23 卑劣な泥棒
高層ビルとほとんど変わらない大きさを誇るジェノマニア『宝石』店では、多数の警察の祓魔師が警備している。
フレグランスの警備では悪魔と遭遇することが多い為、特捜課には祓魔師が多い。
クレアラッツの街を上空から見下ろすと、この建物だけは赤く光っているだろう。
それだけ多くの警察がフレグランス特捜課に所属しているのだ。
「奴は近くにいるはずだ! 厳重に警戒しろ!」
顎鬚を生やした男が大声で言う。
「はっ!」
巡査が一斉に返事をして、自分の持ち場につく。
その中に、一人返事をしなかった黒髪の男がいた。
黒髪の男は、階段を上がって部屋に入る。
そして、一番重要とも言えるフレグランスの狙うルビーの前に立つ。
警察帽を深く被った黒髪の男は腕時計で時間を確かめ、歩き出す。
「おい、どこに行くんだ?」
隣に立つ巡査が尋ねる。
この場所には、現在この巡査と黒髪の男しかいない。
特捜課はフレグランスを侵入させない為に入口と窓に警備を集中させているからだ。
「どこにも行きませんよ。ちょっと落ち着けないだけです」
黒髪の男はわざとらしく答える。
この態度に巡査は眉間を中央に寄せる。
「そうそう、長い間立っていて疲れたでしょう。差し入れがあるんですよ」
と言って、黒髪の男は懐から香水の瓶を取り出した。
「いい匂いがしますよ。みなさん警備で緊張している様なので、これでリラックスしたらどうですか」
香水を受け取った巡査は、『Dead Fragrance』と書かれた黒色のラベルを見て顔をしかめた。
「フレグランスの警備をしているのにこんなもので戯れてどうする」
巡査は黒髪の男に香水を返す。
「どうするって」
黒髪の男は笑って、言う。
「……気絶」
黒髪の男は瓶の蓋を開けて巡査の顔に液体をかけた。
強烈な花の匂いがして、すぐに巡査の全身を激しい痛みが襲う。
「ぐわあっ!」
あまりの痛みに巡査は倒れて、もがく。
黒髪の男は黙ってそれを見ている。
「ぐっ、きっ貴様! まさかフレグランスか!」
巡査は苦しそうに黒髪の男を見て、気絶した。
この瓶は香水ではなく、一種の麻薬だ。
匂いを直接嗅ぐと、身体中に異常な快楽と激痛が走り最終的には気絶してしまう。
さらに意識を取り戻した後も意識が朦朧として、記憶が曖昧になってしまうという猛毒だ。
「ご名答」
巡査が気絶した後、黒髪の男は低い地声で言った。
その声は、S級祓魔師の声そのものだった。
警察服を脱ぎ捨てると、動きにくそうな至って普通の服が顔を出す。
長い黒マフラーがお洒落にしか見えないという、泥棒らしくない服装である。
セヴィスはルビーの入ったケースを見る。
特別な仕掛けは特に見当たらない。
それにしてもふざけすぎたとセヴィスは思った。
いくら正体を隠すためとはいえ、わざわざ髪をスプレーで黒く染めて、こんな阿呆らしい演技をするのはどうか、と自分に疑問を叩きつけたくなった。
だがもう過ぎた事を気にしても仕方ない。
面倒なことは終わった。
後はルビーを盗んで窓から逃げるだけだ。
ガラスケースを割ってこのルビーを取れば、防犯ベルが鳴り響くことは分かっている。
その証拠に、ガラスケースには防犯装置が設置してある。
辺りを見回す。
人の気配はないが足音がする。
万が一人が来たら顔を見られるので、サングラスをする。
「部屋内警備はどうだ!」
扉の向こう側から声が聞こえた。
声からして、先程の顎鬚男だろう。
「今のところ異常なし」
セヴィスは裏声で返事をする。
フレグランス本人がここで返事をしている時点で異常ありまくりだろ、とセヴィスは思った。
「よし! もうすぐ時間だ! 必ず奴を捕えるんだ!」
「はい」
自分を捕えろとは、複雑な気分だ。
時計を見ると、予告時間より一分早い。
だが、防犯装置を壊してルビーを取って逃げることを考えればちょうどいい。
足音で顎鬚男が去ったことを確認すると、セヴィスは防犯装置から出ている青色の銅線にナイフを突き刺して切った。
防犯装置から防犯用の少量の電気が流れたが、電撃の魔力権を持つセヴィスには全く効いていない。
ガラスケースをそっと音を立てないように外す。
照明の光を反射して、美しいルビーが姿を現した。
セヴィスはルビーを手に取ると、代わりに一輪の造花を置く。
この造花はシンクが考案した、盗んだという証だ。
かなり前から『宝石』怪盗をしているセヴィスはそんなもの必要なのかとも思ったが、シンクに文句を言うのはウィンズとモルディオの次に面倒くさい。
彼が最近フレグランスと呼ばれるようになったことには理由がある。
たまに使う香水の香りが盗んだ後に残ることと、造花を置いていくことの二つだ。
あと三秒で予告時間になる。
ルビーを取ったのだから、もうこの『宝石』店に用はない。
そう思ったセヴィスが窓を見た時だった。
「っ!」
逃走に使おうと思っていた窓のガラスが割れて、一人の女が入って来た。
そして、そのガラスの音に気づいたのか扉の向こうから大量の足音が聞こえて来た。
女の手には細剣が握られている。
一目で悪魔だと分かった。
盗む際に悪魔に遭遇することはよくあるからだ。
この悪魔を利用して警察の祓魔師を足止めしようと思ったが、その方法が思いつかない。
そんなことをするくらいなら女を振り切って逃げる方がいい。
「怪盗フレグランス、ね?」
と、女が尋ねる。
そんなの見ればわかるだろ。
アンタと話している時間なんてない、と言おうとしたが言葉にならなかった。
女が今まで見たどの悪魔とも違うように感じた。
自分だけの為でなく、他の悪魔の為に自分を殺しに来た感じがした。
「私の名はロザリア。S級悪魔よ」
「ロザリア……?」
自分から敵に名乗るとは、親か誰かにそう教えられているのだろう。
それにしても、聞いたことのある名前だ。
「フレグランス、名前からして女だと思っていたのに男だったのね……いいえ、そんなことはどうでもいいわ。今日あなたにはここで『宝石』泥棒を止めてもらうわ。あなたのせいでみんなお腹を空かして、毎日たくさんの悪魔が亡くなっているのよ」
ロザリア。
確かハミルとシンクがこの名前を言っていた気がする。
ハミルはロザリアという女の子が、セヴィスのことを嗅ぎ回っているというようなことを言っていた。
シンクは今のS級の候補として、ロザリアとレンという悪魔の名前を挙げた。
ロザリアがS級悪魔なら、当然S級祓魔師のセヴィスと悪魔の飢餓を進めるフレグランスを狙うはず。
これで辻褄が合う。
おそらく二人が言っていたロザリアはこの女だ。
ここで警察が来る前にS級であるロザリアを殺すことは不可能だろう。
ならば、隙を作って窓から逃げるしかない。
「邪魔だ」
セヴィスは地面を蹴ると、懐から取り出したナイフをロザリアに向け投げる。
ロザリアは少し驚いた様子でナイフを避ける。
ナイフは外れたのではなく、その後ろのビルのフェンスに引っ掛ける為に投げたことにロザリアは気づく。
その間にロザリアと窓の縁の隙間を通り抜けて、セヴィスは窓から飛び降りる。
同時に、警察が部屋に突入する。
「逃がさない!」
すぐにロザリアは追跡を開始する。




