32 悪魔が見守る恋
グランフェザーは不気味な笑顔を浮かべ、引きつった声で笑った。
「アンタ等が総攻撃を仕掛けることぐらい知ってる。終わるのは悪魔の方だ」
「戯言を。九分九厘悪魔の勝ちは決まっておる。確かに祓魔師全員が戦えば、例え闇の中でも悪魔は負けたかもしれん。だが、祓魔師全員が戦わなければどうなる」
「……は?」
セヴィスはナイフに力を込めたまま、聞き返す。
その手から、微量の青白い電気が音を立てて放出した。
「わしは千里眼で見てきた。最近おまえを除く世界中の美術館長が集まって、秘密会議をしておる。その議題は『祓魔師の終焉』だ。クロエを始め、過半数が祓魔師のない平和な世界での悪魔と人間の共存を望んでおるのだ」
グランフェザーはアルコールランプの薄暗い明かりを浴びた檜の杖を使って、ゆっくりと立ち上がる。
「おまえが総攻撃のことを伝えても、賛同する祓魔師がいなければ祓魔師は敗北するだけだ。おまえの様な見ていて楽しい悪は滅多にいないからな、死なせたくない。だから退けと言いたかった。それがおまえを呼び出した理由だ」
「俺は見せ物じゃない。悪魔なんて一生飢えていればいいんだ」
「ならシンクに『宝石』を与える理由は何だ。おまえはあいつが卑しいことを利用して悪魔を狩らせておるが、普段のおまえなら奴を問答無用に殺すだろう」
「それがどうした」
「わしは過去のお前を見ていなかったが、大体予想はつく。おまえはS級祓魔師になる前に、奴に負けたのではないか。だから自分が奴を倒せるぐらい強くなるまで、奴を利用しておるのだろう」
さらに多量の電気が放電される。グランフェザーは笑う。
「おまえは生まれつき運動神経が卓越しておった。兄は祓魔師で、幼馴染ハミルの勧めもあって興味もなく候補生になる予定だった。だが、惨殺依存に陥ったシンクに何らかの理由で襲われて無様に敗北した。それでおまえは奴に負けた屈辱で悪魔を嫌うようになり、異常な早さで強くなった。違うか?」
惨殺依存に陥ったシンクに敗北していたら、今セヴィスはここにいないだろう。
グランフェザーの予想は全て外れているが、指摘する時間が無駄だとセヴィスは思えてきた。
それどころかグランフェザーと話す時間さえも惜しいと感じてきた。
「人のことを勝手に遠くから見るなんて悪趣味だな。人の過去を勝手に決めつけて、外れてることにも気づけない。兄貴だったら愚かな奴だと笑うな」
「ふん。おまえに何を言われようが、関係ない。わしは自分さえよければいいのだ」
とんでもない悪魔だ。
このグランフェザーこそ悪魔の完成、いや最終形態だ。
セヴィスには素直にそう思えた。
ロザリアは逃げ道がない電車でセヴィスに攻撃しなかった。
悪魔としてはまだ生ぬるい。
シンクは今まで倒してきた悪魔と比べたら気狂いだが、普段は人間に危害をほとんど加えず、人間に喜ばれる料理を振舞っている。その点ではまだ未完全だ。
それに比べてこの爺は、本当に自分のことしか考えていない。
この爺が今まで取った行動は全て、自分への利益に繋がっている。
しかし、その行動の選択により悪魔たちの信頼を同時に得ている。
相手を騙すことと心理を読む面から考えれば、グランフェザーはセヴィスを軽々と越していた。
こんな悪魔を生かしておくわけにはいかないという衝動が、感電の様に身体中を襲った。
「俺にとってはアンタの存在の方がどうでもいい。アンタの話をほんの少しでも聞こうとした俺が愚かだった」
とセヴィスは言う。
「わしは悪魔の件から退けと言っておるのだ。祓魔師が負けるのは目に見えておる。わしはおまえの様な若造が無謀な戦いに挑んで死ぬ様を見たくないのだ」
「見たい、の間違いだろ。下等な下衆が」
溢れ出る殺意を感じたのか、グランフェザーは皺だらけの指でセヴィスを指差し、鼻息を荒くして怒鳴る。
「おまえがどれだけ悪魔との共存を否めようと、祓魔師は負ける! わしを殺したことを必ず後悔する! そして今日の正午迎える死に際に必ず懺悔することになる!」
「……よく吠える爺だな」
グランフェザーの説得は、無駄に終わった。
グランフェザーの顔から笑みが消え、再び岩に腰掛ける。
その目はゆっくりと、静かに閉じられる。
「セヴィス=ラスケティア、後悔するぞ。死んだ後も、かならず、呪ってやるぞ……っ!」
赤いナイフが左胸に刺さり、直後に青白い電撃が迸る。
グランフェザーはあっさりと事切れた。
クレアラッツとブレイズ鉱山町の中間にある森は、木が生い茂っており近くまで行かないと人がいるかは認識できない。
木々から差し込む光が二人を照らす。
森のブレイズ鉱山とクレアラッツを結ぶ、整えられた道でロザリアとレンは明日の総攻撃について話していた。
そして、彼女らは気づいていないがシンクがいた。
シンクは二人の背後にある木に足を掛け、長い金髪を逆さまにしてぶら下がって話を盗み聞きしていた。
木の枝が水平ではないため、彼の髪は片目を隠している。
「牧場に行ってみたら、血がついたユイレルの服があった。多分祓魔師に殺されたんだ」
「そう……」
「でも、ユイレルの共存の願いは叶う。長老に任せれば、あのセヴィスだって手を引くと思うから」
「セヴィスが言えば祓魔師は必ず手を退くわ。話してみたらセヴィスはいい人だった。きっと大丈夫よ。
私たちは戦わずに人間に認められるかもしれないわ」
グランみたいなクソッタレに説得されて最凶祓魔師のセビが心を入れ替えるわけねえだろ。
バカなのかこいつら。
久しぶりに見てもバカで鈍感なところは変わってねえな、とシンクは逆さまになった頭の中で思っていた。
「まあ人間が攻撃しないと分かるまでおれは計画通りに発電所に行くけどね」
「きっと祓魔師は白旗を掲げて待っているわ。全部セヴィスのおかげね。だから私、シンクのこともセヴィスに任せたの」
と、ロザリアは言った。
「あのさ、ロザリアって、セヴィスのこと……どう思ってる?」
レンは怪訝な顔をして聞く。
シンクは、レンが仇である自分のことをセヴィスに任せるというのが許せないのだとすぐに気づいた。
それが勘違いだったと、嫌でも気づかされたが。
「な、何を言ってるの? 私は悪魔で、セヴィスは祓魔師なのよ。私は生きる権利を認めてもらえるなら、人間を恨む気はないけど……」
ロザリアはレンの言いたいことに全く気づいていない。
「ロザリアらしい意見だね。おれは人間を許したわけじゃないけど、最近はおれもそう思えてきたよ」
と、レンは少し呆れが混ざった笑顔をした。
どういう意見だよと言いそうになって呑み込む。
シンクは逆さまになった自分の身体を起こして、木に腰掛ける。
「おれ、みんなが平和に暮らせるようになったらさ、ロザリアと一緒に店をやってみたいなって思ってるんだ」
こいつ正気か。
そう思ったが、今思えば自分も店をやっているのだ。
悪魔たちからすれば、この二人よりもシンクが店をやっている方が驚くことだろう。
「それはどんな店?」
と、ロザリアが聞く。
「言ってもいい?」
何焦らしてんだ、こいつ。
顔赤くしやがって。
気持ち悪い。
シンクの目は、レンを完全に敵と見なしていた。
「料理の店だよ。おれは悪魔のみんなはもちろん、人間たちにも美味しい料理を作ってみたいんだ」
シンクは呆れるあまり木からずるりと落ちた。
葉の音で二人が反応したが、草が深かった為に気づかれなかった。
「……いって」
腰を押さえながら、シンクはレンの後ろの大木に隠れて様子を窺う。
二人は気にも留めず楽しそうに話している。
「それはいいわね。私も料理はやってみたかったの」
ロザリアは手を叩いて喜ぶ。
レンはそれを見て笑う。
その顔にはもう呆れはない。
「ロザリア、おれさ」
「なに?」
レンは恥ずかしそうに顔を赤らめて、言う。
「前から言いたかったんだけど」
ロザリアは優しげな表情で言葉の続きを待つ。
「おれ、ずっときみと一緒にいたいんだ」
ロザリアはレンと同じように顔を赤くして、
「あ、ありがとう。私も、同じ」
と言った。
二人は向かい合って穏やかな笑みを浮かべる。
そして、レンはロザリアを抱きしめた。




