37 追憶・臍の肉
事件当日、レンとシンクは悪魔たちの食料と衣服を調達しにクレアラッツに行っていた。
事件が起こったのは、夜中に洞窟に戻っている途中のことだった。
「見て! これ肉屋のおじさんがくれたんだよ。シンクは、これ好きだよね」
レンは袋から馬の生肉を取り出した。
悪魔の中でアルフェラッツと呼ばれるこの肉は、馬の臍の部分を取ったものだ。
これはシンクがルビーの次に好きな食べ物で、仮名にも使っている。
悪魔の食事は、炎の魔力権を持つシンクが担当していた。
シンクが料理をするようになってから、悪魔は少ない食料でも食事を楽しめるようになっていた。
「アルフェラッツうめえよな」
とシンクは言う。
「シンクは死んでも肉を離さない気がする」
「馬鹿か。俺が死んだら何も食えねえだろ」
現在では狂気に満ち溢れている深紅の瞳には、少し迷いが見られる。
この時のシンクは悪魔たちを嫌っていたが、まだ豹変はしていなかった。
「そういえばクレアラッツで祓魔師が騒いでたな。またあいつ出たか」
「あいつって、最近有名な『宝石』泥棒?」
「そう。予告状の通りに盗んじまうんだから、泥棒より怪盗の方が相応しいよな。でもあいつがいるから俺たちも人間を襲いにくくなってるんだよな」
喋りながらシンクは紫色の『宝石』を齧る。
すると、
「『宝石』を食べた、ということは悪魔ね!」
後ろから声がした。
二人が後ろを振り返ると、S級祓魔師ソディア=ミーズが二本の剣を持って立っていた。
「てめえはS級の……ソディア?」
シンクは残りの『宝石』を全て口に含んで言う。
S級である彼は平然としているが、レンは後ろに隠れて脅えている。
「あなたたちのせいで、たくさんの人間が殺された! その報いを受けなさい!」
ソディアは悪魔というだけで襲ってきた。
振り下ろされる二本の剣。
シンクは万が一の為に持っていた小型の槍で応戦した。
S級同士の戦いは、熾烈だった。
元々長い薙刀を振り回していたシンクが使い慣れていない小型槍を使っていたというのは理由にならない。
氷を操るソディアの魔力権もまた、炎で溶けて使い物になっていなかったからだ。
武器を洞窟に置いてきたレンは、ただ指を銜えて見ていることしかできなかった。
同じ年齢の悪魔の中ではロザリアと共にずば抜けていると言われるレンにとっても、桁違いな戦いだった。
気がつけば、レンの足元には血溜まりができている。
互いに物凄い出血量だった。
このままでは、決して良い方向には傾かない。
戦いが始まってから三十分程経って、この戦いを止めないといけないという衝動がレンを動かした。
ソディアが剣を振ろうとした時、レンは大きめの石を拾って投げた。
石はソディアの手に当たり、剣が一本落ちた。
その隙を狙って、槍がソディアの心臓を貫いた。
「そ、そんな……!」
槍が身体から抜かれて、ソディアは荒地に倒れ込む。
「シンク!」
膝をついたシンクにレンが駆け寄る。
「レン、無事か?」
レンは力強く頷く。
シンクの視線はレンではなくその後ろにある肉の袋に向いているが、レンは必死でこのことに気づいていない。
この時、シンクは重傷を負いながらも肉を心配していた。
だが、後にレンがこの事実を知ることはない。
「……そうか」
勝者であるはずのシンクも、地に伏した。
すぐにレンが悪魔たちに助けを求めたことで、彼は一命を取りとめることとなる。
傍観者であった少年は、二人に気づかれる前に隠れていた岩から走り去った。
一夜が明けて、意識を取り戻したシンクはある部屋に向かう。
歩きながら、身体に巻かれた包帯の上に長い上着を羽織る。
部屋に入ると、岩に腰掛けたグランフェザーが最初に目に入った。
グランフェザーの隣にはレン、その向かい側にはロザリアがいる。
シンクの回復が早かったことに、レンは一人驚いていた。
「レンに聞いたが、まさかソディアに勝つとは。おまえも強くなったな。レンとロザリアも、将来はおまえを越える強い戦士になるだろうがな」
グランフェザーはどこか嫌そうな顔をしている。
「だから言ったろ。俺は、皆を守るために強くなるって。そう簡単に死んでたまるかよ」
シンクは得意げな顔をする。
この言葉が嘘だとは、誰も気がついていない。
ロザリアとレンはこの言葉を聞いてすごいと思うだけだった。
「で、俺のアルフェラッツはどこだ」
シンクが言うと、三人は突然黙り込んだ。
レンに至っては俯いている。
「おいおい何黙ってんだよ」
「アルフェラッツは……ごめん。ユイレルとわたしたちで食べちゃった」
ロザリアは目をシンクから逸らして言う。
「だって、シンクは昨日一人で鶏肉を食べてたでしょ? わたしたちは一昨日から何も食べてなかったから、すごくお腹が減ってたの。だから長老が食べていいって言ってくれたの」
「食べたって、生で食ったのか?」
とシンクは聞く。
実際シンクにとっては肉が生であったというのは問題にもなっていない。
その頭の中では恐ろしいぐらい虫唾が走っている。
この問いは、本当にロザリアたちが肉を残さず食べたのかという確認だった。
それに気づかず、ロザリアは首を横に振った。
「心配しないで。シンクがいなくても、石で火を点けることはできるから」
「あ、ああ……」
肉がもうないということを確認したシンクは、三人に背を向ける。
「何処に行く」
「ちょっと風に当たってくる」
呼び止めたグランフェザーを一瞬だけ鋭い目つきで睨みつけ、シンクは洞窟を出た。
グランフェザーは気づいていたが、何も言わなかった。
彼は魔力権をあえて発動せず、これからシンクが取る行動を予想していた。




