46 剣 -つるぎ-
「…………か?」
誰かの声が聞こえる。
「……ですか?」
暗闇から、視界が広がる。
瞼が持ち上がると、見覚えのない少女がいた。
「ハミルさん、大丈夫ですか?」
ハミルははっとして起き上がる。
目の前にいる少女は安心した様子で、小さく笑った。
制服の着こなしからして一年生だろう。
「おれ……」
「発電所で倒れていたんですよ」
少女の言葉をろくに聞かず、ハミルは周囲を見渡す。
周囲には怪我をした祓魔師たちがベッドで寝ている。
ここが美術館地下の医務室だと気づくまで、時間が掛かった。
「そうだ、悪魔はどうなったんだ!」
ハミルはベッドから降りて、大声で少女に問い詰める。
足が痛んだが、もはや気にしていられない。
「館長が、降伏を撤回しました。今は全員で美術館に防衛線を張っています」
まだ総攻撃は終わっていない。
壁にある時計を見ると、十二時三十分を差している。
「館長たちが加勢したことで、戦況は優勢に傾きました。副館長も勝ちを確信しています」
少女は淡々と言った。
他に目を覚ました祓魔師たちに何度も同じことを言ってきたのだろう。
現在の状況を知ったハミルは、彼にとってはとても重要なことを思い出した。
「じゃあ、あいつは!?」
「あいつって」
「セヴィスはどうなったんだよ!」
少女は一度眼を見開き、そして告げる。
「分かりません」
「……は?」
ハミルは少女を睨んで聞き返した。
ハミルが女にこんな態度を取ることは本当に稀だ。
「私が見失っただけかもしれませんが、美術館前にも発電所にもいませんでした」
そうか、とハミルは気づく。
フレグランスの予告状に釣られてロザリアが来るかもしれないということは、放送の時点では明らかになっていなかった。
そんな運任せな場所にS級が一人向かったと聞けば、祓魔師にも不安が広がってしまう。
だからクロエは他の祓魔師に何も言わなかったのだ。
フレグランスの予告状があったのは別館だ。
今から行けば間に合うかもしれない。
そう思って歩き出すが、足の傷みで上手く歩けない。
「ちょっと待ってください!」
少女がハミルの腕を掴んで言う。
「うるせえ!」
ハミルは少女の腕を振り払って歩く。
他人の目からすればぎこちなく、痛々しく見えているだろう。
でも、休んでいるわけにはいかない。
「待ちなよ」
後ろから声がした。
振り返ると、病人用の水色のパジャマの上に青いブレザーを羽織ったモルディオがいた。
とても怪我人とは思えない程、整然と歩いてきた。
「今の君が行ったって、足手まといだよ」
「足手まとい?」
「いくら友達でも、怪我してたら意味がない。今の君はセヴィスにとって、ただの重い足枷だよ」
ハミルの頭で、一瞬虫唾が走った。
モルディオさえいなければ、フィーネとの対峙の前に怪我を負うこともなかったからだ。
トーナメント前に気絶した割りになんて偉そうな言い草だろう。
だが、モルディオの言うことは事実だ。
そう考えて、ハミルは自分を押さえ込んだ。
「何もするなってことかよ」
「言っておくけど、僕は決して敗北なんか望んでないよ。降伏なんて問題外だし」
モルディオは真剣な表情で言った。
この表情は何か企んでいる。
「僕が思うに、このまま何も起こらなければ祓魔師は勝つ。でも、祓魔師が勝つ確率よりも、セヴィスが死ぬ確率の方が高い」
「……お前、あいつに死ねって言ってんのか」
と、ハミルは低い声でモルディオの肩を突き飛ばす。
互いに怪我をしている為、モルディオは少しふらついただけだった。
「誰もそんなこと言ってないよ」
「大体な、ロザリアに会ったこともねえくせに、偉そうに口出ししやがってよ、予知能力者かよ」
「それはご想像に任せるけど、今重要なのはその未来を変えることなんだよ。僕は」
モルディオが言葉を詰まらせた。
珍しい光景だ。
「ウィンズ様に伝えてきて。『祓魔師の完全勝利』を宣言してほしいって」
「えっ?……そんなことしてどうするんだよ」
「この宣言で、悪魔は困惑するはずだ。僅かかもしれないけど、隙を作ることができるかもしれない」
「じゃあお前……」
「……これが僕にできる精一杯の手伝いだ。セヴィスが死ぬのは駄目なんでしょ。僕はあいつのことなんかどうでもいいけど、みんなは何だかんだ言ってあいつを信頼してるんだからね。どんなに腹立つ奴でも、死なせちゃいけない」
そう言ってモルディオは目を逸らした。
この瞬間、ハミルは少しモルディオを見直した。
普段は嫌味ばかりで最低な野郎だと思っていた。
それでもこいつは、自分にできることとやらなければいけないことを一番最初に理解していた。
そして彼は誰よりも、死者のない完全勝利を望んでいたのだ。
「ハミル、これは君にしかできないことだよ」
その場が静まった。
しかし、誰も笑おうとしない。
「お前さ、歩けるんならわざわざおれに頼まなくても」
「これから僕はもう少し良い方法を考える。他の人は動けない状況だし、少しでも頑張らないと死者が出るかもしれない。でも君は何もしないで寝るんだね」
モルディオは細い目でハミルを睨んだ。
今まで見たことのない表情だった。
「誰が行かないって言ったんだよ! 行くに決まってんだろ!」
ハミルは罵声をあげて部屋を出た。
足が痛むが、モルディオの言う通りだ。
この中で意識があって動けるのは少ない。
そして、あいつを助けられる可能性を作れるのは、おれだけだ。




