17 闘劇の予兆
午前九時を差した時計塔は、九回鐘を鳴らした。
エルクロス学園の中央、時計塔の真下に闘技場はある。
エルクロス学園がレンガ造りだったのに対し、闘技場は石造りで頂上まで緑色の蔦が伸びている。
そして最近は工事により天井が付けられ、明るい電気が点いている。
古代から勇敢な戦士たちの力試しに使われていたこの闘技場は、現在祓魔師や候補生たちの格付けを決める為に使われていた。
「ではこれより第二十回、クレアラッツエクソシストトーナメント、候補生の部を開催します!」
アナウンスを担当する女教官の声がして、大きな歓声が上がる。
この闘技場は一万人の観客を収容できる。その中で運よく一番前の席に座ったロザリアは、これから始まるトーナメントに胸を高鳴らせている。
ロザリアがいる西側の席のちょうど反対にある東側には、『クリムゾン・スター』のアルジオとマリ、シンクがいる。
アルジオが背筋を伸ばして座っているのに対し、シンクはだらしなく『宝石』の僅かな欠片を混ぜたパンを貪っていて怠惰な様子を見せている。
マリはロザリア同様、セヴィスの戦闘しか興味を持っていない。
そして、出場する候補生たちとその関係者は北と南に分かれて座っている。
「では、挨拶をジョフェン=エルクロス学園長、お願いします」
女教官が言うと、かなり太った男が闘技場の中央に歩いてきた。
シャツのボタンは無理矢理留めてあり、今にもはち切れそうだ。
台に上がったジョフェンは、深すぎる程頭を下げる。
ジョフェンの禿げた頭が電気の光を反射して、光を放つ。
「えー、皆さん今日はようこそお出でなさいました。名誉あるこのトーナメントも、えー、記念すべき三十……じゃなくて、えー、二十回を迎え……」
ジョフェンの話を聞いているのはアルジオを含む数人だけである。
誰も学園長の話に興味はない。
五分程話して、ジョフェンが台から降りる。
「ありがとうございました。では、次はS級の」
女教官の言葉は、隣に座るウィンズによって止められた。
「S級の言葉はいらん。セヴィスを動かすだけ時間の無駄だ」
マイクを通して、ウィンズの声が会場全体に響き渡る。
「でも、毎年やっていることですし……」
「やる気のない馬鹿セヴィスを動かして言葉を言わせたって、どうせどうでもいいで終わるに決まっている」
この二人のやり取りを聞いて、いてもたってもいられなくなったハミルは立ち上がってセヴィスの肩を叩く。
一番後ろに座るセヴィスはアナウンスを無視していると言うより、寝ていた。
一回軽く叩いたぐらいでは起きないのは、今までの経験上ハミルには分かっている。
「おい! 起きろ!」
ハミルはグローブを着けたままセヴィスを起こそうと腕を振り上げる。
生徒の視線が二人に集まる。
ハミルの拳がぶつかる直前。
セヴィスは目を開けてとっさに身体を捻る。
ハミルの拳は寸前で避けられた。
「何だ、もう俺の番か?」
去年の優勝者であるセヴィスやA級のチェルシーはトーナメントでシードされており、開始数分で出番が来るのはありえない。
そのことをほとんど常識のように捉えているハミルは、何の前触れもなくもう一発殴る。
その攻撃もまたセヴィスは避けた。
「んなわけねえだろ。寝ぼけてんのか」
「じゃっ……じゃあ何だ」
広い背凭れに寄り掛かりすぎて椅子から落ちたセヴィスは、両手を使って器用に椅子に座り直す。
周りの男子が数人笑っているのが見えた。
「ウィンズがお前のことで揉めてるぞ。毎年プログラムにあるS級祓魔師の言葉についてじゃねえの?」
「そんなどうでもいいことで起こすな」
そう言ってもう一回寝ようとするセヴィスを見て、ハミルは腰に両手をあてて大きくため息をついた。
この出来事は二年A組の生徒にしか見えていない。
そのため、ロザリアやレストランの三人は妙なアナウンスに首を傾げている。
「でっでは、既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、当トーナメントのルールの説明をします。
ルールは実戦同様に戦い、相手の背中が地面に二回付けば勝ちです。また、相手が気絶した場合も勝ちとみなします。制限時間は五分。それまでに勝負がつかなければ、ここにいるA級祓魔師のウィンズ=ラスケティアが傷の量で判定します。
それでは第一回戦を始めます!」
何が何だか分からないまま、観客たちはとりあえず歓声をあげる。
「対戦相手の抽選を行います!」
女教官が言うと、生徒たちは当たらないように手を組んで祈り始める。
初戦で当たる程嫌なことはないからだ。
ウィンズが透明の箱に手を入れる。
その中には、四桁の数字が書かれた真っ白なカードが入っている。
クラスを表す二桁と出席番号からなる四桁の数字に当てはまる二人の生徒は、戦わないといけない。
二枚のカードを引いたウィンズは、マイクに向けて言う。
「1212番、2116番」
ウィンズの声を聞いて、生徒達がざわめく。
「2116って……おれだ!」
ハミルが勢いよく立ち上がる。
その勢いでハミルの制服の裾がセヴィスの顔に当たり、セヴィスは再び起こされた。
「今度は何だ」
「セヴィス、おれ当たったから行ってくるぜ!」
ハミルは眠そうに顔に手をあてるセヴィスに言って、階段を駆け降りる。
「それだけか」
一回戦で当たることを、それだけかの一言で済ませることができる候補生や祓魔師は彼を除いて存在しない。
だが、数々の修羅場を潜り抜けてきたS級祓魔師兼犯罪者のセヴィスからすれば本当にその程度だった。