33 祓魔師の終焉
シンクは驚くと同時に笑いを堪えていた。
シンクが笑う理由は一つ。
「これは俺からの餞だ。お幸せにっと」
シンクは雑草を一本摘んで魔力権を発動する。
雑草に火が点いて、二人の互いを想う気持ちの様に、強く燃え上がる。
これはもはや嫌がらせでしかない。
だがこれから嫌がらせをすると思うだけで、シンクは腹を押さえて笑っていた。
もう隠れている必要はない。
シンクは草叢から姿を現して、レンの背中に向けて火が点いた雑草を投げる。
「危ない!」
シンクに気づいたロザリアが大声で言う。
後ろを振り返ったレンの右腕に、雑草が掠って火傷を負わせた。
セビみたいに速く投げれたらもっと面白かったかな、とシンクは思う。
それでも、この二人への邪魔をしただけで大きな笑いがこみ上げてきた。
「おいおい、せっかくの餞なんだから受け取れよ」
堪えきれず、シンクは笑いながら言った。
「シンク……!」
レンは怒りで震えている。
襲ってこないところを見ると、今のレンは武器を持っていない。
その傍らで、ロザリアが両手で口を押さえて驚愕している。
「よう、久しぶりだな」
シンクは久しぶりに会った親しい友人への挨拶の様に、片手を上げて言う。
二人は挨拶ではなく睨みで返す。
「お前、最低だな」
激しい怒りがレンの低い声から伝わる。
しかし、それを聞いてもシンクは笑っていた。
レンなんか怒っても怖くねえよ、と顔に書いてある。
「怒るんじゃねえよ。俺は偶然ここを通りかかっただけだぜ? てめえらが俺の前で熱々のカップルになるからいけねえんだろ」
「嘘だ! お前はおれたちに嫌がらせをして喜ぶ為にここで待ち伏せしていたんだ! だから今そうやって笑ってるんだろ!」
シンクは迷って正しい道の辺りをうろうろして、鉱山に戻る途中のレンを見つけて面白がって着いてきた。が本当の事実だ。
だが、レンにはもうシンクを信じる気はなかった。
「許さない! お前だけは絶対に殺す!」
と言って、レンは走って拳を突き出す。
シンクはその腕を片手で掴む。
「殺す? おぉーこわい。五年経ったらレンも悪人になっちまうんだなぁ」
「お前と一緒にするな!」
レンは手を振り払う。
シンクの手から、炎が一瞬だけ点いて消えた。
「そうだな。てめえの言う通り俺は悪人だ。昨日ユイレルをぶっ殺したのも、ナナテスとか殺したのも俺だもんな」
「やっぱり、お前が!」
レンは言うだけで、動かない。
武器を持たない今の自分が敵う相手じゃないと痛感したらしい。
後ろではロザリアが少量の涙を浮かべている。
「そういえばてめえらの話少しだけ聞いてたんだけどよ、グランのクソ野郎にセビを任せたんだろ?」
「お前には関係ないだろ!」
「確かに俺には関係ねえけど、グラン今頃死んでるかもなぁって思ってよ」
二人は同時に息を呑んだ。
「ロザリア、さっき言ってたよな。セビがいい奴だって。言っとくけどな、セビは結構悪だぞ」
レンとロザリアは顔を見合わせる。
「嘘よ! 彼は絶対にあなたを倒してくれる!」
ロザリアはレンの前に立って言い返す。
「んなわけねえだろ。セビは嘘の塊だぜ?」
「そうやって嘘ばっかり言って……」
「嘘だ嘘だばっかり言いやがって。うるせえよ。俺が言ってることは嘘じゃねえっての」
二人は黙ってシンクを睨んでいる。
「あいつには学園での異名があってな。それが最強の強の字を不幸の凶にした『最凶祓魔師』だ。悪魔殺しに対して異常な執着心を持ってる。てめえらは知らねえと思うけどな、一番悪魔どもの飢餓を進めている人間があいつだと俺は思うぜ。しかも俺が悪魔だって知ってるくせに殺さねえってことは、あいつは人間と悪魔両方を騙してるんだよな」
再び殴りかかろうとしたレンをロザリアが制する。
二人は頷き、鉱山の方面に走って行った。
それを確認したシンクは、鉱山とは逆方向に歩いて行った。
ロザリアの目的が分からないまま、セヴィスは駅に戻って来た。
クロエからの連絡はまだない。
次の列車の時間まであと一分、トーナメントが始まる時間と同じだ。
グランフェザーの『宝石』の色は橙色だった。
これを見せればシンクは喜ぶだろう。
だが今はそれどころではない。
これは美術館に置いてきた方がいい。
「ねえ、もしかして、S級の……」
若い女が話しかけてきた。
この女と同じ体操服を着た女が大量にいるということは、学生だろうか。
「あたしたち、部活の前にトーナメントに行こうと思ってたんだけど、出場するよね? どうしてこの時間にここにいるの? 失格にならない?」
確かにトーナメントの集合時間には完全に遅刻している。
つまり失格だが、今は称号などどうでもいい。
悪魔の総攻撃の方が重要だ。
「トーナメントは……」
セヴィスが答えようとした途端、携帯電話が鳴った。
その様子を見て、女たちは諦めて去って行った。
携帯電話の画面には人間の名前ではなく電話番号が表示されている。
間違いなくクロエだ。
『応答』の文字を押すと、落ちついたクロエの声が聞こえてきた。
「セヴィスか? 貴様、何をしている。トーナメントの集合時間はもうとっくに過ぎているのだぞ」
「それは分かってる」
「私に用とは、余程の用でない限り許さんぞ。私は貴様を倒すこの日を、一年前から心待ちにしていたのだぞ」
「トーナメントを中止にしてほしい」
とセヴィスが言うと、周囲の人間の視線が集まった。
「貴様、館長ごっこも程々にしろ」
クロエの言葉を聞きながら、セヴィスは周囲の人間に聞かれない場所に移動する。
悪魔が襲ってくると一般人に聞かれたら、面倒なことになるからだ。
「そうじゃない。今日の日食の時間に悪魔が襲撃してくる。トーナメントをしてる場合じゃないんだ」
「悪魔が?」
「昨日殺した悪魔から聞いた。悪魔は人間との共存の為に中央発電所を破壊して、真っ暗な状況で祓魔師を襲う気だ。今トーナメントで怪我を負ったら確実に不利になる」
クロエは黙って考え込んでいる。
「だから、中止にしてくれ」
「……」
しばらくして、意を決したクロエは告げた。
「貴様がそこまで長々と喋ったということは、嘘ではないのだな。分かった。今日のトーナメントは中止にする。だがセヴィス、もう終わりにしよう」
「終わり?」
セヴィスは思わず聞き返した。
「終わりってどういう……」
「前から決めていたことだ。私たち祓魔師は悪魔に白旗を揚げる」
と、クロエははっきりと言った。
「貴様も分かっているだろう。悪魔は『宝石』さえ渡せば、人間を襲いはしない。だから、祓魔師は廃止すべきだ」
「アンタ、正気なのか? 自分が何を言っているか、分かってるのか?」
「何だ、取り乱すなど貴様らしくないな。貴様もこれからは普通に過ごしてよいのだぞ」
電話の向こうで、クロエが微笑んでいるのが目に浮かんだ。
「悪魔どもがいる街で俺が普通に過ごせると思ってるのか」
「逆に聞かせてもらうが、何故貴様はそこまで悪魔殺しに執着している? その執着心がなければ貴様はS級、いや祓魔師にはならなかっただろう」
「……」
「祓魔師がなくなっても、武力組織がなくなるわけではない。悪魔が犯罪を犯した際に元祓魔師は必要だ。だから貴様は警察に入ったらどうだ。推薦してやるぞ。
とりあえず、貴様はすぐに美術館に来い。分かったな」
電話が切られた。
ふざけるな。
頭に、何度もこの言葉が浮かんできた。
泥棒が警察になれるわけがない。
全ての悪魔と人間が共存できるわけがない。
確かに今ではシンクや昨日モルディオを襲った悪魔の様に、悪魔は人間の知らないところで世間に溶け込んでいる。
それでも全員が溶け込めるわけではない。その溶け込めない連中を取り締まるのが祓魔師ではなかったのか。
セヴィスはクロエ同様共存を望む祓魔師全員と、悪魔、グランフェザーの予言が的中しそうな現実、そして自分を置いて発車した電車に腹を立てていた。




