一章 三
3
僕と軌沙は、林を抜けた。そこまで広い林ではなかったので、案外あっさりと出ることが出来た。
林から少し離れた場所に茶屋があったので、軌沙の提案でそこでひと休みすることにした。
傑午は、勿論死んだ。首を切られて死なない人間なんていないだろう。酷く気分の悪い僕だったけれど、茶屋に着くまで道中で、いくらか気分は回復したものだから、自分に呆れてしまう。どれだけ図太かろうと、目の前で人が死んだというのに。
「で、舞梛」
「話してくれるんだろう?『キズナ』のこと、それから、この場所のこと」
「うむ」
軌沙は運ばれてきた緑茶を啜りながら言った。
「ではまず、キズナのことから話そうではないか」
「あー……できれば、この場所のことから聞きたい」
「それは面倒だから後回しだ」
「…………」
「まず私、遣叉繰の血統は代々、先ほど私が使っていたような力を使えるのだーーー舞梛、お前の血統と繋がることでな」
「僕の血統……」
軌沙は頷く。
「どうも昔、遣叉繰家と舞梛家は何かしら繋がりがあったらしいぞ?まあ、それは私もよく分からないのだが、舞梛と手を繋がないと力が使えないのは確かなのだ」
「僕の先祖は昔、こっちに住んでいたってことか?日本ではなく」
「恐らくそうだと思う。それで、遣叉繰と舞梛、双方が繋がることを『キズナ』と呼んでおる」
「なるほどな。その能力を使って、僕をこのよく分からない世界に連れてきたのか」
僕の納得した考えとは裏腹に、軌沙は難しい顔をしていた。
「……違うのか?」
「私はそんな移動の術を使った覚えはないのだ。何故、舞梛の手を取った時に、こちらへ戻って来れたのかさっぱり分からんのだ」
「何だそれ……」
「まあ、帰れたのだから良いのだ!」
「僕には良くない。それってつまり、日本に戻れない可能性があるってことじゃないか」
軌沙は「うーむ」と頭を抱える。本当に悩んでいるのかどうかは怪しい表情ではあったが。
「うむ!帰らなければ良いのだ」
「ふざけてるのか」
「何ぃ?大真面目だぞ。それに帰られても困る。舞梛には協力してもらわねばならんのだ!」
彼女は湯呑みを手に取り、一気に飲み干す。店員のお姉さんに「お汁粉ひとつ」と言って、僕の方へ向き直る。
「協力って?」
「これは、手伝うか手伝わないか、決めるのは舞梛なんだが」
「してもらわねばならないって言ってたけれど」
「言ったが、するしないは自由だ。そこまで強制するつもりはない。が、しかし、手伝ってくれると信じてはおるぞ?」
「そうかい……」
ため息混じりの僕を、軌沙はしっかりと見ていた。改まって、姿勢を正している。様子を見れば、彼女にとって重要なことなのだろうということが分かる。
「それで、その協力して欲しいってことは?」
「私は、父を探している」
彼女は、透き通る金色の瞳をすっと細めた。長い睫毛が影を落とす。
「父は、数年前から行方不明なのだ。探しているのだけれど、当てなどほとんどないに等しいから、私は見つけられていない」
「ないに等しいってことは、なくはないのか?」
「まあな……たった一言。一言だけ私に言い残して、去って行ったわ」
「……聞いてもいいか?」
「構わんよ。ーーー『舞梛の血統を探せ』それだけだ」
「舞梛の血統ーーーつまり、僕」
「そうなのだ。言葉通りに私は舞梛、お前を探した、探し出した。しかし次にやるべきことが分からぬ」
やれやれだ。
軌沙は途方に暮れたように小さな声で言った。
「手がかりはもうないのか?」
「うむ。……ああ、いや、家に確か手紙があったな」
「手紙?それももしかして、舞梛の血統宛って訳か?」
「ご明察、だ」
ここまで話を聞いて、相当深く僕、舞梛の血統と軌沙、遣叉繰の血統が関わっていることが分かる。しかし、僕の父ーーーもしくは母は日本生まれ日本育ちのはずで、軌沙の両親達とは関わっていない。いくら先祖が深く関わっていようとも、現在の僕らには関係があるのだろうか。
別世界にいた僕らに。
「そうだ軌沙、ここはどこなんだよ。日本じゃあないってことは分かったけれど」
「ここは蘭国東の隅にある名弥の街の近くだ」
「蘭国」
軌沙は頷く。
「蘭国はここ最近、不穏な空気でな……。鬼陣組のこともあるが、政府も何やら怪しいのだ」
「怪しいって、どういう」
「詳しくは分からないが……大規模な改革を企んでいると風の噂……いや、とあるツテから聞いたのだ。鬼陣組がそれに関与している可能性も考えたがはっきりはしない。私はそれも調べたい。だが、鬼陣組と政府の関係の可能性を考えると、先程のようなことも起こりかねんからな。これについても舞梛、そなたに協力を願いたいのだ」
「その鬼陣組って、実際のところ何なんだよ」
「あやつらは山賊だよ。ほとんどが地位をなくした、あるいは奪われた者の集まりでもある」
山賊、と言われてピンとは来ないけれど、悪そうな感じはする。偏見かもしれないが。
「山賊か……でもそんな奴が、政府の企みだか何だかに関与するもんかな。政府に反抗とかしていそうだけれど」
そんなことを言っていると、軌沙の注文した汁粉が運ばれてきた。軌沙はそれをさっそく飲む。
「あちっ!」
「馬鹿か」
「お前に馬鹿扱いされる筋合いはないわっ!」
「軌沙はどう思ってるんだよ。鬼陣組のこと」
「さっき言った通り、政府と何らかの繋がりはあると思っておる。舞梛の言う、山賊らしからぬ行為ではあると思うが、結局奴らは金で動いておるのだろう」
「金か……」
それはそれで得心いくけれども、金以外にも何か目的があるのではないだろうか。
「何に対して金を出すんだ?政府は」
「恐らく、舞梛と私を殺せ、という命だろうな。それしか考えられんわ」
「僕らの命にそれほどの価値はないだろう……」
もしも成功したとして、貰える報酬は端金ではあるまい。果たしてそれは僕らの、僕の命なんかと釣り合うのか?
人を殺すという罪。それはとても重い罪だと僕は思う。傑午を殺しておいて何だという話だが。そんな罪を犯してまで、僕らの命を奪う程の大金なのだろうか。
「それにしたって、釣り合わねえだろう……」
「うん?」
「や、何でもない」
「それで、舞梛。協力はしてくれるのか?」
「あんたの目的は、父親の捜索と、鬼陣組や政府の企みを知る。こうで合ってるな?」
「うむ。簡単に言えばそうだ」
僕は腕を組んで悩む。
否、悩まなくとも決まっていたのかもしれない。
どの道僕は日本に帰る方法はおろか、ここの地理も法も、全く知らない。ならば。
「ーーー分かった。協力しよう」
少しでも安全策を取った方が良いだろう。そんな風に考えた。
「本当か!なんと頼もしいことだ!」
軌沙は文字通り飛び上がって喜んだ。喜色満面だった。
「ただ条件がある」
僕が言うと、ぴたりと軌沙の動きが止まった。
「僕が日本に帰る方法を探してくれないかな」
「…………」
あれ?
何故硬直されるのだろう。
ややあって、軌沙はわざとらしく咳払いをした。
「よ、良いだろう。し、しかし舞梛よ、やはり帰りたいのか?」
本当にいいと思っているのか、怪しいが。僕がこんなことを言うことくらい予想がついてもおかしくはないと思うのだけれど、軌沙は全然考えていなかったらしい。動揺しすぎだ。
「帰りたいよ、そりゃ。僕の家族は向こうにいるんだから。心配するだろうし」
「……そうか、家族か……」
軌沙は憂いの含んだ表情で、少しの間空を見上げる。
「分かった。そういうことなら私は、帰る方法も見つけるよう努力しよう。これで、私の目的の方にも協力してくれるな?」
「ああ、するよ。僕が出来ることと言ったら、軌沙と手を繋ぐくらいだけれど」
「それで良いのだ」
軌沙は優しく笑った。そして勢い良く立ち上がり、「よし!」と気合いを入れる。
「とりあえず、私の家に向かうぞ舞梛」
「軌沙の?さっき言っていた手紙のことか?」
「それもあるが、色々準備したいものがあるのでな」
僕は頷いて立ち上がる。
軌沙は卓上にお金を置く。汁粉代だろう。
「さあ行くぞ!」
「了解」
軌沙の後ろを僕は歩いた。
僕らの奇妙な関係と、奇妙な旅はこれより始まる。行く行く道に待っているのは鬼か蛇か。
それはまだ、誰にも分からない。