5 怪盗の存在
レンが後ろを向くと、虚ろな目でロザリアを見送る悪魔たちの姿がある。
何でみんな止めないんだ。
レンはすぐにロザリアを追いかけようとした。
すると、
「待て、レン」
声がして、悪魔の長グランフェザーが白髪を揺らしてよろよろと立ち上がった。
杖を使って立つのがやっとで、腰は直角に近いぐらい曲がっている。
グランフェザーは悪魔たちの祖父のような存在で、ここにいる悪魔たちの名前は全てグランフェザーが命名している。
彼も昔はかなりの戦闘力を持っていたが、今はもう歳を取って戦えない。
悪魔は皆グランフェザーを慕っている。
レンも普段ならグランフェザーの言うことを大人しく聞くのだが、ロザリアが関連すると内容によっては反抗する。
「長老! どうして止めるんだ! このままロザリアに一人で行けっていうのか!」
「何を心配しておる。ロザリアを信じるのだ。ロザリアは人間どもに殺される程柔ではないと、お前が一番よく知っているはずだ」
グランフェザーに言われて、レンは黙り込む。
長老の言う通りロザリアは強い。
それでもロザリア一人は危険だ。
「総攻撃で緊張しているロザリアに余計な話を持ち込むな。お前が仇を討ちたいと言う度に、ロザリアは悲しそうな顔をしておる」
「じゃ、じゃあこのままシンクを放っておいていいのかよ!」
レンの震えた声が洞窟に響いて、木霊す。
長老に怒るつもりはなかった。
ロザリアを悲しませるつもりもなかった。
でも、自分はいつも気がついたら仇を討つことに本気になっている。
一番辛いのはロザリアなのに。
「放っておけ。奴が洞窟を出てから五年経ったが、何もしてこないではないか。もうシンクのことは忘れるんだ」
そう言って、グランフェザーは自分が座っていた岩壁に戻る。
「忘れる? シンクのことを? 忘れられるわけないだろ! あいつは仇だ! おれが絶対倒す!」
レンは拳を作って岩壁を殴る。
手に鈍い痛みが走って、頭上から砂と石が大量に落ちて、地面に積もる。
おれはシンクのことは本当に許せないんだ。
自分はシンクの豹変した姿を知らないし、想像もつかない。
だからこそ真実を知り、今すぐにでも仇を討ちたい。
でも、ロザリアも長老もそれを快く思っていない。
どうして。
「くそ!」
地面に両手両膝をついて落ち込むレンを、グランフェザーたち悪魔は暗闇に慣れきった悲しげな目で見つめていた。
鉱山を出て、ブレイズ鉱山町から歩いて約三時間。
既に日は暮れて、先程まで降っていた雨は止んだ。
鉱山暮らしのロザリアの目は暗闇に慣れきっているが、ここに暗闇はない。
ロザリアは、怪盗フレグランスが出現することと祓魔師の圧倒的な強さで有名な、ジェノマニア王国の首都クレアラッツへやって来た。
クレアラッツは、祓魔師を生み出した世界最大の経済都市だ。
夜なのに、こんなに明るい。
経済都市の象徴であるスーツに身を包んだ大人たちがいるのは、泥で汚れながら掘り続ける人間たちがいたブレイズ鉱山町とは大きな違いである。
武器を手に道を歩くのは、祓魔師やその候補生が多いこの町では普通の光景だ。
それよりもロザリアは道行く人々が身につけるアクセサリーを見ていた。
ウェディングリングとして小さな『宝石』を身につける者は多い。
だが、指輪程の小さな『宝石』では、悪魔全員の空腹は満たされない。
ロザリアは人間を酷いと思った。
結婚の祝いに、『宝石』を身に着けるなんておかしい。
彼らは、『宝石』を美しいものとしか見ていない。
私たちにとってはなくてはならないものなのに。
死んだ悪魔一人分の『宝石』は、約五百カラットと大きい。
それらは美術館で厳重に保管されている。
鉱山で採れる『宝石』の場合、大抵掘り出される際に割れている。
悪魔は一人につき一日一カラットあれば、他に何も食べなくても生きることができる。
それでも一カラットだけでは空腹に耐えられないので、悪魔は人間の食べ物も口にする。
ロザリアは、袋に五日分の『宝石』を入れてきた。
これが尽きるまでに、帰るか別の『宝石』を手に入れないといけない。
とはいえ、ロザリアは鉱山で悪魔だけを練習相手に戦ってきたので世界に関しては子供より無知である。
今日、ロザリアは敵城監察のつもりで来たのだが、先程レンに聞いた『宝石』怪盗フレグランスのことが頭から離れなかった。
ロザリアにはフレグランスの出没情報を知る術はない。
そもそも祓魔師の戦闘能力についてもよく分かっていない。
でもレンにもう少しクレアラッツについて聞いてこればよかった、なんて考えたら駄目だ。
道の中央で突っ立っていたロザリアは、祓魔師の証である小さなブローチを着けた男を見つけた。
銀色のブローチには、A級祓魔師の証であるAの文字と、椿の花弁を模った模様が彫ってある。
クレアラッツのA級祓魔師というだけで足が竦みそうになったが、見た目で悪魔と分かる祓魔師はいないはずだ。
ロザリアは勇気を振り絞って話しかける。
「聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「今忙しいんだけど」
祓魔師の態度は冷たいが、態度を気にして怒る程ロザリアは短気ではない。
それよりも、悪魔だと気づいていないことに安心した。
彼からセヴィスのことを聞いてみようとロザリアは思う。
しかし安心したロザリアの口から出た言葉は、
「怪盗フレグランスはどこにいるの?」だった。
レンに当たり前のように敵情監察と言っておきながら、何を聞いているんだとロザリアは自分を叱咤した。
だが、自分の脳は祓魔師よりもフレグランスの方を無意識に気にしているらしい。
今だけなら、とロザリアはフレグランスを気にする自分を許した。
「そんなの知るわけないだろ。大体、俺が知ってたら何で奴が捕まらないのかって話になるだろ」
と、祓魔師は舌打ちして答える。
「あっ……」
「おまえ馬鹿なのか?」
祓魔師はロザリアを睨みつけ、去った。
態度の悪い祓魔師だった。
A級ならロザリアより弱い可能性の方が高いのだが、彼を殺すわけでもないのにこんなことを気にしても何もない。
フレグランスの情報は一般人から得ることができないと知ったロザリアは別の方法を考えるが、結局通行人に聞くしか方法が思いつかない。
「フレグランスっていつ出るの?」
ロザリアは祓魔師でもない若い青年に尋ねる。
「フレグランス? あのルビーばっかり取っている泥棒か。分からないよ。予告状が来たらニュースでやっと分かるって感じだからね。でも予告してくるのは大抵夜だよ」
青年はそう言って、大通りを人ごみに紛れて歩いて行く。
先程の祓魔師よりは優しい青年だったが、肝心の出没情報が手に入らない。
フレグランスはわざわざ予告をして盗むらしい。
予告をしなければ警備も減るというのに、自分の首を絞める様な行為をして何になるのだろう。
ロザリアにはフレグランスの考えていることがよく分からないが、フレグランスが何を考えようと、悪魔の邪魔であることは確実だ。
後は予告を知る方法だ。
ニュースと言われても、ロザリアにはニュースを知る手段がない。
あるとしたら、ビルに張り付いている巨大ディスプレイだろう。
しかし、このディスプレイをずっと眺めているのもどうかとも思う。
この街に来る前にもう少し準備をしてくるべきだった、と今更後悔しても遅い。
いっそのこと鉱山に帰ろうかと思ったが、このまま何も成果が得られないと今の行動全てが無駄になる。
総攻撃は、悪魔が祓魔師を制圧することにより、生きる権利を認めてもらうためにレンが提案したもので、鉱山の悪魔たちはこれに賛成している。
だが、短い時間で祓魔師を制圧できなければ悪魔は飢えて先に死ぬ。
だからロザリアは祓魔師たちの敵情観察としてここに来ている。
なのに何故自分は勝手にフレグランスを調べようとしているのだろう。
フレグランスのどこにそんな気にする部分があるのだろう。
ロザリアは自分に言い聞かせる。
今はフレグランスを眼中に入れず、総攻撃に向けた準備をする時。
ならば、無駄な時間を過ごすより祓魔師の情報を集めて鉱山に持ち帰るのが自分の義務。
元々そのつもりで来たのに、自分は何を考えているのだろう。
フレグランス一人を倒すより、祓魔師を制圧した方が確実に『宝石』を得られると言うのは分かっていたはずだ。
ロザリアは、今まで謎に包まれた存在であるフレグランスしか考えていなかった自分を不思議に思った。