34 王室の報酬
緊迫した雰囲気の美術館の司令室では、軍服を着たクロエを中心に、総攻撃の情報を伝えたセヴィスと美術館勤務のA級の祓魔師が、円形の机に立てられた電子地図を囲む形で座っていた。
「昨日セヴィスが倒した悪魔ユイレルの話によると、本日正午にレンという男悪魔を中心に悪魔たちが発電所を襲いに来る。そして、日食とその停電を利用して祓魔師を制圧するとのことだ。そしてS級悪魔ロザリアはセヴィスと怪盗フレグランスの殺害を目論んでいた」
と、クロエは机の上に置かれたユイレルの『宝石』を見て言った。
「そのレンは長槍の使い手で、ロザリアと肩を並べる実力者だ」
クロエの隣の椅子に座るセヴィスはこの場にいる祓魔師の話をろくに聞いていない。
「館長!」
扉が開いて、チェルシーと頭に包帯を巻いたモルディオが入ってきた。
「祓魔師が降伏するなんて本当なんですか!」
チェルシーは大声で言う。
悪魔が総攻撃を仕掛けることについては、この国全体にクロエによって伝えられている。
民衆にクロエが言ったのは、『発電所と美術館に近づくな』で、祓魔師と候補生に下された命令は『悪魔に攻撃するな』だった。
「ありえないですね。館長は悪魔をなめています。副館長は今、悪魔を倒す計画を立てていますよ」
と、モルディオが言う。
「誰が貴様たちをこの部屋に入れることを許可した。貴様たちの意見など聞く耳はない。早く去れ」
クロエは鋭い目つきで二人を睨みつける。
チェルシーは唇を噛締めて、部屋を出て行った。
モルディオもそれに続く。
祓魔師全員が共存を望んでいるわけではないのだと、セヴィスは気づく。
チェルシーとモルディオ以外にもそんな人間がいるはずだ。
だが、共存派の方が多いのは確かだ。
この状況を覆す方法は思いつかない。
「私の言葉は今日襲ってくる悪魔、ブレイズ鉱山の悪魔に聞こえているはずだ。これだけ言えば襲ってくることはないだろう。もし襲ってきたら、白旗を掲げればいい。それで危害は加えないはずだ。
悪魔が共存して問題点はあるかもしれん。しかし悪魔も同じ人類だ。差別をするのは決して許されない行為だ」
と、クロエが言うとほとんどの人間が頷いた。
「セヴィス、見ての通りだ。悪魔は共存すべき」
「ふざけるな」
クロエが言い終わる前に、セヴィスは言った。
「悪魔と人間が共存なんて、できるわけがないんだ。悪魔がこんな放送だけで止まるとは思えない」
「チェルシーもモルディオもそうだが、今更何を言ってるんだ。そう分かっているから決めるんだろうが。悪魔は絶対引き返す」
とA級の祓魔師が口を挟む。
「悪魔が人間同様と認められるのは、祓魔師が過去に大量の人間を殺したことと同じことになる。アンタは俺よりもたくさん悪魔を殺してる。大量殺人の罪で最初に処刑されるのは俺じゃなくて降伏の決断をした本人だろ」
セヴィスはA級の祓魔師ではなくクロエに目を向けて言った。
「私は平和な世界の確立の為ならいつでも死ぬ覚悟はできている。平和に犠牲は付き物だ。それが例え祓魔師の殺戮であってもだ」
と、クロエは言う。
この頑固女を説得するのは不可能だ。
セヴィスにはそう思えた。
「俺はアンタの命令には従わない」
そう言ってセヴィスは席を立ち部屋を出た。
その頃、総攻撃を仕掛ける悪魔たちは、発電所と美術館に分かれてクレアラッツに足を進めていた。
グランフェザーが殺されたという予想外の展開に迷っているロザリアは、レン率いる発電所攻撃の方にいた。
現在悪魔たちは、館長の放送によって伝えられた降伏の知らせに戸惑っている。
「降伏? そんなの罠だ! 長老が殺されてるんだ。やっぱり、信じたら駄目だ!」
森にレンの震えた声が響いた。
「レン、まだセヴィスがやったと決まったわけじゃないわ。これはシンクの罠かもしれないのよ」
ロザリアは青ざめた表情でレンを説得する。
「さっきのクロエの放送を聞いたでしょう。人間たちは降伏してくれるのよ。だから、もう総攻撃は止めましょう」
「そんなの嘘に決まっている! ここでおれたちが逃げたって、どうせまたフレグランスの存在と飢えに腹を立てる日々が続くだけだ! 今に分かるさ。おれたちが発電所に行ったら、祓魔師が待ち構えてるんだよ」
レンは怒鳴って、足元を歩く蟻の列を踏み潰した。
「大体、何で総攻撃の情報が人間に漏れたんだ!」
「長老を殺したのも、情報を流したのも多分シンクよ。セヴィスじゃないわ。その証拠に、人間は降伏という道を選んだのでしょう?」
蟻の死骸を見つめながらロザリアは言う。
何匹かは潰れて動かなくなっているが、他は虫の息でも懸命に食料を運んでいる。
「セヴィスが祓魔師を説得したから、祓魔師は降伏したと? じゃああいつ、シンクの目的は何なんだよ」
「レン、お願い。総攻撃を取り消して。セヴィスは私たちの願いを聞き入れてくれたのよ。彼ならシンクも倒してくれるはず。だから、戦うことなく私たちを生かしてくれる人間たちに感謝しましょう」
ロザリアの言葉を聞いて、レンは俯いた。
「フレグランスの行動によって飢え死んだ悪魔の仇は必ず取るわ。フレグランスの尻尾はもう掴んだも同然なのよ」
「尻尾を掴んだって、どういうことだ?」
「フレグランスの落し物を拾ったわ」
そう言って、ロザリアはポケットからイヤフックの欠片を取り出してレンに手渡す。
少しでもレンを勇気づけようとして取ったロザリアなりの行動だった。
レンの身体の震えは、欠片を見た途端に止まった。
「これ、フレグランスが落としたのか?」
レンの問いに、ロザリアは小さく頷く。
「この欠片、葉らしくする為に緑色が塗られているけど『宝石』でできている。しかもここにチェーンがついているから元々繋がっていたってことだよな」
「植物の葉みたいなアクセサリーってこと?」
「もしかして、クレアラッツのテレビで見たあれか! でもフレグランスのやつだし、そんなわけがないよ」
レンは何かを思い出したのか手を叩く。
服や食料の調達にクレアラッツに行くのはほとんどレンだったので、あまり外に出ないロザリアは首を傾げる。
「もしおれが見たやつだったとしたら、これはジェノマニアの王室で作っているやつだ。これを見せれば、バスや電車の無賃乗車とか、様々なところで優待を受けられるって話だ」
ロザリアは先程セヴィスが何かを見せて電車に乗っていたことを思い出した。
だが、いくらS級でもセヴィスがこれを持つはずがない。
彼が見せたのはおそらく定期券だろう。
「じゃあフレグランスは王族なの?」
「いや、そうとも限らない。そのイヤーフックは、王族から贈呈されることもあるんだ。例えば町の振興に力を注いだとか、流行り病の解決とか。だからこれを着けていれば、大規模な研究とか、王族の許可がいることも簡単にできる」
「そんな人がどうしてフレグランスを……」
「だから信じられないんだよ」
ロザリアは歩きながら考え込む。
王族に認めてもらえる程の善人が、何故泥棒をしているのか。
悪魔であるロザリアには当然分かるはずもない疑問だった。
「でも、これを貰っている人は少ないはずだ。おれはあんまり知らないけど……今の発電方式を作り上げた科学者モモンと、不治の病の治療法を見つけた医者コロミーとかが有名だよな。あと、新聞で見たセヴィスも着けていたよ」
とレンは言う。
「どうして?」
ロザリアは驚いて目を見開く。
「確か王族を襲いに来た異国の悪魔を倒したんだっけ? でもその時のセヴィスは悪魔を倒しに来ただけで、王族を助ける気は微塵もなかったらしいよ。つまり、彼みたいに善人じゃない人も貰えるってことだ。
男でこれを貰ったのは彼で初めてらしいけど、フレグランスは名前からして多分女だ。おれの知らない人なんだよ。そもそもこれは王室のアクセサリーじゃないかもしれない」
フレグランスは男、と言いかけたが言葉にならなかった。
セヴィスのわけがない、とロザリアは勝手に確信していた。
「とにかく、おれは発電所に行く。人間が本当に攻撃してこなかったら、おれは人間を信じて総攻撃を止める」
悪魔たちは止まらずに歩き続ける。




