40 バッド・フレグランス
美術館別館の入口に来たセヴィスは、目の前に広がる光景を見て驚いた。
フレグランスの予告状が来た時はいつも警察の祓魔師が警備しているのだが、さすがに総攻撃がある今日は警備がいないと思っていた。
なのに、目の前には警察がいる。
最初はウィンズが言っていたC級祓魔師かと思ったが、違う。
特捜課にいる祓魔師でもない、一般の警察だ。
クロエが伝えたフレグランスの予告状でここに来たのだろうか。
一般人は外に出るなと言われているのに。
考えている時間はない。
変装している時間もない。
例の香水はあるが、変装していない状態で使ったら正体がばれる。
何人かの警察が、既に自分に気づいて顔を見合わせている。
セヴィスは迷った末、入口は強行突破することにした。
「おい」
入口に向かって歩いていると、目の前に警察の男が立ち塞がった。
よく見ると、先日盗んだ際に見た顎鬚男だった。
「お前はセヴィス=ラスケティアだな? ここは警備中だ。いくらS級祓魔師でも入ることは許さん。いや、お前は個人的に嫌いだから通したくない」
顎鬚男の加齢臭と煙草の臭いにむせ返りそうになる。
昔から煙草の臭いは嫌いだった。
この男は自分を嫌っている。
一筋縄で通してくれるだろうか。
「アンタが俺を嫌おうと別にどうでもいいんだ。それよりも、命が惜しいのなら警察署に帰った方がいい」
と、セヴィスは言う。
煙草の臭いと、この男に対しての拒否反応が抑えられなかった。
我ながら生意気な口を叩いたと思う。
「何だと?」
「フレグランスの予告状が来たということは、S級悪魔ロザリアが来る。俺はウィンズにロザリアの討伐を任された」
顎鬚男は怪訝な顔をしている。
だが、ウィンズに頼まれたのは事実だ。
「S級悪魔ですって? そんなの祓魔師でもない私たちが敵う相手ではないわ。フレグランスは諦めて、引き返しましょう」
隣にいる中年の女が言う。
「むう……仕方ない。奴のことは諦めよう。皆、帰るぞ!」
怪しまれずに入ることはできたが、問題はこれからだ。
別館の中には監視カメラとC級の祓魔師が警備している。
セヴィスは、監視カメラの死角を考えて侵入することにした。
発電所の周りにある鉄網まで辿り着いた悪魔たちは、発電所の様子を見ていた。
今のところ祓魔師はいない。
正午まであと僅か、空はかなり暗いというのに人影がない。
「誰もいないなんて、どういうこと?」
フィーネは眉をひそめる。
「やっぱり、降伏したのかな。でもまだ正午じゃない。少し待ってみよう」
とレンが言った途端、上から何かが鉄網にぶつかった音がした。
レンが上を見上げると、網の上でカラスが焼け死んでいる。
「かわいそうに。電線に触れて感電したのかしら」
「……来る!」
次の瞬間、レンは無意識に槍を上に掲げていた。
鈍い金属音がして、レンの腕に力が掛かる。
レンが押し返すと、相手の姿が明らかになった。
「やっぱりな。何の罪もないカラスを殺すなんて、お前しかいない!」
そう言ってレンは槍を構え直す。
レンに武器を振り上げていたのは、シンクだった。
「てめえみたいなクソは、あのカラスと同じ調理法でぶっ殺してやろうと思ってな。まあクソマズだから『宝石』以外は食わねえけど」
シンクは笑っている。
その笑いは五年前と同じ嘲笑だ。
「総攻撃の後にしようかと思っていたけど、自分からわざわざ来てくれたんだな。みんなの仇、取らせてもらうぞ」
「レン! 祓魔師が!」
フィーネが発電所の入口を指差す。
そこには、五十人程の祓魔師がいた。
レンはシンクに隙を見せないようにしながら、発電所の様子を確認する。
「おれはこいつを倒してから行く! みんな、発電所を頼んだ!」
とレンが叫ぶと、悪魔たちは鉄網を破壊して敷地内に入る。
すぐに祓魔師たちが武器を構える。
発電所での、戦いが始まった。
「俺を倒してから行く、かぁ。果たして、レンくんはそんなことができるのかなぁ?」
何がおかしいのか、シンクは口を押さえて笑い続けている。
「うるさい! だまれ!」
レンは怒りのあまり正面から突っ込んで、連続で攻撃を繰り出す。
その素早さにシンクは多少驚いていたが、全部弾かれた。
「へえー」
シンクは右手で薙刀を回転させながら、感心している。
「まあてめえが強くねえと、メインディッシュを作る俺が楽しくねえしな」
何も言わずに、レンは再び槍を構える。
その様子を見ても、シンクは薙刀をつまらなそうに回している。
「そういえば、てめえ俺に罪もないカラスを殺したとか言ったよな」
と、シンクはレンにとってはたわいない話を始めた。
「今はどうか知らねえが、昔てめえはイライラしたらいっつも蟻潰してたよな? 蟻に罪はねえのか?」
そう言われて、レンは先程森で蟻を潰したことを思い出した。
レンが潰した蟻には罪がない。
「罪はない。蟻は、ただ懸命に生きていただけだ。でもそれはおれたちも同じだ」
レンは強く決心した目でシンクを睨みつける。
手から、手汗が止まらない。
「てめえは蟻同然だってのか? てめえと一緒なんてよ、蟻が可哀そうだろ。謝れ」
「おれが蟻なら、お前も蟻だ。罪のない悪魔も、罪を犯した悪魔も、同じように祓魔師に潰されながらも生きている」
シンクはだるそうに頭を掻いている。
自分がレンと同じ、ということが嫌なのだろう。
「罪もないって、悪魔は人間を襲ってるだろ」
「祓魔師が市民を守る為におれたちを潰すのは当然だと思う。でも今の祓魔師はセヴィスの偽物の正義を信じて、人間を襲わない悪魔までも踏みにじっている。そんなの、許せない」
「セビが全ての元凶だって言いてえのか?」
「祓魔師がこうなった起因はセヴィスかもしれない。だけど祓魔師を変えたのはセヴィス一人じゃない。セヴィスを信じて手を貸した祓魔師たちもその原因に当たるし、何よりも一番の原因はセヴィスの祓魔師としての正義を作り上げた本人」
風が吹いて、カラスの死体から黒い羽が舞い上がる。
「シンク、お前が悪魔を殺し続けたことだ」
レンは地面に落ちた黒い羽を踏み、足を左右に動かしてすり潰す。
シンクはそれを普段と変わらぬ表情で見ている。
「五年前おれは決めたんだ! お前を、倒す!」
雄叫びをあげて、レンは地面を蹴った。
変なところに隠れてしまった。
ルビーが展示されているのは一階だ。
セヴィスは誰もいない二階の窓ガラスを割って別館に侵入した。
下から階段を駆け上がる音がする。
窓ガラスが割れた音に反応して、祓魔師が来る。
ここまでは想定内。
祓魔師であるセヴィスは、この周辺の監視カメラの場所を把握していた。
そのおかげでカメラの死角を通って、通れないときはナイフで電線を切って動くことができた。
あとは隠れる場所を探してやり過ごすだけ。
その結果、自分は今の場所に隠れた。
とっさとはいえ、本当に変なところに隠れてしまった。
今は自分が馬鹿だと認めたい。
「ガラスが割れているぞ! 奴だ!」
五人の祓魔師が来た。
セヴィスは五人全員が自分の近くに来るのを待つ。
すると、
「な、なあ、今あの鎧動かなかったか?」
一人が鎧を指差す。
他の四人の視線が鎧に集まる。
「んなわけねえだろ。鎧が動くか」
「そ、そうだよな。ちくしょう、フレグランスの野郎どこ行ったんだ」
五人の視線が鎧から外れる。
その瞬間、セヴィスが動く。
「うっうわあああああ!」
祓魔師の絶叫が響く。
動くだけで二人が泡を吹いて気絶した。
「ぎゃああっ! 怖いよママ!」
逃げ惑う三人の祓魔師の腹を殴って気絶させる。
セヴィスは全員が気絶したことを確かめると、鎧を脱いで元の場所に戻す。
「ふう……」
鎧に隠れたのは初めてだった。
鎧がセヴィスの身長より若干小さかった為に猫背を維持しなければいけなかった。
それが気絶させる程に不気味だったのだろう。
今度入る時は、もっと大きい戦士の鎧を選ぼう。
そんなことを考える余裕がある自分を変に思いながら、セヴィスは階段を降りた。




