやら俺が彼女に昔出したもので。



 ――つまるところ、彼女は、俺の幼馴染であったらしい。


 全然記憶にないのだけども。

 そう、全然、記憶にないのだけども。


 「あの、先生、その手紙は、いつのものなんでしょうか」

 「12年前。私が今のあなたと同じ、高校二年生の時に受け取ったものよ」

 「となると…当時、俺は5歳なわけですね」

 「そうね。長い間温め続けた愛の卵がようやく孵化したわけね」

 「いえ、孵化させた覚えはないんですが」


 ――え。


 彼女は信じられないものを見るような目を俺に向けた。

 けれども、それは、俺もまた同じだろう。


 「先生には申し訳ないんですが、まだ物心つく前の話なので、正直言って戸惑うばかりです」

 「戸惑う気持ちは分かるわ。先生も初めは戸惑ったから」

 「そうでしょうね。5歳児からの告白ですし」

 「でも、それはそれでありかな、と」

 「いや、駄目でしょうに」

 「この世界に、本当に駄目なことなんて何もないのよ。男と男の恋愛も生ぬるく見守られる現代で、少しくらいの年の差恋愛にが許されない理由なんてどこにもないわ」


 否定してみるが、彼女にはまるで届く様子はない。腐女子の彼女にとって、恋愛のタブーと言うのは、無いに等しいのかもしれない。――その割には、教師と生徒の関係には、割とこだわりをみせていたような気がしないでもないが。

 ――しかし、昨日まではそんな素振りはまるで見せていなかったのように見えたのだけど。


 「あの、先生」

 「何?」

 「何か、いろんなことが、突然、と言うか、今日になって急に色々アプローチを掛けられて、戸惑うばかりなんですけど」

 「そうね。君からすれば、そう感じられるかもしれない」


 ――ふっ、と先生は空を見上げた。

 鼠色の空は酷く不安定に見え、今すぐにでも、雨や雪を振り落としそうに見える。


 「でも、私からすれば、少しも突然じゃないのよ」

 「そうだったんですか?」

 「ええ。いつ、声を掛けてくれるのか、ずっと、待ち続けていたの」


 遠くを見る。

 恐らく、俺がこの高校に入ってからの二年間を思い返しているのだろう。


 「あれは、君が七歳、小学校への入学式」

 「…え?」

 「学生服に身を包んで、ランドセルをかついだ君の姿。可愛くて、凛々しかったなぁ」


 俺の想像よりも、遥かに早く、彼女の待機時間は始まっていたらしい。


 「環境の変化になれなくて、君、担任の先生をずっとお母さんって呼んでたわよね」

 「何故それを…」


 一生消し去りたい黒歴史が、彼女の口から語られる。まるで、同じ学年で過ごしてきたかのように――。

 てか、この調子で、ずっと語られるんだろうか。

 …と言うよりも、どうして、この人は、俺の過去を詳細に知っているのだろう?

 大学生と言うのは、そんなに暇なのだろうか――。


 「大人、っていつになったら大人と言えるのかしら。そんなことを考えながら、カメラのファインダーを向ける日々。充実していたけど、寂しかった」


 ふっ、と自嘲の笑みを浮かべる彼女と、苦笑いを浮かべる俺。と言うか、もう、何だろう。この目の前の人は、本当に何だろう。叩けば関東ローム層が出来るくらいの埃が出てきそうだ…。


 「あの、先生、それ以上言われると、俺、どうにかなっちゃいそうなんですけど」

 「君も、どうにかなっちゃいそうなのね。私もそう。二人でどうにかなっちゃいましょう」


 なってたまるか。


 「――とにかく。先生、今日になって急に、何か、変なことばかりを言われても困ります」

 「私も、君にその気になってもらわないと困る」

 「…いや、何でですか。いや、何で、っていうか、何でいきなり」


 やれやれだぜ。

 彼女は肩を竦めて、頭を振る。

 年季の入った仕草だった。腹が立つ。


 「昨晩、両親から電話があったのよ。今は実家を出て、悠々自適の一人暮らしをしてるんだけど」

 「ご両親から…」

 「そう。いつでも君が気軽に遊びに来れるように一人暮らしを」

 「いえ、ご両親から電話があった方ですよね、大事なのは」

 「そう、いつでも君が気軽に遊びに来れるような一人暮らしの我が家に、両親から電話が掛かって来たんだけど――」








 『お前ももう28。世間は晩婚化晩婚化と言って、結婚の適齢期も随分と上がっているのは事実だが、高齢出産なんかは大変だと聞くし、将来的なことを考えれば、見合いでもして、結婚するのも、けして悪い選択じゃないと思う。勿論、そういう相手がいるのであれば、その方と結婚できるのが一番だが。――幸い、お前は学校の先生だし、職場復帰も難しいことではない。子供の養育に関しては協力するし、少し考えてみないか?』


 「噛み砕けば、そんな話。」

 「うわ…。ものすごく真っ当な意見」

 「――高橋くんが大人になるのを待っている内、私がこれ以上ないくらいの大人になっていた、というわけよ…」


 ため息を吐く先生。『そういう相手がいないのか』と言うのは、その話の中に出てきたものなのだろう。

 ――12年。12年もの間、俺は彼女を縛り付けてきたのだろうか。そう考えると、いささか、引け目がある。

 勿論、その言葉は大昔のものであって、俺自身が彼女を待たせよう、などと思って待たせていたわけではないのだが――その言い訳もどこか空しい。


 それに…。



 目の前の田中先生をまじまじと見つめる。彼女は俺の視線に、ふふん、と鼻を鳴らして胸を張った。何をどうしてここまで自分に自信を持てるのか――納得が出来るほど、彼女は美の神様に愛されていた。


 「先生。先生ほど綺麗な人なら、自分のものにしたい、と思う男はそれこそ幾らでもいると思うんですが…何で僕なんですか?」


 不思議だった。彼女の好意を、それとちゃんと受け取ることが出来ないのも、偏にそれだった。

 もしかしたら、彼女の性格からしても、盛大なドッキリなのではないか、と思わされるところがあったのだ。


 彼女は、ふっ、と息を漏らした。ちゃんちゃらおかしくて鼻で笑っちゃうぜ、と言う風情で。


 「君は阿呆ね」


 肩を竦める。


 「私が綺麗になったのは君の為よ。君に告白された時の私は御世辞にも綺麗とは言えなかった。だから、君に告白された時は素直に嬉しかったし、君が大人になったら、君のものになりたい、と思った」


 ――声は真摯だった。凛としている。視線はまっすぐだった。


 「君の成長を見守り続けることは私の日々の糧になった。あの頃の私は生きることに自信を無くしていた。そんな私に君が勇気をくれた」


 ――胸を叩く。瞳に浮かび上がる炎が見えた。心臓を射ぬかれるように激しい感情が渦巻いた。


 「私の未来は、もう、あの日、あの時、君に告白された時から決まってたのよ! さっ、答えを頂戴!」


 ばっ、と大仰に腕を振り回して、こちらに手の平を差し出す先生。

 彼女は本気だ。おそらく、今までの言葉の全てが事実なのだろう。ちょっと信じられないけど、信じられる。何だそりゃ。


 「…えーと」


 ――先生の熱いまなざしにいささか引きつつ、俺は彼女の手のひらをまじまじを眺める。

 この手を掴めばどうなるものか、迷わずいけばいいのだろうか。いけばわかるんだろうか。


 「えーと、ごめんなさい」


 ふかぶかー、とお辞儀を一つ。

 しばし、45度に上半身を折り曲げた体勢で待機し、身体を起こすと。


 ――真っ白く染まった、田中先生の姿があった。


 「いや、その、えっと。けして、先生が嫌いとか、そういうわけではなく、寧ろ好きなんですが、結婚を前提とか言われると少し困ると言いますか、自分もまだ高校二年ですし、将来のことを考えると不安も隠せませんし…」


 頭の中に浮かぶ色々な理由を片っ端から並べてみる。

 その度に先生の身体がびくびくと動いて、少し怖い。

 ――口にする言葉が浮かんでこなくなり、何も言えなくなった頃に。








 「…その程度では、私が諦める理由にはならん!!」



 彼女は復活した。


 「ふははは…果敢な十代と二十代を、一途な愛の為に腐女子として過ごした私の情愛を舐めるなよ…!」

 「腐女子として過ごしたことを一途な愛の為と正当化されても…」

 「黙れ! くくく。こと、ここに至っては、君の意思は関係ない!」

 「いや、それが一番大事だと思います」

 「愛は所詮粘膜の見せる幻想と人は言うし」

 「初めて聞きましたそれ」

 「所詮、恋はパワーバランス! 愛は力技!」

 「ここまで来ると意味が解らないです」


 ――キーンコーンカーンコーン。



 「燃えてきた…燃えてきた…! やっぱ高橋くんは最高だわ! もう、夫婦になるのはあなたしかいない!!」

 「何か先生って本当に凄いですね…」


 昼休み終了のチャイムが鳴り響く中、先生はきつく握りしめた拳を天高く突き付けた。

 この人の彼氏になる人は、本当に大変だと思う。



 相当振り回されそうだ。




 でも、それさえ、楽しいのかもしれない。



 「よし、とりあえず、放課後また二人の将来を相談しましょう! 子供は10人は欲しい!」

 「何故付き合うことになってるんだろう…」


 ――しかし、やっぱ、この先生はちょっとおかしい。

 いや、大分、おかしい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ