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Error  作者: ken
第一章(R)
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第八話 =化け物と人間と=

「あの、航太郎さん」

 昨日の放課後。女子寮まで愛と共に帰り、その前で彼女と別れた航太郎だったが、不意に名を呼ばれ立ち止まった。そして、いつも通り。いつも通りゆっくりと、その体を愛の方へ向ける。

 夕日に照らされた彼女の顔は少し赤かったが、その表情と声色は普段より力強く感じられた。

 何かを、強く決意した様に。

「どうした」

「いえ、その……」

 一瞬、いつもの気弱な彼女が顔を出したが、それはまたすぐに決意に満ちた彼女によって隠された。

「私、がんばります!」

 突然の決意表明に、航太郎はゆっくりと首を傾ける。

 そんな彼に、愛はやんわりと微笑んで見せた。

「絶対、美味しい肉じゃがを作って見せますから! 航太郎さんが今まで食べた中で、一番美味しいって思うくらいの……絶対作って見せますから!」

 航太郎はしばし黙っていたが、やがて体を反転させ、彼女に背中を見せる。そして、ぽりぽりと右手で頭を掻くと、

「そう。まぁ……期待してる」

 そうとだけ答え、男子寮へ向かって歩き出した。

 航太郎の表情は、相変わらず無かったのだろう。だが、彼の心は確かに、笑っていた様に思う。それは、航太郎自身も感じていた。

 そして航太郎は、内心彼女の手料理を楽しみにしながら、再び夕日に照らされたアスファルトを歩み始めたのだった。







 ―――――――だが、彼女の手料理を食べられる日は、おそらく二度と来ないのだろう。そして、彼女のあの笑顔を見る事も、もう……無いだろう。

 それが、航太郎の眼に焼き付いた事実。突き付けられた現実。その牙を、航太郎は痛いほど感じていた。無残な愛の姿をした現実が、こちらを見て嗤っている様にすら、航太郎には思えた。

「おい菅っち! いきなりどうしたん……」

 航太郎の後を追って来たであろう仁は、中途半端に言葉を区切った。そして彼の瞳は、がみるみる内に開かれていく。瞳孔までも開いてしまうのではないかと思うほどに。

「愛……ちゃん?」

 力なく、仁が呟いた。そのすぐ後、Fクラスの面々が続々とそこに集結する。百花に事情を聴いたのだろう。皆血相を変えて、ドアの奥を覗きこんできた。

 そこから先は、容易に想像出来るだろう。ある者は泣き、ある者はその場に力なく座り込み、ある者は涙を堪えながら、拳を壁や床にたたきつけた。

 当たり前だ。クラスメイトが死んだのだ。冷静を保てる人間など、そうそういない。

 もしかしたら航太郎の様に、平然と蘇っては来るのではないか。そんな淡い希望を持った者も中にはいる。だが現実は、そんなご都合主義を許してはくれない。

 そんな中、一人だけ。全く動じた態度を取っていない者がいた。航太郎だ。愛と最も親しかったと言っても過言では無い彼が、この場で一番冷静だった。現実はしっかり把握している。現実逃避などしていない。だが、航太郎は動じない。ゆっくりと歩を進めていく。ぐちゃり、ぴちゃり。まだ乾いていない血だまりの中を歩く音が、室内に響く。そして航太郎は、愛の前で足を止め、その場にしゃがみこんだ。

 ゆっくりと愛の首へと手を伸ばし、そっと触れた。凍りの様に冷たかった。普通ならば感じられる筈の感覚も無かった。もう、どうあがいても逃げられない。考えうる最悪の答えから。

 だがそれでも、現実を体で体感しても尚、航太郎は動じなかった。

 彼はただ、そっと彼女の顔に手を伸ばすと、虚ろになっていた瞳を優しく閉じた。

 Fクラスの慟哭が、その場を支配する。

 だが、いくら泣いても、いくら喚いても、現実が変わるわけが無かった。

 愛は死んだ。もう目を開く事は無い。もう笑う事は無い。航太郎に手料理をふるまう事も――――無い。

「谷口……」

 突然、この場に割り込んできた新たな声に、Fクラスの面々はそちらを見る。

 そこに立っていたのは、ただじっと愛の遺体を見つめている立壁だった。

「先……生……谷口さんが……」

 百花は朧に呟き、立壁の胸にすがりつく。立壁はそれを両手で優しく包み込み、唇を強くかんだ。

「護れなかった……すまない谷口……本当にすまない」

 そんな立壁の小さな言葉を聞き取った者はいない。ただ一人、航太郎を除いては――――――。


        ■ □ ■ □


「つまりアナタは今朝、いつもなら既に来ている筈の谷口愛さんが来ないのが気になり、一人で女子寮の彼女の自室、要するにこの現場に来たと言う事ですね。そしていくら呼んでも返事が無かったのでドアノブに手を掛けた所、鍵がかかっていなかった。恐る恐る開いてみた所、現在の状態で壁に寄りかかっている谷口愛さんを見つけた、と」

「はい……間違いありません」

 未だにふるふると体を震わせる百花に事情聴取をしているのは、赤毛のポニーテールが特徴のスリムな少女だった。

 名は『横寺冬香よこでら・ふゆか』と言い、今回の「任務」を担当する事になった3-Aの委員長であり、同時に龍ヶ峰学園の生徒会長を務めている少女である。

 現場では既に、3-Aの生徒たちが検証を始めていた。当然だが、そこに士の姿は無い。

「なるほど、分かりました。では、後は私達に任せて、アナタはひとまずクラスに戻っていただけますか? と言っても、今回の様な事件が起きた以上、授業は臨時休校とさせていただき、一度立壁先生から話をしていただいた後で、寮の自室に戻っていただく事になりますけれど。それとも、殺人が起きた寮で眠りに付きたく無いですか?」

「それは……構いません」

「そうですか。では、そういう事でお願いしますね……アナタ達も」

 未だ悲しみから逃れられずにいるFクラスに顔を向け、冬香は言う。

「クラスメイトが亡くなってしまった心中はお察しします。けれど、これは私たち3-Aが担当する任務ですので、申し訳ないですが素直に教室へ戻って頂けますか」

 そういわれ、やがてFクラスの面々はぞろぞろとその場を後にした。しかし、その足取りは目に見えて重い。当然と言えば当然だが。

 しかし、航太郎だけは彼女の意に反する行動をとっていた。暴れ出した訳では無い。その場に縋り付こうとしている風にも見えない。彼はただじっと、3-Aの生徒たちが検証する様子を眺めているだけなのだ。

 そんな彼に、再び冬香が声を掛ける。

「アナタ、転入生の菅原航太郎くんですよね? 榎本くんとの一件は聞いています。3-Aの委員長として、そして生徒会長として、心からお詫びします。ですが、今回の事と件の話はまた別。アナタが此処にいた所で、私達の邪魔にしかなりませんので、早々に退出していただけますか」

 挑発的な口調で、冬香は静かに言う。航太郎はゆっくりと彼女へ視線を傾け、しばらく黙っていた。

「…………そうですか、わかりました」

 だが彼は、冬香の言葉に噛みつく事も無く、そのまま受け入れてあっさりと退出していった。

 Fクラスへと戻る航太郎の背中を、冬香はしばしじっと見つめる。そして、ゆっくりと唇を吊り上げた。

「菅原航太郎くん……クラスメイトを、しかも最も親しかった友を失った悲劇の主人公。

 でも、それで終わる様には思えないなぁ」

 先ほどまでとは打って変わった子供の様な無邪気な口調で、冬香は呟いた。

「さぁ、今度はどんな面白い事をしてくれるの? 菅原くん……」


        ■ □ ■ □


 再び教室に集ったFクラス。だがその空気は、普段のそれとは真逆。どしりと重い空気が、そこにいる全員の体に圧し掛かっていた。

 それは、生徒たちの目の前に一人立っている立壁とて同じ事だった。

「――――――もう、言うまでも無いだろう。お前らは皆、それを目撃してるんだからな」

 答える声はない。

 立壁は言葉を続ける。

「谷口は死んだ。そしておそらく……いや、そんな曖昧な言い方は無しだな。アイツは殺された。間違いなく。一片の偽りもなく。それが事実だ。俺たちが受け入れなくてはいけない現実だ」

「……立壁先生」

 再集合したFクラスの中で、初めて口を開いたのは、航太郎だった。

 立壁は航太郎の紅い瞳をしっかりと見据える。

「何だ、菅原」

「心当たり、あるんじゃないですか」

「…………何故そう思う?」

 値踏みするかの様に、立壁は問うた。航太郎は答える。いつもの無表情で、淡々と。

「あんな大きな独り言、聞こえない筈は無いでしょう」

 他の者は皆、心の中で首を傾げた。だが、立壁には彼の言わんとしている事が分かっていた。

「答えてください、立壁先生。もう『俺たちが心配する事じゃない』とは言えない問題になっているんです」

「相変わらず、お前は妙に鋭いな」

 観念したように、立壁は彼の来ている白衣の内ポケットから、あるものを取り出した。

「……封筒?」

 真っ赤に染まったそれを見た仁が、おもむろに呟く。

「あぁ。最近、ほぼ毎日学園当てに送られてきたもんだ。その中には、こう書いてあった」

 封筒の中から、一枚の手紙を取り出す立壁。そして次に、そこに書かれている内容を読み始めた。とても短い文章だったが、用紙一面に真っ赤な文字で書かれていたその言葉は、Fクラスの心中を揺さぶるには十分すぎるものだった。

「『近日、龍ヶ峰学園の生徒が一人殺される』」

 大半の者は、これを悪戯と感じ破り捨てるだろう。だが、今のFクラスにはそれを出来る者は一人もいない。ここに書かれている事が真実である事を、皆理解していたからだ。

 驚愕の表情を浮かべる生徒たちに、立壁は続ける。

「何故こんな手紙を送りつけて来たのかは分からん。だが、差出人は一応・・分かっている」 

 そういって立壁は、赤い封筒を裏返しにして皆に見せた。

「KiLLeR…………それが差出人だと?」

 陽の問いを、立壁は首肯する。

「そしてアカラサマ過ぎるが……この差出人キラーって奴が、今回の谷口殺害の犯人だろうな」

「私達には、何も出来ないのか。アイツの死を嘆き、弔う事意外、何も……」

 心底歯がゆそうに、彩は吐き捨てる。その体は、心なしか小さく震えている様にも見えた。

 一瞬。ほんの一瞬立壁は顔をしかめたが、すぐにまた真摯な表情を浮かべる。

「残念だが、「任務」を受けているのは3-Aだ。お前らは「捜査」を行う事は出来ない……すまない」

 最後の立壁の言葉に、皆一斉に彼を見た。

「お前らに注意を呼び掛けておけば……こんな事にはならなかったのかも知れない。教員おれたちで抱え込んだのが原因だった。謝罪してもしきれないよ、お前らにも。そして谷口にも……」

「IFは考えるものじゃありません」

 立壁の言葉に反論を突き出したのは、航太郎だった。クラスの視線が、彼の方へと集められる。

「『もし』を考えていても切が無い……俺たちが今出来る事は、愛の死を受け入れる事。そして……受け入れた上で、最善の未来を選択する事です。俺は愛の死で彼女を忘れてあげるつもりも無ければ、その死をおもりにするつもりも無い。ただ歩くだけです。自分が決める道を。自分の思うままに」

 それだけ言うと、航太郎は立ち上がる。

冬香かいちょうさんの話は、立壁先生の話を聞いた後は解散って事でしたよね」

「あ、あぁ」

「では、俺は部屋に戻ります。もう話は終わったんでしょう?」

「…………あぁ、構わない。皆も部屋に戻ってくれ。念のために言っておくが、あまり一人では出歩かない事だ。いいな」

 それだけ言うと、立壁は教室を後にした。残された9人に訪れたのは、静寂だった。だが、すぐにそれはかき消される。航太郎がドアへと歩む靴音によって。

「……航太郎くん」

 ドアに手を掛けた瞬間、航太郎の名を呼ぶ声が響く。口にしたのは、百花だった。顔を伏せた状態で、体を小刻みに震わせている。

「航太郎くんは、悲しくないの? 谷口さん、もう戻って来ないんだよ? 昨日あんなに、航太郎くんに美味しい肉じゃがを作るんだって……そう、言ってたのに……なのに……」

 刹那、百花が勢いよく顔を上げる。その表情は、まるで航太郎を敵視している様にも思えた。

「なんで? なんでそんなに冷静でいられるの!!?」

「落ち着いて下さい、冴嶋先輩」

「瀬戸内くんは黙ってて!」

 陽の一言を、百花は凄まじい剣幕で圧殺する。

「悲しくないの!? 谷口さんが死んで、しかも顔も分からない誰かに殺されて、それなのに……なんで……」

 捲し立て、泣き叫ぶ百花。陽はそれ以上反論する事なく、ただ黙って表情を歪ませただけだった。

 再び、教室内が静寂に支配される。

「…………悲しむより先に、俺たちにはやるべき事があるんじゃないですか」

 シン、と静まり返っていた

「こんな時こそ、冷静に冷徹にいる方が良い……そう思っただけですよ」

 ポツリと。それだけ口にすると、航太郎は再び黙り込んだ。そして、一心に百花の避難の目を見据える。表情は、やはり変わらない。完全無欠のポーカーフェイス。紛れもない、いつも通りの航太郎の無反応がそこにはあった。

 それだけでも、百花の心をえぐるには十分だった。再び机とにらみ合いながら、百花は告げる。

「わかんないよ……私には航太郎くんが分かんないよ。

 私たちには感情があるんだよ? 楽しいって思ったり、嬉しいって思ったり、悲しいって思ったりする気持ちが、ちゃんと心の真ん中にあるんだよ? なのにいつも……航太郎くんは何も変わらなくて。表情も、声音も、何も……そんなの……そんなの……」

 再び百花は、航太郎の紅を見据えた。先ほどまでの怒りは、もうそこにはない。だが代わりに、目尻いっぱいにたまった涙と、それによって濁ってしまった綺麗な瞳が、彼を突き刺した。それはまるで、航太郎に同情している様な、

「そんなの……まるで化け物じゃない」

 化け物。それは、人間に対する否定の言葉。お前は人間ではないと、そう言われているも同然の、人間にとって最大級の軽蔑を意味する言霊。

 それを真正面から打ち込まれた航太郎の表情は―――――やはり、変わってはいなかった。

「百ちゃん。それは言い過ぎだよ」

 百花の言葉に異議を唱えたのは、美鈴だった。表情も口調も、普段の明るくおちゃらけたそれでは無い。子供を親が叱り付ける様な、そんな口ぶりだった。

「赤井氏の言うとおりですぞ、冴嶋氏」

 美鈴に同調する元春。その二人を、百花は交互に睨み付けた。

「何が? 皆だって本当はそう思ってるんでしょ!?」

「お、落ち着くっす、冴嶋先輩」

「これが落ち着いていられるの!?」

 戸惑いを隠せない新を、百花は怒鳴り付ける。普段の清楚で優しい彼女は、そこにはいない。

「冴嶋……」

 彩が何とも言えない表情で、百花を見つめる。

「冴嶋先輩の言うとおりですよ」

 それまで黙っていた航太郎から飛び出したのは、肯定。

 百花が己に向けた言葉を、彼自身が認めたのだ。「自分は化け物だ」と。

 その時の航太郎の姿を見て、百花ははっと我に返った。

「友人を――――愛しい友を殺されたのに哀しみもせず、嘆きもしない。化け物と言われても、仕方が無いでしょうね」

 航太郎の表情は、やはり普段と変わらない。完璧なまでの、貼り付けた様な無表情だ。

 だが彼を纏っている空気は、どこか悲しげで、寂しげで、そして―――――しっかりと嘆いていた様に、百花には思えたのだ。

「航太郎……くん」

「でも、俺の思想も生き方も変わらない。変えられない。そこまで踏み込んでしまったんですよ、俺は。化け物の領域に」

 それだけ告げると、航太郎は教室を後にした。

 百花は様々な感情が入り乱れ、耐えられなくなって机に伏した。そして、その感情の全てを声として吐き出した。あまりに綺麗な水滴と共に。

 Fクラスが、どこか悲しそうに航太郎のいた場所を見つめている。あの陽ですら、気まずそうに視線を皆から逸らしている。

 だが、ただ一人。イレギュラー。

 紅汐音。

 彼女だけは、ただじっと、去っていく航太郎の背中を見つめていた。

 そして、本能的に直観する。

 彼は―――――菅原航太郎は、此処で引き下がる男ではない、と。

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