一章 四
4
蘭国東から西に向かって僕らは歩いた。僕のいた日本とは違って、車や電車、自転車などといった乗り物はなさそうだ。日本でいうといつの時代なのだろうと、ふと考えた。
道と木々以外ほとんど何も見ていないから、答えは不明だったけれど。
「さて、もうすぐ私の家がある名弥の街だが」
何時間くらい歩いただろうか。軌沙が言った。疲れた様子はまるでない。
「かなり歩いたな……」
「そうか?疲れたのか?」
「いや……うん、疲れた」
普段こんなに歩くことはない。足が棒になる思いだ。そんな僕を見て、彼女は馬鹿にしたような笑みを浮かべたのだった。
「男のくせに軟弱な。少しは鍛えんか」
「生憎僕がいたところには車とか自転車とか便利なものが日常に溢れていてね……長時間歩くことなんてそうそうないんだよ」
「ふむ。便利すぎるのも考えものだな」
確かに。
「そういえば、僕、鞄を肩にかけていたんだけれど……こんなにあの林から離れて言うのも何だけれど、どこへやったんだ?」
訊くと、軌沙は酷く心外そうな顔をした。
「何だ、その言い方だとまるで私が持っているみたいじゃないか。私はそんなもの知らんぞ」
「え、じゃあどこに」
「知らん。大方、舞梛の言う日本とやらに置いてきたのではないのか?」
「うーん……そういうことにしておく……」
例え今手元にあったとしても、鞄の中に入っていた携帯電話や、財布の中身や、まあ筆記用具は使えるにせよあまりここで使えるとは思わないし。
盗まれていたらもう仕方ない。諦めよう。
「お、見えてきたぞ」
「ん」
顔を上げると、目の前にはかなり大きな城壁が築かれていて、臆してしまいそうな程、威風堂々と建っていた。街の中はほとんど外からは見えない。辛うじて見えるのは、城壁の遠くにある、でかそうな城だけだった。
「通行証を」
城門の前では、門番だろう、強そうな男が二人立っていて、そう僕らに告げた。軌沙は腰に着けている小さな鞄から長方形の木の板を取り出し、男達に見せる。
次に男は僕を見る。
「つ、通行証?」
「ああ、言っていなかったな。おい衛兵、その者はこの街は初めてだ。通行証はない」
軌沙がそう言うと、男達はこう答えた。
「ならば通す訳にはいかないな」
「な!?数時間前と違うではないか!前は通行証を持たぬ者も名前や身分を言えば……」
「それは数時間前の話だ。たった今さっき、変わったのだ。通行証を持たぬ者を中に入れるな、と」
「くっ……生意気な!認めんぞ!」
しかし何を言っても男達は首を横に振るだけだった。軌沙は粘って粘って、僕を中に入れようとしたけれど、誰かの命令なのだろう、頑なに首を縦には振らなかった。
「つ、通行証があれば良いのか?」
「そうだ」
これを聞いた彼女が、悪そうな笑みを浮かべたのはきっと気のせいだろう。
「舞梛!」
「え?あ、はい?」
黙って一部始終を見ていた僕に、軌沙はビシッと指を差す。
「ちょっと待っていろ、そこで」
「ええ?一人で?」
「男なのだから一人で待つくらい出来るだろうが。少し行ってくる」
「え?ちょっと、軌沙!」
僕の呼ぶ声を無視し、軌沙は重々しい城門をくぐって中に入ってしまった。
本当に一人取り残された僕は、仕方ないので、その場に座る。いつ帰ってくるのかは分からないけれど、僕には待つより他にどうすることも出来ない。
そういえば日本では夜だったが、ここに来てから五、六時間程経っただろう今は夕方だった。時間は対応していなさそうだ。
こんな調子でやっていけるのだろうか、軌沙の父親探し。
やると決めたなら、僕はもっとこちらについて知るべきだ。
「門番さん」
「衛兵だ」
「…………」
どっちでもいいだろ……。
「衛兵さん」
「何だ」
「何で、中に入るのに通行証が必須になってしまったんですか?」
軌沙の話だと、自分が危害を加えるものでなければ入れる、とつい先ほどまでなっていたという。
「姫様の命令だ」
「姫……?」
きょとんとした僕に、衛兵二人は怪訝そうな顔をした。
「知らぬのか?」
「どれだけ世間知らずだ」
「う……」
二人に口を揃えて馬鹿にされた。心に深い傷を負ってしまった……。
「名弥の姫様は我が蘭国のいわば頂点だ」
「えっと……つまり、一番偉い人ってことですか?」
「そういうことだ。最近は不逞の輩も増えておるから、それで警備を厳重にしたのだろうな」
「ふうん……」
なるほど。姫の安全を守るために、通行証を持っていない僕のような人は通す訳にはいかないということか。本当に厳重だ。
鬼陣組のことを考えれば、至極真っ当な判断だと思う。まあ、軌沙の予想で、政府と鬼陣組が関わっているなら、よく分からなくなってくるけれど。他にもあんな危ない奴らがいるのだろうか。
「早く戻ってこないかなあ……」
やっぱり知らない土地で一人というのは心細いものである。
空が暗くなってきた頃、僕はふと思った。
一番偉い人が住む街、つまりここは城下町だろう。しかし人通りが少ない。首都のようなものだと言うのなら、もっと盛えていてもおかしくない。というのに、僕が待っている間、城門をくぐって中に入ったのは、本の数人。数えられるくらいの人数だ。
首都にしては人の出入りが少なすぎる気がする。
……なんて、何も知らない僕のただの勘違いか。
「待たせたな」
聞き覚えのある声に顔を上げると、軌沙が立っていた。
「あ、おかえり」
「ほら」
軌沙は長方形の木の板を僕に投げた。僕はそれを上手くキャッチする。
「あ、これ。通行証?」
「ご名答。思ったより時間がかかってな」
「……ありがとう」
「……ふん。ともかくこれで中に入れる訳だ。なあ、衛兵?」
まさか軌沙が通行証を作ってくるとは思わなかったのか、衛兵達は戸惑っていた。即席みたいな通行証で、通してもいいのかどうか分からない風だ。
軌沙が来い、と小声で言った。僕は門の前に立つ。
「怪しいと思うならば確かめるがいいさ」
軌沙の促しで、僕は衛兵に通行証を見せた。僕にはこれが本物なのか、それとも偽物なのかは全く区別がつかない。
「ーーー確かに」
やがて衛兵は頷いた。勝ち誇った様ににやける軌沙は僕の手首を掴む。
城門が開いた途端僕は彼女に引っ張られ、中に駆け足で入った。
「はー、良かった。入れたな、舞梛」
軌沙は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「これに関しては感謝しかないよ。この通行証ってどうやって作るんだ?」
「ん?役所に行って……名前と、生年月日、住んでいる街とか、まあ色々書いて、一旦お偉いさんの所にそれが行くのだ。本来ならそこで検査のようなものが入って、何日か後に届くのだけれど、最近はほら、物騒だろう?上の方はピリピリしてるらしくてな。こんな通行証ごときで時間を割いている暇はないといった感じで、突き返されたらしいのだ。一応、検査に通ったってことになって、手に入れられたのだ」
「そうか。じゃあもし正常に動いていたら、僕は数日間あの城門の前に、さながら衛兵のごとく座っていたということになっていたかもしれないな」
「そうなりそうだったら私が衛兵達を倒してたけどな」
「殺生は良くない」
「そんなことで鬼陣組が倒せるか?」
それは、そうなのだけれど。
慣れないよ、あんなのは。
僕は軌沙の言葉を無視して、周りの景色に目をやった。見れば見るほど、時代劇に出てきそうなくらい和風だった。タイムスリップをした訳ではないと思うが(日本の名前が歴史で蘭国になったことはないし)、似ているとどうもそんな錯覚を起こしてしまいそうだ。
名弥の街に入る人は少ないと思っていたが、通りは結構人がいて、活気はあった。
「もうすぐで私の家だ」
大きな通りを過ぎて、突き当たりを右に曲がる。前に見えたのを軌沙が指差した。
「あれ?」
「うむ」
軌沙の家は、一階建ての小ぢんまりとした家で、中には誰もいなかった。
「お邪魔します」
「ようこそ我が家へー」
心なしか嬉しそうな軌沙を見て、僕も少し微笑む。
「父親はいないと言ったが、実は母親もいないのだ」
「そうなのか……」
「何、悲しい顔をすることはない。寿命だ、寿命」
「じゃあ軌沙は一人でここに?」
「まあな。もう慣れたよ」
それでも彼女はどこか寂しそうな顔をする。僕は両親も健在しているから、想像しか出来ないけれど、家族がいないということはどれだけ辛いことなのか。軌沙は気丈に振舞っているけれど、家族の話をした時もそういえば寂しそうだった気がする。
軌沙に促され、居間に入る。
「ちょっと待ってて。手紙を持ってくる」
ひらひらと手を振って、彼女はどこかへ行った。
広くも狭くもない部屋は、やはり日本の昔の家のようだった。見回すと、小さな丸い窓がある。僕はそこから外を覗く。窓からは庭が見えた。庭の小さな畑に、作物が少し植えられている。その畑から少し離れた場所に、石碑のようなものが見えた。
「……墓だ」
墓だった。
軌沙の母親のものだろうか。墓の前には、綺麗な花が供えられている。僕はそれを、暫く眺めていた。
「舞梛、待たせたな」
「あ、うん」
軌沙の声に振り向いて、僕は窓から離れる。彼女の持った盆に、二つの湯呑みと、手紙が置いてある。
「何を見ていたんだ?」
湯呑みを小さな机に置きながら、軌沙は訊いた。
「いや、別に……」
「墓があっただろう」
「……やっぱり、あれって」
「うん。母親のだ」
軌沙は頷いた。
「……さて、手紙はこれだ」
彼女は盆に乗った手紙を取って、僕に差し出した。僕はそれを受け取る。
「生憎、私にはその内容が読めなくてな」
そんなことを聞きながら、僕は折りたたまれた手紙を開く。
「ん?日本語だけれど」
「そうか、それは日本語で書いてあるのか。だから読めなかったのだな」
「え?」
驚く僕に、軌沙は軽く首を傾けた。
「日本……というのは舞梛のいた国だろう?その国の言葉が、日本語だろう。ここで使われている言葉は蘭国語だから、私には日本語は読めない」
「ちょ、ちょっと待って。蘭国語?軌沙は日本語で喋っているんじゃないのか?」
これには今度、軌沙が驚いていた。
「いや……私はずっと、蘭国語で喋っていたが」
嘘だろう。じゃあ何で、僕には彼女の言葉が分かるんだ?僕も普通に日本語を喋っていた。彼女は何で、僕の言葉を分かるんだ?
「というか舞梛、お前もずっと蘭国語で喋っていたじゃないか。何を今更」
「僕は日本語のつもりで喋って……」
「だったら私は舞梛の言葉を理解出来ていない」
「僕も、蘭国語なんて初めて知った」
僕と軌沙は首を傾げてしまった。僕は無意識のうちに、蘭国語なんてものを話していたのだろうか。
やがて軌沙は「まあ、いい」とこれについて考えるのをやめた。
「今考えても仕方がない。二人、言葉が通じていない訳ではないんだから、追い追い分かるさ。とりあえず手紙を読んでくれよ」
「あ、ああ……」
僕は軌沙に従って、視線を手紙に戻す。手紙にはこう書いてあった。
「『七つの宝玉を集めよ。さすれば道は開かれん』。随分、胡散臭い内容だな」
とりあえず文を読み上げたが、それだけだった。僕にはさっぱり、訳が分からなかったけれど、軌沙は何やら考え込んでいた。
「何か心当たりが?」
「ん……まあ、少しな……。手紙はそれだけか?」
「うん。これだけだ」
「七つの宝玉……」
軌沙は腕を組んで、難しい顔をする。
「それ、何なんだ?」
「私も詳しく知っている訳ではないのだが……蘭国にはあるらしいのだ、その宝玉が。噂で聞いた限りでは、かなりの価値があるし、その上、どんな病も治せるというのだ」
「手紙以上に胡散臭いな……本当にそんなものがあるのか?」
「あるらしいが……これはもしかすると、彼奴を訪ねねばならないかもしれないな……」
心底面倒だという風に、軌沙は長いため息をついた。誰のことを言っているのだろう。
「分かった。舞梛よ、感謝するぞ」
「え、ああ……うん」
温くなったお茶を軌沙は一気に飲み干し、立ち上がる。
「私は少し出かけてくる。済まないが、留守番を頼む。別に見られて困るような部屋はないから、探検していても構わないぞ」
「探検って……」
「あ、でも私の部屋はあまり漁るなよ?」
「漁らねえよ!」
「はっはっは」
軌沙は愉快そうに笑う。
「すぐには帰れないかもしれないけれど、平気か?」
「平気だって。待ってるよ」
「分かった。じゃあ」
軌沙は居間の襖を閉めて、出かけて行った。




