43 『それ』
美術館の周囲に張られた防衛線は、かろうじて館内への侵入は許していない。
だが、それも時間の問題だろう。
祓魔師は、敗北への道をゆっくりと歩んでいた。
「だから、降伏するべきだったんだ。このままでは死者が出る」
と、クロエはウィンズに言う。
降伏派の祓魔師は全員美術館内の大ホールで待機している。
彼らを動員すれば、勝機は見えるとウィンズは考えている。
だが、クロエは迷いつつも降伏を撤回しようとしない。
「貴様が降伏すると言っても、悪魔は来た。僕たちが攻撃しなかったとしても、悪魔は問答無用に襲ってきただろう。それが、悪魔の本性なのだ」
ウィンズは電子地図の発電所の部分に赤色でバツ印をつけた。
発電所の祓魔師には帰還命令を出し、美術館で応戦しろと伝えた。
それでも人数が少なすぎる。
発電所で重傷を負って動けない祓魔師もいる。
「なら、私たちはどうすればいい」
「悪魔が何を言っても聞かないのなら、戦うのが祓魔師の義務だ。祓魔師が作られた理由は、悪魔が言うことを聞かないからだろう」
祓魔師の義務というウィンズの言葉に、クロエは逡巡している。
「そもそも、貴様の無血で降伏しようという考えが甘かったのだ。館長である貴様が普段どおりに命令すれば、祓魔師は全員動いたはずだ」
と、ウィンズは言う。
すると、ウィンズの手元から無線の呼び出し音が鳴った。
ウィンズは嫌な予感を感じながら無線に出る。
「どうした」
「悪魔が美術館敷地内に侵入しました! エントランスに向かっています!」
無線の相手はチェルシーだった。
「何?」
「悪魔の数が多すぎます! あたしたちだけでは対処しきれません!」
悪魔と対峙しているのか、無線は切れた。
ほぼ叫び声に近いチェルシーの声を聞いて、クロエは黙って部屋の扉に向かう。
腰にある二刀剣はクロエの動きに合わせて揺れた。
「どこへ行く」
「これ以上悪魔の思い通りにさせるわけにはいかない」
司令室の扉が開く。
今まで聞こえなかった騒ぎ声が一斉に聞こえてきた。
ウィンズはやっと諦めたかと鼻で笑う。
「まず降伏派の祓魔師は全員動員しろ」
「候補生は?」
「待機だ。候補生で悪魔に太刀打ちできるのは称号を持つ四人だけだからな。チェルシーは今美術館前で戦闘、モルディオは重傷と聞いているが、あとの二人は何をしている?」
と、クロエはたずねる。
「ハミルは発電所に向かって以来連絡が取れなくなった。セヴィスは連絡がないということはおそらくロザリアと交戦している」
「セヴィス一人にロザリアを任せたのか? 奴は生意気だが、死なれたら困る」
「新しく作った武器は、広範囲の無差別攻撃用だ。他にいると邪魔だ」
「……分かった。発電所にはもう悪魔はいないはずだ。浮遊の魔力権を持つ候補生を集めて、負傷した祓魔師を美術館に連れてくるよう伝えろ」
そう言って、クロエは部屋を出て行った。
ウィンズはすぐに放送で伝える。
「館長クロエが、悪魔を迎え撃つことを決定した! 祓魔師は美術館前で応戦しろ! 称号を持たない候補生は全員館内待機! 尚、浮遊の魔力権を持つ候補生はすぐに司令室に集合! 繰り返す! 館長クロエが……」
祓魔師の混乱は避けられないが、クロエの命令なら聞くはずだ。
そう信じて、ウィンズは飛行の魔力権を持つ二人の候補生を待つ。
ウィンズの放送を確認したチェルシーは、無線を投げ捨ててフィーネに攻撃する。
フィーネは避けるよりも氷の壁で防御することが多い為、チェルシーよりも早く魔力権に鈍りが出てきている。
「連絡するなんて、随分余裕ね」
「うるさいな! 祓魔師は降伏しないって今聞いたでしょ! 悪魔は負けるんだ!」
フィーネの戦法は、魔力権で作った鋭い氷柱を投げるという方法だ。
投げるという面だけでは、セヴィスと似た戦法である。
セヴィスが投げたナイフを回収しているのに対し、フィーネは次々に氷柱を作って投げてくる。
電撃があることを考えれば威力はセヴィスの方が上だが、フィーネは作った氷柱を持っている時間が極端に短く、投げた後の隙がない。
セヴィスは、回収の時にできる隙は足の素早さで補っている。
フィーネは、氷の壁で攻撃を防いでいる。
チェルシーは今までセヴィスへの対策しか練っていなかった。
だからこそ、似ているようで似ていない戦法を使う者を相手にするのは難しい。
「でも、あなたが負けていては意味がない」
左手で氷柱を投げたフィーネは、背中に右手を回してさらに追い討ちをかける。
「まずいっ!」
避けられないと直感したチェルシーは、受身の態勢を取る。
すると、チェルシーの前に人影が立ち塞がった。
「クロエ=グレイン……っ!」
フィーネはチェルシーの前に立つ女、クロエを見て歯軋りをした。
クロエは、ニ刀剣を持ってフィーネを見据えている。
氷柱は溶けて水溜りとなった。
クロエが持つ魔力権は炎。
氷の魔力権のフィーネとは相性が良い。
それを理解したチェルシーは、勝利を確信した笑みを見せた。
「チェルシー、ここは私が相手しよう。お前は後方から援護しろ」
「わっ分かりました!」
チェルシーが後ろを見ると、降伏派だった祓魔師が武器を持ってこちらに向かっている。
彼らは、戦いに来たのだ。
これでやっと、祓魔師が一つになれた。
あとは、全力で戦うだけだ。
発電所から少し離れた空き地に、鈍い金属の音が響く。
レンが一方的に攻撃を繰り返し、シンクはそれを受け止めていた。
そのためレンは激しく息を切らしているが、シンクはほとんど息を切らしていない。
「お前が逃げてばかりじゃ、勝負にならないじゃないか!」
レンは槍を大きく振って言う。
「勝負? 十分なってるだろ」
薙刀を肩に担いで、シンクは笑う。
「俺はてめえが疲れるのを待ってるんだよ」
「ふざけるな! そんなの卑怯だ!」
「卑怯じゃねえよ。てめえはこの戦いが試合だとでも思ってんのか?」
レンの攻撃を弾き返すと、シンクは突然防御から攻撃に切り替えた。
レンの目の前で水色の刃が一閃する。
「うわっ!」
レンは鎖骨付近に鋭い痛みを感じた。
見ると、右胸が浅く斬られている。
傷口から出てきた血が服の中で流れ落ち、服に赤色がじわじわと滲みていく。
あとほんの少しでも遅かったら心臓を斬られているところだった。
「ほらほら休んでる場合か?」
笑いながら、シンクはさらなる攻撃を繰り出す。
先程とは反対で、今度はレンが防戦一方になっていた。
だが、先程とは違う。
シンクはあまり疲れないようにわざと攻撃を弾いていたが、レンは全力で受け止めないと斬られる。
明らか過ぎる実力差。
極限の状態で鍛えられたシンクには、ロザリアやセヴィスでも敵わないのではないかとレンは思った。
もしシンクが仲間だったとしたら、セヴィスは彼に勝てたのだろうか。
だが、それはない。
セヴィスはシンクがいなかったら祓魔師にはならなかった。
運が悪ければ今頃捕まっているか死んでいたかもしれない。
五年前のシンクの勝手な行動、『それ』は様々な悪魔と人間の未来を変えた。
『それ』がなければ、ロザリアの父ナナテスは死ななかった。
ロザリアの父ナナテスが死ななければ、レンはシンクを憎まなかった。
『それ』がなければ、ユイレルは殺されなかった。
ユイレルが殺されなかったら、シンクが祓魔師に情報を流すこともなかった。
『それ』がなければ、セヴィスは祓魔師にならなかった。
セヴィスが祓魔師にならなければ、グランフェザーが死ぬことはなかった。
ロザリアが騙されることもなかった。
グランフェザーが死ななければ、レンは人間を憎まず降伏を受け入れた。
つまり、『それ』がなければ、この総攻撃すら起こらなかったのだ。
しかし、『それ』が起こったことにも原因がある。
シンクが脱走した理由は、グランフェザーの差別。
脱走が五年前のあの日になったきっかけは、たった一つの肉。
シンクがソディアと戦わなければ、肉はなくならなかった。
そして、そのソディアが洞窟に向かった理由となったのは、セヴィスが逃走路として洞窟の近くを選んだことだ。
そのセヴィスが逃げるのは、『宝石』を盗んだから。
彼が泥棒になったのは、ウィンズの虐待に近い行為もある。
そう考えると、ラスケティア家の両親が亡くなったことも間接的に『それ』の原因となる。
たくさんの原因がある今回の総攻撃。だが総攻撃の一番の原因はやはり、『それ』だ。
「全部、全部、お前のせいだ!」
叫びながら、レンは槍を振り回して攻撃する。
先程とは比べ物にならない速さだった。
「何だよ、てめえ疲れたんじゃなかったのかよ」
シンクは攻撃を攻撃で返す。
レンは自分の力が強くなっているのを感じた。
「お前なんか……いなければよかったんだ!」
レンは槍の峰でシンクの攻撃を促すと、そのまま槍を回転させて腕を突き出す。
槍の刃は一直線上にあるシンクの右腕に刺さった。




