エクストリームアイロン掛け、白砂青松
女性たちは皆、自前の浴衣と前掛けを着て畳の上に整然と座っていた。とても大きな日本家屋の中に位置するこの和室。中からは、二度ほど湾曲をしている碧い松、見る者の心を優しく洗い流すであろう砂の波、それに逆らうわけでもなくただ一つ孤高に佇む青く光る艶やかな岩。いわゆる古き良き日本庭園が見て取れる。
そんな現代離れした空間にいと艶かしい女性たちが集まった理由は一つである。今日、初開催される、「第一回庭園アイロンがけ大会」のためである。これは二年前に発刊された「庭園に映える妻」というマニアックでありながら、追憶をテーマとした作風に多くの民衆が虜となった小説の中のにある、アイロンがけをする女性に魅了された人々が設立した美しいアイロンがけの会という集団の催しだ。どれだけ美しくアイロンがけができるか、その一点が評価ポイントである。優勝者には、第一回最優秀アイロニストの称号と最新式のアイロンが授与される。
今大会の参加者は十人。会員九名と一般公募一名だ。皆、程度の違いはあれど緊張しいている様子が伺える。もう直に一人目の番がはじまる。
結果を言うと一人目の三十手前であろう女性は緊張のあまり自らのアイロンを手にすることが出来ずにリタイアしてしまった。二番目、三番目も同様にアイロンを布に当てることすら出来ず、結局八番目の人まで、ろくに自分の腕前を発揮することが叶わなかった。
このまま何の成果もないまま終わるのかと、自分の不甲斐なさに皆が悲観してしまう。だがそれも束の間、次の参加者がゆっくりと立ち上がるとともに暗かった雰囲気は霧散した。羨望の眼差しを一つに集めたその方は、実年齢は高齢者と言われる部類に入りながらも五十代前半とも判断されるであろう容姿を持ち、紺色の生地に朝顔の模様が入った浴衣に前掛けと、ひとり夏の季語、と称されても納得せざるを得ない立ち振舞を見せる女性。現会長である。
一挙一動美しく、落ち着きを損なわないまま台の前へと腰を下ろし、愛用しているアイロンに触れ光を灯す。そして十分に温まったであろう頃合いになると、握りを優しく掴みシワクチャの布の上にポンと置き、横へ一文字に颯爽と動かした。
ただ横へ、ただそれだけ、なのにアイロンの縦幅よりも大きいはずの布のシワが消失した。これが会長の技「一線」である。基本を忠実に守ることを追求した境地、真っ直ぐ横への成れの果て。習得者は唯一無二、会長。自分の演技を終え、場の支配者となった会長は笑みを一つ、元の位置に戻った。
尊敬の念を込めて、うっとりとした目で会長を見つめる人は八。一人足りない。まだ演技が終わっていない一般参加者だ。まだ十代であることが予測される彼女は自分の事が忘れられているようで不愉快、と言いたげな顔をして立ち上がる。
台の前に座り自前のアイロンの準備をする。彼女のものは水の入る場所があるタイプのようだ。アイロンが電子音を鳴らし、支度が整ったことを告げる。
どうせ大したことは無いだろう。出来て平凡。参加者はそう決めつけていた。だがすぐに、ショックを受けることとなる。彼女がアイロンを布の真ん中に当て、一呼吸置いてからボタンを押した。
その途端、台の周りを圧倒的熱量と水蒸気の匂い、水が弾ける音が支配した。その音は日本の伝統的な花火である線香花火を彷彿とさせた。
白いモヤが収まり、放心した参加者たちが我に返り忘れていたとばかりに一斉に彼女を瞳に捕えようとした。するとそこには口角を上げしたり顔の少女と、すっかりと伸ばされた布が置かれていた。何があったのか分からない。誰もが唖然としており行動を起こせないその中で、会長だけがこれが日本よね、と満足気に呟いた。
こうして「第一回庭園アイロンがけ大会」は公募の少女となり、一線を超え極地へと達した彼女の名は、エクストリームスチームアイロニストとして語り継がれる事となった。
帰り道に彼女は真っ白なアイロンを胸に抱いて、「お固い人達はチョロいものね」とささやいたという。