第三話 =決闘=
「アナタは何を考えているんですか!」
体育館二階の観覧席東側の一角で、怒声が上がった。
出所は、Fクラス委員長である冴嶋百花から。いつもの彼女からは想像も付かない様な形相をした百花の目の前にいるのは、同じくFクラス副委員長を務める仁だった。
仁は額に少し汗を浮かべ、両手で彼女を静止する。
「おいおい、そんなに怒らないでくれよ委員長」
「これが怒らないでいられますか!」
百花の怒声は止まない。当然と言えば当然だろう。彼女は委員長という立場だあるだけに、人一倍クラスメイトへの思いが強い。その大切なクラスメイトの一人が、Aクラスの生徒と決闘を行うというのだから、心配でないわけがない。しかもそれを仕向けたのが、同じクラスの仁だというのならば、彼に怒りの矛先を向けずにはいられなかった。
「相手はあの榎本さんですよ!? 菅原くんにもしもの事があったら、アナタはどう責任を取るつもりなんですか!!」
「いやー、そうなんだけどさぁ……」
言うと、仁は体育館大ホールに目を向けた。士は既に会場入りしているが、航太郎の姿はまだ見えない。待たせれば待たせるだけ、士の怒りは膨らんでいくと言うのに、だ。
仁はどこか遠い目をしてその光景を見つめ、百花の問いに答える。
「何っていうか……菅っちなら、何か変えてくれるんじゃないかって思ったんだよねぇ。他力本願も良いとこだけどさ。
俺らには出来ない様な事を、あの子は平然とやってのける様な、そんな気がしたんだ」
「そんな根拠もない期待で、菅原くんを危険な目に遭わせようと言うんですかアナタは!!」
「えっと……ちょっと良いっすか?」
二人の噛み合わない会話に割って入ったのは、新入生の一人である新だった。百花の剣幕に若干押されながらも、新は問うた。
「さっきから聞いてると、どうもあの榎本って先輩は何かヤバいんすか?」
「ヤバい、なんて生易しいもんじゃないよ、アイツは……」
新の問いに答えたのは、百花ではなく彩だった。
腕を組み、じっと士の姿を睨みつける彩を、新は見つめる。
「どういう事っすか、それ?」
新の問いに、彩は自身の襟元にある薔薇を象ったバッジをとんとんと叩いた。
「このバッジの本来の目的は、クラスを強調する事じゃない。この学園に入った未成年能力者の能力を抑制する事だ。いくら危険な能力でも、人を殺したりするほどまでに力を強めないためにな。
だが、アイツの場合は親の権力に物を言わせて教師を脅し、このバッジの効力を無効化させる事がよくある。教師はPTA会長であるアイツの父親が怖くて、何も言えない。しかも龍ヶ峰学園は超能力犯罪に悩まされている今の世界政府の『希望』だからな。政府はここで起きた生徒の不祥事を、全力で揉み消しにかかる」
「それってつまり……」
新の顔が、心なしか青ざめている様に思えた。
そして彩が次に告げたのは、彼らにとってあまりにも残酷な真実だった
「アイツは殺せるんだよ、人を。誰にも咎められる事なく」
■ □ ■ □
「あの……菅原さん」
同刻、体育館の門を開こうとした航太郎は、一つの少女の声に呼び止められ、その手を止めた。
振り向くとそこには、士に食って掛かった時とは打って変わって、普段の怯えた様な様子をした愛が経っていた。
航太郎はそんな彼女をしばし見つめ、
「……二回目」
と呟いた。
「え?」
愛が思わず、そんな言葉をもらす。
「そうやって話しかけられたの、今日で二回目」
「え? あぁ……そうですね」
おそらく昼食に誘った時の事を言っているのだろう。こんな時でも態度を崩さないのは、士の真の恐ろしさを知らないためか、それとも……。
「悪いけど、昼ごはんはまた後でになりそうだ。もう少し待っててもらえる?」
「あ、いえ! そんな事は別にいいんですが、その……ごめんなさい」
突然告げられた謝罪の言葉に、航太郎はゆっくりと首を傾げた。
心底申し訳なさそうな表情を浮かべ、俯く愛から続きの言葉が紡がれる。
「私のせいで、菅原さんがAクラスと戦う事になっちゃって……」
おそらく、愛は心からそう思っているのだろう。自分が士に噛みついたせいで、結果的に航太郎がその尻拭いをする羽目になったと。彼女自身、士の言っている事の全てが虚実ではない事を知っている。
FクラスとAクラスでは、戦力となると差がある。決定的かつ強大な力の差が。こうなる事など、予測しようと思えばいくらでも出来たというのに、自分が感情に身を任せたせいでこうなってしまったと、愛は思っていた。
そんな彼女を見つめる航太郎の表情は、やはり普段と変わらなかった。とても気だるげで、面倒くさそうで。
「……谷口さんは、自分が言ったことが間違いだと思ってる?」
「っ、そんな事はありません! 人間を能力だけで判断するなんて……そんなの間違ってます!」
それを聞くと、航太郎は再び体をドアへと向ける。
「だったら、アンタのその言葉に自信を持つと良い。間違った事にたいして正しい事を言った結果がこれだったんなら、仕方がない。そう思っていい」
それに、と航太郎は続ける。そして、面倒くさそうに頭を掻きながら、続きを告げた。
「俺も思いは同じだよ。谷口さんと変わらない」
愛は目を見開き、顔を上げる。
航太郎は既にドアを開け、体育館内へと入っていた。そして愛へ振り返る事なく、ゆっくりとその扉を閉じる。
残された愛は胸の前で両手を握りしめた。
「……無事でいて下さいね、菅原さん」
彼女の頬に、二つの滴が垂れていくのを見たものは、いない。
■ □ ■ □
大ホールに入った航太郎を、士がニヤリと笑って出迎える。
「とりあえず、逃げずに来たことは褒めておこうか」
「在り来たりな台詞ですね、マンガの読みすぎじゃないですか」
「その減らず口も、いつまで持つかな」
先ほどの怒りが嘘の様に、士を纏う雰囲気はいつもの嫌味たらしいそれに戻っている。だが、それだけではない。何かよからぬ事を企んでいる様に、航太郎には思えた。
ちらりと視線を上にあげると、そこには各々の表情で自分を見つめるFクラスの顔が目あった。そしてその一番後ろには、先ほどまで自分と話していた愛の姿が見える。
それを確認すると、航太郎は自分の目の前、これから自分が戦う相手を見つめた。いつも通り、ぼーっとした様な無表情で。
そんな体育館内に、あまりにも場違いな穏やかな女声が響く。
「え-っと、今日の決闘の審議を担当する『遠山京子』です。よろしくお願いししますね」
ほんわかとした笑みを浮かべる社会科教員である京子に対し、航太郎はどうも、と軽く会釈をする。対する士は、とっとと始めろと言う風に京子を睨み付けた。
「では、二人ともルールを守って決闘して下さいね」
言うと、京子は右手を高々と掲げる。
今まさに、戦いの火ぶたが切って落とされようとしていた。
取り巻き、互いのクラスメイトが見守る中――――。
「開始ッ!」
士は―――――嗤っていた。
「クッ……ククククク」
航太郎は無言で、俯きながら笑いを零す士を見つめる。対する士は、ゆっくりとその顔を―――――邪悪を凝縮した様な表情をさらした。
「ルールを守って、ねぇ……平和なこった。教師共のルールなんて、今この決闘では何の意味も持たないと言うのに」
士が両手を空中、航太郎の頭上目がけて振り上げる。
「僕の行う決闘に、校則など関係ない……今この場では、僕がルールなんだ!!」
ズッ――――――――
「っ!」
突如、航太郎の体が悲鳴を上げた。原因は、彼の体を凄まじい力で押さえつける『何か』。この世のものとは思えない、この世のものでは抗う事も出来ない様な。
そして――――。
パキン――――と。
木の枝が折れる様な音が響く。そして次の時には、航太郎の右足はいとも簡単に崩れ落ちた。立ち上がろうとしても、全く力が入らない。それにくわえ、凄まじい激痛が航太郎の右足から脳髄へと、電流の様に駆け上がっていく。
士はニヤァ、と悪魔の様な笑みを浮かべた。
「…………重力操作能力者」
航太郎はいつもの口調で、淡々と言ってのける。まるで痛みなど感じていないかのように。だが、士はそれを疑問にも思わない。それ以上に、あの生意気な格下をひざまずかせる事が出来たのを喜んでいる様にも見えた。
「ご名答。僕の力は『重力を操作する能力』だよ。まぁ今さら気付いた所で、君にはもう何も出来ないだろうけど」
既に勝ちを手にした様な口ぶりで、士は言う。
そして、再び。ポキンと音がしたかと思えば、航太郎の左腕が地面へ向けて垂れ下がった。
「……通常、能力制御を受けている学生の身分では、これほどまでの強力な力は出せない筈ですが」
「言っただろう? ここでは僕がルールだと。教師の定めた決闘ルールなんぞを真に受けた時点で、君の負けは決まっていたんだよ」
航太郎は実感した。士が持つ、真の力を。こんな重力よりももっと強大で恐ろしい、その力を。
「なるほど……権力ですか」
「その通りさ。僕の父親が怖くて怖くて仕方がない教師共に、僕のバッジの効力を無効化させる事は簡単だった。だから僕はこうして、君を嬲る事が出来る。心置きなくね」
航太郎は俯いたまま離さない。いや、これだけの重力に圧迫されているのだから、顔を上げる事も、言葉を発することも出来ないのだろう。そんな彼を見て、士は不敵に笑う。
「思い知っただろう? 君と僕の格の差ってやつを。全てが違うんだよ、君とは。家柄も……能力者としての実力もね」
■ □ ■ □
「こんなの……反則じゃないっすか」
顔を真っ青に染め、新が呟く。目の前の光景が、彼にはまだ信じる事が出来なかった。
「確かに反則です。だが、それと同時に現実なのですよ。結局どこの世界でも、権力ほど恐ろしく強大な力はないって事です」
唇を噛みしめながら言うのは、元春だった。身体も声も、やるせないと言う様にガタガタと震えている。
その瞬間、彩が音を立てて立ち上がった。
「…………どこに行くんです?」
黙って試合を観戦していた新入生、瀬戸内陽が問う。
「決まってるだろう、止めさせる」
出口へ足早に向かいながら、彩は言った。そんな彼女を静止したのは、仁だった。
「無理だよ、ヒーラギ。分かってるんだろう? 誰も榎本の暴挙を止められないって事」
視線を大ホールの二人から外さないままで、仁は答えた。それを受けた彩は、仁の方へ体を向け、彼を思いきり睨み付けた。
「っ、だったらこのまま、後輩が殺されるのを黙ってみてろって言うのか!」
仁の胸倉をつかみ、彩が怒鳴る。だが、仁は態度を変えない。
「痛いよ、ヒーラギ」
「今一番痛い思いをしてるのは誰だ! 菅原だろう! お前の無謀な提案のせいでだ!!」
「無謀かどうかなんて、まだ分かんないじゃん」
いつもの彼とは違う、強く落ち着いた口調で仁は言う。
「菅っちは、きっと勝つ。確信にも近い自信があるよ。彼なら、どんなバッドエンドでもハッピーエンドに変えてしまうって、そんな自信が」
「どこまで無責任なんだお前は!!!」
彩の怒号が響く中、百花は口を手で押さえながら、痛々しい姿の航太郎を見つめていた。その顔は、やはり青ざめている。
そしてもう一人、絶望にも似た感情に支配された少女がいた。谷口愛である。
このままでは、航太郎は死ぬ。自分が喧嘩を売った相手に殺される。自分のせいで。自分のために。脳裏に浮かぶのは、先ほどの航太郎の言葉。
『だったら、アンタのその言葉に自信を持つといい』
『俺も思いは同じだよ、谷口さんと変わらない』
つい先ほどまで、自分に精一杯の言葉を掛けてくれた少年。自分を咎めようとせず、むしろ励まそうとさえしてくれた様な少年。その少年が今、目の前で殺されかけている。
そう思うと、愛には耐えられなかった。自分のせいで人が死ぬことが。自分の目の前で人が死ぬことが。
そして何より―――――菅原航太郎という存在を失う事が。
気が付くと、愛は観覧席を飛び出していた。百花や彩の静止も聞かず、無我夢中で走っていた。
向かった先は、さっきまで航太郎と話していた大ホール入口前。そしてその扉に手を掛け、一気にそれを開く。この決闘を止めるために。航太郎の命を救うために。
だが――――――
グシャ
そこで彼女を待ち受けていたのは、そんな音と。彼女の顔にこびり付く血しぶきと。そして―――――
たった今作られた血だまりの上に転がる、航太郎だった筈のもの。
その光景を目の当たりにした時、彼女の目から光が消えた。そして、まるで導かれる様に、その血だまりの中へと歩いていく。
「菅原……さん……?」
ペタリ、と。その場にへたり込む愛。だが、彼女の言葉に答える声は無い。代わりに、彼女の目に痛いくらいに現実が入り込んだ。
視界いっぱいに広がる、赤。そして、原型が分からないほどに霧散した、骨と肉塊の一片。
「ああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっ!!!!!」
愛の慟哭が、響いた―――――――。