27 不運逃走
それからこの惨い死体が血の海を残して一つの『宝石』になったのは、シンクがここに来てから十五分も経っていない頃であった。
『宝石』の色は紫色で、全く殺さない青色と殺し続けた赤色の丁度間の色だ。
この『宝石』を見て、シンクは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「何が『宝石』集めだ。全然殺してねえじゃねえか」
夜殺した悪魔の『宝石』は、悪魔討伐の報酬を貰う際悪魔を殺した証拠となる。
つまりシンクはこれをセヴィスに渡さないといけない。
もし赤色が出た時はセヴィスに内緒で別の『宝石』を渡すようにしている。
セヴィスはこのことにおそらく気づいているが、美術館に寄贈する『宝石』の色など、セヴィスはどうでもいいとしか考えていない。
「店長」
アルジオの声が聞こえた。
足音からしてマリもいる。
こいつらのこと忘れてたな、とシンクは薙刀の刃を引っ込めて、振り返る。
「……お前ら、辞めるか?」
シンクは風に髪を靡かせながら、試すように尋ねる。
「辞めませんよ」
アルジオははっきりと言った。
その傍らでマリは俯いている。
「ははっやっぱ悪魔怖いよな、マリ」
と、シンクは長い前髪を掻き上げた。
マリは黙っている。
「アル、驚いたか?」
「いいえ。大体予想はついていました」
剣を持っているアルジオだが戦意は見られない。
シンクも『宝石』を出さない人間など、殺した後のお楽しみがないから殺すのは面倒だと考えている。
「いつからだよ」
「初めて店に入って、店長に会った時からです。第一印象は人間じゃない、でした。最初は毒でも盛られるのではないか、と思いました」
「何だよそれ。毒盛ってたら今頃美術館で処刑されてるぞ」
と、シンクは言う。
「料理は美味でしたし、現に店長は人間を殺していなかったので、例え悪魔でも危害は加えないだろうと私は働くことにしたのです。
店長にお礼を言わないといけません。私たちを助けてくださり有り難うございました」
アルジオは、丁寧に頭を深く下げた。
その横からマリは顔を上げて言う。
その顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。
「てんちょ、わたし思いました」
「何だ?」
「やっぱり人間と悪魔は一緒に住んでも変わらないんです。わたしの友達はみんな共存できる存在なんだって言ってたのに、共感できなくて。でもてんちょを見てそう思えました」
「まあ、祓魔師の奴らもセビを除いてそう思ってるよな」
「わたしはこれからも店で働きます。もう悪魔を敵視しません」
「そうか」
アルジオやマリが悪魔を敵視しなくなったことで、何かが変わるわけではない。
これからもまた変わらず同じ店で働くだけだ。
「そういえば店長、どうしてセヴィス君と仲がいいんですか?」
「あいつにとってはどうでもいいんだよ。じゃあ俺帰るからな」
マリの質問に適当に答えて、シンクは二人に背を向けて帰路につく。
その後彼が道に迷って帰りが遅くなったのは言うまでもない。
黄色の服を着た人影は、辺りを見回し去って行った。
やっと諦めたか、とセヴィスは安堵する。
現在彼はロザリアの上、ビルの屋上にいた。
普通に逃げても追いつかれるだけだと思ったからだ。
ロザリアが去った後、一分程経って携帯電話が鳴った。
ここなら誰も気づかないだろう、とセヴィスは電話に出る。
「貴様、何をしている」
すぐにウィンズの声が飛び込んできた。
彼は一週間に一度夜勤で美術館にいる。
セヴィスがそれを利用して予告時間を決めることも少なくない。
「ウル牧場の悪魔ユイレルの討伐が終わったところだ」
実際討伐しているのはシンクだ。
だが、世間的にはセヴィスが討伐したことになっている。
「ユイレル? そんな雑魚を相手していたのか貴様は。まあいい。今悪魔の出没情報があった。場所はクレアラッツ一番通り、男の悪魔だそうだ」
「それは……」
それは俺だ。
悪魔は女だ。
「それは?」
セヴィスはもう一度下を覗き込む。
既にロザリアの姿はない。
「逃げられた」
「何?」
言葉の選択を誤った、とセヴィスは気づく。
もう遅い。
「貴様が逃がすとは。随分ゆっくり討伐していた様だな?」
「違う。俺が来た時にはもう逃げてた」
「今現場にチェルシーが向かっている。貴様はチェルシーに伝えてから帰れ」
電話が切れた。
ちょっと待て、と言いかけて止める。
チェルシーに悪魔が逃げたと伝えるということは、セヴィスが直接彼女に会わないといけないということだ。
今のセヴィスの服装は完全に変装だった。
長マフラーとサングラスはすぐに外せるが、髪の色が黒い。
水で洗えばすぐにとれるが、水がない。
帰ろう。
だが帰るとチェルシーに伝言が伝わらず、怪しまれる。
さらに最悪なことに、赤いサイレンと耳をつんざくブザーが自分の足元で鳴り始めた。
まさか、と思い盗んだ『宝石』を取り出す。
『宝石』の目立たない場所にある黒い点。
それを見ると、本当に小さい探知機があった。
だだ漏れになっていた自分の位置情報。
気づかなかった自分も情けないが、このまま家に帰らなくてよかった。
警察も馬鹿ではない。
何度も変装に騙されて盗まれているのだから、対策ぐらい立てる。
最近使われる探知機は、微弱な電波を発している。
それを知っているセヴィスは、右腕だけに黒ブレスレットを着けて、探知機に莫大なエネルギーの電流を流す。
故障したのか、下からブザーの音が聞こえなくなった。
今自分がいるのは大手会社のビルだ。
エレベーターも通常通り稼動している。
早くこの場を去らないと警察が来る。
「そこにいるのは分かっているぞ! 無駄な抵抗は止めろ!」
下からメガホンを通して聞こえる顎鬚男の声。
「フレグランス、お前の様な女が、『宝石』を盗んで何になるというのだ!」
セヴィスはフレグランスという名前を気に入っていない。
女に間違われるからだ。
警察も、『フレグランスは香水を持っているから女』という前提で捜査している。
それに救われることもたまにあるが、警察に勝手に付けられた名前で性別まで決めつけられるのはやはり不愉快だ。
「……俺は女じゃない」
と小声で言いながら、そんなことを考えている場合じゃないだろ、とセヴィスは自分を叱咤する。
とにかく逃げて、どこかから洗面台を借りて変装を落として、チェルシーを探す。
それしかない。
そう思って、セヴィスは警察がいない側のビルに向けて一本のナイフを投げる。
ナイフはしっかりと巻きついた。
向こうのビルの屋上は今いる場所より高い。
窓を割って警察を惹きつけてからもう一度この場所に戻って別のビルに飛び移る。
それで行こう。
右手でワイヤーを握りしめて、フェンスを乗り越える。
後ろから髪を引っ張られる様な風が全身にかかる。
つま先が当たった時、窓から僅かな抵抗を感じた。
その後、すぐに窓は割れた。
ナイフを外して降り立つと、真っ暗な事務室が広がっている。
洗面所があるのはどこだろう。
考えてみるが、既に下では警察が窓ガラスの音に反応してこちらのビルに突入している。
洗面所より先に、階段が見つかった。
後先考えず、セヴィスはそれを駆け上がる。
上まで駆け上がって扉を開けると、Hの文字が書かれたヘリポートがある屋上に辿り着いた。
そこからさらに別のビルに飛び移る。
それを繰り返していくうちに、家までの距離はだんだん近づいていた。
もういっそのこと家に入って髪の色を戻そうと思った。
しかし、物事はそう上手くはいかなかった。
オフィス街と住宅地の中心付近にあるマンションの屋上。
警察を撒けたと判断したセヴィスは屋上から飛び降りる。
かなりの落差があった。
路地に着地した時に足が少し痺れた。
そのせいで、足元に落ちていた缶が足に当たった。
コンッ
この音で、まさか偶然近くにいたチェルシーが反応するとは思わなかった。
「人間なら返事してください!」
チェルシーが路地の入り口に立って言う。
何て今日は運が悪いんだ、とセヴィスはため息をつく。
おそらく彼女に自分の姿は見えていないだろう。
この言葉は、どの人間にも教えられている祓魔師の合言葉だ。
普通の人間が悪魔と間違えられない様に考えられたもので、返事ではなく自分の名前をフルネームで言うという、通称『悪魔騙し』だ。
「人間なら返事してください!」
確認の為か、チェルシーの言葉がもう一度聞こえた。
セヴィスはとっさにこれを利用することにした。
「はい! ぼくはにんげんです!」
騙された悪魔のように、ふざけた声を出す。
あまりにも変な声をあげてしまったので、思わず自分の口を押さえてしまった。
「あんたが通報された悪魔だね」
チェルシーの指が、こちらに向けられた。
暗闇に向けて撃ち出される水弾。
セヴィスはそれを最低限の動きで避けていた。
チェルシーを焦らす為に、攻撃はしない。
「……むかつくな」
チェルシーが歯軋りをする。
トーナメントで見てきた通り、彼女は焦れやすい。
苛ついたら必ず大波を発生させる。
セヴィスはそれを待っていた。
大波を利用して、髪の色を落とす為に。
ロザリア同様、運任せの勝負だ。
もし大波を発生しなかったら、逃げるしかない。
もし大波で髪の色が少ししか戻らなかったら。
今日は運が悪すぎる。
ロザリアに遭遇した。
肝心なところで携帯が鳴った。
『宝石』に探知機がついていた。
飛び降りた場所の近くにチェルシーがいた。
だから、命や正体が関わる運任せの勝負はできればしたくなかった。
それでも、運任せの勝負をせざるを得なかったのが現状。
偶然にしてはできすぎている、運命。
「あんたA級なの?」
チェルシーの水弾の狙いが外れてきた。
大波までもうすぐだ。
ところが、
「えっ何で警察が来るの?」
そう言って、チェルシーは一瞬だけ目を大通りに向けた。
再び聞こえてくるサイレンと視界に入る赤い光。
おかしいぐらいの不運だった。
「お前はチェルシーか! そこにフレグランスが逃げて行かなかったか!」
顎鬚男の声が聞こえる。
セヴィスはこの声に嫌悪感すら抱いていた。
「えっフレグランス?」
「そこのマンションから飛び降りてこなかったか!」
「え、ええ?」
チェルシーが迷って躊躇しているうちに、セヴィスは反対方向に走り出す。
「じゃあ今のって悪魔じゃなくてフレグランス!?」
「そうだ! 奴は嘘つきの天才だ! 騙されるな!」
背後から聞こえる多数の足音。
チェルシーの怒り狂う声も聞こえてきた。
「出没情報も嘘だったんだね! あたしを騙すなんて! 最低!」
そう言われても、悪気がなくても騙してしまうのが泥棒である。
今思えば、髪の色をチェルシーの水で落としたら髪が濡れたままになる。
そんな状態でチェルシーに会いに行っていたら怪しまれていただろう。
そういえば、チェルシーは今「出没情報も嘘だったんだね!」と言った。
ならば、もう家に帰ろう。
結局、最初から最後まで運任せだった。
そして、不自然な程の不幸。
これが何を意味するのか、考えても答えは出なかった。




