24 命の賭博
ウル牧場は、『クリムゾン・スター』からそう遠くはない。
寝る前に道と場所はちゃんと確かめたはずだ。
しかし、
「あれ」
現在シンクがいるのは『クリムゾン・スター』の裏側だった。
あれだけ歩いて、戻って来てしまったらしい。
洞窟にいた時から方向音痴だった。
昔洞窟への帰り道で迷って、レンに笑われた忌々しい過去もある。
「アルに送ってもらった方が楽だったかもな」
と言って、シンクはもう一度地図を見る為に部屋に戻る。
先程からガラスを叩く音が聞こえる。
近所の誰かが何かやっているのだろうとシンクは判断した。
「あーあ、早くぶっ殺してえのに。あんな看板もねえクソな牧場なんてよ、めんどくせえなぁ」
電気を点けて、シンクは机の上にある地図に手を伸ばそうとした。
すると、力強く扉を叩く音が客席の方から聞こえていることに気づいた。
「すみません! 開けてください!」
この高い声はマリか。
最初は大したことでもないのだろうと思ったが、声が嗄れていることからそうではないと分かった。
シンクは武器を客席に置いて扉に向かう。
扉には手を押しつけるマリの影がくっきりと映っている。
「何だようるせえな……ってどうしたんだよ?」
鍵を開けて扉を開けた途端、シンクは目を疑った。
そこに立っていたのは青ざめた表情のマリだった。
服は泥で汚れ、血で赤く滲んでいる。
身体には複数の傷がある。
「よかった……てんちょいた……」
激しく息を切らしながらマリは言う。
かなり長い時間ここにいたらしい。
「何があったんだよ」
「家……に、あ、悪魔が」
「悪魔?」
「せ、先輩が、牧場で戦ってて……」
先程マリとアルジオはウル牧場の近くに住んでいると聞いた。
つまりシンクが今日殺そうとしていた悪魔のことだ。
だが、シンクはこの二人がいると思うと行く気になれなかった。
「悪魔なんて祓魔師に頼ればいいだろ」
と、シンクはため息混じりに言った。
助けを求めている人の前でこんな態度を取る人間はいない、と同時に思う。
そして自分は人間ではないから、こんな態度が取れる。
「こっこの時間に祓魔師は来られないから、てんちょを、呼んで来いって!」
「祓魔師は二十四時間体制じゃねえのか? 時間的にセビなら確実に起きてるだろ。……でも夜の牧場に電気はねえし、セビはアウトだよな」
マリは悔しそうに黙り込んでいる。
アルジオは剣術を習っていたと今朝聞いた。
だがそれも長く持たないだろうと自覚したアルジオが、S級のセヴィスではなくシンクに助けを求めているのだ。
暴力だけの戦いしか見ていないわりに、よく自分に頼むものだ。
セヴィスがシンクに悪魔を倒せと言ったことで見直したのか。
これ以上無関心な態度を取ると、それでこそ怪しまれる。
現場に着いたらこいつらを何とかしよう。
そうすれば、正体がばれずに事を済ませられる。
「仕方ねえ。案内しろ、マリ」
「はっはい……」
シンクはアルジオを助けようとは思っていない。
ただ、相手が元々殺す予定の悪魔だっただけだ。
「こ、こっちです」
マリは傷口を押さえながらふらつき気味に走り出す。
相当疲れている様だが、シンクが案内なしで現場に着くのは不可能だ。
マリがいつからここに来ていたのかは分からないが、この時間に帰って来たのは本当に運がよかった。
これで依頼されたウル牧場の悪魔ユイレルを殺せる。
いつも腹を立てていた方向音痴が役に立つ時もあるんだなとシンクは思った。
傷だらけのマリが歩くのは普通の人間からすれば耐え難い光景だった。
入り組んだ場所の方が撒ける。
しかしS級相手に暗い場所を逃走路に選ぶのは危険すぎる。
屋根の上で走りながら迷った末、セヴィスが選んだのはあの大通りだった。
この時間なら通行人はほとんどいないが、誰もいないわけではない。
ただ、他の道に比べて明るいから選んだ。
大抵の悪魔は軽く走るだけで撒けた。
それに比べてロザリアは自分が全力で走っても、ビルの屋上から飛び降りても、ついて来ている。
足の速さはセヴィスの方が上回っているが、その差は僅かでしかない。
これ以上走ってもきりがない。
さっさとロザリアを倒して逃げたいところだが、夜中に戦うのは好ましくない。
それにナイフを投げて戦えば、目撃者にフレグランスがセヴィスだとばれて、この手に手錠が掛かってしまうだろう。
そして、事態はさらに悪化した。
「ひええっ! 悪魔だ!」
「何て速さだ! 強い祓魔師を呼ばないと!」
二つの俊足の影が大通りを駆け抜ける。
速すぎてほとんどの人間は一瞬しか見えていないが、逃げている方が悪魔で、追いかけている方が祓魔師だと通行人の誰もが思い始めたのだ。
実際はその逆だ。
通行人の一人が、携帯電話で祓魔師本部に電話を掛ける。
「クレアラッツ一番通りにすっすごい速さの男悪魔がいます! すぐにA級以上の祓魔師をお願いします!」
セヴィスが逃げに徹するのは夜にしか見られない光景だ。
それを知るのはシンクだけで、一般人はセヴィスが夜も悪魔を討伐していると思い込んでいる。
それに今の彼は黒髪にサングラスをしている。
だからこの光景を見て、逃げているのがS級のセヴィスだと気づく人間は誰ひとりとしていない。
ロザリアが自分の姿を見失えば駆けつけた祓魔師が処理してくれる。
そのことを想定して、この逃走路を選んだ。そのはずだった。
だが、
「何て素早い人間なの!」
現にロザリアは自分の五メートル程後ろを走っており、剣を持って追いかけるロザリアが祓魔師で逃げるセヴィスは悪魔だと勘違いされている。
通行人は二人を見て戸惑っている。
このままではロザリアではなく、自分を殺す為に祓魔師が来る。
あてが外れた。
自分を見失わずについて来た悪魔は彼女が初めてだ。
まさか彼女がここまで素早いとは。
相手の運動能力も見抜けないようでは、いつか油断して悪魔にやられるか来年留年しているかもしれない。
最近は運による勝利に頼り過ぎている。
自分もまだまだ未熟だということだ。
そんなことを考えている場合ではない。
来年どころか、今殺される可能性も薄々出てきている。
S級悪魔を侮ってはいけなかった。
どうやってこの場を切り抜ける。
考えて、最善策を見い出せと頭に命令するが、出来の悪いセヴィスの頭が最善策を見い出せるわけがない。
セヴィスは細い道に入って、ビルの角に隠れる。
ロザリアが後を追って細い道に入る。
ロザリアはセヴィスがどこにいるかまだ気づいていない。
彼女に奇襲を仕掛けて、自分を見失うぐらいの隙を作る。
それしかない。
「どこに行ったの?」
足音が近づいてくる。
セヴィスは息を殺してナイフを握りしめる。
ところが、
「っ!」
ポケットに入れておいた携帯電話のバイブが鳴った。
美術館の連中が、この通りにいる悪魔の退治をセヴィスに任せたらしい。
美術館にいる彼らには、悪魔だと思われた男がセヴィスだということを知る由もなかった。
「そこね!」
と言って、ロザリアは剣を振る。
セヴィスはとっさに伏せる。
その頭上で派手な音を立ててガラスが割れた。
セヴィスは破片が刺さるのを防ぐ為に地面に手を付いて、そのまま脚を振り上げてロザリアから離れた場所に着地する。
攻撃と同時に衝撃波を放つ魔力権だと分かった。
この魔力権を持っている候補生は多いので何度も見たことがある。
「どけっ!」
セヴィスはロザリアに向け香水を瓶ごと投げた。
一か八かの賭けだ。
戦闘での運任せは好きではないが、やむを得ずそうしてしまった。
ロザリアが瓶を壊すか、瓶がロザリアに当たれば勝ち。
ロザリアの手は常に剣にあった。
腕は常に構えていた。
彼女は飛び道具を避けるよりも跳ね返すタイプの可能性が高い。
ウィンズ譲りの直感でそう思った結果だった。
もしロザリアが瓶を避けたら再び逃げるか、人目につかない場所でナイフを使って戦うしかない。
だが、クレアラッツという都会で人間がいない場所などないに等しい。
戦うのは、フレグランスがセヴィスだと言うことと同じ。
目撃者がいたら捕まる。
つまり負けだ。
また運に頼った時点で、本来ならロザリアに負けているのだとセヴィスは思った。
運も実力のうちと言うが、これは実力なのだろうか。
「っ!」
ロザリアの注意が瓶に向いた直後に、セヴィスはロザリアの後ろにある光に向けて走り出す。
ロザリアは瓶を衝撃波で割った。
すると、鼻につく匂いを持つ液体がロザリアの顔に付着した。
「何これっ身体が……」
修行を積んできたロザリアは気絶はしなかったが、身体中を襲う痛みに耐えきれず膝をついた。
賭けは成功に終わった。




