2 父の『宝石』
ロザリアはしばらく呆然としていた。
身体が震えていた。
シンクを追いかけないといけない。
だが、足が崩れ落ちて膝が地面についている。
立って追いかけようと思っても、足が動かない。
ロザリアがショックのあまり動けなくなるのは、立ち止まる前からシンクは推測していた。
「どうして……」
多量の涙が、彼女の目から零れ落ちた。
シンクにとってロザリアとは、一番厄介な相手であると同時に、一番騙しやすい相手であった。
さらにしばらくの時が経つ。
シンクが逃走の際に使った岩の隙間から、一人の少年が出てきた。
少年は荒地で泣いているロザリアを見つけ、すぐに走って来た。
「ロザリア!」
ロザリアは涙を拭って立ち上がる。
後ろを振り返ると、ロザリアと同い年の少年、レンがいた。
レンもまた、ロザリアと同じ様にシンクを兄の様に慕い、その圧倒的な強さに憧れていた。
「やっと見つけた。探してたんだよ」
と、レンは無理矢理口を歪ませた笑顔で言った。
しかし、散々泣きじゃくったせいか目が赤くなっている。
「……悲しいと思うけど、みんな心配してるから、帰ろう」
このまま泣いていても何かが起こるわけではない。
ロザリアはもう一度涙を拭って、レンについて行った。
岩の隙間から洞窟に戻ったロザリアは、すぐにその場に蹲った。
目の前には、焼け焦げて真っ黒になった男の死体があった。
それも、四肢が切断された無惨な姿だった。
「ひっ……」
千切れてそこら中に散らばる手足を見て、ロザリアは胃を締めつけられる程の恐怖を覚えた。
だがそれだけではなかった。
「お、とうさん……」
シンクが殺したこの男は、ロザリアの父親ナナテスだったのだ。
「大丈夫か、ロザリア」
声がして、ロザリアの肩に優しい手が添えられる。
ロザリアが脅えながら隣を見ると、少し青ざめた表情のレンがいた。
ロザリアは頷こうと思ったが、怖くて身体が動かない。
ロザリアは死体を見るのは初めてだった。
それも、自分の父親だ。
レンは掛ける言葉を考えているのか、俯く。
「こんなこと、一体誰が」
レンは小さい声で言った。
その声は恐怖と憎悪に溢れている。
すぐに辺りが静かになる。
隣でロザリアが恐怖のあまり震えていることに気づいたレンは、この場を大人たちに任せてロザリアを落ちつかせようと思った。
だが落ちつかせる方法も思いつかない。
父親を失った悲しみを忘れさせるなど、今のレンにはできない。
「シンクはどこ行ったのかな。犯人を探してるのか?」
ゆっくり立ち上がったレンは話題を変える。
「……」
ロザリアは何も喋らない。程なくして嗚咽が聞こえてきた。
「ロザリア……」
レンは慰める言葉を一生懸命考える。
その時、ロザリアが口を開いた。
「シンクが」
「え?」
ロザリアは大きく息を吸って、叫ぶ。
「シンクが! お父さんを殺したの!」
「う、嘘だろ? シンクがそんなことをするわけがないじゃないか。だってシンクはみんなを守る為に強くなるって言ってたじゃないか」
ロザリアは再び黙り込む。
その表情で、レンはロザリアが言っていることが嘘ではないのだと痛感した。
「そんな、馬鹿な」
レンは嘘だと思いたかった。
だが現にシンクはここにいない。
「つまりシンクはおれたちを騙した上に、何の罪もないロザリアのお父さんを殺したってのか?」
隣でロザリアは泣き続けている。
ふと、ナナテスの遺体が光に包まれた。
ロザリアの前にある父親の遺体は、消えてなくなった。
そこには、服と美しい瑠璃色をした掌ぐらいの大きさの石が一つ転がっているだけだ。
レンは石を手に取って、言う。
「許せない! おれが、絶対仇を打つ!」
この『宝石』と呼ばれる石は、これから語られる悪魔と呼ばれる戦闘に富む種族の生きた証である。
悪魔は、今現在この洞窟に住む者たちを混ぜて世界に数万人存在する。
毎日一カラット以上の『宝石』を食べなければ、悪魔たちはこの世界で生きていけない。
それを理由に、悪魔たちは人間たちから隔離され、祓魔師という人間だけで構成された戦闘集団から逃げる毎日を送っている。
戦闘力でも人間に劣ってしまった悪魔たちには、もう絶望的な未来しかないと誰もが思っている。
絶望的な世界でも、悪魔たちは生きたことを決して後悔しない。
なぜなら、それが悪魔として生まれた運命だから。
祓魔師を目指す者には、必ずこの言葉が教えられるという。