8 悪魔のレストラン
同時に紫髪の男は考えていた。
先程から、細剣を持った少女が自分を見ている。
あの様子から彼女は、祓魔師を目指す者なのだろうか。
クレアラッツに住んでいる人間にしては、薄汚れた風貌だ。
この紫髪の男の名は、セヴィス=ラスケティア。
ロザリアが総攻撃に備えて調べている、クレアラッツのS級祓魔師である。
ロザリアは右側を通り過ぎたので見えなかったが、彼の制服の左襟には金色のブローチが輝いている。
ブローチには薔薇の模様が彫ってあり、Sの文字がチェーンでブローチと繋がっている。
このブローチを着けないと、学園の教官の五月蝿い説教を受けないといけない。
なのでセヴィスは仕方なくこれを着けている。
祓魔師たちの名誉である金のブローチを、彼はその程度でしか考えていない。
セヴィスが河川敷に行くと、いつもの様にハミルが芝生の上で汗を掻きながらトレーニングをしている。
「あっやっと来たな!」
トレーニングをしていたハミルは上で突っ立っているセヴィスに気づいて、石階段を駆け上がって来た。
相変わらず慌ただしい。
「お前、十分も遅れてるぞ」
「レストランに行くのはハミルが勝手に決めたんだろ」
自分の腕時計を指差すハミルに対し、セヴィスは面倒そうに言った。
ハミルが勝手に決めたことなので、遅れてきたことに対する反省はしたくない。
「だってさ、あの『クリムゾン・スター』の料理をやっと食える日が来たんだぜ。あそこは店長が怖いって有名だから、おれ入る勇気ないんだよ」
と、ハミルは言う。
店長が怖いなら行かなければいいだろ。
そこまでして食う価値はあの店にない、とは断言できない。
あの店のハンバーグは、何気にやみつきになる。
「お前が店長と知り合いで安く食ってるって聞いたから、おれさ、今日すっごく楽しみにしてたんだぜ。お前なら店長も怖くないと思うし」
「……早く行くぞ」
「何だよ! おれはお前を待ってたのに!」
二人が向かうのは、この近くにある美味しいと評判の小さなレストラン『クリムゾン・スター』だ。
ハミルはこの日を一週間前から楽しみにしていた。
それに比べてセヴィスは約束を忘れて家に帰ろうとしていた。
セヴィスが帰路で約束を思い出さなければ、ハミルは何時間もトレーニングをしていただろう。
「そういえばさ、さっきロザリアっていうかわいい女の子がお前のこと聞いてきたぜ」
ハミルは歩きながら話す。
「お前のことって?」
「祓魔師を目指してるって言ってたから、多分お前の実力を気にしてたんじゃねえのか?」
ハミルが女の子の質問をろくに聞かずに話を進めたことを自然に理解したセヴィスは、この話題が始まってから一分も経たないうちに、ロザリアのことを考えるのを止めた。
「なあセヴィス、お前数学の中間テストの点数0点だったんだろ? 白紙解答じゃねえか。次赤点取ったら今度補習受ける羽目になるぞ? 祓魔師には確かに数学は必要ねえかもしれねえけど、お前も少しは勉強した方がいいんじゃねえのか?」
ハミルはにやりと口を歪ませて言った。
「テストなんていらない。紙の無駄だ」
「出た! 名言! お前テストの後に毎回言ってるよな!」
テストを全く気にしないで歩くセヴィスを見て、ハミルは両手を上げて大きくため息をついた。
「まあおれも赤点だし、地獄の補習の危機なんだけどさ。やっぱ付け焼刃の知識じゃだめか」
その頃、レストラン『クリムゾン・スター』は多数の客で繁盛していた。
この店は見た目ではなく味で売れている。
壁紙は汚れていて、机椅子も木製の簡素なものであるにも関わらず客は満員だ。
星の模様が描かれた赤色のエプロンをした従業員は男と女の二人で、女のマリ=クルトンがオーダー、店長と男従業員のアルジオ=ロスペリアが料理を作っている。
油汚れが目立つ厨房に立つ男の料理長は、エプロンをせず、その代わりにもならない黒いブルゾンを着て料理をしていた。
しかも、目が隠れるぐらいの前髪と肩より下に伸びた長い金髪はとても料理をする人間の身なりとは思えない。
年齢は二十前半ぐらいで、前髪から見え隠れする澄んだ赤色の瞳は狂気に満ちている。
突然、男の手から炎が出てコンロに火が点いた。
この店の店長は元S級悪魔シンクである。
ロザリアの父の憎き仇が、店で人間たちに料理を振舞っていた。
それも、ロザリアの父を殺した炎で、料理を作っていた。
シンクが鉱山から脱走して、今レストランを経営しているとは、悪魔の誰にも予想できなかっただろう。
魔力権は、悪魔の誰もが生まれ持つ力で、世界の摂理や理を完全に無視した不思議な力である。
シンクは炎を出す魔力権を持っている。
今となっては、魔力権は大して珍しいものではない。
祓魔師たちもまた、学園入学時に与えられた科学技術の粋を尽くした薬によって全員魔力権を得ているのだ。
それにしても忙しいとシンクは思った。
給料は高くしているのだが、従業員はなかなか入らない。
その原因の大半は、店長の性格の悪さとメニューの名前が覚えられない、が占めている。
「てんちょー、『マジデウメーゾ』二つお願いします」
「おう」
厨房に来たマリに返事を返すと、シンクは慣れた手つきで卵を割る。
シンクが作っているのは、オムライスだった。
彼の料理の作り方は、味の割にでたらめだ。
「マリ、あなた掃除をしましたか?」
と、食器を洗っていたアルジオが言った。
アルジオは口元に小さな皺と垂れ気味の目を持つ、シンクより年上の店員だ。
「あっすみません! 忘れてました!」
すぐにマリは頭を下げる。
マリは最近働き始めた女の店員で、まだ仕事を覚えていない。
「私とオーダーを代わって、厨房の掃除を済ませてください。特にシンクが水垢で汚れていました」
「アル、俺汚れてるか?」
卵を箸でかき混ぜながらシンクはアルジオに顔だけを向ける。
「いえ、店長じゃなくて流し台の方です」
アルジオは笑顔で言う。
「紛らわしいんだよ! てめえ!」
「すみません。これからは、店長を流し台と呼びます」
「おい」
「冗談ですよ」
と言うアルジオだが、そんなに反省しているようには見えない。
「大体な、水垢落としは今やらなきゃいけねえもんじゃねえだろ。マリ、てめえは食器でも洗ってろ」
と、シンクは言う。
彼が振り返る度に、金色の髪がぼさぼさになる。
五年前の逃走した時に比べたら短くなったのだが、それでも料理を作る人間にしては長すぎる。
「店長、ここは厨房だということをいい加減知ってください。そのロックバンドみたいな髪型では不潔です。何度言ったら分かるのですか」
アルジオはシンクを指差して注意する。
「うるせえよ。オーダーするなら早く行け」
彼の注意に全く耳を貸さず、シンクはフライパンに卵をぶちまける。
諦めたのか、アルジオは黙ってオーダー用紙を手に客席に向かう。